第一.七五話 実録!鬱病ゴウタの深層世界。

「全くミチオ君..とんでもねぇモン持ってやがったぜ..」

 自室に戻ったゴウタ。大事に胸に抱えた『自殺倶楽部』を奥の畳部屋に持って来て、優しくチャブ台の上に置くゴウタ。今から読むのか?ゴウタ。いや読まないゴウタ。もっと焦らしたいゴウタ。どうせならば『自殺倶楽部』を『自殺クラブ』の連中と一緒に読みたいゴウタ。チャブ台に立ち尽くすゴウタ、玄関に向かう。玄関口にて、一度チャブ台の『自殺倶楽部』に振り返るゴウタ。消えて居ないか?改めて再確認するゴウタ。心臓「ドッキドキ」のゴウタ。玄関口に置いて在る『G』のワッペンが付いた唾付き帽子を深めに被り、足早に玄関を出るゴウタ。御洒落の為の帽子では無く、帽子のツバが他人と目線を合わせる事を遮断してくれる、良きゴウタの相棒。鬱病には必須の必需品。

 “ゴウタ”を連呼した理由は、仕事に行きたく無い心情を表したかったから。実はゴウタ、部屋戻った瞬間に黒電話が鳴り、職場からの緊急要請。ゴウタ、仕事です。

 鬱病には闇が似合う。普段は部屋の電気を消してから出るゴウタ、だが今日は点けたままで出る事にしたゴウタ。漆黒の暗闇が『自殺倶楽部』を万引きしてしまいそうな気がしたから。 

 最寄りの駅から電車に乗り、急遽、職場に向かうゴウタ。この夕方の時間帯、ゴウタを乗せた上り行きの車両はガラガラ。難無くゴウタは席に座る。座らないとチトキツい、仕事は立ち仕事、座れるに越した事は無い。ガラガラの車内は正義だ。パンパンに詰まった車内は地獄でしか無い。スカスカの通勤車内を理想として、夜勤の仕事を敢えて選択したゴウタ。余計な人間関係は悪だ。人間関係は三人以上から産まれる。このカスカスな車内からは、決して余計な人間関係は産まれない。普段の夜勤明けの帰りの電車内には太陽光が差し、非常に健康的な明るさ。嫌いじゃ無いゴウタ。大先輩の創造神が創り上げた世界なのだから。

 しかし日が暮れ、何時の間にか世界は漆黒の闇に溺れた夜間の電車内の描写。人口の照明がチト眩しいゴウタ(明る過ぎだろ? 俺達、夜間労働者を馬鹿にしてんのかよ?)。ゴウタは通勤途中の今の時間帯、電車の中でツイツイ、この不満を頭の中に想像してしまう。この位の時間帯に態々、上り電車に乗る人間の殆どが仕事目的の乗客達だ。

「今の時間帯?」

 其れは皆さんのご想像にお任せしたい。自分で決めた“時間枠”で創造すると、モットこのゴウタが乗る車内の情景が具体的に現れる事だろう。

「若しかしてコノ電車はゴウタ自身で、彼の深層世界の中を旅してるのも知れないし..」

 車中には勿論、私用で電車に乗っている人間もチラホラ、だが殆どが出勤途中。勝手に其の様に断言させて頂く。車内はとても静かな空間。これからメトロポリスに遊びに向かう乗客達も、この車内は明るく、外は漆黒に暗い重い空気の中では、私語を慎む事しか道は残されていない。ベットリとした重厚感溢れる無音の世界。車内に響く音は、鋼鉄製の電車の車輪が、更に鋼鉄製の線路と云う弦を弾き、「キぃぃ、キキ!キぃぃ」と云った音階度外視の雑音。そして其の不快な雑音を緩和させようと乗客達の鼓動に響く、微かな優しい電車のモーター音。

