フミとミカ
泉水
第1話
「ただいまー」
家に帰ると、玄関でひとりの女性が三つ指をつき、丁寧に頭を下げていた。その角度は45度ぴったしな気がしてぎょっとする。……いや、この人がいる時点で驚いてはいるが。
「貴方は……誰?」
強盗かと警察に連絡すべくスマホを構えたその時、女性が口を開いた。
「私は……感情処理ロボットのミカという者です」
その言葉を聞いて、ああと納得する。そういえば今日からだったか。
──犯罪者が増えるのは自分の感情を吐き出す場所がないからだ。
総理大臣だかの一声からこのプロジェクトは始まった。題して、感情処理アンドロイド計画。そのまんまじゃん、と突っ込むのは野暮というものだ。という私も何度もテレビを前にして突っ込んだけど。
一家に一台感情処理ロボットが支給される。それは年収などに応じてグレードは違ったりするらしい。らしい、というのは見た目だけでは見分けがつかないからだ。というのも、グレードが違うというだけで劣等感が生まれないように、と配慮した結果らしい。
「……大丈夫ですか? ご主人様」
「フミでいいわ。堅苦しいのは嫌いなの」
「わかりました。フミ様」
こうして見ると、普通の人間と大差はない。言語だって流暢し喋っているし、背中にある大きなボタンさえ隠してしまえば人間として通用するだろう。
「どうしますか? ご飯にしますか? お風呂に入りますか? それとも……愚痴を吐きますか?」
新婚ほやほやの新妻みたいな言葉が飛び出し、吹き出しそうになる。
ご飯お風呂ときて、次は愚痴かよ。
「じゃあ、ご飯にするわ」
「承知しました」
そう言うとミカは調理をし始めた。
それから数分後。出てきたのは絶品料理ばかりだった。一人暮らしをしてから、約三ヶ月。カップラーメンばかり食べてきたので、手料理は久しぶりだった。
「ふう、お腹いっぱい」
ソファに転がり、テレビを見ていたら、ミカが話しかけてきた。
「そろそろ、感情吐き出したくなってきましたか?」
「いーや、全然」
あっけんからんと告げると、ミカは少し寂しそうな顔をするのだった。
ミカがうちにやってきてから早数日が経った。
その日は残業で遅くなり、近道である公園を通って帰っていた。
ミカに連絡しようとしたその時、近くから声がした。単に声がするだけなら足を止めなかっただろう。会話の中に「このクソアンドロイドが」という罵声か無ければ。
もしかしたらミカかもしれない。そう思うと居ても立っても居られなくなり、声のする方へと走る。
「──なにをしているの!」
目的地に着くと、男二人がを囲み、暴行を加えていた。ミカでなかったことに安堵しつつ駆け寄り、身体を確認する。
少し内部が見えてしまっているが、修理に出せば直ることだろう。
「……なにをしていたの?」
ドスを効かせ相手を睨むと、男が反論を口にした。
「こいつが、俺の弁当を奪ったからよぉ、ちょっと痛めつけていたんだよ。なあ?」
「ああ、そうだ。俺たちが悪いんじゃない。こいつが悪いんだ」
本当なの?と問うと、こくりを頷いた。
「ダメじゃない、そんなことをしちゃ。どうしてそんなことをしたの?」
「…………うるさい」
「え?」
「うるさいと言っているのが分からないのか! 私を使えないアンドロイドだと罵倒したくせに!」
そう吐き捨てると、アンドロイドは茂みの中に消えていった。
「なんだったの?」
その場に立ち尽くす。
アンドロイドが発した言葉が、頭の中を駆け巡っている。
今さっきの言葉は仕えていた人からの言葉だ。なぜそんなことを言われたのかは気になるが、取り敢えず家に帰らなければならない。
「……ということがあったのよ」
言い終わると、お茶を口にする。
ミカの反応はどうだろうか、と彼女の顔を見やると何故か笑っていた。
「何笑っているのよ」
「いえ。初めてフミ様が私に愚痴を吐いてくれたなあと思いまして」
「愚痴じゃないわ、相談よ相談」
「……そうですか」
「落ち込むことじゃないわよ。愚痴ができたら言うわよ」
「本当ですか⁉︎」
その言葉を聞くだけで笑顔になるから不思議だ。アンドロイドの考えていることはわからない。
