第27話 二人の会話

 それから俺たちは、たくさん話をした。


 まずはこの和食店について。店名は「つばめ」。もとは繁華街の雑居ビルに入っていたのがビルの取り壊しにより移転を余儀なくされ、また、店の評判が口コミサイトなどで広まりすぎてしまい常連であってもほとんど予約が取れなくなってしまっていたことから、ここに移って会員制の店にすることにしたそうだ。

 大学近くの住宅街にあるのに身なりのいい会社員が多いのはそのせいか、と俺は店内を見回して納得した。


「東原さんはどうやって会員になったんですか?」

「渡会さんが連れてきてくれました。渡会さんは、このお店が移転する前からずっと通っていたそうです」


 さすが料理研究家、いい店を知っている。


「渡会さん、幸一郎さん――人間の方の――が亡くなってからもお一人で通っていたそうなんですが、『やっぱりおしゃべりする相手がいてくれるといいなと思って』って。それで、まだ私たちも幸一郎さんの面倒を見ていた頃、土曜日に誘ってくれたんです。主に幸一郎さん――猫の――のことについて、色々お喋りしました。リレー制のお世話が終わったときには、二人で打ち上げもしたんですよ。『笹井君が飼ってくれてよかったね!』って乾杯しました」


 俺の知らないところで二人はそんなに親しくなっていたのか。


「仕事は何を? 公務員って言ってましたけど、いろいろありますよね?」

「図書館で働いています」

「図書館?」

「小さい頃から本が大好きで。聞こえないからテレビ番組、あまり楽しめなかったんですよね。その分、本が私の娯楽で、大好きでした。健常者枠で司書になれたのは、人生で最もうれしかった出来事の一つです」


 耳が聞こえないのに図書館で働けるとは驚いたが、少し考えて納得した。

 図書館職員というとカウンターにいる人たちを想像しがちだが、実はカウンターに出ているのはごく一部で、裏ではあの数倍の職員が目録や相互貸借、雑誌、予算、総務など多彩な業務に携わっている。きっと東原さんもそういった業務を担当しているのだろう。だが俺の推察は見事に覆された。


「今はカウンターにいて、貸出と返却、それに利用者さんからの質問に答えるのが仕事です」

「――大変じゃないですか? 耳が聞こえないのに雑多な質問に対応するのは」

「耳はあまり関係ないです。ほとんどの場合、一対一ですし、たまに読唇しづらい方――いるんです、髭が生えていて口元が見えなかったり、元から口の動きが少ない方――がいらっしゃった場合は筆談していただくので」


 東原さんは冷酒をこくりと一口飲んで、続けた。


「難しい質問は回答に苦労はしますが、同僚の助けも借りられますし、うまく回答できると利用者さんがとても喜んでくれるので、やりがいがあって楽しいです。前は目録登録を担当していたんですけど、苦手でした。ひたすら図書と画面に向かってデータ処理っていうのが、自分には合わないみたいで」

「他に困ることはないんですか?」

「もちろん、あります。たとえば図書を書架に並べる作業をしている時に、横や後ろから声をかけられる時です。私、まったく気づけないので」


 そういえば、俺が最初に後ろから呼びかけた時もそうだった。


「そういう時、どうすればいいんですか?」

「近づいて、顔の横で手をひらひらさせてもらえると、助かります」


 なるほど。


「笹井さんは? 笹井さんのお仕事――っていうか勉強ですか――はどんな感じ?」

「平日は講義を受けて、空き時間は図書館で修論の準備。土日は家で予習復習と修論の準備」

「すごい、単調……」

「でもけっこう楽しいですよ。特に修論のことを考えてるときは。書きたい内容と関連した先行研究を読み込んでまとめていると、頭の中に体系的な地図が出来上がっていくのを実感する。そしてその理解した内容と自分の推察・分析結果を元に、論文という形にして世の中に新たな知見を問うことができることは――」


 そこまで話して、俺の口元を見つめる東原さんが戸惑った表情なのに気付く。


「――内容、わかりました?」

「半分くらい」

「すみません」


 俺はスマホを出し、メッセージアプリにさっき話したことを入力して東原さんに見せた。


「……へえ、そうなんですね。すごい。なんとなくですけど、わかりました」


 こういう時手話ができたらいいのにな、と思った。そうしたら読唇するのには難しい内容の時、もっとスムーズに理解してもらえるのではないか。東原さんが読唇と口話で健常者の世界に歩み寄ってくれている分、俺も東原さんの世界に歩み寄りたい。俺は席を立った。


「すみません、ちょっとお手洗い、行ってきます」

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