僕らの罪
Ryu
エゴ
「夏来くん、一緒に帰ろう」
部活の時間になり喜ぶ声、放課後遊びに誘う声、他クラスの人が誰かに向けて呼びかける声、あらゆる声が飛び交う中で、僕にかけた一つの声。
教室の隅っこ、皆が羨む窓際一番後ろの席に座り、帰り支度をしていた僕は目線を鞄から声のする元へと移した。
目の前にはクラスメイトの一人、冬野仁美が立っていた。先程聞いた弾んだ声とは裏腹に、彼女の顔は、眉を八の字にさせて泣きそうな表情をしていた。僕の返事がどちらになるか不安を抱いているようだった。それもそのはずだ。彼女と話すのは、今が初めてだった。彼女とは一年生の頃から同じクラスで、今の季節は二年の六月。出会ってから一年半近くになるが、一年生の頃も、今の二年生のクラスでも彼女と話したことはない。そもそも僕には、学校で話す人など居なかった。彼女だけではない。ほとんどの人と僕は言葉を交わしたことがないだろう。精々あったとしても、授業での必要最低限な義務的会話ぐらいだ。
だからこそ、僕は誰かに話しかけられた事自体に驚いてしまった。そして、その相手が冬野さんであることにも驚いた。
驚きのあまり固まってしまっていた事にようやく気づき、慌てて返事をする。
断る理由など無かった。
彼女は僕の、想い人なのだから。
…
帰り道、彼女は笑顔であらゆる話をしてくれた。
二限の授業中お腹が空くあまり、お弁当をつまんでしまっていたこと。早弁した事で昼休み食べるものがあまりなく、友達に分けてもらったこと。六限の授業半分以上寝てしまっていたこと。前の休日で友達と観た映画のこと。
いつも笑顔で明るい彼女らしく、輝かしい学生生活を送っていて、それを聞いていた僕は楽しい気持ちを抱きながらも、なにも提供することの出来ない自分の学生生活が恥ずかしく思えた。
突然、彼女は話すのをやめて、歩みを止めた。
「…冬野さん?」
彼女の話に夢中で歩いていた為気づかなかった。いつのまにか、僕らは公園にいた。
比較的田舎にある僕達の学校は、また少し外れの方に行くと、人があまり通らない穴場のような公園にでる。気づけば、そこに居た。
バス停と逆方向に向かっているのは気づいていた。しかし、好きな人と帰る、というこのイベントに浮かれない人間などいない。少しでも長く居たいと思う。だから僕は気付かぬフリをして、彼女の声に集中し、彼女に着いていくように歩いていた。
歩みを止めた彼女を見るに、目的地はこの公園だった。今更ながらに疑問が浮かぶ。
なぜ、僕を誘ったのか。
なぜ、僕とこの公園に来たのか。
まるで心の中を読んだかのように、彼女は応える。
「ずっとね、話したかったんだ。…君と。」
僕達は、自然と公園の中心にあるベンチの方へと惹かれて行った。ベンチに座ると同時にまた、彼女は先程のように、今までとは違う儚く静かな声で言う。
「私ね、夏来くんに憧れてたんだ。」
「周りのどんな言葉にも惑わされないで、自分を貫いてる夏来くんが凄いなって、すごく羨ましかった」
いつも教室で見る彼女とは違う、儚く、どこか切なさをもった表情をしていた。
僕は彼女にとって、ただのクラスメイトの一人程度だろうと、そう思っていた。でもそれは違っていて、彼女は僕に憧れを抱いていたという。好きな人が自分に憧れを抱いていた。嬉しい話だとは思う。しかし___
「……僕は、そんな大層な人間じゃないよ」
僕は、話さないんじゃない、話せないのだ。周りと馴染まないのではなく、馴染めなかった。だから自然と孤立していった。いじめこそないものの、どこか腫れ物のような扱いもあれば、いないものとして忘れられることすらあった。僕はそれに慣れただけだった。それに抗おうとして、頑張って周りと関わろうとする努力をしないだけだったのだ。だからこそ、それを前向きに捉えて、褒めてもらうことに違和感を覚えた。
「…そっか。」
彼女は顔を伏せた。
今、彼女は何を思っているのだろう。
どんな表情をしているのだろうか。
僕は、彼女の表情を覗くことが怖かった。
憧れと違った自分に失望しただろうか。
否定したことで傷つけてしまったのではないか。
そんなネガティブな考えが頭を支配する。
僕たちの間に暫しの沈黙が流れた。
不安感からか、自身の鼓動が鳴り響いている。
「_あのね」
ぽつりぽつりと、言葉をこぼしていく彼女。
「生きる、ってなんだと思う?」
哲学のような質問に僕はどう答えればいいのか分からず、言葉を詰まらせてしまう。
その様子にハッとした彼女は、取り戻したかのように笑顔を貼り付けて、急いで自身の言葉を補足する。
「いや、あのね、深い意図はないっていうか、いや、あるんだけど…その、夏来くんなら真剣に応えてくれそうだなと思って…ホントに、なんとなくでいいんだ…。」
"生きるとはなにか"
彼女の補足を聞いてから、腕を組んで考える。
目を瞑って、生きるとはなにか、という質問を反芻する。そうして、たどり着いた答えを深く考える間もなく、言葉として発してしまった。
「意味のないもの、かな」
「意味の、ない?」
「なにか偉業を成し遂げたとしても、逆にどん底に落ちたとしても平等に死は訪れるし…。人はなんらかの意味を持って生まれたとかって聞くけど、なんで生まれたかって自分の親の勝手な意思な訳で、生まれた僕らは何か意志を持って生まれたわけじゃないし…。」
「不謹慎かもしれないけど、どうせ何をしたとしても結局結末は死だから、生きるに意味もなにもないなって、僕は思う。」
我ながら、希望もなにもない、つまらない回答だとは思う。しかし、本当にそう思うのだ。
何かをやろうとしたって、結局成し遂げようとする人も何もしない人も死というゴールに向かっている。平等かつ、不平等に、どんな人間に対しても死は襲いかかる。そこで、ならばせめてと生きることを強調する人は主人公か何かだ。
自分の人生は自分が主役ではない。いつかくるゴールが来ることを分かっていながら、生きるの意味を作ろうと足掻く者が主役で、それすらもしない僕みたいな人間は主役を引き立たせるモブだ。
僕の回答を聞いて黙っていた彼女が、安堵した楊子でようやく口を開く。
「…私ね、人を、殺しちゃったんだ」
「お母さんを、殺したの」
「最初はね。普通の口喧嘩だったの」
「それが、なんかどんどんヒートアップしちゃって、上手く覚えてないんだけど頭に血が上ってくる感じがして、すごいムカついちゃって、お母さんのこと、突き飛ばしちゃったんだ」
「そしたら、お母さん、体勢崩しちゃって、頭打っちゃって。…前にも、別で衝撃受けた事あったみたいで、当たり所悪かったのもあって、そのまま死んじゃった…」
…止まることなく、言葉を紡いでいく彼女。
彼女の表情は、うまく感情を読み取れないほど歪んでいた。当時の状況を思い出しているのか、呼吸も乱れていた。息を整えて、また続ける。
「…お父さんに聞かれて、咄嗟に、嘘ついちゃって。お母さん勝手に転んだって言ったの。前に別であったのもあって、それが信じられて、不慮の事故ってことになった。でも、お母さんの身体を押した手が忘れられなかった。」
「手で押したあと、お母さんが動かなくなるあの瞬間が、ずっと、忘れられなかった」
彼女の目尻に涙が溜まっていくのが見える。
感情は未だ分からない、悲痛とも言える言葉が、声が、僕の耳には痛く感じた。
彼女はお母さんを亡くして悲しいのか、殺してしまった罪悪感で辛いのか。僕は分からなかった。
「お母さんを殺してしまってから、眠れなくなって…。お父さんの顔も見れなくなって、友達と話すのも怖くなったんだ。」
「……なんで、僕に話してくれたの?」
虚ろな顔で涙を流す彼女に、1番の疑問を投げる。
僕らはお互いに憧れを向けていたにしろ、会話を交わすのは初めてだった。初めて話す僕に、ここまでの大事な秘密をなぜ話してくれたのか、事の大きさよりも一番に気になってしまった。
僕の疑問に対して、彼女は二回瞬きをした後、笑みを浮かべて、
