空を飛ぶ夢の呪い

土蛇 尚

僕たちから次の僕たちへ

「もう帰るよ」


 幼い頃母に何度も言われた言葉が聞こえた気がした。集中力が切れてる。時刻は午前をすぎた頃。

 

 残業で一人デスクに残る時間、ふとモニターから目を上げてフロアを見渡す瞬間が好きだ。俺しかいないのに40〜50人分の机が並んだデスクは煌々と照明で満たされている。俺の頭の上だけつけとけば予算の削減にでもなるだろうに。

 俺がやってる仕事は、予算の肥大化で社内からもそして社外からも苦言が多い。社外っていうのは、お国ひいては国民の皆様からだ。


 次期国産戦闘機の開発計画は当初の予算を大幅に超過し1兆円に達しつつある。もうデスクの電気代を削ってどうこうの段階は大昔にすぎてる。自動車メーカーに入った同期のボーナスを聞くと羨ましくなる。それでも国を傾けるような仕事をしている、その倒錯した高揚に依存している自分がいる。

 

 この仕事は俺の子どもの頃からの夢だった。それが今やニュースでもインターネットでも別の部署からも悪口を言われる。

 自分の夢のために多額の税金を浪費して申し訳ない気持ちとかあるのかと友人に聞かれた時、自分の中にそんなものは全くないことに気がついた。

 自分の夢のために仕事をしている。あとはどうでもいい。    

 それが本音だった。まるで何かの呪いを受けたような。


 こうして椅子に座り仕事をしていると何故か母が後ろで自分のことを待っている気がする。



「もう帰るよー。まだ見る?」



 お母さんが僕に聞いてくる。妹のための絵本を選び終わったらしい。妹はまだ図書館で静かに出来ないからパパとお留守番してる。僕はお兄ちゃんだから静かにできる。


 僕は図書館でお母さんが妹のための絵本を選んでる間は飛行機を見てる。この図書館の入口の前にはちょっとしたスペースがあってそこに飛行機の模型が飾られてる。 僕はそれをずっと見てる。


「飛行機まだ見る?」


 背中の後ろからお母さんがもう一度聞いてくる。


「もう少しだけ見る」


 飛行機の模型を見る僕をお母さんが見てる。模型達が入ったガラスのケースは二段になっていて、一段目に大人達が写った集合写真と分厚い本が入っていて、二段目に飛行機がある。


 僕が好きなのは翼だ。羽じゃなくて翼。羽が好きなんじゃない。まだ他の子は書けないけど僕は漢字で翼って書ける。

 前にある長い翼が主翼しゅよくで、後ろにある小さい翼が尾翼びよくっていう事を知った時、世界に隠された秘密を知ってしまったような気持ちになった。

 翼はよくとも読む。同じ言葉に違う読み方があるなんてとんでもない秘密じゃないか。

 その秘密を知るまではただの飛行機だったけれど、今は主翼が白色で尾翼が赤色の飛行機だと言える。そう言えるようになってから僕は飛行機がとても好きになった。


 ケースに入った飛行機を僕はずっと見てる。主翼が白色で尾翼が赤色の飛行機。この飛行機がいつからこの図書館にあるのか分からない。僕が初めて来た時にはもうあった。今8歳だからすごく昔からあるんだと思う。3年くらい前かな。

 

 パパに図書館にある飛行機の話をしたら「お前は囚われたんだな」って言われた。僕はお母さんが一瞬ムッとしたのを見逃さなかった。


「それって悪いこと?」


「いいや。とても良いことだ。囚われたように追い求め憧れる。そういうものがあるのはとても良いことだ。お父さんはお母さんに囚われたんだ」


「ふーん」

 

 僕は大人になったら飛行機を作りたい。

 

 

 

 図書館で飛行機を見ている時待っていてくれた母はもういない。戦闘機を作っている俺の後ろに母はいない。


 あの時図書館で見ていた飛行機は、自分が生まれる前に開発中止になっていた。中学に上がった頃に調べた気がする。開発費の増大で計画がなくなって、模型と膨大な資料だけが残された。そしてその一部があの図書館に押し付けられたのだろう。

 それが今の自分にとっては、当時の開発者たちにとって最後の抵抗のように思えた。この呪いに誰かかかってくれ。そういう呪い。

 

 俺は、僕は、翼の呪いにかかった。

 

 翼を作りたい。この欲を人が失うことは決してない。


 この夢も呪いも消えない。



終わり

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空を飛ぶ夢の呪い 土蛇 尚 @tutihebi_nao

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