第28話 告白

「何が一番おいしかったですか?」


 会計を済ませて店を出、お互いの部屋へのショートカットである大学構内に入ると、俺は横に並ぶ東原さんにきいた。


「……」


 だが東原さんは答えずに、まっすぐ前を見てすたすたと歩いていくので、さっき聞いた通り、彼女の顔の横で手をひらひらさせると、すぐに俺の方を向いた。


「なんですか?」

「どの料理が一番好きだったかなって」

「笹井さんは?」


 聞き返されて、二人でシェアして食べた十皿以上の料理を思い出しながら考える。肉も魚も野菜もどれもが旨かったが、一番は。


「パクチーとクレソンのサラダ」


 答えると


「私も」


 東原さんが嬉しそうに笑った。


「おいしいですよね、パクチー。クレソンと一緒ってどうなのかなって思ったけど、すごくよく合って。ドレッシングに工夫しているんでしょうね。あと、いぶりがっことクリームチーズのポテサラも大好き」

「あ、俺もです」


 ポテトにいぶりがっこのスモーキーさと塩気と歯ごたえ、チーズのクリーミーさが絶妙に合うのだ。


「量は足りましたか?」

「いい感じにお腹いっぱいです」

「僕も」


 東原さんが笑う。


「何かおかしかったですか」

「『胃が合うふたり』っていう本を読んだことがあって。おもしろい言葉だなと思ったんですけど、こんな感じなのかなって」 

「いい言葉ですね」


 たしかに今夜の東原さんと俺の胃は、ぴったりな感じがする。


「他の店に行っても同じかな」

「……」


 俺を見ている東原さんが、首を傾げた。


「ごめんなさい、暗くて口の動きがよく見えなかった。もう一度言ってもらえますか?」


 東原さんが俺に一歩、近づいた。二人の間に距離はほとんどない。

 大学構内の街灯は、住宅街よりもかなり広い間隔で配置されている。だから少し歩くと、すぐ暗闇に入ってしまうのだ。俺は繰り返した。


「他の店に行っても同じかな、って言いました」


 ちょっと、ドキドキしながら。


「多分、そうじゃないですか。行ってみます? 他のお店」


 思いがけない誘い。


「本当に?」

「はい」

「なぜ?」

「楽しかったから。すごく。もちろん、デートじゃなくてただ単に食事するっていうことですけど。お友達として」


 東原さんが俺を見て笑う。

 二人の顔は、至近距離。


 俺は思わず東原さんの唇にキスをしたくなったが、「お友達として」と言われたばかりだ。キスなんかしたら変態だ。だから俺は踏みとどまった。踏みとどまるのみならず、後ろに一歩下がった。


 そして、さっきトイレに行った時にスマホで観た動画を必死で脳内再生し、手と腕を動かす。


 最初は、右手人差し指で自分の顔を指す。これが「私と」。


 次が両手の人差し指を下方向に向けて動かしながら交差させる感じで、さらに右手で人の字を書いて――「恋人」。


「なって」は手のひらを交差させて。


 ――じっとりと脇に汗をかいているのに気付く――何だこの緊張感は、ちゃんとできているのかどうか、わけがわからなくなってきた――その原因の一つは、動画と実際の動きが左右逆になることだ――東原さんの表情を見ると、目を大きく見開いて俺を見つめている。通じているんだろうか。そこで俺は思い出した。「ください」を忘れてる。


 焦って自分の顔の前に右手を立て、それから下げた。


 静かだった。

 夏の盛りを過ぎて蝉の声はすでになく、かといって秋の虫は鳴いていない。無風で木の葉のさざめきもなく、完璧に近い静寂。これが東原さんの生きている世界か。


 東原さんの顔を見て、それから手を見る。右手は肩にかけたバッグのストラップを握っていて、左手は下がったままだ。

 東原さんはおもむろにすたすたと歩きだし、街灯の下の明るい場所で立ち止まって俺の顔を見た。


「今の――手話ですよね」

「はい、一応……あの、意味、通じましたか」

「たぶん――というのは私、手話、ごく簡単なものしかできなくて」

「そうなんですか⁉」


 聴こえない人はみんな手話で意思疎通している、だから東原さんも当然手話の方がコミュニケーションが取りやすい、とばかり思っていたのに。


「聴覚障碍者でも手話ができる人って二十パーセント弱です」

「それだけ?」

「はい――それでその、さっきの笹井さんの手話ですけど……すみません、間違って理解しているといけないので、口で言ってもらえませんか」


 まさか手話と口話両方で告白することになるとは。けれど言わないと気持ちはちゃんと伝わらない。


「――僕と恋人になってください」


 口に出すと、照れくさいことこの上ないフレーズだ。

 東原さんは真っすぐに俺を見つめていて、俺は焦って言葉を付け足す。


「あの、本当は『付き合ってもらえませんか』って言いたかったんですけど、ぴったりの動画が見つからなくて」

「動画?」

「トイレに行くふりをして急いで検索を」

「ああ。それで長かったんですね」


 東原さんが笑う。


「そんなに長かったですか」

「ほどほどに」


 また笑顔。今日の東原さんは、今までになくよく笑う。押せ、俺。

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