第2話
無職のまま飲んだくれていては、貯金が減っていく一方だ。
それにこの部屋には婚約者と二人で住むはずだった。そのため単身用ではなく、二人用、いや家族用だ。家賃はその分高い。
私はエインズワース辺境伯の申し出、もとい脅迫を受けるしかなかった。
彼と喋っている時に大家がやって来て扉の修理代やら滞納家賃・退去費用を彼の使用人が全部支払ってしまい、私は退去を余儀なくされたわけだ。
せめて掃除してからと申し出たが掃除費用さえ辺境伯は支払っていた。
私が風呂に入っている間に、転がっていた酒瓶は彼の使用人と護衛騎士によって綺麗に片付けられ手荷物一つと抜けない魔法剣だけを持って私は馬車に押し込められた。
面倒な飲んだくれの入居者を追い出せ、しかも大金が一気に入ってご機嫌の大家が残りの荷物は後で送ってくれると言う。大した荷物などないし、家具は持っていけないのでまだ状態は良いだろうから売ってもらい、家賃滞納などの迷惑料として取っておいてもらうことにした。
「魔法剣はどこで手に入れたんだ?」
「実家に転がっていました」
「レーゼン子爵家に?」
「はい、祖父がどこかの洞窟で拾ってきたと」
「彼は有名な騎士だったそうだな。さらに冒険家でもあった」
「はい、その祖父の気まぐれでうちに転がっていた剣をたまたま私が抜きました。それだけです」
なぜか辺境伯と同じ馬車に押し込められた。
情報も説明もすべてにおいて不足しているから仕方がないのだが、圧倒的な実力者である銀色の悪魔と最初から同乗というのは三カ月飲んだくれ生活を続けていた者にはキツイ。
エインズワース辺境伯の家系は代々皆銀髪だ。
銀色の髪をなびかせて魔物を殺戮する様子から、それを見た誰かが銀色の悪魔と言い出したのだ。銀髪が半分ほど魔物の血で染まっている様子から、だっただろうか。だから代々の辺境伯は銀色の悪魔と呼ばれているのだったか。
武家ではないお貴族様というのは、魔物も狩らず剣も持てないのにやたら頭を使って貴族的な言い回しだけはするものだ。「銀色の悪魔」なんて絶対に褒めていない。でも、その言い回しは広まって通り名になってしまった。
辺境伯の視線は、興味深そうに私の魔法剣に注がれている。
抜けないくせに「私の魔法剣」と言っていいのかは分からない。抜ける時はそう言っていたが、今、この剣は確実に私の物ではない気がした。そもそも、扱えている時も私の剣だった時はない気がする。手に酷く馴染む感覚もないし、女性が扱うにしてはやや重く使いにくかった。
それでも魔法剣の騎士という肩書は私にとっては唯一のものだった。聖剣を抜いたら勇者、というのと一緒だ。
「剣を抜いてみますか」
「いい」
「試すだけです。抜けばあなたのものになります」
自分よりも若く弱い騎士にこの剣を易々と抜かれてしまったら、私の残り少ないプライドは粉々になるだろう。例えば、辺境伯の隣に空気のように座っている秘書官だと名乗った男にこの剣を抜かれたらもう死んだ方がマシだ。
そんなことを思うプライドが僅かでも残っていたのは驚きだ。
でも、辺境伯を継ぐくらいの実力者になら別にこの剣を奪われてもいい。
剣は騎士の命だ。
それを他人に預けるなどあってはならない。でも、私はもう自棄だった。
将来を約束した婚約者が浮気して離れていって、飲んだくれて。魔法剣にさえ見捨てられたのにまだ私はこの剣に執着しようとしている。
新天地に行くのなら、そんな未練や執着はすっぱりと捨てるべきだ。元婚約者の方は綺麗さっぱり捨てたつもりだ。でも、剣だけはまだだ。
辺境伯は私の意図を汲んでくれたらしい。
丁寧に両手を差し出して剣を受け取ると、柄に手をかけた。
自棄になったつもりだったのに、唾を飲み込んで緊張してしまう。手汗も凄い。
辺境伯はしばらく力を込めて剣を鞘から抜こうとしていたが、全く抜けなかった。
「私は認められなかったらしい」
「辺境伯様ほどの実力者を認めないなんて、ワガママな剣です」
不快な汗をじっとりとかきながら、私は魔法剣を返してもらった。安堵してしまった。彼でも剣を抜けなかったという事実になのか、それとも私がまだこの剣を持っていてもいいと許可を出されたように思えたからなのか分からない。
辺境伯の視線が気になったので、私も一応柄に手をかける。秘書官が緊張したが、私はまだ剣を抜けないということは自分でよく分かっていた。
