第22話 入院
目を開けると、見えたのは白い空――じゃなくて、天井? 左右を見回すと、心電図などが置いてあり、その向こうにはまたベッド、カーテン、立ち働く数名の看護師さん――ベッドが何台も置かれている広い病室に、俺は寝かされているのか。起きようと体を動かすとあちこちに激痛が走り、「っ」と声にならない呻きを上げた。それで気づいたのだろう、少し離れたところに背中を向けて立っていた看護師さんが俺の方を振り向き、
「笹井さん! 目が覚めたんですね、良かった! 先生、呼んできますね!」
ベッドに横たわったまま聞いた医師の説明によると、俺が幸一郎さんを抱えて落下したせいで態勢が悪く、腰と頭をしたたかに打ったらしい。もっとも落ちた場所は柔らかい芝生の上だったから、打撲以外に目立った外傷はないのだが。
「でも頭部を強く打っていますから、念のため三日ほど入院して様子を見ましょう。それで何ともなければ退院ということで。今、大家さんお呼びしますね」
「大家さん? 渡会さん、ここに?」
「ええ、ずっと待合室にいらっしゃいますよ」
「ずっと? ――あの、今何時――」
「夜の九時です」
九時……アパートに戻ったのがたしか六時ごろだったから……。
「三時間ほど意識を失っていたんです。なので、面会は五分くらいにしてください。疲れるといけないから」
「ごめんね、笹井君。私のせいで。頭、どう? 体は、痛む?」
八十歳にしては皺の少ないふっくらとした顔は、とても悲しそうだ。頬にうっすらと涙の跡が残る。
「大丈夫そうです。頭も体も少し痛みますが、打撲だから、一週間もすれば治ると先生が」
「そう、よかった」
渡会さんは、ほうっとため息をついた。
「幸一郎さんは?」
俺を下敷きに着地したのだから無事に決まっているが、確かめたかった。
「もちろん無事。笹井君、しっかり抱きしめてあげてたから。でも笹井君が気を失ったの、自分のせいだってわかったみたいで、救急車が来るまでの間、ずっと鳴きながら笹井君の顔、舐めてた。その姿が本当に痛々しくて、私の部屋で一人にしておくのが心配で、一緒に救急車に乗せたかったんだけど、さすがに無理でしょ」
「じゃあ、幸一郎さんは今、渡会さんの家に?」
「それが違うの」
「え?」
「救急隊員さんが色々と笹井君の処置をしている時――救急車がきてから運ばれるまでって、けっこう時間あるのね――ちょうど東原さんが通りかかって」
「――もしかして、東原さんに?」
「うん。勝手にごめん。でも一時は三人でリレー体制で面倒見てたし、東原さんなら幸一郎さんも安心だろうと思って。尻尾をね、後ろ脚の間に挟んじゃってたのよ。とても怖がってるときにする仕草だって、スマホに書いてあって。木の上にいる時は挟んでなかったと思う。だからきっと、幸一郎さんにとっては、笹井君が動かなくなったことの方がもっと恐怖だったんだと思う。だから東原さんに事情を話して預かってくれるようお願いしたの」
なんと――木から落ちて気絶するなどというかっこ悪さが、東原さんに伝わってしまったのか――朝、経済学が云々というメールを送ってしまっているだけに、自分の間抜けさが強く印象付けられたのではないかと不安になる――そうだ、スマホ。
「渡会さん、俺のスマホって」
「持ち物はそこの引き出しに入ってる。でも、壊れたかも。液晶かなり激しく割れてて――引き出し、開けていい?」
もちろんだ。
俺が頷くと渡会さんはスマホを取って手渡してくれた。
スイッチを入れる。だが電源は入らなかった。
「ちょっと待ってて」
渡会さんが自分のスマホを操作し、俺に差し出してくれる。
そこには東原さんからのメッセージがあった。一時間ほど前に送信されたものだ。
『渡会さん、笹井さんはどうなりましたか? 大丈夫ですか? 幸一郎さんはやっと落ち着いてきました。尻尾を挟むのとイカ耳、やめました。でも笹井さんを探してるのか、部屋から出たがって、さっきからうろうろしながら、ずっと鳴いてます』
「一緒に返信しましょ?」
そう渡会さんが言った時だった。
「すみません、そろそろお時間なので――」
看護師さんに申し訳なさそうに声をかけられた。
「あら、本当。五分ってあっという間ね。それじゃ、返信は私からしておくね。笹井君から何か伝えてほしいことはある?」
「突然ご迷惑おかけして本当にすみません、と。あと、軽い脳挫傷で数日で退院できます、と――渡会さん、すみません、それまで幸一郎さんのこと――」
「もちろん。ちゃんと責任をもって――もう庭には出さない――預かるから安心して」
「すみません。抜け毛のことがあるから、長時間はご迷惑なのに……」
「いいのよ。丁寧にコロコロかけるから。じゃ、ゆっくり休んでね」
渡会さんがICUを後にすると、俺は猛烈な眠気に襲われた。薬のせいか、それとも体が回復のために休息を要求しているのか。
少なくとも明日欠席することは大学や教員に連絡しなくてはならないのにどうしよう――スマホがなく、しかも動けないと相当不便だ――そんなことを考えながら、俺の意識は遠のいた。
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