深海のソウシャ

でめきん

深海のソウシャ

『かつて人間は地上と呼ばれる海の外で生活していました。しかし、突然海面が上昇し人間は地上での生活が出来なくなっていきました。そこで私たちの祖先は生き残るために海の中で生活することを決めたのです』

 ただ教科書の文をそのまま読む先生の声にうつらうつらしていると隣の席のやつに小突かれた。

「ハヤテ、次当てられるだろうから起きとけ」

「別に寝てないんだけど……で、どこ聞かれんの?」

「『遺伝子操作』って答えときゃ大丈夫」

「じゃあここの答えを……出席番号十七の人」

「まじで当たったし……えっと、遺伝子操作」

「正解です。私たちの祖先は海でも生きられるように、すでに海で生きていた魚の遺伝子の一部を引き継いだんでしたね」

 俺たちの祖先はよくそんな決断をしたものだといつも思う。俺が選ぶ立場だったらそんなの怖くてできなかっただろう。歴史の内容は面白いが、これ以上深堀もされなければ何も発展しない。ここ百年ほどの話だからしょうがないのかもしれないが、何回も同じ話をされるとさすがに飽きてくる。右から左へと聞き流し続けていると授業終了を知らせる音が教室に響いた。

「じゃあ皆さん、まっすぐ家に帰るんですよ。最近この付近でサメに襲われる事件が発生してますからね」

 大きく伸びをして席を立つと女子がひそひそと話す声が聞こえてきた。決して盗み聞きしたわけじゃない。本当に聞こえただけ。クラスで一番可愛いベタ属の子がいたからとか、そういうのじゃない。

「あれ、隣のクラスの子も聞いたって言ってたよ、やっぱ幽霊かな?」

「絶対空耳だって! 幽霊なんているわけないよ」

「でも大人も言ってたよ。深海の方から音が聞こえてくるって」

 ただ深海に住んでるやつらの声だろと言いたくなるがグッとこらえる。この世界で深海の住人『影の者』を庇うと白い目で見られるのだから。

 俺たちは基本、水深が深くない場所で生活している。深さによっては海面が光でゆらゆらと輝いてきれいなのだが、深海に住む人たちはそれを一生見ることが出来ないと言われている。俺たちと影の者の居住区に廃材やら貝殻などのゴミで壁が出来てしまっているのが原因だ。壁の向こうにろくなやつはいないと小さいころから聞かされている。どこの家のやつも親から、ましては先生からも言われるのだ。彼らは罪人の子孫で、汚れた血筋なのだと。

「深海から音、ねぇ」

「なんだ。ハヤテもあの噂知ってんの? 興味なさそうなのに」

「さっき知った。壁の近くで生活してるやつでもいんのかな」

「あんなゴミの近くで? ないだろ」

「でもここ最近ずっと聞こえるって言われてるよな。おれの姉ちゃんも夜に聞こえたって言ってた」

 特に楽しみもない俺たちの唯一の娯楽は噂話くらい。全員すっかり謎の声に夢中だ。暫く盛り上がっていると一人がついに声の正体を暴こうと言い出した。

「聞いたって言う人は皆隣の海域近くで聞いたって言ってたらしいんだよ。おれらも本当か確かめに行こうぜ!」

「夜にあそこまで行くのかよ。家近いやつらはいいけど、俺遠いし嫌なんだけど」

「ハヤテのその速く泳げる運動能力は何のためにあるんだよ」

「少なくともこのためではねぇよ! それに親にバレたら絶対怒られるし……」

「バレないように来いって! とにかく今夜、隣の海域の手前に集合な!」

「勝手に決めんなよお前ら! って、もう帰りやがった……」

 俺やあいつらは泳ぎが速い遺伝子を持っているとはいえ、視界の悪い夜は元々生息していた魚たちには劣るから暗くなってきたら基本誰も家から出ない。もし出て、何かあってもそいつが悪いって言われる。なんて頭では理解していても、好奇心の方が上だ。口ではああ言っても俺も声の正体が気になる。深海で生きる人に会ってみたい。

結局家族にバレないよう準備を済ませ、家の窓からこっそりと泳いで抜け出す。母さんたちは眠っていたし気付いていないはずだ。帰る途中に買ったチョウチンアンコウのランプで周囲を照らしながら急いで集合場所へと向かう。すでに俺以外は集まっており、壁際で耳を澄ませていた。

