南アフリカ最後の日

海猫

南アフリカ最後の日

 南アフリカ共和国は、最後の砦となった。


 大ドイツ国ナチスドイツが国家社会主義を標榜してアフリカ大陸に築いた植民地政府──国家弁務官区は、この大陸の南端に残された最後の民主主義国家南アフリカ共和国を飲み込むべく、鉤十字を掲げた大軍を国境に集結させていた。四十年前にイギリスやフランスを破壊した武力が、ソビエト連邦を崩壊させた暴力が、狂信的なアーリア人至上主義を掲げて南アフリカの人々に銃口を向けようとしていた。


 少数の白人が多数の黒人を支配するこの国南アフリカをドイツ人が見逃してくれる可能性はゼロに近かった。それは、国家弁務官区内に建設された強制収容所で日々「処理」されていく人々の肌の色を見れば誰でも確信する予測であった。


「今こそ、アパルトヘイトを撤廃できる最後の機会です」


 カラーテレビの小さな画面の中では、改革派の大統領が舌鋒鋭く演説していて。


「白人と黒人が手を取り合うための施策を早急に打ち出さなければ、ここアフリカの地は完全にドイツ人の手に落ちるでしょう。この国の置かれた情勢が真に屈辱的なものとなってしまう前に、我々は慈悲深く力強い決断を下さねばなりません」


 演説台の上で拳を握る大統領の背後には、南アフリカの三色旗と共に鮮やかな星条旗が掲げられていた。しかし公式には、アメリカ合衆国と大ドイツ国は未だ交戦状態にはない。米独両国が保有する核兵器はワシントンとベルリン他、数十の都市を狙っているが、地下サイロ・原子力潜水艦・戦略爆撃機に収められた何千発もの核弾頭がもたらし得るカタストロフについては双方とも十分に理解していた。


「その気になれば、合衆国アメリカはもう一度ノルマンディーに上陸できるだろう」


 コリンズ少尉はカウチの上で仰向けになりながら葉巻を切っていた。


「その気になれば、我々は再びヨーロッパに戦線を築いて、1945年のやり直しができるだろう──合衆国に対するドイツの核攻撃を確実に阻止できる保証があれば、だがな」

「それは合衆国政府の公式見解ですか? それとも米軍の軍事顧問としての、あなたの個人的意見ですか?」


 駐機場に面した窓から軍用ヘリのローター音が響いてきた。ブラインドを開けてみれば、米軍から供与された攻撃ヘリが三機、編隊を組んで離陸してゆく途中だった。機体の横に対戦車ミサイルとロケット弾を搭載し、機首の下にミニガンを吊るした空飛ぶ騎兵。


「過去四十年間に渡り、米独冷戦は核抑止理論の良き実例であり続けてきた。一方で、ナチズムと共存することに耐えられず、今すぐドイツを滅ぼせと声高に叫ぶ者も居る。かつて我々が太平洋戦争で日本を滅ぼしたように、とな……愚か者どもが」


 アフリカの国家弁務官区と南アフリカの対立も、米独冷戦の縮図と言えた。国家弁務官がヒトラーの遺志を継いで今なお民族浄化を続けているのに対し、南アフリカ政府はアパルトヘイト撤廃による国内の安定化と対外的なアピール、そして、徴兵人口を増やすための人的資源確保を目論んでいた。


 ゆえに白人優遇と黒人差別の廃止を、南アフリカ政府の良心の芽生えと解釈するのはあまりに表層的な見方でしかない。南アフリカ政府が打ち出した人種差別アパルトヘイト廃止の真の目的は、多数派を占める黒人たちの人権を認める代わりに徴兵義務を与え、ドイツの大軍を撃退できるだけの軍事力を確保することにあった。


「改革に対する複数の妨害工作がすでに発生しています。国家弁務官区が複数の工作員を送り込み、アパルトヘイト存続を訴える保守系議員たちと接触した――その痕跡を貴国のCIAも確認したと、そう聞きました」

「だから、君たちの政府はあれほど混乱しているのだろう? 自国の命運を賭けた政策を打ち出したというのに、 実際にはケープタウンの国会議事堂が荒れるばかりだからな」


 にわかにテレビの音量が大きくなり、視線と意識がそちらに向かう。市街地を練り歩くデモ隊の映像が画面いっぱいに広がった。大荒れなのは国会議事堂だけではないのだ。 ケープタウン、ポート・エリザベス、ダーバン、マリッツバーグ、プレトリア、ヨハネスブルク――いまや南アフリカ全土が巨大な火薬庫と化しつつあった。





 宇宙開発競争は、二十世紀の国際社会で発生する様々な国家間競争の一つに過ぎなかった。第二次世界大戦中、ドイツはフォン・ブラウン博士の主導によりV2ミサイルを開発していたが、米独冷戦の時代になると彼のカリスマ的指導力を利用して有人月面探査を成功させた。アメリカ人宇宙飛行士が十年も遅れて「静かの海」に到達した頃、ドイツは火星探査計画への志願者の募集を開始したと発表した。


「志願者だけじゃない。『被験者』も大量に集められていますよ」


 UH-1汎用ヘリコプターは対空攻撃を警戒して地形追随飛行を続けており、その機上で風を浴びていたとき、隣席のマクミラン伍長が夜空に浮かぶ火星を指差した。


「惑星間航行に必要な人口冬眠技術をドイツ人共がまともな方法で開発すると思いますか? 奴らが管理する宇宙開発機関や研究所の隣には、必ず強制収容所が建設されていますからね」


 その種の猟奇的な施設はドイツの勢力圏内であればどこでも見かけることが出来たし、アフリカ南部一帯も例外ではなかった。ここ半年の間に、南アフリカ軍の偵察機や米軍の人工衛星によって数十ヶ所以上に新たな強制収容所が発見されており、その全てで巧妙に隠蔽された――と、ドイツ人たちが思い込んだであろう大量虐殺の痕跡が確認されていた。


 彼らが建設した強制収容所の一つは南アフリカ国境から三マイルという近さにあり、有刺鉄線の向こう側から大音量で聞こえてくるプロパガンダ放送が威圧感を増幅させていた。抑揚の激しいドイツ語はサバンナ中に響き渡り、ローター音に満ちたヘリの機内にまで侵入してきた――M16自動小銃に箱型弾倉を差し込んで、忌々しい放送の発信源を監視する準備に取り掛かる。


「こちらバルチャー1、方位090へ旋回する」

「了解」


 UH-1の二機編隊は越境直前で東へ変針した。編隊の外側から護衛の攻撃ヘリが追随してくる。南半球の満月が攻撃ヘリのパイロットと銃手ガンナーのシルエットを浮かび上がらせ、彼らの頭が時折左右に振れるのが見えた。ドイツ製の地対空ミサイルが国境を越えて飛んでくる可能性はあまり考えたくなかったし、国境沿いの監視任務がいつも通りの退屈なルーティンワークで終わることを祈っていた。


 もっとも、その祈りが打ち砕かれた際に取るべき行動も、私にとっては何の造作もないことなのだが。


 着陸予定だった前哨基地が砲撃されたとの通信が入った瞬間、UH-1が急旋回しながらさらに低空へ舞い降りた。編隊から離脱した攻撃ヘリは早々に敵の先遣隊を発見したらしく、ミニガンによる射撃で侵入者たちをミンチにし始めていた。照明弾の打ち上げで辺り一帯が照らされ、UH-1が基地の一角のすぐ外側に着陸すると同時に、M16を持って機外へ飛び出した。


「くそドイツ野郎共が」

「早合点するな」


 マクミランの悪態を聞きながら安全装置セーフティを解除する。


「黒人ゲリラの襲撃かもしれない」


 チャージングハンドルを引いて初弾を装填した直後、再び砲撃音が轟いた。基地に駐機していた輸送機が炎上しているのが見え、その周辺に早くも敵兵が展開していた。連中は破壊された輸送機の翼を遮蔽物として利用していたが、その裏をかく形で私たちが基地に接近していく。砲撃と同時に兵士を送り込む敵の狂気を感じ取っている暇はなかった。


撃てファイア!」


 引き金を引いた瞬間、5.56ミリ弾が敵兵の頭蓋を貫き、辺りに脳漿が散る。統率の取れた分隊の行動により敵兵全員が即死した。輸送機の背後にさらに数名の敵兵が出現すると、マクミランが擲弾発射機グレネードランチャーを構えて一発放った。


