第7話 カムパネルラ症候群
「ずいぶんと急かすのが上手いんだね。箱の中の猫が死んでるだなんて」
残された部室で、皮肉を言われた。
「いや、急かしたのは白崎のほうだったろ。部活を辞めただけのことを、まるで深刻な問題であるかのように言ったじゃねぇか」
「もしかしたらの話をしただけ」
「俺はただの杞憂だと思うがな」
そう言い切ると、白崎は眉をしかめる。
「深井沢くんだって、辞めた理由が別にあるかのように言ったじゃない」
「俺はそんな重い問題にしようとしたわけじゃない。おそらくだが、桃乃木の友達は普通に部活を辞めただけだと思うぞ」
「根拠は?」
問われた言葉に俺は薄く笑ってやった。
「男子目線の話をしただろ。競泳水着はエロくないって」
「それだけ?」
「それに、水泳って競技は俺たちが想像するより遥かにキツイはずだ。やってる奴らは代わり映えのしないプールの底を延々と見ながら泳がされるだけだからな。休むこともサボることも出来ない状況で常に体は動かさなきゃならない。……正直、女子の水着目当てに部活に行くよりも、疲れることを考えて部活に行きたくないと考えるほうが普通のはず」
「それはまぁ、一理あるかも」
「それと、顧問からいやらしい目で見られてる可能性を示唆してたが、これもまぁ俺的には考えにくい」
「なんで?」
「可能性がないわけじゃないが、水泳なんて競技の顧問になるのなら、それこそ水泳やってた人じゃないと成り立たない。同じ苦しみや辛さを味わってきた人間が、それをすっ飛ばして不快な行動にでるのはおかしいと思わないか」
「深井沢くんは……人に期待してるんだね」
それはまるで、人に絶望したかのような台詞。
「……盲目的に期待をしてるわけじゃない。ただ、期待するのは悪くないと思ってるだけだ」
「そっか。まぁ、いいや。それで? 深井沢くん的には部活を辞めた本当の理由は何だと思うの」
「諦めたんだろ。水泳で活躍する自分を」
「それも憶測だよね」
「まぁな。ただ桃乃木は言ってだろ。そいつは小学生の頃から記録が良くて大会にも出てたって。だが、俺の知る限り水泳部が何かしらの大会で結果を残してる記憶はない。よくある話だろ。小さい頃は周りで一番だったのに、大きくなるにつれて一番になれなくなって挫折したなんてのは」
「それが本当の理由?」
「俺だって昔は世界を救うヒーローを目指してたんだ。だが、自分にはそんな力なんてないんだと知って辞めた」
「かわいい話」
「だろ?」
自虐的に笑ってみせたのだが、白崎が笑うことはなかった。
「だから桃乃木さんを急き立てたんだね。自分がやらなくてもいいように」
その言い方はやはり、どこか皮肉っぽい。
「お前なぁ、俺が顔も名前も知らない奴のために動くような人間に見えるか?」
「私を止めたじゃない」
「それは目の前にいたからだ。俺の視界に入ったのが運の尽きだったな」
「運の尽き……。それは私が? それとも深井沢くんが?」
それが冗談だと理解してるくせに、わざと疑問の瞳を俺に向けてきてるに違いない。
どう答えるのか試しているのだろう。
俺に絶望するために。
「そんなのは……どっちもだろ」
だから、そう言うしかなかった。それに白崎は小さく「そう」と答えただけ。
「ちなみに明日はどうすればいいの」
「どうすればいいってのは?」
「明日も学校に来ればいい?」
「そりゃあ、来たほうがいいだろ。なんでそんなこと訊くんだ」
「私と全力で関わってくれるんでしょ?」
「あぁ、そういうことか」
「別に嫌なら嫌でいいんだけど」
「いや、明日も全力で関わらせてもらう」
「そっか。ちなみにこの後は?」
「この後? この後は普通に下校じゃないのか?」
「それって、私から目を離すことになるけどいいんだね?」
「なんかメンヘラみたいなこと言ってんな……。他に付き合いのある友達はいないのか?」
「逆に訊くけどいると思う?」