「ねえ、もし私に『あんたは使えないロボットね』と言われたらどうする?」
気になっていた質問を投げかける。ミカは悩むような仕草を見せ、
「ああ、やっとフミ様が愚痴を零してくれたなあ、と思います!」
と笑った。
「だから、それは愚痴ではなくて──もういいわ。説明するだけで疲れるわ」
疲れているのならお茶を淹れてきますね、と言い残し台所に消えていく。
その間、ずっとあのアンドロイドの言葉が頭の中を巡っていた。
あの事件(?)から数日経った。
あれから何度か公園に足を運んでいるのだが彼女の姿を見つけることはできなかった。
「あ、フミ様。今テレビで私たちアンドロイドのことをやっていましたよ」
「え、本当?」
この感情処理アンドロイド計画が施行される前は連日テレビで放送していたのたが、最近は全く見なくなっていた。なにごとだろうか、とテレビを見ていると、衝撃のテロップに目を見張る。
『直撃! 野良と化したアンドロイドたち!』
「なにこれ……」
その時脳裏を過ったのはあのアンドロイドの姿だった。
報道を見てみると、性能が悪いアンドロイドが主に捨てられているようだった。
『私を使えないアンドロイドだと罵倒したくせに』
なるほどそういうことだったのか。
納得した直後、またもや衝撃のテロップが現れた。
『緊急速報
感情処理アンドロイド回収すると政府が発表しました』
思わずミカの姿を見やる。
私ににこりと笑いかける姿に、つんと涙腺を刺激される。
「どうしたんですか? ご主人様」
「いえなんでもないわ」
まだ全部のアンドロイドが回収されると決まったわけではない。
そう希望を持ち、ソファーに腰掛けた。
あれから数日。
感情処理アンドロイドが回収されることになった、とは報道されているが具体的にどの機種かやどの会社のかというのは決めかねているようだ。
「はぁ……」
と溜息を吐いていると、ミカが近づいてきた。
「どうしました? フミ様」
「いや……なんでもないわ」
「この前からそればっかりですね」
まさか本人を前にして、「貴方とずっと一緒にいたい」などと小っ恥ずかしいセリフは言えない。
「あ、そうだ。来週の日曜日、久しぶりに二連休が取れたの。ショッピングモールに行かない?」
「いいんですか?」
心なしかミカの瞳が輝いている気がする。
「ええ、もちろん」
「ふふ、フミ様と約束してしまいました」
嬉しそうに笑い、ミカは台所へと消えていったのだった。
「ふう、終わった……」
大きく伸びをする。大きな仕事を終え、達成感と疲労でいっぱいになる。
「お疲れ様です、先輩」
後輩である菜月ちゃんが、紙コップに注がれたブラックコーヒーを差し出してくれる。
「ありがとう」
「あの、先輩」
「ん、どうしたの?」
「先輩のアンドロイドってどうですか? ずーっと聞きたかったんですけど、仕事が忙しくて中々聞けなくて」
「そうですね……。家事も料理も完璧で、素敵なアンドロイド、かしら」
自分で言っていて恥ずかしくなる。こんなキャラだっただろうか。
「いつもクールな先輩にそう言われるなんてよっぽどいいんでしょうね。うわあ、羨ましいなあ」
「そう言う菜月ちゃんのとこはどうなのよ?」
「普通ですよ、普通」
そう言っている菜月ちゃんの顔は緩んでいて、溺愛しているのが分かる。
「そう言えば、聞きました? アンドロイド、全部回収するんですって」
「…………え」
からん、と音を立てて紙コップが落ちた。中に残っていたコーヒーが、カーペットに染み込んでいく。
「大丈夫ですか!? 先輩」
「……え、ええ。大丈夫よ」
「先輩、顔真っ青ですよ? すいません、私が余計なことを言ったせいで」
「菜月ちゃんのせいじゃないわ。いずれ知ることなんだし」
「……先輩……」
上司に体調が悪いと報告し、早上がりさせてもらう。
コートを羽織り、肌寒い中帰路に着く。
は、と気がつけば自分の家にいて、ベッドの上だった。
「大丈夫ですか? フミ様」
「ええ、だいじ……ごほっ」
「体温が上がっています。私、氷枕変えてきますね」
ミカの姿がぼやけていく。私、泣いているのだろうか。
