悪機滅殺エグゼキューション

【いやああああああああああああああああ⁉】


 自分が操る銀髪美少女の銀の髪が強風に煽られる。

 俺は今の今まで長髪の経験をした事はないのだが……なるほど、これは少々痛い。


【痛い痛い痛い痛い痛い⁉ ねぇ痛いんですけど⁉ 髪がもう限界! もうこれ以上ピョンピョンするの限界なんですけどぉ⁉】


 ロングヘアという髪型は維持がとても難しいと噂に聞いていたものだから、多少なりとも理解していたつもりになっていたのだが……実際にこうして体験してみると新しい気付きに驚かされる。


 実際に体験する経験に勝るモノは無いとは、よく言ったモノだ。


【無理! 無理無理無理無理! 無理ですってばこんなの⁉ 怖い怖い怖い怖い⁉ 何で⁉ 本当に何で⁉ どういう原理でビルとビルの間をジャンプだけで往復しやがるんですかこの人ぉ⁉】


「慣れれば電脳体でこれぐらいは誰でも出来る。ところで銀髪にダメージは? あるか? こういう事をしていてダメージを受けるような軟な銀髪ではないというのは舐めたから理解しているつもりだが……俺は女ではないからな。いや、今の俺は銀髪美少女か。なら大丈夫か。すまない、銀髪を侮辱するような事を言ってしまった」


【お願いですから日本語で会話をしてくださいよぉぉぉ⁉】


「頼むから落ち着け。俺の頭の中がキンキンしてしんどい」


【落ち着けられる訳ないじゃないですか⁉ と言いますかっ! もしやご存知ないのですか⁉ 人間の両脚は! 確かに歩いたり走ったりジャンプする為のモノかもしれませんけど! ビルとビルの間をジャンプ出来るように作られていないんですってばぁぁぁ⁉】


「もちろん現実の肉体ではこうも行かない。電脳体だから多少の無理は出来るという背景は確かにあるが……マキナはAIじゃなかったか? 寧ろどうして電脳体なのにパラクールが出来ないんだ?」


【普通の人間やAIはパラクールなんて言う危険極まれりな事はしないんですよ⁉ というかこれパラクールのレベルじゃないんですってば⁉】


「A級エグゼキューターになるのならこれぐらい出来ないと困るんだが」


【せ、せめてワープとか! なんかそういうかっこよくて楽な移動手段はないんですか⁉】


座標移動テレポートか。それはバグ技に指定されるぐらい危険な行為だからA級じゃないと使用禁止だ」


【そ、そんなぁ……⁉】


「というか室長にそれぐらいの情報はインストールされてないのか?」


【せ、折角AIを学校に放り込むんですから、最低限の知識しかインストールされていない空白の状態で実験したいと博士は仰っておりまして……!】


「なるほど、そういうものなのか」


 余談ではあるのだが。

 俺は以前にテレポートの無断使用をやっていたB級エグゼキューターの取り押さえに駆り出された事があった。


 電脳世界内におけるテレポートだとかワープというものはざっくりと言ってしまえば、X軸とY軸にZ軸やらありとあらゆる座標を細かく設定するという事前準備に非常に手間取る瞬間移動方法だ。


 故にこそと言うべきか、電脳体の一部だけがそこら辺に置き去りされてグロテスクな有り様になったのを何度も見た事はあるので若干の苦手意識こそあれど……個人の感想としては非常に使いづらくて使用感がクソだったから俺は極力使わない。


 というか脚でこうして移動する方が速い。


「さて、そろそろ目標に接敵するぞ」


【え⁉ もう⁉ 確か10キロ先の距離にいるって話だった筈では⁉ まだ1分も経っていないんですけど⁉ 脚だけで10キロ走破するって貴方本当に人間なんですかっ⁉】


「やはり移動手段は脚に限る……と、かっこよく言いたかったが、1分は流石に遅いな。どうやら操作に慣れない身体だと多少のロスが生じるらしい。いつもなら10秒で到着するんだが」


【10秒⁉ 10キロを⁉ 10秒で⁉ 貴方本当に何なんですか⁉】


「何処にでもいるような社畜だ。覚えておくと良い、脚の遅い社畜は上から足を切られて首を切られる。脚の早さは仕事の早さだからな」 


【私の知ってる社畜はそんな超高速で移動なんか絶対にしないんですけどぉ⁉】


 それは一理あるかもしれない。

 だが、社畜である俺がその速さで移動できている訳だから絶対に不可能という訳でもない。


 俺なんかが出来るのであれば、いや、俺なんかしか出来ないのであったのなら、彼女の電脳体ではここまで近くにまで来られない筈だ。


 故に、彼女にもこの程度は簡単に出来る。というか俺たちA級エグゼキューターを少しでも楽にさせる為に設計されたAIならばそれぐらいはやって貰わないと困るが……それに関しては、今後の戦闘学習に期待したいところ。


