悪魔に選ばれた継母

頼爾

第一章 女騎士は継母になる

第1話

「ブリュンヒルデ・レーゼン!」


 私の名前を呼ぶ低い声と、扉を何度も叩く音でズキズキする頭を抱えて目覚めた。昨夜も酒を飲みながらテーブルに突っ伏して眠ってしまったようだ。

 顔を上げると、カーテンの隙間から差し込む光が眩しい。つまりすでに陽は高く登っている。


 規則正しく扉を叩く音は続いている。イスから立ち上がり伸びをしながらズキズキする頭を振って覚醒を促した。こめかみあたりに痛みが集中しただけだった。


「うわ、まさか家賃の催促か……もうそんなに経ったのか」


 足元に転がった酒瓶に足をとられかけたが、すぐに体勢を整える。床にはそこら中に酒瓶が転がっている。

 転がった酒瓶をよけながら、よろよろと扉の前までたどり着いて扉は開けず向こうに話しかけた。


 ここを追い出されては行くところがない。無職で家を借りれるほど世の中甘くない。

 いや、待てよ。大家にしては今日はやけにしつこいな。そもそもこんないい声だったか? そんなに私は長い間家賃を滞納しているのか? 今は何日だ? それさえも分からない。


 規則正しい音はずっと続いている。大家が扉を叩く音はもっと無作法ではなかったか? 二日酔いの頭ではうまく考えられない。


「すまない、家賃は持っていくから夕方まで待って……」


 そう告げかけて、すぐに後ろに飛びのいた。

 突然扉が蹴破られ、私が立っていた場所には鞘に入ったままの剣が振り下ろされている。


「さすがの動きだな」


 謝るわけでもなく、褒めているにしては温度の低い声。剣が振り下ろされた先は床だが、床すれすれで綺麗にピタリと止まっている。あれを受けていたら骨にひびが入っていただろうスピードと重みだった。感覚で分かる。


久しぶりに冷や汗が出た。飲みすぎではなく、戦場で危機一髪を身体能力で何とか回避した後のそれだ。


「失恋して仕事も辞めて飲んだくれていると聞いていたが、勘は鈍っていないようだ。さすが魔法剣の騎士だ」

「……失恋じゃない。婚約破棄だ」

「……それは、失礼した」


 たかが失恋と一緒にされたくなくてムッとして目の前の男に言い返す。


 扉を蹴破って剣を振り下ろし無断でうちに入って来たのは、銀髪の綺麗な若い長身の男だった。もちろん、面識などない。着ている服も持っている剣も高そうだし、どこからどう見ても貴族だ。

 彼の後ろからは使用人らしき人物と護衛騎士も顔を覗かせる。秘書官か侍従のような人物は部屋に漂う酒臭さに瞬時に顔をしかめた。


「それで……あなたがブリュンヒルデ・レーゼンか?」


 銀髪の男はむわっと香っているはずの酒臭さをものともせずに綺麗なブルーの目で真っ直ぐに私を見た。疑問の形はとっているが、確信があるようだ。いや、私を見ているというのは気のせいだった。私の背中の向こうに置かれた剣を見ている。


「そうだが、あなたは一体何の用だ? 扉まで蹴破って私に熱烈に会いに来たようだが」

「その通りだ。私はあなたを雇いに来た」

「ははっ。ご冗談を」


 三カ月前ならその言葉を信じた。

 でも、今の私では全く信じられない。どうして魔法剣も抜けなくなった女騎士を雇う必要がある? 三カ月前に婚約者に裏切られて以来飲んだくれている情けない女騎士を、一体誰が雇うというのか。


「正気か? あぁ、もしかして私の剣目当てか? あれは気難しい。私を殺したとしても、あなたほどの人を持ち主に選ぶかどうか。あれは強いからと次の持ち主を決める剣ではないのでね」


 銀髪の綺麗な男は向こうの剣から私に視線をわずかに戻す。


「魔法剣は魅力的だが、私には私の剣がある」

「そうか。だが、残念ながら今の私では魔法剣が抜けない。私を雇ったらあなたは金を無駄にするだけだ」


 剣が抜けない女騎士なんて必要ないだろう。自分でも笑える。


 魔法剣とは、精霊が宿っているといわれる剣のことだ。魔力がなくても魔法攻撃を繰り出せる。しかし気難しくて持ち主を選ぶ剣で、剣に認められないと鞘から抜くこともできない。どこの勇者の剣だと突っ込みたくなるが、世界中に何十本もあるアイテムだ。