「よっ、俺が来るまでに聞こえたか?」

「いやまだだ。でも噂が本当なら今日も聞こえるはずだろ」

「だといいな。でも俺は数分しても聞こえなかったら帰るぞ」

「つれないこと言うなよ。明日は休みだろ?」

「そうだけど父さん仕事早いから……って、何か聞こえない?」

 噂の音かとその場で動きを止める。全員呼吸すら許さないといった雰囲気で壁の方向に注意を払うが、音はどうも横方向、隣の海域からしている気がする。

「全員逃げろ!」

 咄嗟に大声を出すとバラバラの方向へと散る。海の中では危険を感じたらすぐさま散るようにと避難訓練でさんざん言われている。暗いから姿は確認できなかったが、もし俺たちを襲う魚だったら追いつかれた時対抗するすべがない。僅かな明かりを頼りに来た道を引き返していると何かがこちらへと向かって泳いでいる気配を感じた。こんなランプごときで姿を確認しようものならその間に食われて終わりだ。怖くなって下の方向、大量に浮いているゴミの隙間を縫うようにして泳ぐ。水深が変われば追っては来れまいと踏んだのだが、どうやら判断は正しかったらしい。ゴミの隙間から黒い影がうごめいているのが見えた。このまま少し離れたところで壁の外に出れば生き残れる。助かるかもしれない安心感から体を休ませていると逃げてきた方向から不思議な音が聞こえた。話し声とは違う、聞いたことのない音。きっとこれが噂の音。引き寄せられるように泳いでいくと音が段々近づいてきた。幽霊だなんだと言われていたが、俺には安心できる、落ち着いた音にしか聞こえなかった。数分ほど泳ぎ続けて、ようやく音の出所らしき場所に着いた。ゴツゴツしたこの岩の中から聞こえてくる。洞窟のようになっていると予想して穴を手探りで探していると岩に触れていたはずの手が空ぶった。きっと今触ろうとした場所が空洞になっているのだ。そこへ体を入れ込むと正面に人がいる気配がした。

「なあ、何してんの?」

「……!」

 ランプで照らすとぼんやりと人の姿が浮かび上がる。何かを持っているのがかろうじて分かるくらいで性別もどの遺伝子を引き継いでいるのかも分からない。近付いてよく見ようと泳ぐも、体に違和感を覚えた。いつも通り泳げていない気がする。それに呼吸がしづらく苦しい。

「アンタ、もしかして壁の向こう側のやつ?」

「そうだけど……」

「さっさと帰りな。そのままだと死ぬよ」

 声を聞く限り目の前にいる人は女の子だろう。ぶっきらぼうな言い方だが、こちらを気にしてくれる優しさが伝わってくる。もっと話したいが、これ以上ここにいれば彼女の言う通り俺の命が危ない。授業で聞いてはいたが、大して厚くない壁でも越えれば水圧が全然違う。こうして普段の動きが鈍くなるくらいには。

「……チッ、目の前でくたばられても困る。手出して」

 大人しく手を出すとひったくるかのように俺の手を取りスイスイと上へ泳ぎだす。ランプがなくてもここまで速く泳げるのは身体能力の差か。深海の人たちは皆暗闇でも目が利くと言われているし。手を引く後ろ姿はどれだけ明かりで見ようとしも俺の視力じゃ無理で、何度も目を凝らしているといつの間にか壁のすぐ目の前まで来ていた。

「帰れ。二度と来るんじゃないぞ」

「助けてくれてありがとう。俺ハヤテって言うんだけどそっちは?」

「二度と来るなって今言った」

「ダメか? 俺、深海に興味あるんだよ。どんな人がいて、どんな場所があるか」

「ヘぇ、罪人の子孫たちに興味がある? そりゃあるだろうね。上の海域でいい話題になるだろうさ」

「違う! そういうのじゃなくて……」

「違わない。二度とその面見せるな」

 不機嫌そうに闇へ溶け込んでいく彼女を引き留めるすべはなく、ひとまず元の海域へと顔を出す。少し前の出来事が幻のように静まり返った海を見ていると全部夢だったように思えてくる。振り返っても真っ暗な深海で彼女の姿は確認できない。戻って追いかけようかと悩んでいるとゆらりと影がうごめいた。自分の影じゃない。俺の影はこんなに大きくない。脳が逃げろと警鐘を鳴らす。しかし、この距離ではとてもじゃないが逃げきれないだろう。恐る恐る影の正体を確認すると、そこには白い尖った歯をちらつかせているサメがいた。

