第5話
「なぁ、これ祓っていいか?」
私たちがじーんとしている空間に水を差すのは烏丸で、その手には、不似合いな可愛らしさの小さな鈴が握られている。
舞香のお婆ちゃん、やっぱり祓われてしまうんだろうか。何だか不憫だけど仕方ないのか。なんとなく釈然としない気持ちでいたら表情に出ていたらしくて、梅小路さんが「あっ」と声をあげた。
「祓うと言いましてもお祖母さま自体を祓ってしまうのではなくて、その花瓶に宿っている思念の方です」
「思念?」
「はい。今回の場合、お祖母さまの不穏症状が原因となって皆さまの心に巣喰ってしまった畏れや悲しみなど、本来的には抱えなくても良い種類の感情になります。
そうですね……例えば、大好きな人から貰った物はそこにあるだけで幸せな気持ちになり、一方で、苦手な人からの頂き物は何となく気が重く感じてしまいます。仕組みとしてはそれと同じことになります」
確かにそんな事はある。
苦手なクラスメイトから貰った絵葉書なんかは早く失くしてしまいたいと思ったりするのに、推しのライブでキャッチしたペラペラの銀テは絶対に捨てられない大事なものになる。
舞香にとって大事だったはずのお祖母さんとの思い出の詰まった花瓶は、病気が引き起こさせたお祖母さんの言動を経て悲しい想いでいっぱいの花瓶になってしまった。そして、それが西野家に悪夢を見せている状態になってしまった、という事らしい。
「基本的に人の心と体というのは連動しています。
私たちは、負の感情を含むアイテムや場所が引き起こす怪異を紐解き、
「婆さん自体はだいたい成仏してっから安心しろ」
だいたいとか、そういうのってあるんだ。謎に説得力のある物言いに私たちは頷くしかない。それから烏丸が「祓い」とやらを始める。
シャラーー……ーン……
リィー……ーーン……
あの小さな鈴からこんな音が、と驚くような、不思議な音色だった。やわらかいのに芯があって、それなのに優しくて。懐かしい誰かの声にも似ている気がする。
シャララ……シャラン……
音色やリズムが少し変化すると、部屋の空気が動くのを感じた。とは言え窓も開いてないし換気扇なんかも回ってなくて。みんなほぼほぼ立ち尽くしている状態だし、マダグスクローズの香りも消えていないなわけで。だから、正確には空気が動いてるってことは無いはずなのに、目に見えない大きなフィルターで濾過されているみたい。
視界の端で梅小路さんの目から光が溢れるのが見えて、何かと思えばそれは、さっきの舞香にも負けないくらいに大粒の涙だ。
シャラァーー……ーン……
シャリィィー……ーーン……
「……
気が付くと、凛とした声が耳に届いている。これを発しているのが烏丸だってことに私はしばらく理解が追い付かなかった。
意味は分からなかったけれど何かすごい呪文という感じもしなくて、もっとさり気ない何か。例えば朝早くに家の外から聞こえてくる鳥の囀りとか、受験勉強していた夜中、眠気覚ましに窓を開けた時とか、そういう種類の新鮮な空気に身体が包まれていくのがわかった。
シャラーー……ーン……
シャララ……シャララン……シャラァン……
「……
烏丸の声が途切れるより少し前、梅小路さんが小さなガラス瓶を差し出すと、そこへ何かを掬い取るような仕草をする。続いてそうっと瓶の蓋を閉めて、そこへ烏丸が顔を寄せて息を吹きかけて。
一連の不思議な時間を過ごした私たちには、何故だかもうこれから先に、舞香たちが悪夢にうなされることは無くなったのだと理解できたのだった。
*
「以上で祓いは終了となります。この後はこちらをしかるべき場所での浄化を行いまして、完了となります」