「抜けませんね」
「そうか。辺境伯領では訓練に参加してまた試してみるといい」
「辺境伯に次の持ち主がいるのかもしれないですね」
「持ち主は君だろう。今はその剣も眠っているだけだ」
剣が眠るとは、銀色の悪魔は詩的な表現をするものだ。
ずっと抜かれずに実家に放られていたのだから、また実家に戻してもいいのかもしれない。私はそんなことも考えられないほど追い詰められていた。この剣を抜く人が現れたら渡さなければいけないとばかり考えていた。
抜けない剣がずっと目の前にあるのはストレスだ。だって、ずっとお前はダメだと突き付けられているのだから。
「娘のフィオナだ」
エインズワース辺境伯領に到着し、銀髪の五歳の女の子を紹介された。
見たこともないほど、いや子供は苦手だからそれほどマジマジとは見たことがないのだが、なかなかお目にかかれない美少女だった。
私が知っているどの子供よりも貴族らしく、大人しく、気品がある。そして大人になったら絶対に美女になるだろうという容姿だ。今だって美少女なのだ。
辺境伯の家系であることを示す銀髪は腰の上まで伸びている。長いまつ毛に彩られた目はこれまた辺境伯と同じブルーだった。
美しい容姿以外で特筆すべき点はただ一つ。
暗い。とんでもなく暗い。五歳なのに表情がない。何か悪いものでも背負っているか、呪いにかけられているのではないかと疑うほど雰囲気が暗い。
やはり、母親を亡くして落ち込んでいるのだろうか。
「ブリュンヒルデ・レーゼンです。よろしくお願いします。長かったらヒルデとお呼びください」
フィオナの目線までしゃがんで挨拶をする。目が一瞬合ったものの虚ろですぐに下を向かれてしまった。
子供にも事情は説明してあると言われているが、大丈夫だろうか。
私があまりの暗さにうろたえていると、フィオナはぷいっと背を向けて走って去ってしまった。侍女と護衛が慌てて小さな背中を追いかける。
「すみません、子供の扱いに慣れておらず」
「いや、誰にでもあんな感じだ。他の者だったら部屋から出てくることもなかっただろう」
そういえば、フィオナは父親である辺境伯を一度も見なかった。
なぜだろうか。お年頃だからだろうか。母親を亡くしたら父親に依存しないのだろうか。
『へぇ、面白いことになっているじゃないか』
「え?」
「どうした?」
「今、何か喋りましたか?」
「喋っていないが」
辺境伯は怪訝な顔をするものの、私はさっきの「おもしれー女」とでも言いたげな声の主を探した。しかし、該当者はいない。辺境伯の声でも秘書官の声でもなかった。
「辺境伯様はお嬢様とよくお話されるのですか? 良ければ、お嬢様の好きなものなど教えていただきたいのですが」
いくらお金のためといっても、自分より弱い者を守るのは騎士の責務だ。あのお嬢様はどう見ても剣や護身術の手ほどきは受けていない。
「私は魔物討伐で忙しく、娘とはほとんど喋らない」
でしょうね。お貴族様で辺境伯様ともなればそうよね。
辺境伯は娘の去った方角を見てから、私に向き直った。
「亡くなった妻は浮気をしていた」
「はい?」
「君だって経験しただろう。騎士ならば遠征で不在が多く配偶者に浮気されやすい」
「あぁ、そうですね……でもお嬢様は辺境伯様そっくり……」
「フィオナは間違いなく私の娘だが、亡くなった妻はフィオナを生んだ後は放置して浮気していた」
いやいや、いきなりそんなお家事情を言われましても。そんな重いことを言われたらまたお酒を飲みたくなってしまう。私が遠征中に浮気されたことも思い出してしまうし。
「ずっと放置していたにもかかわらず、スタンピードで魔物がここまで押し寄せる被害があった時に妻はフィオナを魔物から庇って死んだ」
重すぎる。お嬢様があんなに暗かった意味がよく分かった。
というかそんな重い背景の子供の継母になるって無理じゃない? やっぱりせめて護衛騎士がいいんじゃない?
重すぎる話に私は現実逃避したのだった。
そのため、一瞬で不審な声のことは頭の隅に追いやられてしまった。
次の更新予定
2024年12月12日 21:00
悪魔に選ばれた継母 頼爾 @Raiji
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