「あー……おっけ。なら、放課後のことは考えておくから今日はもう帰ろう」
「わかった」
そう言って帰り支度をするなか、俺はふと入部届のことを思いだした。そいや柚原先生が出しに来いって言ってたな。
「入部届だしに職員室に寄るから。ここの施錠もあるし」
それだけ伝えて部室を後にする。白崎は何も言わずに後ろをついてきた。てっきり方向が同じだからだと思ったのだが、明らかに白崎は付いてきている。
そこでようやく、白崎は家に帰る気がないのだということに気づく。
それを俺が解決してやるのは難しい。なにせ、普通に実家暮らしだからだ。
「時間かかるが待っててくれ」
そう言って白崎を職員室の外で待たせる。
「ああ、ちゃんと来たね」
柚原先生は職員室でまだ仕事をしていて、俺に気づきながらも視線はデスク上のパソコンに向けたままだった。
そんな先生の前に立った俺は、不躾だと思いながらも口を開く。
「先生の家って、急に人泊められてりします?」
カタカタと動いていた指が止まり、視線がゆっくりと顔ごとこちらへ向く。
「もしかして……私のことが目的で?」
その顔には驚愕が貼り付き、肩は微かに震えていた。
ああ、この人なにか勘違いしてんな。
◆
「なんだあ、白崎さんの話か。てっきり君が泊まりに来たいってことかと思ったよ」
「別に俺でも問題ないはずでしょ。ただの教師と生徒なんですから」
「教師と生徒の前に、ただの男と女ではあるよ?」
「それ先生が言っちゃうんですね」
「事実は事実でしょ?」
「それは、そうすけど」
「まぁ、私はいいよ。一緒に住んでる男もいないのでね!」
「そこまでは聞いてないです」
「それに……気持ちが分からないわけじゃないしね。白崎さん、家に帰りたくないってことでしょ?」
「そんな感じです。まぁ、ちゃんと聞いたわけじゃないんですけど」
「ふーん? なるほどねえ。そういうことだったんだ」
柚原先生は腕組みをしながら俺を見てくる。
「そういうことってのは?」
「てっきり二人が付き合ってるとか、そういう感じなのかと思ってたんだよね」
「カップルで同じ部活入るわけないでしょ」
「えぇー? いるよ? 部活じゃなくても、同じ所でバイト始めるカップルとか。それで職場の人間関係とかめちゃくちゃにしていくんだよねー。もはや新手のテロ」
そう言った先生は、デスク上にあった空のペットボトルを手に取ると両手でひねり潰した。
「こいつ、もうゴミだからそこのゴミ箱に捨ててきてくれない?」
「あ……うっす」
それを渡された俺は思わず武道系の奴らと同じ返事をしてしまった。たぶん、先生がそういう風に見えたからかもしれない。
「それにしても……遅刻の理由聞いた時から思ってたけど深井沢くんは、カムパネルラ症候群だよね」
そそくさとゴミ箱から戻ってきた俺に先生はそう告げてきた。
「サルモネラ症候群?」
「サルモネラは食中毒のほうね。私が言ってるのはカムパネルラ。イタリア語で〝小さな鐘〟って意味」
「それって何の病気ですか」
「カムパネルラ症候群っていうのはね、簡単に言うと困った人が居たら自身を顧みず助けてしまう厄介な特性のことだよ」
「へぇ、なんかヒーローみたいでカッコいいですね」
「まぁ、良くいえばヒーローではあるよ? でも、そんな綺麗なものじゃない」
柚原先生はそう言って背もたれにもたれかかった。桃色の湿った唇から漏れる吐息は疲れをにじませている。
「動物の群れのなかにはさ、外敵を見つけたら鳴き声で仲間に警告を発する見張り役がいたりするんだけどその役割のこと。その個体は、種の存続のために自らを危険に晒すんだよ。だから、小さな鐘」
「あの、俺は人ですけど」
「人だって動物でしょ? それに、群れっていうのも属する組織に言い換えられる。きっと
急に投げかけられた質問に動揺しつつ、俺はゆっくりと首肯してみせた。
「下に妹が一人います」