「あいつらがドイツの糞野郎共ですかい。大したことねぇな」

「なぜドイツ兵だと分かる」

「なぜって……あいつら白人ですよ」


 放たれた擲弾グレネードが吹き飛ばした敵兵たちの肌は、たしかに白かった。

 不気味なほどに、白かった。


 攻撃ヘリが基地上空に戻ってきて、哀れにも退路を断たれた敵部隊にロケット弾を叩き込んだ。あのロケット弾が、私たちが放った銃弾が、高度に政治的な意味を持つことが今や判明した。いつの間にか砲撃が止んだことへの安堵感より、ドイツ人たちが超えてはならぬ一線を越えて攻撃した事実への恐怖感が勝っていた。今夜この基地で発生した戦闘について報告することは出来ても、その戦闘が波紋を投じるであろう国際政治の行く末は為政者たちに委ねるほかなかった。


「ファルケ1、作戦中止、ただちに帰投せよ。繰り返す――」


 射殺したドイツ兵の無線機を拾い上げ、何事か口にしようとしたのがいかなる意図による行動だったか、自分でも分からなかった。駐機場に散らばるいくつもの死体を月光が照らし出し、その光景が何とも形容し難い感情を抱かせた。得体の知れない感情が、こみ上げてきた。





「南アフリカ危機」の発生は、赤道を越えて北半球に鎮座する諸大国を揺るがした。米独間のホットラインが機能する程度の理性が保たれたことは不幸中の幸いだったが、両国の軍部は政治家たちと異なる見解を持っているようだった。アメリカでは国防長官がデフコン2を宣言し、ドイツでも核ミサイル部隊が臨戦態勢に入った。


「せいぜい苦しむがいい」


 コリンズ少尉の自宅はまるで図書館だった。天井まで届く本棚に囲まれた書斎で、窓際にもたれながら朝刊をめくっていた少尉は薄笑いを浮かべていた。


も、も、いっぺん戦争してくたばりゃいいんだ」


 少尉が白人ではなく、白人と黒人の混血児であると知ったのはつい最近のことだった。結婚ではなく強姦によって出生したこと、黒人のシングルマザーの息子というレッテルを貼り続けられたこと、白人家庭に養子として出されてからはペット扱いされたこと――積年の恨みを並々ならぬ努力に変換して軍人になったのが、彼という人間だった。


 聞かなかったことにしておきます、と言いかけてから、少し考えて、


「私も、の人間ですよ」

「………お前も言うようになったな」

「恐れ入ります」


 そう返答した少尉の声に怒気は感じられず、


「君は優秀だし、旧時代の因習に縛られるような人間ではないだろう」


 少尉はいつも通りのポーカーフェイスに戻ると、朝刊を私に渡してきて、


「一面の記事を読むといい。例の戦闘の三日後に、国家弁務官から発信された声明文だ。『大ドイツ国及び同盟国の安寧を維持するためならば、不純な民族を内包する敵対国との交渉の場をこちらから設けることも吝かではない』だとよ」

「……ドイツの手先にしては理性的な人物のようですね」


 その理性が却って薄気味悪く感じられた。必要とあらば使者を派遣するか、あるいは国家弁務官自ら南アフリカに足を運ぶ用意があるらしい。ずいぶんとマトモな考えの持ち主のようだ。


「ドイツ本国からは何と?」

「ドイツ側からの先制攻撃の事実はないの一点張りだ。まぁ、今頃フォルクス・ハレで侃侃諤諤の議論が交わされているんだろうよ」


 何にせよ、南アフリカにとっては1976年のソウェト蜂起以来の国難だった。最悪の事態は回避された、という見方も出来るのかもしれないが。 もしも、三日前のあの戦闘が局地的なものに留まらずエスカレートしていたら──国家弁務官区と南アフリカ双方が独自に核を保有していることは、国際社会の公然の秘密だった。