さっきまで泣いていた素振りはひとつも見せず、朗かな声で梅小路さんが告げる。皆さんよりも少しだけ見えたり感じたりする体質なのです、とか弁明していたけれど、職業にするくらいなんだからきっと色々なエピソードがありそうだ。
テーブルに置かれた花瓶はたっぷりのダマスクローズを湛えたままで、これに関しては特に何ってこともなくて、普通に部屋に飾ったままで終わりみたい。
「アンタは育てないのか」
「……そ、育てる?」
「もしかして颯くん、ダマスクローズのことを言ってるのかい? だとしたら素人にはだいぶ難しいかもねぇ。ただでさえ薔薇は手がかかるんだそうだよ。まぁ、種類を選べば或いは可能かも知れないけどね」
「ふぅん、そーかよ」
例えば、とさらに言葉を続けようとした勧修寺教授の声に、舞香の小さな声が重なる。
「そ、育てて、みようかな。その……祖母のように上手には、出来ない、かも知れないけれど」
「……いーんじゃねぇの」
「えぇ、素敵だと思います。とっても!」
梅小路さんが力強く肯定して、舞香は嬉しそうに少し照れて下を向く。私は、今は空っぽのベランダを見る。そこに香りの良い花が所狭しと咲き誇る姿を思い浮かべてしまったりして、ちょっと、いや、かなり幸せな気持ちになってみた。うん、いいと思う。
その後、烏丸が再び口を開いたのはそろそろ解散かというタイミングだった。
「それと……翠子。手、見せてみろ」
「えっ!? いえ、あの、大丈夫ですよ? ほら、もうほどけなくなりましたから」
「じゃなくて」
烏丸は、梅小路さんの手をまるで壊れ物を扱うみたいに慎重な手つきで引き寄せると、鋭く目線を走らせる。
「……ここ、傷」
あぁ、確かに。示された箇所には薄っすらと赤いラインが出来ている。きっと花束を包んでいた紙で切れたんだろうと思う。
「これくらいなんて事ないですよ」
「ダメだ。破傷風にでもなったらどうすんだよ」
笑いを含んだ梅小路さんの声を頑として受け入れず、烏丸が渋い顔を勧修寺教授に向ける。
「俺ら、薬局で買い物して戻るから」
「おやおや、過保護だなぁ」
「うるせぇ。労災申請すんぞ」
「おお、怖いねぇ」
*
週末を挟んで、始業ベルの少し前に登校してきた舞香は、先週よりもかなり顔色が良さそうだった。なんでも、この週末は家族の誰も悪夢を見ることなく過ごせて、眠るのが怖くなくなったのだとか。
それと勧修寺教授のレポート。次回の授業でも提出を受け付けてくれるらしく、少しゆっくり書くことにしたと笑顔まで見せる。
私としても大事な友達には笑っててほしいもんだし、何だか万事きれいに解決したみたいで気分が良い。
それに、もうひとつニヤニヤしてしまうことがある。
「ねぇ舞香。私、思うんだけどさぁ……」
「え、なぁに、鷺沢ちゃん?」
「……あの二人、推せると思わない?」
私の意図した「あの二人」を正確に読み取ったらしい舞香の口角がゆるりと弧を描く。おっとりしてお嬢様っぽい梅小路さんにあの無愛想な烏丸が見せるデレ、かなり推せる。
「思う〜!」
「だよね〜!」
「あとさぁ……勧修寺教授って、実はかなりイケてない?」
「わー、舞香も同担かー!」
「……え、マジ?」
少し前まで、大学生というのはもっと理性的な生き物だと思っていたけれど、基本的にはあの頃から地続きなんだと思うようになった。
人の心も物事も、少しくらい何かが変わったからってガラリと変わるようなものじゃない。私たちは複雑で色んな手触りのする想いを抱えながら、毎日を過ごしていくのだ。それは例えばまるで、それぞれが物語の主人公のように。
獏の夢の怪 〜スピンオフ・ 浄化室怪異見聞録〜 野村絽麻子 @an_and_coffee
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます