4話:雷魚《かみなりうお》とおじいさん

 リルは、喧騒の中を歩いていました。

 大きな通りは人であふれかえり、店の前では呼び込みの声が響いていました。お祭り、でしょうか。そういえば、すれ違う人々はどこか浮き足立っているようにも見えます。


「ズゥ、ごめん。大丈夫?」


 やっとの思いで人の流れを抜け出したリルは、ぜいぜいと息をつきました。ズゥも肩の上で、ぐったりとしています。

 雨氷の国でも、お祭の日はたくさんの人が集まりました。しかしここまでの人混みではありませんでしたし、なにより熱気が段違いです。この国の人の気質なのかもしれません。皆声が大きくて、大口を開けて豪快に笑っています。慣れない環境に体力は削られますが、不思議と心地よい豪快さだと、リルは思いました。


「おいおい。大丈夫かい?」


 とつぜん頭の上から、声が降ってきました。驚いたリルは、ゆっくりと目を上げます。そこには、白髪のおじいさんの心配そうな顔がありました。


「はい。人混みに、慣れていなくて……」


 リルがそう答えると、おじいさんは「そうかぁ!」と笑ってリルの背中を叩きました。やはり声が大きくて、頭にぐわわん、と響きます。それに何というか、『おじいさん』とは思えない力の強さでした。


「この時期はしかたがないさ。この国のどこへ行っても、こんな感じだ。残念だが、慣れるしかないなぁ。ま、良かったら休んでいきな!」


 おじいさんは、また豪快に笑いました。そして、リルに椅子を勧めます。リルは少し迷いましたが、体がきつかったのも事実です。おじいさんの言葉に甘えることにしました。


 どうやらここは、食事処の屋外席のようでした。小ぶりな机と椅子がいくつも並び、お客さんで埋まっています。おじいさんがしめした席には、食べかけの料理が並んでいました。食べている途中でリルに気付き、わざわざ席を立って声をかけてくれたのでしょう。おじいさんを疑ってしまったリルは、ちょっと恥ずかしくなりました。


 店はとても繁盛しているようで、開けはなたれた大きな扉から見える店内の席も、お客さんで埋まっています。おじいさんは向かいの席に腰をおろすと、店員に声をかけました。エプロンをつけたおばさんが、席の間を縫うようにやってきて、注文票を手に取りました。


「すまんな。この子なんだが、祭りの人混みで酔っちまったらしい。入口からの客じゃないんだが、しばらく相席させてやってもいいかい?」


 リルは申し訳なく思いましたが、おばさんはなんでもないことのように笑いました。


「ありゃぁ。そりゃ災難だったね! 酸っぱいのは大丈夫かい? 待ってな。すっきりするレモン水を持って来てあげるよ」

「あ、ありがとうございます」

「どういたしまして!」


 おばさんはケラケラと笑い、リルの頭を撫でました。


「すまんな。あと、追加の料理もいいかい?」

「あいよ!」


 おじいさんはあれこれ注文を済ませると、余っていたお酒を飲みほしました。そしてリルに訊ねます。


「お前さん、名前は? 祭りは初めてのようだが、もしかして他の国から来たのかい? 旅行か? 家族は? まさか迷子じゃないだろうな?」


 ずいぶんと明け透けに、根掘り葉掘りというよりは、思いついたままを口にしている様子です。リルは答えました。


「リルです。この子はズゥ。雨氷の国の生まれです。今は、ズゥと一緒に旅をしています」

「なんとまあ、そんな歳で一人旅かい。いったいどうしてそんなことを?」

「《キウ》を探して旅をしています」

「……《キウ》を? どういう意味だい?」


 おじいさんが、びくりと眉を動かしました。ズゥが身体を強ばらせます。警戒しているようです。リルは慌てて説明しました。


「あの、まだ見習いなんですが、雨氷の国の《キウ守の役》の子なんです。じつは、国の……」

「なんだい! そういうことかぁ!」


 リルの言葉は、途中でかき消されてしまいました。おじいさんはというと、とても、それはとても嬉しそうに笑っています。


「おまちどぉ! どうしたの、じいさん。えらく嬉しそうだねぇ」


 料理を持ってきた店員のおばさんが、おじいさんをからかいました。


「ああ。めぐり合わせだ! この子だが、他国の《キウ守の役》の子なんだと!」

「へぇ! そりゃあ確かに奇遇だね! よくしてやりな! さて、塩焼きと、干物と、香草焼き、甘露煮と汁もの! そっちはレモン水ね。体はどうだい? このじいさん、うるさいけど悪い人じゃないからさ。年寄りの娯楽に付き合ってやっておくれ!」

「うるさいわ!」


 リルが口を出せるような隙は、どこにもありません。おばさんは嵐のように口と手を動かすと、笑って戻っていきました。机の上には、美味しそうな料理が並んでいます。


「まったく! あのおしゃべりめ!」


 おじいさんは悪態をつきましたが、それでもやはり嬉しそうです。


「あの、どういう?」


 リルは話の展開についていけません。おっかなびっくり訊ねると、おじいさんは得意げに言いました。


「おお。すまんな。奇遇と言ったのはな。ワシはこの国の《キウ守の役》だからよ!」

「ええ!」


 リルは驚きました。確かに、こんな偶然はありません。ありがたいことです。思わずリルは立ちあがり、おじいさんに詰め寄りました。


「あの! この国のキウについて、教えてもらえませんか?」

「まあまあ待て。まずは料理を楽しもうじゃないか。ほら、遠慮はいらん。お前さんたちも食べなさい」


 そう言っておじいさんはリルとズゥに向けて、塩焼きの皿を差し出しました。

 本音を言うと早く話を聞きたいと思いましたが、温かい料理を無下にするのも気が引けます。リルとズゥは顔を見あわせると、皿に手を伸ばしました。


「おいしい……」


 リルは呟きました。塩焼きは香ばしく、皮がパリパリとしています。「これもどうだ?」と出された甘露煮とやらは甘辛く、初めて食べる味でした。ズゥは隣で、無心に塩焼きをつついています。


「どうだ。美味いだろう?」


 甘露煮をほおばりながら、リルはうなずきました。食べて、体が温まったからでしょうか。先ほどまでの気持ち悪さが、いつの間にか消えています。


「よし。顔色も良くなったな。それじゃあ、キウの話をしようじゃないか。……ああ、手は止めんでいい。食べながら、ゆっくり話そう」


 おじいさんは満足そうに、杯をあおりました。


「《キウ守の役》とは言ったが、ワシはそのうちの一人、と言うべきだろうな。この国のキウ守の役は、大勢いるんだ」


 リルは首をかしげました。おじいさんは話を続けます。


「この国の《キウ》はな。雷魚かみなりうおと呼ばれる魚の、その骨だ。雷魚の骨を山にある泉に浸けると、雨を呼ぶことができる。だから雷魚を獲る漁師のことを、この国では《キウ守の役》と呼ぶ。そういうわけだ」

「へえぇ」


 驚きました。《キウ守の役》にも、色々な形があるようです。


「雷魚というのはなぁ。普段は深い海に住んでいて、冬場の一時期だけ浅い海にやって来る。そこを狙って、ワシら漁師は雷魚を獲るんだ。何千という雷魚を大きな網で一気に引く。なかなか見ものだぞ?」


 リルは、不思議に思いました。いくら雨を降らせる《キウ》が必要でも、さすがに何千という数は必要ないはずです。リルの考えを読んだかのように、おじいさんは言いました。


「ただ、全ての雷魚が《キウ》を持っているわけじゃない。千の雷魚がいても、一匹出てくるかどうかというくらいだ。《キウ》となる骨を持つ雷魚は、とても貴重なんだよ」

「それは……」


 リルは顔を曇らせました。人魚とアメフラシのことを思い出したのです。


「おや、どうした?」


 おじいさんは、訝しげに訊ねます。


「いえ、その、気を悪くしたら、ごめんなさい。……それは、その雷魚を、乱獲して《キウ》を得る、ということですか?」


 リルの問いに、おじいさんは目をぱちくりさせました。そして豪快に笑い出したのです。リルには意味がわかりません。


「たしかに雷魚にとっちゃあ、たまったもんじゃないかもなぁ!」


 おじいさんは目元に滲んだ涙を拭うと、「だがな……」と続けました。


「だがな、ワシらは、ただ雷魚をしこたま獲って、ただ殺して《キウ》を探して得ているわけではないんだぞ?」

「どういう、ことですか?」


 リルは訪ねました。人魚の唄のように、何か見分ける方法があるのでしょうか。


「そうさなぁ、まずワシらは大量の雷魚を獲るが、その時期や獲る量は厳しく決められている。密漁は死罪だ。だから、雷魚を獲りつくすことはない。それに……」


 おじいさんは、ちょっと意地悪そうに、リルの手元の皿を指さしました。


「それに、ほれ、『それ』が雷魚だ」

「ええっ?」


 リルは皿に残った、魚の骨を見つめました。それは白みがかった薄茶色で、しっかりと魚であったことを主張する形をしています。


「おや、残念。『はずれ』だなぁ」


 おじいさんは笑いました。


「はずれ?」

「ああ。『あたり』の骨、つまり《キウ》だな。それは、本当に綺麗な真っ白でなぁ、暗いところで見ると、うすぼんやりと光るんだよ」


 おじいさんはうっとりと、目をほそめます。


「つまりだな。この国では雷魚が獲れる時期になると、国中の皆で、雷魚を食べるんだ」

「国中で、食べる……」


 今度はリルが、目をぱちくりさせました。


「そうさ。ワシらは大量の雷魚を獲る。確かに乱獲と言われれば、そのとおりだ。だが皆で雷魚を食ってキウを探せば、その命も無駄にはならん。雷魚の命の上に成り立っている《キウ》ではあるが、そいつは全部、この国の人間の腹の中におさまっているのさ!」


 リルは再び、皿の上の骨をじっと見つめました。ズゥはいつの間にか、二匹目の雷魚にくちばしをつけています。


「ま、その間のメシは雷魚三昧になるがな! 『キウを持つ雷魚にあたれば、その一年を幸せにすごせる』なんて言い伝えがあるくらいだ。皆こぞって雷魚を食べる。美味いしな!」


 おじいさんは大きな声でそう言うと、雷魚の干物をかじりました。


「おや。はずれだ」


 出てきた雷魚の骨を見て、笑います。

 リルもなんだか可笑しくなって、久しぶりに声をあげて笑いました。



 どこか遠くないところで、わっと歓声があがりました。「おめでとう!」という祝いの声が聞こえてきます。『あたり』を引いた人が出たのかもしれません。

 リルは一匹残った雷魚の塩焼きに、そっと手を伸ばしました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

祈雨 千賀まさきち @sengamasakichi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