 核による平和。

 核抑止がもたらす平和。


 たとえ国家弁務官の南アフリカ訪問が実現したところで、誰かが核の天秤を突けば世界が丸ごと消えるという事実は変わらないのだ。





 世界が南アフリカ危機に注目する中、ドイツの火星探査計画はひっそりと第二段階に移行していた。まずは低軌道に居住ステーションを建造しつ、搭乗員の長期滞在訓練を開始。それが終わる頃にブースターを取り付け、地球の重力圏を振り切って火星航路へ向かうのだろうと目されている。資材運搬用のロケットの発射基地は赤道にほど近いアフリカ中部、すなわち国家弁務官区に建設されており、米軍が打ち上げた偵察衛星が静止軌道から絶えず監視の目を光らせていた。


 火星行きの有人宇宙船に搭載される人口冬眠ポッドは機密扱いされており、開発状況も製造拠点も分からないらしい。あれの実用化のためにどれだけの人命が犠牲となっているのか、そもそも開発の主導者は誰なのか、何もかも不明だ。


「そんな話を聞かされても俺らは何もできやしませんよ」


 火星よりも地球の心配をしてほしいものです、と、マクミランは食堂の椅子に腰かけるなりソーセージを頬張った。


「奴らの宇宙船だとか人口冬眠だとかの調査じゃなくて、ここの飯を美味くするために予算を使ってくれませんかねぇ」


 訓練を終えた新兵たちがぞろぞろと食堂に入ってくる。徴兵されて間もない彼らの表情は、しかし、既に兵士の顔つきとなっている。 最近の新兵は手間がかからなくて良い、と、教官たちは口を揃えて評していた。そこに白人家庭での出生率の上昇という要因も加わることで、昨今の南アフリカ国防軍は質量ともに着実に増強されつつあると見做されていた。


 南アフリカ政府が徴兵人口増加を狙って打ち出したアパルトヘイト廃止という公約は、おそらく公約のままで終わってしまうだろう。


 白人至上主義がもたらす歪な支配体制は、皮肉にも国家弁務官区の人種政策と酷似していた。


「蒼ざめた馬」がアフリカの大地を駆けてゆくのだ。

 我々には、何もできやしない。


「だから……俺らは『彼』に同意したんでしょう?」


 私の心を読み取ったかのように、マクミランがそう呟いて、


「『彼』は備えよ、と言った。俺らはその言葉に従うことを決意した。違いますか?」

「……あまり先走るなよ」


 そう釘を刺しておくものの、マクミランの思いは私も共有しているものだ。

 はるかな昔から、ずっと。


「俺もあなたも生まれながらの孤児であり、物心ついた頃にはこの国に未来がないことを悟ったんです。ソウェト蜂起で殺された黒人学生の中に友人が含まれていた点まで共通している。そこまで奇跡的な一致がなくとも、ここに入ってきた連中の大半も俺らと似たような人生を背負っています」


 だから、何も思い残すことはないし、あとはひたすら待つだけです。

 マクミランはそう言ってから、黙々と食事をする新兵たちを見渡す。


 「そう……だな」


 マクミランの言う通り、あとは時機を待つしかない。

「彼」の言葉を、待つ。





 国家弁務官の南アフリカ訪問が正式に決定されたことは大した衝撃をもたらさなかった。あくまでも個人的に、だが。 市井しせいの人々にとって、南アフリカの北方に位置する広大なドイツ領は狂気の産物以外の何物でもなく、その長たる国家弁

務官の来訪は彼らの思考力を奪うほどの出来事であるらしかった。


 訪問を承諾した南アフリカ政府であったが、一方で国境警備のさらなる強化にも踏み切った。北方の長大な国境線に続々と新兵たちが到着し、無数の自動小銃、対戦車兵器、対空兵器、その他諸々の装備が彼らに支給された。 機甲部隊や航空部隊が集結する頃には情勢はより緊迫したものとなっていたが、国家弁務官を乗せた専用機は定刻通りに離陸し、南への飛行を開始していた。


 もう、後戻りはできない。


「よりによってこの基地ですかい」


 マクミランの愚痴は当然の反応だった。南アフリカ危機のきっかけとなったこの基地に二度も送り込まれることになろうとは。あの夜の戦闘で基地のあちこちに生じた損傷は既に修復されており、大穴を開けられた滑走路や駐機場はすっかり元通りになっていた。