「う、そだろ……」

 追ってくるわけでも食べようとするわけでもなく、ただ品定めするかのようにじっと見つめられる。頭の中は冷静で、どうしたらいいか考えはするが体が動かせそうになかった。さっき深海にいたせいかまだ本調子じゃない。なんでこうも夜の海は危険なんだ。この短時間で色々起こりすぎだ。このままじゃ間違いなく死んでしまう。まだ死にたくない。何よりあの子にまだ謝れていない。

「なァ、お前今そこから出てきたよな?」

「……え? 喋って……」

「そこらのサメじゃねェよ。オレはお前たちとおんなじで人間の血が入ってんの。何? 死ぬかと思った? かわいいガキだなァ」

 目を凝らすとサメだと思っていたものの口の中に何かある。持っていたランプで照らすと二つの目が見えた。

「おわッ、まぶしいじゃねえか!」

「あ、ご、ごめんなさい」

「ったく、素直そうなのになァんで深海に行っちゃったかねェ。ママやパパに聞かされなかったのか? 罪人まみれのやばァいとこだってさ」

「……でも深海にいる人が本当にそうだって実際に見たわけじゃないし」

「へェ……で、お前はそんな良いやつそうなのにあいつを怒らせたと」

 怒られている瞬間も見られていたと分かり、なんだか恥ずかしくなってきた。愉快そうに笑いながら話すこのサメなのか何なのか分からないやつに若干苛立ちすら覚え始めていると、でかいヒレで背中をたたかれた。

「お前、深海に興味はあるか?」

「答える必要ある? 俺もう帰っていい?」

「おいキレんなって! いいから答えろよ。興味はあんの?」

 質問の意図は分からないが答えるまで帰さないという圧を感じる。

「あるよ。それと……」

「それと?」

「あの子に謝りたい」

「ふぅん……面見せるなって言われたのに?」

「どっから聞いてんだよ!」

「いやァ、情報やらなにやら集めるのが好きなもんで。まあ、からかって悪かったよ。お詫びにこれやるよ」

 謎のサメの口から吐き出されるようにして渡されたそれは不思議な形をしていて、用途もよく分からなかった。ガラクタじゃないかと言おうとしたら手からひったくられて無理やり顔に着けられた。

「おッ、サイズ合ってんな。似合ってる似合ってる」

「なんだよこれ! 前見にくいし!」

「もう今日は遅いから帰んな。そんで明日の夜それ持ってまた来い」

「なんで俺が……てかもうちょっと説明してくれない?」

「自分で考えな。あばよ」

「あっ、ちょっと!」

 言うや否や謎のサメは壁の向こうへと消えていった。結局疑問だけが残り、ふらふらと泳いで帰る。そして帰りながら気づいた。当たり前のように深海に戻っていたが、あいつは俺の上から来た。影の者も俺たちと同じく水圧が合わないはずなのに平然としていた。少し深海にいただけで身体能力が落ちるはずなのに平気そうなのはどうしてだろう。あの変なサメに何かしら加工がされているとか、そのくらいしか思いつかない。俺が渡されたこのガラクタみたいなやつも、水圧を気にせず泳げるものだったりするのだろうか。

「明日、深海に……!」

 いつもみたいに深海でも泳げるかもしれない、深海の世界を知れるかもしれない。そんな期待がどんどん膨らんで、家に帰っても眠れそうになかった。


 暇だったはずの休日が一気に心躍るものになった。海が闇に包まれるまでは暇で仕方なかったが、薄暗くなってからはずっとそわそわしていた。またこっそり家を抜け出して、昨日と変わらないくらいの時間に壁の近くへと行く。静まり返っている世界に一人でいるとだんだん不安になってくる。

「……あのサメ野郎いつになったら来るんだよ!」

 呼んだ本人がいつまでたっても来ない。まさかゴミを押し付けられただけでからかわれたのか。ぶくぶくと泡を出しながら待っているとまた上から影が落ちた。

「おい! いつまで待たせて……」

 見上げた先にいたのは昨日と違うサメ。遺伝子操作を受けた人じゃない。元々海にいた魚だ。こいつは情け無用で俺を食べにかかってくるだろう。口の周りについた血が生臭い。バレないように壁の向こうへとゆっくり移動する。しかし、逃がさないとばかりにこちらを見たかと思えば、猛スピードで突進してくる。