「ほらね? 家族っていう組織内でバランスを担う役割はカムパネルラ症候群になりやすいんだよ。上と下とをつなぐ潤滑油は、中間管理職的な疲弊する立ち回りを求められるからさ」
「中間管理職って……なんか皮肉な言い方しますね」
「皮肉であってるよ? その特性は組織を守るために得た能力でもあるの。でも、その能力は家族から独り立ちした先の大きな組織内で潰れやすい障害へとかわる。小さな群れの中ではヒーローになれるけど、大きな群れでは助ける対象が多すぎて自己犠牲をするしかない。その手段でしか組織内で価値を見いだせなかったからね」
「俺の家庭は至って平和ですよ。そんなことをした覚えはないです」
そうハッキリ断言したが、先生は肩をすくめてみせた。
「覚えなんてなくたって無意識にそうしてるものなんだよ。親の顔色を窺って下の子の面倒を見て。家族といえど、組織なんてちょっとした事がキッカケでバラバラになるもの。人間を繋ぐのは人間でしかない。特に、幼い子供は何者にでも変形できるから、摩擦が起こらないよう歪な歯車にだってなれる。至って平和だったのは、キミのお陰じゃないって言い切ることすらできない」
無意識なんて言われると、そうであるような気がしてくるし、そうでないような気もする。
説明を聞く限り、カムパネルラ症候群というのはスピリチュアルな病気なのかもしれない。
「俺がその病気だったとして、治す方法あるんですか?」
「ないよ。ただ、長く生きていく中で緩和されていくだけ。病気というより、特性だからね」
「治らないのなら障害とか言うのやめてもらえますか」
「障害っていうのはキミからみた感覚じゃなくて、不特定多数の外から見た感覚だからね。まぁ、危ない表現であることは否定しない」
「じゃあ、俺はどうすれば?」
「んー……今はどうしなくてもいいんじゃないかな。結局なるようにしかならないから」
「なんか無責任な占いみたいですね。運勢が悪いよって告げるけど、その後は何もしてくれない」
「何もしないんじゃなくて、何も出来ないが正しいね。でも、カムパネルラ症候群はそうじゃない。損をすると分かっていても助けずにはいられない」
「あー……俺、それかもしれないです。そんでもって、人間ってそうあるべきだとも思います」
「うん、カムパネルラ症候群は究極の聖人論者でもあるんだよね。そんでもって、聖人になんて誰もなれはしない」
言ってることは理解できる。もしかしたら、俺は本当にそのカムパネルラ症候群というやつなのかもしれない。
「別にいいですよ。諦めてますから」
「ほぅ? もうその境地に至っていたか。そうなんだよね。結局、聖人になんて――」
「そっちじゃないです。俺は、諦めることを諦めてますから」
その言葉に、先生は首を傾げた。
「……どゆこと?」
「俺は目の前で困ってる人がいたら損をすると分かっていてもたぶん助けると思います」
「それがもし、死ぬとしても?」
「助けなかったら死にたくなるんですよ。これはもう、生き方の問題ですね」
その瞳が少しだけ悲しくなったのは同情だろう。
「まぁ、否定はしないけどさ無責任な占いでもアドバイスするくらいはできるよ」
「それはありがたいですね。どうすれば?」
「何も見ず、何も聞かないことだね。困ってる人を見過ごせないのなら、そもそも困ってる人を見なければいい」
「目と耳を潰せってことですか?」
「擬似的にそうするんだよ」
「……どうやって?」
先生は少し沈黙を置いてから、微笑んで言ったのだ。
「他人に対する関心を極限まで無くせばいい。そうすれば損をすることは減らせる。……まぁ、カムパネルラ症候群の人たちは勝手にそうなっていくものなんだけどね」
誉められもせず苦にもされず、ハッピーエンドに私はなりたい。 ナヤカ @nyk0
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