 次々と着陸してきたヘリから続々と新兵たちが降りてくる。その傍らに、南アフリカ軍の士官たちの死体が転がっていた。私やマクミラン他、先に到着した下士官たちの手によって後頭部を銃撃された彼らは、驚く時間すら与えらず全員が同時に絶命した。


「何人か寝返ってくれないものかと期待はしたんだが」


 コリンズ少尉が惜しむような口調でそう言って、


「土壇場で君たちの事情を伝えて仲間に引き入れる、というのは流石に無理だったようだ」

「悔やんでも仕方ありません──からの連絡はありましたか?」

「ああ、そのことだが」


 あれを見ろ、と、 少尉が空の一角を指差した。


「五分後にあの専用機が着陸する。 ここら一帯の防空システムは停止させてあるから難なく降りてこられるはずだ――パイロット連中は始末しておいたか?」

「ええ、ご指示の通りに」


 私が親指で背後を指し示すと、少尉はパイロットたちの死体に気づき、安堵の笑みを浮かべる。これで南アフリカの戦闘機が専用機を迎撃する心配はなくなった。


「では、新兵たちの移動……というよりを始めておいてくれ。私はここで『彼』を待つ」

「了解しました」


 何年も待ち望んでいた時が訪れたというのに、あまりに淡々としたやり取りで実感が湧かなかった。これから巻き起こるはずの大災禍も、『彼』の到着も、何もかも。


「『蒼ざめた馬』は本当にやってくるだろうか......」

「それ、ヨハネ黙示録の引用ですか?」


 新兵たちのもとへ向かおうとしていたマクミランが、わざわざ振り返ってそう聞く。


「よく分かったな」

「俺にも、多少の学があるんですよ」





「君たちは、生まれながらの孤児だ」


『彼』の声が、地下バンカー内部に響き渡る。


「君たちの国も、私たちの国も、肌の色による人間の選別という非生産的で愚かな行為に多大な労力を費やしてきた。時には軍事力さえ、というより、軍事力こそがこの種の行為のために最も悪用されてきた」


 どよめきの広がり などというものはなかった。 バンカー内で整列した全ての兵士が、微動だにせず『彼』の演説を傾聴していた。余計な物音を立てる者は一人としておらず、全員の視線が『彼』に集中した。


「たしかに、奴らは種々の優れた技術を持っているが、それらの技術を常に生産的な用途のために用いられるほど賢くはない。私はそれが許せなかった。だから、私は奴らの技術を少しばかり拝借することにより、より合理的、より生産的、より建設的な社会を構築することを試みようと決意した」


 今はまさに「構築」の真っ最中だ、と『彼』は拳を握りながら熱弁する。奴らが生み出した熱核兵器は、奴ら自身を「処理」するための最も効率的な道具だろう。国際政治という足枷さえ外してやれば、奴らは勝手に自滅してくれるはずだったし、事実そうなった。私は、奴らが言うところのカタストロフをもたらすための、最後の一押しをしてやったに過ぎない。


「その一押しのために、我が同志の一部を生贄としてしまったことは申し訳なく思う。 南アフリカ危機で戦死した者たちも、本来はここに居るべき者たちだったのだ。私の立案に対し、彼らは進んで身代わりを引き受けてくれた」


『彼』はそう言ってから、私とマクミランに視線を向ける。私たちは互いの顔を見合わせ、それから、あの夜の戦闘で射殺した者たちにしばし思いを馳せた。


「何か不満かね、 マクミラン伍長」

「いえっ、不満などございません」


 名指しされたマクミランは即座に返答して、


「不満など微塵もございません、国家弁務官殿」

「その呼び方はやめてくれ……私はもう、国家弁務官ではない」


 南アフリカも国家弁務官区もない、アメリカもドイツもない、地球上に存在するあらゆる主権国家は今日限りで 息絶えるのだから......。


「――君たちは、生まれながらの孤児だ」


 再び、『彼』はそう言って、


「君たちもまた、奴らの技術の産物なのだ。哺乳類における体細胞クローン技術は二十年以上前にドイツで確立されたし、その技術は奴らの人種政策とやらを推し進める一助となった。しかし、遺伝的多様性の確保という観点からすれば、白人のクローンばかり生産することは緩やかな自滅でしかない。だが、奴らはそれを実行した。種の