「なんとなく。」
そう言った。
「私はね、生きることに意味はあると思ってたんだ。人は誰しも生まれた時からなんかしらの役割を貰って、それを成し遂げるために生まれた、そう思ってたの。」
「でもね、君の言う通りかも。お母さんを殺してから、生きた心地がしなかった。ただなんとも言えない罪悪感と恐怖がずっと襲ってきて、眠れなくて……でも、毎日はやってくる。」
「何もせずとも平等に毎日はやってきて、そしたら、前まで精一杯生きてたのが馬鹿らしく思えてきちゃって。生きてることに意味なんてなかった。だからね…」
鼓動の音が頭の中で警鐘のように鳴り響く。
自分の心臓が速くなっているのが分かる。
警報のような、これ以上彼女の声を聞くな、そんな自分の注意をするような声が響いた。
そんな自分を嘲笑うかのように、雨がポツポツと、自分の肌を叩いてくる。
そうする内に、自分の警報など意味なく、無慈悲に彼女は僕に爆弾を投げ込んだ。
「私にゴールを迎えさせて欲しい」
﹍ ﹍
なにかが詰まってるかのように喉がつっかえて、声がでない。
何を言えばいいのかわからなかった。
人を殺した彼女が死を望むことに、怒りを感じるかと言われればそうではない。彼女が死を望んでいることに悲しいかと言われればそうでもない。
自分で自分の感情がわからなかった。
ただ、どうすればいいか分からなかった。
彼女が母親を手にかけた時の感情の昂りを今僕は抱いていない。比較的穏やかな方だ。だからこそ、自分の行動の正解がわからなかった。
好きな人が死を望んでいるからこそ、好きな人の望むままにすればいいのか。
好きな人が死を望んでいるからこそ、止めるべきなのか。
好きな人が人を殺め、死を望むからこそ、一緒に堕ちるべきなのか。
「…ごめんね。」
彼女が一体なにに謝っているのかも分からなかった。何も分からない、どうすればいいのか困惑しきった僕の心とは反対に、自然と動く身体。
僕の手はもう、彼女の首を掴んでいた。
また頭の中で警報が鳴り響く。
今度はなんの警報か、それすらも分からなくなっていた。
「ありがとう」
なにもかもが分からなくなっている中で、微かに苦しみながら感謝の言葉を述べる彼女の声が聞こえた。
気づけば、彼女は固まっていた。
手を離すと、彼女の体はぐしゃりと濡れた地面へと倒れ込んだ。
彼女の時間は完全に止まっていた。
自分が止めてしまったのだ。
鳴り響いていた警報も既に止んでいた。
意味をなくしたからだった。
状況を頭で理解する間もなく、呆けた顔のまま僕は冷たい彼女の隣にへたり込む。
自身の手を見つめると、先程までなかった感覚が一気に記憶として溢れ出した。
彼女の肌に触れた感覚、首を掴む感覚、首に力を込めた時の感覚。
そして、彼女が息絶える所を間近で見た感覚。
なにかがつっかえて先程まで声が出なかった喉から、なにかがあふれ出そうとする。
「うっ……」
必死に抑えようと、右手で口元を塞ぐ。
右手が自分の肌に触れたことで、また先程の感覚がフラッシュバックされる。
そうしてようやく現実として頭が理解する。
僕が、彼女を殺した。
好きな人を殺してしまった。
頭を振って、ようやく理解が追いついた頭で、必死に言い訳を並べる。
これは彼女が望んでいたことだ。僕は彼女の願いを叶えただけだ。そうやって、自分を正当化しようとした。
しかし、視線をずらし静かに眠る彼女は寝息を立てる様子も、目を覚ます様子もない。
その目に見える事実が、自分のした事の大きさを思い知らされる。
誰もいない雨で濡れた公園に、眠ったまま濡れた少女と、ずぶ濡れで蹲り、一人声をあげる少年が居た。
18時を知らせる鐘が鳴り響く。
18:01____
18:01:30___
18:01:50__
18:02:00_。
僕らの罪 Ryu @Ryu9jo
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