第25話 留学
「ただいま」
「ニャ……」
俺の足音を聞いて律儀に起きだしてきたのだろう、鍵をかけると、頭をこっくりこっくりさせながら寝ぼけ眼で廊下の端に座る幸一郎さんを、俺は抱っこした。
「東原さんを食事に誘ったんだ」
「ウニャ……」
幸一郎さんが控えめに喉を鳴らす。
「でも返信が来ない」
一通目は即レスだったのに。
「前にフラれちゃったわけだけどさ、やっぱり気になるんだよ」
ソファに座り、艶のある体毛を撫でてやりながら、俺は話す。
「難聴の人と付き合ってうまくいかなかったって。だから健常者の俺とだと、もっとうまくいかないんじゃないかって。あと、子ども。もし結婚して子供ができたら難聴が遺伝するかもって。俺の両親が結婚を悲しむんじゃないかとも言ってたなあ――」
話していて気付いた。
東原さんの心配は、仮定ばかりだ。
今を生きる大変さに加え、将来の不安が付きまとう――障害を持つって、そういうことなんだろうか。
だがあの時東原さんは、こうも言った。
「お気持ち、本当に嬉しかったです」
あれがもし本心だったら――いや、きっと本心だ――少なくとも、俺は嫌われてはいない。東原さんが偽りのない気持ちを口にする人だから。
だったらここは押すところだ、恋愛慣れしてるわけじゃないがわかる――と、ここまで考えたところで、幸一郎さんが俺の胸をぐいぐい押し始めた。彼の入眠儀式、踏み踏みだ。
「今日は疲れたもんな」
いつもよりだいぶ早い時間だったが、幸一郎さんをベッドに連れて行き、枕のそばにおいてやると、しばらく枕相手に踏み踏みを続けていたが、やがてぐっすりと眠ってしまった。
静かになった室内で机に向かってパソコンを開き、経済学の海外留学について調べる。一般的なケースは、日本で修士二年を終えた後に、海外の修士に入り直す方法だ。つまり、日本の修士二年+海外の修士二年+博士三年――今年を入れて七年、順調に博士合を取れたとして、その頃俺は三十二か。長いな。
モデルスケジュールを見ると、今のうちにGREのスコアを上げ、年明けには出願大学を決めて、春から夏にかけて出願書類や推薦状を準備、奨学金応募、夏から冬にかけて出願、再来年の冬から春にかけて合否決定、渡米準備、八月渡航――か。
目まぐるしいスケジュールだ。特に来年の今ごろから冬にかけては、出願と(日本の)修士論文の追い込み時期がかぶる。大丈夫か、俺。やっぱり無難に日本の修士と博士を取って、就職してからサバティカルで行く方が無難なんじゃ……。
ひよったその時、メッセージの着信音が鳴った。
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