 魔法剣に選ばれた時は嬉しかった。名誉なことだから。

 でも、婚約者に裏切られた後で抜こうとしても抜けなくなっていた。婚約者どころか剣にまで見捨てられたのだ。それ以来、私は酒に溺れた。笑える話だが、まだ認めたくない。


「いや、あなたを雇う。魔法剣が抜けないからといって剣の腕まで鈍ったわけでもないだろう」

「……まぁ、それはそうだが……」


 魔法剣が抜けないだけで、普通の剣ならば問題なく扱える。酒で鈍っていなければ、だが。

 使用人がさっと私に金額の書かれた紙を見せた。


「引っ越し費用も退去費用も滞納している家賃も何もかも払おう。これはあなたの毎月の給金額だ」


 男が壊した扉の請求もしたいが、それよりも気になるのは事前に書かれていただろうその給金の額だ。


「飲んだくれの女騎士には多すぎる」

「あなたには私の五歳の娘を守ってもらいたい」

「お嬢様の専属護衛騎士ということか?」

「そうだが、単なる護衛騎士では娘を守れない。娘には膨大な魔力があるがうまく制御できない」

「魔法に対応できる護衛騎士ということか。それなら適性のある魔法騎士は女性でももっと他にもいるはずだ」

「いや、君だ」


 面識もないのにこうまでして私を指名するのは怪しい。わざわざ乗り込んできたのもとても怪しい。


「旦那様。一番大事なことをお伝えしていません」


 後ろから使用人の男が耐え切れないといったように口を挟む。

 旦那様という言葉に私は驚いた。お坊ちゃまではないのか。旦那様と呼ばれるということは、この銀髪の若い男性はすでに何らかの爵位を継いでいるということだ。


「どのことだ?」

「契約で……継母に……」


 ごにょごにょと喋るのでそこからは聞き取れなかった。銀髪の男は咳払いをしてからこちらに向き直る。


「失礼した。妻は以前魔物に襲われて亡くなったんだ。それ以来五歳の娘は心を閉ざしている」

「それは……何と言えばいいのか」


 二日酔いの無職で飲んだくれに気の利いた返しなど求めてはいけない。でも、私の心は間違いなく痛んだ。魔物の恐ろしさは対峙して私もよく知っているから。


「あなたには私と契約結婚して娘の継母になってもらい、娘を守ってほしい」

「話が飛び過ぎてついていけませんね」

「単なる護衛騎士よりも継母の方が、距離が近くいつでもあの子を守れる」

「いや、それは分かりますが……それならもっと適任が」

「あなたは妻に似ている」


 嫌な予感がして私は数歩後退った。彼の目は間違いなく、私の無造作に伸ばし続けた髪の毛に向いている。


「妻も珍しい緋色の髪だった」

「今すぐ坊主にでもしましょうか」

「いや、髪色以外は似ていない」


 どっちだよ。似ているのか、いないのか。


「妻に少しでも似ている女性なら娘も心を開くのではないかと思っている。今は全く誰にも心を開かない」

「子供もいない私には難しいのではないかと」

「だが、君は金に困っている。家賃も滞納するほどに。婚約者に裏切られて飲んだくれの生活から脱却する第一歩にすればいいんじゃないのか」


 最後は脅しか。脅されるような生活を送っているのは私だが。


「そもそも、あなたは一体誰だろうか」

「あぁ、申し遅れた。レアン・エインズワースだ」


 すぐには反応できなかった。でも、先ほど剣を振り下ろした挙動で納得だ。

 それはエインズワース辺境伯の名前だった。魔物の被害が国内で最も多いエインズワース領の銀色の悪魔。


 私の人生はこれ以上悪くはならないと思っていた。

 でも、人生で最悪な日はいつも無作法に突然やってくるのだ。この日が私の人生で最悪な日になるのかどうか、まだ分からなかった。

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