美味なるブラック・マーケット

ジャック(JTW)

友好的な宇宙人の刺身

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『西暦2057年11月3日、それが何の日か覚えていますか? 記念すべき宇宙人とのファースト・コンタクト記念日です! 太陽系の外からやってきた地球外生命体、惑星マグからやってきたロウ星人! 彼らは……ザザッ……とても友好的で紳士的な種族であり、我々人類と通商条約を結んでくれました……』


 古ぼけたラジオから流れてくるがさがさしたノイズ混じりの音声が、鼓膜を震わせる。異星人とのファースト・コンタクトから、今年で百年が経過した。異星人からもたらされた技術と新物質のおかげで、人類の文化は飛躍的な進化を遂げた。しかし、この『塔郷都とうきょうと』だけは、人類がもっともノスタルジックを感じるSHOWA時代の風情が保たれている。新しい世界についていけず、昔を懐かしむ者たちの集う雑多で汚れた非合理的な都。それが、人類にたった一つ残った人類だけの安住の地なのかもしれない。


『惑星マグではプラスチック製品が大人気! 形が崩れていても削れていても、アンティーク品として買い取ってくれるのです。地球ではプラスチックゴミ問題によって環境汚染が進んでいたところ、ロウ星人の……ガガッ……技術のお陰で海中に紛れ込んでいたマイクロプラスチックの回収もしてくださるという素晴らしいご縁! 我らが良き隣人ロウ星人さまに感謝しま……ガピッ』


 SHOWA時代から残存して、現役で稼働している貴重なラジオ。ノスタルジーがなければ生きていけない我ら『塔郷都』の民にとって、情報源とはもっぱらラジオだった。『塔郷都』の最もシンボリックな存在は、かつてのTOKYOタワーを外見上再現した、古めかしい赤い電波塔。その赤い電波塔がライトアップされてきらめくとき、人類の心はときめくのだ。


「お客さ〜ん、注文は決まりましたかァ〜?」


 私が今いるのは、薄汚れた内装の、『鮮魚店』。

 もちろん、ここは地球の法律に則って考えれば、完全に違法な場所だ。私は、店員から渡されたメニュー表を見て唸った。すべての価格に『時価』と書いてある。鮮魚店の売りは新鮮さである。だからこそ、入荷次第で品物が店頭に並ばない日もあるし、並んだとしても非常に高い支払いをしなければならないこともある。私は唾を飲み込んで手元にある紙幣を確認した。『塔郷都』以外の場所では脳に埋め込んだマイクロチップ支払いが当然であるが、マイクロチップ支払いでは、簡単に取引がバレてしまう。だからこそ、『塔郷都』では独自通貨であるイェン札を発行している。塔郷都のルールはひとつ、。古典的であるが、だからこそ違法行為には最適なのである。


「決まったよ。これを、一つ、お願いします」


 私は、『大人気』と記載してある目玉商品をひとつ注文した。室内だというのにアンティークなサングラスを掛けた店員は、にやりと笑った。


「毎度ありィ〜。ただいま準備いたしますので、少々お待ち下さいねェ〜」

  

 ロウ星人は慈悲深い種族であり、人類が伝統的に行っていた家畜の屠殺、漁業、林業など、生物を著しく傷つける行為に拒絶反応を示した。しかしロウ星人は人類の伝統的な文化に可能な限り寄り添い、ロウ星人基準の倫理観で問題ない範囲の培養肉や代替建材を生成する方法を伝授してくれた。その御蔭で、人類は他の生物を全く傷つけない、平和的で理想的な穏やかな種族へと生まれ変わることができた。利便性に優れ、快適で、環境を汚染しない素晴らしい天国のような生活を送れている。貧富の差も、差別も、暴力も戦争も過去の言葉として忘れ去られているほど、幸福な人生を送れるようになったといえるだろう。

 しかし、その代償として、人類は、かつての人類らしい生活をほとんど失ったのだ。


「おまたせしましたァ〜。海鮮丼ひとつ、お持ちしましたァ〜」


 私が思考を深めている途中に、店員が丼に乗った赤い宝石のようなメニューを差し出してくる。

 賢く慈悲深きロウ星人の施策に間違いなどない。それが現代地球人の一般的な考え方だ。しかし、人類の食欲は、人類の本能は、という答えを示した。その証が、この堕落と退廃とノスタルジーを象徴している都市、『塔郷都』なのである。


 私は、震える手で箸を握り、緊張しながら赤い刺し身をつまみ上げた。培養肉では完全に再現しきれない、天然物の輝きと艶。食欲を刺激するビジュアルに、私は思わず唾を飲み込んだ。


「お客さん、運がいいッスよォ〜。ついさっき、締めたばっかの一品でさァ〜……」


 店員の言葉もそこそこに、私は赤い刺し身を思い切り口に含んだ。噛まなくてもわかる。弾力と脂の濃厚さ。培養物では味わえない、生命を直接口に運んでいる感覚が脳髄を焼き焦がすように暴れている。地球外生命体と邂逅する前の人類は、こんな美味いものを好きなだけ食べていたという。なんという贅沢、なんという至福、なんという快楽。羨ましすぎる。私はおそらく、生まれる時代を間違えたのだ。


 そもそも、我々人類の生き方を、他所からやってきた異星人に決めつけられ、規制されるということがまず間違いであると私は感じていた。こんな考えを『塔郷都』以外で口に出せば、『倫理観がおかしい』と言われて白眼視されるだろう。しかし、この自由の都『塔郷都』では、イェンさえあればすべてが叶う。私が求めるのは、美食。飽食。至高の贅沢品でさえも。手持ちのイェンをすべて使い尽くして購入した赤い刺し身を、ひとくちずつひとくちずつ大切に味わい、コメの甘みも噛み砕く。あっという間に食べ終わってしまった切なさと満足感が体を満たしていく。器を店員に差し出すと、入れ墨を入れた店員はがっしりとした腕で受け取ってくれた。


「毎度ありィ〜、ありがとうございやした〜」


 店員がにへらと笑いながら不格好な愛想を振りまく。私は軽く手を上げて店員に挨拶を返しながら、満腹になった腹を抱えて満面の笑顔で『鮮魚店』をあとにした。


「さて……今日も、労働を頑張ろう」

 

 『塔郷都』では、労働という概念がある。すべてがノスタルジックなこの都では、敢えて自動化されていない仕組みが多くある。だからこそ、指定された業務内容をこなすことでイェンという対価が手に入る。イェンさえあれば、すべてが叶う。たとえば、『塔郷都』以外の場所で、極刑に処されるような望みであったとしても。

 

 賢く慈悲深き惑星の星人は、醤油につけて食べると、とてもとても美味かった。

 これはただ、ただそれだけの話なのである。

 

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