 (シカシ、もっと照明を落としてくんないかな?目が痛くなるぜ..)この願いはゴウタだけに限らず、車内の全夜間労働者が思って居る事。夜間労働者には、眩しいばかりの光がトテモ鬱陶しく感じるのだ。だからゴウタはサングラスを掛けて居る。廻りの乗車客も皆がサングラスを掛けて居る。掛けて居ないのは遊び人位だ。本音を云えばコノ車内に、漆黒の世界時間で労働に勤しみたい人間など一人も居ない。このゴウタかて例外では無い。鬱が無ければキット今頃は、日中のメトロポリスのビル群の中で、奮闘して居た企業戦士で在ったろうに。鬱は酷だ。


 終点から三駅手前でゴウタは降りた。ゴウタの勤務して居る惣菜パン工場は、駅の西口から出て、徒歩約十五分程の所に在る。

 ゴウタは、右胸の奥深くに内蔵された社員証のチップを工場入り口、従業員用の認証装置の液晶画面にかざす。ちょうど右乳首を当てると感度良好、ビンビンビン。

「ピピっ」本人認証の確認作業終了。

「カチッ」玄関のドアの鍵が解放されて、ゴウタは中に無言で入る。自分から進んで休日出勤を選んだのだが、この玄関を潜った時は何時も気持ちが滅入る。

 ここでワザワザ原稿用紙のマス目を無駄使いしてまで、ゴウタの勤務先を細かく描写する事はしない。工場は工場。其れ以上の工場でも無いし、其れ以下の工場でも無い。若しも工場勤務をした事が無いと云う方、是非とも一度は経験してみて欲しい。ソレも夜勤で在れば、尚一層ゴウタの幻滅具合が御理解頂けるだろう。

 入り口潜り、其のまま真っ直ぐ突き進むと、右側にタイムカード室がある。広さは大体六〇〇〇畳。立派な図書館に並べられて居る様な巨大な本棚の数々。均等な割合でタイムカードが刺さって居る。ゴウタは棚から自分のタイムカードを抜き取り、四方の壁に二台ずつ備え付けられて居るタイムカード機にブッ刺す。ここからが勤務の開始時間。

 タイムカード室を出て廊下、一番突き当たりの手術室の様な観音開きの扉の向こうが、惣菜パン工場の本丸、作業場。更に気分が落ちるゴウタ。ゴウタは作業場に入る。

 一般的な工場勤務者は白衣に着替え、手袋やシャンプーハットなどを着用してから、作業に取り掛かる。この『マボロシベーカリー』では、其の様な無駄な取り組みなどは一切しない。どの様に従業員に清潔感を強制させても、隅々までは管理は行き届かない。清潔感を保たせるには、各個人の確固たる意志が不可欠。押し付けるモノでは決して無い。『マボロシベーカリー』には、世界中のパン工場から不潔を理由に、不当に解雇された人間達も数多く勤務する。ここが重要。創業以来、一度も会社からは食中毒の被害は発生して居ない。全従業員が各々の格好、そして髪型で業務に当って居る。不潔の定義って何?

 様々な惣菜パンを作る為の大型機械の不協和音達が高い天井の工場内を泳ぎ廻る。其れ等が全く雑音として聴こえて来ないの不意打ち。中には耳栓をして作業をする従業員もチラホラ。だが彼等は不協和音の音色に耐えられないからでは無く、余りの雑音の気持ち良さに悶絶、絶頂感を迎えてしまう危険性が在る為だ。耳障りな音は働く社員達の健康を害する。『マボロシベーカリー』では、身だしなみだけに留まらず、精神的健康面の事も配慮。独自に研究を重ね、扱う製パン機械達の作動音をオーケストラ演奏の様に部分分け。みごと芸術的不協和音環境音楽へと昇華させた。驚くべき事は、働く従業員達の奏でる雑音も機械音とシンクロして、重厚で壮大な芸術的作品の一部と化している点。

「カサカサっ」包装紙で従業員が惣菜パンを包む音。

「バコン、バコンっ」包装された商品が入れられたバスケットを、台車の上に次々と重ねて積んで行く音。

「バッタン。バッタンっ」その台車を、工場内の出入り口から搬出させる時に起こる、ドアを台車が打ち付けて、自動で閉まる際に発する衝撃音。ん?ゴウタは何処に行った?