存続よりも、イデオロギーを優先した」


 演説台のマイクが拾ったその呟きからは、心からの軽蔑と、憎しみの念が感じられて。


「挙句の果てには、南アフリカ政府までもが提案をもちかけてきた。秘密裏に相互不可侵条約を結ぶ代わりに、大量の白人クローンを供給してくれと要請してきた。結局、南アフリカの軍事的圧力に屈して本当にそれを実行してしまったわけだが……国家弁務官区は、君たちが想像していたほど精強な国家ではなかった」


 ここに戻ってきた者たちには感謝している、と、『彼』は続ける。二十年も隣国での生活を強いたことを恨んでも構わない。私の『言葉』に従い、再び私のもとに結集してくれたことに心から感謝している、と。


 二国に分かれたクローン部隊を、再統合する時がやって来たのだ。


「私は奴らに従順だった。従順な振りをした。奴らに言われるがまま、二十年以上かけて君たちを育て上げた。当然、ヒトクローンの存在は機密にされていたから、表向きには『白人家庭での出生率上昇』というフレーズが使われた」


あれを見よ、と、『彼』が左手を指し示す。兵士たちが一斉に横を向く。


「人口冬眠ポッドだ。肌の色だけを理由に強制収容所に集められた民間人たちが眠っている。私の権限で彼らの身柄を預かり、全員を地下バンカーに移送した。無論、強制収容所を管理する差別主義者たちは早々に粛清した。冬眠ポッドの安全性が確保されていなかった頃、実験体として利用した上で凍死させた──全ては、種の存続のためだ」


 本来なら、彼らには冬眠ではなく文化的な生活を享受してもらいたい。『彼』はそう言葉を足して、


「しかし、いくらこのバンカーが巨大とはいえ、そして同様のバンカーをアフリカ各地に建造したとはいえ、退避させた民間人全員に地上と同じ暮らしをさせられるほどの余裕はない。君たちクローン兵にはバンカーを警備し、維持し、管理する任務を与えるが、バンカーを外部から完全に隔離された小宇宙として運用していくための設備システムは、君たちに与えられた特権となる。そのことを、肝に銘じておいてほしい」

「もしや、ここの設備は」


 思わず挙手をしてしまった私に、『彼』は冷徹な眼差しを向けてきて、


「質問があるなら聞こう」

「では..... 私の予想が正しければ、このバンカーの運営に必要な技術は有人火星探査計画で培われたものばかりです。外部から隔絶された生命維持システム、放射線の被爆線量を低減するための遮蔽、長期間にわたって閉鎖空間で生活する人間たちのメンタルコントロール……そして、宇宙基地が国家弁務官区に建設されたことで、あなたはそれらの情報へのアクセス権限を得た」

「ご賢察の通りだ」


「彼」は大きな頷きで応じて、


「だから言ったのだ。奴らの技術を少しばかり拝借した、と………」


 不意に扉の一つが開き、一人の男がつかつかと歩いてきた。


「何事かね、コリンズ少尉」

「計画の第一フェーズが完了しました。先進諸国は度重なる核攻撃で蒸発しています」

「では、予定通りに事を進めてくれ」

「了解しました」

「何の話だ」


 そのまま踵を返した少尉は、立ち止まって再び振り向き、


「――あなたも、犠牲者であられたのですね」

「本物の国家弁務官が二十年前に死んだことくらい、とうの昔に皆知っていますよ」


 ご安心ください、と、少尉は言う。


「合衆国政府は今でもあなたの正体に気づいていません。そのために私はここに居るのですから。もっとも、あと十数分ほどであの国も消滅するでしょう」

「……わざわざ報告をありがとう」


 少尉のような例外を除いて、ホモ・サピエンスは核の炎に包まれるか、アフリカの地下で半永久的な冬眠につくことになる。私たちは記録者であり、番人だ。死に絶えた者たちの最期を見届けつつ、未来で旅立った者たちを見守る。


 その未来がいつ訪れるかは分からない。その未来で築かれる文明の主は、身体的にはともかく、精神的には全く別の種族となるだろう──そうであってほしいものだ。


 そうして、人類は永遠の眠りについた。

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