「……っ、かないで」
「どうかしましたか?」
「行かないで……」
その言葉は自分の口から出たにしては、か細くて驚く。
そんな私を凝視したあと、ミカはふっと笑い、ベッドの端に腰掛けた。
「私はいなくなりませんよ、絶対に」
ミカのその言葉だけで、涙が出てくる。
ミカは私の涙を掬うと、子守唄を歌い始めた。
その歌声はひどく澄んで、私を泣かせるには充分だった。
その唄を聴いているうちに、眠りにつき──。
「おやすみなさい。そして、ごめんなさい。私、嘘をついてしまいました……」
ミカの独り言は、私の耳に届くことはなかった。
私が熱を出してから数日経った。
今は治癒し、元気に……とはいえないが、しっかりとした生活を送っている。
「おはようございます、フミ様」
「おはよう、ミカ」
朝起きると当たり前のように、机の上に食事が並べられている。
その日々が終了する日が刻一刻と迫っていると思うと、また涙が出てきそうだ。
まだ日程は決まっていないが、専門家があと数日だろうと言っていた。
テレビを付けると、こんなテロップが踊っていた。
『31日朝にアンドロイド回収すると政府が本日発表しました』
嘘……。31日は、来週の月曜日だ。ということは、ミカと買い物をする日が最後の日となる。
「どうかいたしましたか?」
「ミカ、これ……」
テレビを指さす。ミカはそちらに視線を向け、ああ、と頷いた。
「来週の月曜日に決まったんですね」
「ですね、って。ミカは……寂しくないの?」
「寂しい? 私はアンドロイドなので、その感情は持ち合わせておりません」
「っ、たまに嬉しそうにしていたじゃない! あれは感情じゃないというの?」
「説明が足りませんでしたね。嬉しい楽しいというポジティブな感情は持ち合わせていますが、悲しい寂しいといったネガティブな感情な感情は持ち合わせておりません。……必要ありませんから」
そう告げたミカの表情が曇っていて、「嘘」と呟いた。
「嘘ではありません」
「なんで、なんで、なんでよ……っ」
ミカの胸を叩く。当たり前だが、人間的な柔らかさは持ち合わせていなくて、ただただ痛くなるだけだった。私の血がミカのボディーに着く。血特有の匂いが鼻腔を抜けた。
「フミ様、怪我を──」
「それでもいい! 怪我をしてもいい! ミカのことを止められるなら、私は……私、は……」
どうしてここまでしているのだろう。自分で自分が分からなくなる。熟考し、ひとつの結論にたどり着いた。
それは──私が、家族というものを欲しているからだ。
地方にいる両親と離れて暮らして半年。私は、家族というものに飢えていたのだ。
だから、私は──ミカを離したくない、言ってほしくないと思ったのだ。
すっと拳を離し、ミカを見据える。
「ねえ、ミカ。最初で最後のわがままを言ってもいい?」
「え、ええ。もちろん」
「……ミカのばか。なんで私の前からいなくなるのよ。ずっと一緒にいると思ってた、のに……」
涙が溢れてくる。
「すいません……」
「謝らないで」
コンマで答えた私を見て、黙り込む。私たちの間に気まずい雰囲気が流れた。
「ねえ、ミカ。ミカは……どうしたい、の?」
こんなことを聞いても無駄だと分かっているのに。
ミカは私を凝視し、「そうですね」と言葉を零した。
「私は、フミ様と離れたくないです。でもそれは……無理、です」
光の加減だろうか。ミカが泣いているように見える。
ミカが顔を背けた。床が、僅かながら濡れている。見間違えではなかった。アンドロイドのミカが、泣いている。
「おかしいですね。アンドロイドに、涙を流すという行為はプログラミングされていない、のに……」
「おかしくなんかない! おかしくなんかないんだよ、ミカ」
「だって、」
次の言葉を紡ごうとしたミカの背中を強く強く抱きしめた。ミカのボディに爪が食い込む。
「フミ、様……」
「行かないで、ミカ。言ってほしくない……」
ミカの背中に顔を埋める。
いつまでそうしていただろうか。ミカが優しく私の手を解いた。
「すいません、フミ様。それは、できません」
悲しみを帯びたような瞳を向けられて、これ以上言葉を紡ぐことができない。