「さて、生まれて初めての職場体験と洒落込む前に、状況の再確認だ。1分14秒前に警報が作動したウイルスは4体。個体名称はセンチピード。どれもB級下位でも問題なく倒せる規模の雑魚だ。ここからでも見えるな?」


【は、はい、見えます。あれがセンチピード……確か、ムカデをモチーフとした違法改造ウイルス……こうして実際に見るのは初めてです……!】


 ごくり、と銀髪美少女の固唾が飲み込むような気配を感じて反射的に興奮を覚えてしまいそうになるが、以前の反省点を踏まえて、何とかその誘惑に打ち勝つ。流石は俺。


 かくして、俺は内側から緊張しまくっているマキナの気配ではなく、外側にいる電脳世界を跋扈している機械仕掛けの百足ムカデの方に意識を向ける。


 ――センチピード。


 そのまんまと言えばそのままだが、昆虫のムカデに似ているから英語名にしただけのウイルス。


 殺傷性、耐久性、機動性……そういったほぼ全ての能力が俺が先ほど200体近く殺した蜘蛛型のウイルスの下位互換。


 敢えて優れているところを挙げるのであれば――。


【お、大きい……】


 デカい。説明不要のデカさだ。

 現実世界にいるムカデとは比べ物にならない程度の大きさ……例えるのであれば、橋。


 河と河同士を物理的に繋げる橋ぐらいの大きさのソレが4体、電脳世界の地表を這っている。


【……あ、あの……? 深海さん……? アレ強そうなんですけど……? 本当に蜘蛛型より弱いんです……? あんなに大きいのにあれ以下の小さい蜘蛛の方が強いんです……?】


「デカいからな。デカいのは隠密性に欠けて見つかりやすいし、集中攻撃が当たりやすい。見かけに騙されそうになるが機動性は皆無だし、行動パターンも単調そのもの。アレさえも倒せないのならエグゼキューターなんて向いていないレベルの雑魚だ」


【私、倒せる気が全然しないんですけど……? 勝てるイメージが全然湧かないんですけど……?】


「C級以下なら苦戦するだろうな。だが、所詮はそのレベルだ。正直言ってA級が出しゃばる必要性が無い。寧ろ歩合制のB級たちの給料源を奪っている訳だから逆に非難の声に晒されるという怖さはある」


 エグゼキューターは人気職の定めの為か、職種人口が多い。

 故に職種間での競争が――より正確に言うのであれば、エグゼキューターを雇っている事務所同士の競争――がとんでもない。


 故にこう言った誰でも簡単に倒せるウイルスはまさしく格好の獲物。

 初心者に倒させる事で経験を得させるのではなく、上級者がどれだけ多く倒して事務所に貢献できるかどうかという社会的な背景の所為でB級以下のエグゼキューターの練度不足に繋がってしまっているという問題が生じてしまっている。


 故に俺のこの機動性はそう言った下積み時代で後天的に獲得したモノだったりするのだが、どうにも最近のエグゼキューターは現場につくまでが遅いような気さえしてならない。


 とはいえ、あのウイルスは早急に倒さないとこの電脳世界を脅かすほどの脅威か……そう問われれば、そんな事は有り得ないし起こり得ないと俺は断言するだろう。


 もちろん、仕事の成績に関わるのもこうして急ぐ理由の1つではある。

 非常に、人間的な、理由だ。


 仕事というものには度々、理想というモノが出てくる。

 そして、その理想というものは基本的にはおもりにしかならない。


 その理想を、その信念を、その矜持を守れば、必要最低限の生活が出来るほど社会というものは出来ていない。


 だが――。


【や、やりましょう深海さん! 歩合制の関係上、あのウイルスがB級の人たちのお給料になるとはいえ、あんなに巨大なウイルスがそこら辺にいたら皆に迷惑です! 怖いですけどやってやりましょう!】


「――ふ。少しは肩の力を抜け。真面目が過ぎるのも考えものだぞ」


 つい先ほど、B級でも瞬殺されてしまうほどの上位ウイルスに襲われ、殺されかけ、想像するのも難しいほどの目に遭わされた1人の少女型AIの発言とはとても思えない。


 彼女はそこいらの社会の歯車よりも、実に人間的だった。

 とはいえ、その熱量だけで食っていけたらこんな社会にはなっていない。


 だが、そんな社会をより良くするかもしれない存在には出来るだけ良い夢を見せてやりたい大人心があるのも確かだ。


 何も厳しくて苦しい現実だけを教えるのが大人の仕事じゃない。


 AIこどもに、とびきり凄い夢を見せてやるのも人間おとなの仕事だ。


「どうせしていないだろうが、安心しろ。この銀髪にも、この身体にも傷1つたりとも付けさせない。俺を何級のエグゼキューターだと思っている?」


 かちゃり、と。

 余り手に馴染まない彼女の武装を――黒を基調とした機械仕掛けのデザインの西洋式の剣――起動する。


「特等席だ。存分に俺を学習しろ、未来マキナ




━╋━━━━━━━━━━━━━━━━╋━




 エグゼキューター。

 本来であればそれは遺言の執行者、つまり遺言者が指定した人物が遺産を分配する役割を果たす存在を意味し、電脳プログラムなどを実行・遂行・達成を意味する単語だった――20年前までは。