「やばっ、死ぬ……!」

 ゴミも気にせず口を開いて襲ってきたサメに死を感じたが、何故か口の中ではなく海の奥へと吸い込まれていった。気が付くとぶよぶよの何かが体に絡みついている。サメも追いかけてくるが、下へと引きずる力が早すぎる。あのサメ野郎にもらったガラクタを急いで着けながら上を見上げるが、もう何も見えなくなっていた。どこを見ても黒、黒、黒。絡みついたぶよぶよしたこれがギリギリ見えるかどうかほどの暗さ。徐々に引っ張るスピードが遅くなり、うっすらとした光が見えてきた。

「なんだあれ……なあ、あそこって居住区?」

「…………」

「あ、お礼がまだだった。助けてくれてありがとう」

「…………」

「名前は? 俺はハヤテ、好きに呼んで」

「…………」

「……無視?」

 黙りこくったままどこかへ連れていかれる。もうどのくらい泳いでいるのかも分からない。遠くに見えていた光がだんだん近づいてきたかと思えば、体に絡みついていたぶよぶよに力が込められた。

「ぐえっ! ちょっと、痛いんだけど!」

 こちらの文句も一切聞かず、力を入れたかと思えば光の方向へと体を投げられる。

「うわぁ!」

 ヒレを使って泳ごうにも、投げた力が強くて泳ぎたい方向に進んでくれない。ぐるぐると回転する体に気持ち悪さを感じていると俺たちの海域では見られない光景が目に飛び込んできた。

「す、すげぇ……ここが、深海のやつらの家?」

 赤、青、緑……様々な色の何かがギラギラと輝いている。怪しさがすごいがそれ以上に「もっと見たい」と好奇心が勝った。ずっと気になっていた場所に来られた興奮からスピードを速めて泳ぐ。教科書でしか見なかった船が目の前に存在していたり、全く知らないものがあったり、求めていたものが全て深海にあったように思えた。俺たちが住む海域より楽しいものがここにはたくさん沈んでいる。もっと先へと泳いでいると刺さるような視線を感じた。泳ぐのをやめて辺りを見渡す。特に何もなく、気のせいかと思ったがよくよく考えるとなんだかおかしい。ここが深海のやつらの住む場所だとすれば、他に人がいないなんて変だ。泳いでいる間、誰ともすれ違っていないし姿も見ていない。誰かいないのかと後ろを振り返ると鋭い歯が眼前にあった。

「えっ」

 これだけ近くにいるのに殺意を感じなかった。恐怖心を感じる時間すら与えられない。罪人の血が混ざっていると聞いていたから、上の海域より危険は感じやすいと思っていたのに。

「だー! ちょちょちょ! ストップストップ!」

 噛まれる直前、聞いたことある声が背後から響き、複数本の腕で顔を隠される。姿は見えないが、謎のサメ野郎だとすぐに分かった。

「オレの知り合いなんだよねェ。だから食べないでやってくんね?」

「ヤモリ、テメェがあいつらの海域に行くことは構わねえ。ただ、このガキをこっちに連れてくるのは違うんじゃねえか?」

「いやァ、オレもそう思ったよ?でもこのガキがどうしても謝りたいやつがいるってもんだからさ」

「謝るだぁ? 誰に? つーかなんでこいつは俺らの誰かと関わりがあるんだ」

「確かに……なあガキ、お前なんで昨日深海から出てきたんだ?」

 顔を鬱陶しく這う手はそのままに、謎のサメ野郎が問いかけてくる。口元だけ手が離れたので小さく深呼吸してから真実を答える。

「し、深海から謎の音が聞こえるって噂があって、友達に確認しに行こうって巻き込まれたんだ。そうしたら壁の向こうじゃないところから音が聞こえて、なんか危ない気がして逃げて……」