「…………ねえ、ミカ。土曜日、私と買い物に行ってくれる?」
「ええ、もちろんですよ、フミ様」
ふっと笑ったミカをもう一度、強く強く抱きしめるのだった。
そして、土曜日がやって来た。
「ミカ、準備できた?」
「はい」
「いい感じじゃない!」
そう褒めると、はにかむ。昨日のうちに洋服を見繕っといてよかった。
「さあ、行くわよ!」
「……あの、フミ様。どこに行くのでしょうか?」
「ナイショよ、ナイショ」
ふふと笑うと、不思議そうに首を傾げるのだった。
電車に揺られること数分。私たちが向かったのは、都内最大のショッピングセンター。
「わあ、すごいですよ、フミ様!」
視線を忙しなく動く姿は、まるで子供のようで微笑ましい気持ちになる。
「さあさあ、いくわよ、ミカ!」
ミカの背中をぐいぐいと押す。
まず一番最初に向かったのは、有名な服屋。
そこで服を買ったり、テレビで紹介されたスイーツ店を巡っていると、あっという間に夕方になった。
「そろそろ帰ろうか、ミカ」
「ええ」
持てるだけ買い物をすることが出来た。こんなに買い込んだのは、学生の頃以来だ。
「フミ様。ありがとうございました」
「ふふ、ミカに喜んでもらってよかったわ」
「最後にいい思い出が出来ました」
最後、というフレーズに心臓が音を立てた。
「そっか、明日か……」
ふい、と視線を逸らす。視線の先にはミカの影が大きく伸びていて、存在を主張している。
「……フミ様、今までありがとうございました。短い間でしたが、楽しかったです」
「やだ、急にそんなことを言わないでよ」
視線を上げると、ミカと視線が合った。
夕日に照らされるミカは、儚い雰囲気を醸し出している。
「あ、バスが来ましたよ。乗りましょう」
「……ええ」
ミカに促され、バスに乗り込むのだった。
別れの朝が、やって来た。
「準備は出来た?」
「はい。昨日買ったものを詰めていたらリュックサックの中ぱんぱんです」
「チャックは閉まった?」
「なんとか気合いで閉めましたよ」
「…………そう。ならよかったわ」
私も支度をし、連れ立って家を出る。
「確か小湊駅が集合場所なのよね」
「はい、そのはずです」
会話が続かない。言いたいことはいっぱいあるのに、言葉にすることが出来ない。それが、歯痒い。
「あ、電車が来ました。乗りましょう」
「昨日はバスバージョンだったわね」
顔を見合わせて、ふふと笑う。ミカの表情が引き攣っているような気がして、胸が痛む。変な気遣いをさせてしまった。
最寄り駅から数駅行くと、目的地の小湊駅に着く。
周りを見渡せば、私たちと同じような人が沢山乗っていた。
泣き合う者、写真を撮る者……。
みんな思い思いの時間を過ごしている。
それに比べて私たちは黙り込むままだ。
なんとかしないとと思っている内に小湊駅に着いてしまった。
無言のまま、電車を降りる。そこから歩くこと数分。目的地は、都内最大の公園。
そこに着くと、沢山の人がおり、アンドロイドたちが愛されていたことが分かる。
数分経ち、職員たちがぞろぞろと集まって来て、番号を呼び始める。
混雑を避けるため、事前に配布された番号順に執り行うのだ。
「113番の方ー」
ついに呼ばれてしまった。
無言のまま、職員の前に向かう。
着くと、職員が「最後に言うことはないですか?」と問いてきた。
「フミ様……」
ミカが心配げに見つめている。深呼吸をし、ミカの目を見据える。
帰ったらミカがいるのが当たり前で、この言葉をかけることがなかった。
再度深呼吸をし、口を開く。
「……いってらっしゃい、ミカ」
「っ、いって、きます!」
泣き笑いを浮かべ、頷く。
職員に促され、ミカはトラックの荷台へと向かっていく。
泣くな。まだ、泣くな。
瞬きをし、トラックを見やると──もう既に遠くの方を走っていた。
「ありがとう、ミカ。ずっと、大好きよ」
その言葉は、からっと晴れた大空へと吸い込まれていくのだった。
《完》
フミとミカ 泉水 @k_34
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