 2050年の現代社会においてその言葉は1つの国家資格を意味し、数百倍の大きさを誇る機械仕掛けのプログラムを一刀両断してみせた黒鎧の銀髪少女を意味する一単語となっていた。


「まずは1匹。……おっと解説解説。さっき実演したようにセンチピードは装甲が柔い。1か所切断してしまえば動きは止まる」


 まるでバターをスライスするような気軽さで、遠くから見ればつまようじ程度の、棒切れの大きさにしか見えない程のサイズの剣を片手で振るいながら、まるでこの難しい問題はこうすれば簡単に解けれると言葉を発している少女の出で立ちは……まるで黒騎士そのものだった。


 顔以外の肌の露出が一切ない、まるで防御性能だけに特化したような、あるいは外から溢れてくる血を肌に付着させてなるものかと言わんばかりに黒い装甲に身を包む黒鎧は、所々がメカニカルな作りとなっており、彼女を目視した人々に在りし日の少年心を沸き立たせるようなデザインの武装。


「動きを止めた後は後は弱点である頭部を破壊すれば消去デリートは完了。だが――」


 そんな武装を携えて1匹の機械仕掛けのムカデを滅殺してみせた漆黒の処刑人は、 最小最低限の無駄を全て殺した機械染みた動きで淡々と新宿に現れたウイルスプログラム3匹のうち2匹を、1秒足らずで屠る。


 どうやってそうしたのかだなんて、それが分かるのは少女と、その処刑人に匹敵するだけの実力を持つ者だけだろう。


「――ご覧の通り、別に動きを止める必要性はない。頭を潰せばアレは死ぬ。図体が大きいと言う事は弱点が大きいという事でもある。どんなウイルスでも殺せる一撃を当てれば死ぬ。速い一撃であればあるほど相手は避けれずに一撃で死ぬ。簡単な話だ」


 少女は歩き、斬り、殺す。

 ただのそれだけ。

 それ以外の動作は殺すという行動をするにおいて、一切合切不要であると言わんばかりに、電脳世界を這う最長最大という言葉が相応しい大具足を最短最小の動きだけで滅ぼしていく。


 必要性を余り感じられないような黒色の外套を爆風で煽らせ、処刑人に感情を映す目は不要だと言わんばかりに目元を覆っているバイザーが目に入ってくる埃と煙に熱を遮断し、殺す為に必要な情報だけを取り入れる。


 まさにあれぞ電脳世界アルス・マギナの死神。

 そう言う他ない程に、彼女の処刑は一方的だった。


「ん? 無理? あんな動きをどうやってするのか、だと? 俺は気づけば出来ていたからマキナに対してできるアドバイスなんて……俺が毎日やっている事? だったらそうだな、毎日毎日銀髪を舐めろ。そうすればこれぐらいは誰でも簡単に出来ると俺は思う。おい、どうして折角アドバイスをしたというのに盛大な溜息を吐く?」


 目に止まらない速度で黒剣を振るう様は、まさしく鎌を振るう死神が如く。


 目に見えない速度で振るわれる一撃必殺という理不尽の在り方は、まさしく生と表裏一体である死そのものであり、それを容易に使役してみせる非現実さは死神の一単語が相応しい。


 黒い鎧と外套を纏いながら悪性ウイルスの消滅を蒐集してみせる姿は、まさしく死を蒐集する死神が如く。


 故に――電脳世界アルス・マギナに湧いて出てきただけの有象無象のウイルスと、神の字を冠する存在との間に生まれるのは戦闘ではなく、一方的な処刑以外に言い表せるモノが存在せず。


「状況終了。今回要した時間は18秒。周辺の被害は0。何の面白味のない見稽古で誠に申し訳ない。今やったように電脳体の動かし方とウイルスのり方さえ分かれば誰でもこれぐらい簡単にできる……とまぁ、俺はこのように説明下手でね。教職員なんてとてもやっていけるとは思わないのだがどうだろう」


 これといったトラブルやハプニングといった万が一を1つたりとも発生させず、処刑人は仕事人らしく仕事を完遂してみせる彼らを――処刑者エグゼキューター、と呼ぶ。


「……俺が先生、か。本当に変な因果だな、真機奈まきな先生」


 ウイルスを物言わぬ残骸データにしてみせた死神は、自分を嘲笑うように、吹き荒れる風で簡単に消えてしまいそうなほどに小さな声を漏らした。

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