 今話の主役、現代環境音楽家のゴウタは包装紙担当。コチラの『マボロシベーカリー』、地球中の現代環境音楽家、そして其の分野のファン達にとっての聖地とも成って居る。年に一度、一週間を通して二十四時間、七日間に渡り、途切れる事無く行われる音楽の祭典、『マボロシ祭』。これは普段は関係者しか入る事が出来ない『マボロシベーカリー』を全開放。工場内での作業を直に観覧出来ると云う祭典。録音録画等の規制は一切不問。勝手にやってくれ。観客皆各々が自分勝手に録音機材に、音や画像を収録。其の現場から更に世界中に無料で生配信する信者もチラホラ。

 

 ゴウタの夜勤時間は、夜の一〇時から早朝の〇六時半まで。無給の三〇分休憩が一回。ゴウタはこの三〇分休憩の時に、売れ残りや商品にならない失敗した惣菜パンを休憩室で食べる。更に余った惣菜パンも家に持ち帰る。だから食費は殆ど掛からない。人付き合いも、極度の鬱のせいで極力避ける様に試みて居るゴウタ、『自殺クラブ』の連中以外は。

 冒頭のミチオの生い立ちを除いては、『自殺クラブ』の面々の過去を曝け出す様な描写は一切出て来ない本作品。登場人物にも人権が在るし、誰だって興味本位で自身の歴史など粗探りされたく無い。ミチオだけは今回、特別に了解してくれたのだ。『自殺クラブ』の連中は皆が“鬱病”、又は“躁鬱病”の覇者。“鬱”“躁鬱”のケツに“病”が付くと云う事は、精神科医のお墨付きの証拠を示して居る。日常生活支障をきたす事から、彼等は精神科に通院しては居るが、誰もが自身を“病院”だとは思って居ない。チト我が強くてヤンチャな個性、との認識。我が強いと自殺何てしない、と勘違いする読者も居るだろうが、我が強いから自決出来るのだ、この阿保。自死を遂げる人間の精神状態は、極限にまで追い込まれて居て、極限にまで研ぎ澄まされて居る。

 医師から“躁鬱病”を申告された当時のゴウタ。驚きは全く無かった。そうだろうなァ..何て気付いて居た“天然鬱”のゴウタ。話は戻り、そんな交際費も殆ど掛からないゴウタ。一体何にお金を使って居るのか?ゴウタはイズレ自殺する。自殺する人間がシコシコ貯金などはしない。旅行。旅行にゴウタは稼いだ給料の全てを注ぎ込んで居る。暇を見ては、地球上のあらゆる自殺の名所を訪れて居る行動派。因みにゴウタには付き合っている彼女が居る。この彼女と一緒に旅行をするのがゴウタの唯一の愉しみで在り、趣味だ。勿論、彼女も自殺願望を持って居る同業者。

 職場にはゴウタが懇意にして居る人間など一人も居ない。この職場はアクマデモお金を稼ぐ為と割り切って居る。生きる為には労働をしなくてはナラナイ哀しい微生物、人類。

 そんな外界とは、接点を共有する人生を送っては来なかったゴウタの場合、一体どの様にして『アパルトメントヘブン』を見付けられたのか?そのヒントが、この『マボロシベーカリー』に隠されて居る。一期一会。『アパルトメントヘブン』と『自殺クラブ』の聖域の世界の中で、“負”の自殺が止まる事を知らない“陽”の連鎖の出逢い。

 後もう少しで、ゴウタは三〇分休憩に入ります。この間に読者の皆さんも、各々で厠に行ったり、二十四時間営業の『マボロシベーカリー』直営販売ブースで、惣菜パンなどは如何?

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