「それでこっちに来たってかァ?」

「壁際にいただけだよ。でも隠れてるとき本当に音が聞こえて……」

「音ってお前さっきから何のこと言ってんだ? 嘘ついてんじゃねえだろうな」

「嘘じゃない! ほんとだって!」

「ビビらせんなッて! ほら、あいつの楽器の音だろ!」

「楽器って……ああ、あいつか。あいつはあいつでなーんで壁際に行くんだか。お前たち変人の考えることは分かんねえな」

「そんな褒めんなよォ……照れるじゃん?」

「黙れ。おいガキ、謝ったらさっさとこの海域から失せろ。いいな」

 そう言い捨てると目の前から人の気配が遠退いていった。数秒後に顔を覆っていた腕が離れ、振り返るとそこには知らない男がいた。

「間に合って良かったわ。ナイスタイミングだったろ?」

「お前……」

「ヤッホー。昨日ぶりだな」

「ヤッホーじゃない! お前昨日のサメ野郎だよな! 聞きたいことが山ほどあるんだけど!」

「落ち着けって! あとオレは見てお分かりの通りサメじゃねえ。すっげーキュートなヤドカリだっつーの」

「……ツッコむのも面倒になってきた」

「ノリ悪ィな……まあいいや。さっきあいつも呼んでたけどオレはヤモリって名前だ。よろしくな」

「……ハヤテだ」

「ふぅん……ハヤテか。上の海域ってすぐ分かる名前だな」

 ヤモリの言葉に棘を感じた気がしたが、それよりも優先的に聞きたいことがある。不満だと分かりやすく態度に出していると宥めるように頭を撫でられる。

「泳ぎながら話すぞ。オレから離れんなよ」

 複数の腕で器用に移動するヤモリの後ろにぴったりつく。ヤドカリの遺伝子を持っているやつは初めて見た。どうしてヤモリの祖先はヤドカリの遺伝子を受け継ぐと決めたんだろう。

「さて、まあ迎えにいけなくて悪かったな。こんな見た目だし泳ぎにくいもんで」

「俺たちの海域に来てたのに?」

「あそこまでさーって泳いでいけるようにちょちょいと発明したんだよ。まあ毎日は使えないけど。だからダチに迎え行ってもらったの。いかしたタコが迎えに来たろ?」

 イカなのかタコなのかややこしい言い方をしないでもらいたいが、いちいち口を挟んでいたら朝になりそうだ。日の当たらないここは朝かどうかも判断できないけど。

「まあ良い経験になっただろ? 深海に住むオレらがどんなやつらか身をもって体験できたことだし! あいつは普段あそこまで凶暴じゃねえけどなァ」

「信じられないんだけど」

「オレたちはさァ、すげー繊細で敏感なの。何考えてるかなんて大体予想がつく。お前、食われると思った瞬間何考えてた?」

「何も。恐怖を感じる暇もなかったよ」

「罪人の子孫だから分かりやすく悪いやつらだとか思わなかったか?」

「…………」

「ま、実際そうだし否定は出来ねェよ。ただ、オレみたいに良いやつもいるっしょ? あいつだって面白れェ野郎だしな」

 ヤモリに言われるまで自覚できなかった。本当のことなんて知らないのにと大人に対して思っていたが、無意識のうちに自分も同じように考えていたらしい。そりゃああの子だっていい気はしないだろう。俺が思っている以上にあの子を傷つけてしまったかもしれない。そう考えると余計にどう謝ったらいいかなんて思いつきもしない。

「ほら、もう着くぞ」

「ねえ、ここどこなの?」

「ん? あいつに謝りたいんだろ? あいつのいるとこだけど」

「た、タイム! まだ心の準備が……」

「おーいサン出て来い。オレが来たぞォ」

 こいつに人の心はないのか。制止する声も無視してあの子の名前を呼ぶ。全身の血が勢いよく流れているような気がした。

「うっさいな……何の用?」

「もうちょっと近付いてやってくれ。多分、こいつの視力じゃ暗くて顔が見えてねェよ」

「こいつ?」

 ぬるりと近付いてきた彼女の姿をようやく見ることができた。ふわふわと揺れる髪の毛は一部がぴょこんと跳ねている。それ以外は俺たちと同じに見えたが、目が合った時、黒目が長方形の形をしていることに気が付いた。多分、この子もタコの遺伝子を持っているんだろう。

「何このマスク……ヤモリ、また変なの作ったの?」

「深海でも呼吸できるようにな。まあ、こいつの体にゃ水圧自体がきついだろうからボディの方も今から持ってくるよ。てなわけで、話し相手にでもなっててくれ」

「深海でも? まさか……待てヤモリ!」

 さっさと退散してしまったヤモリのせいでここにいるのは俺とこの子だけ。ちゃんと顔を見せて話したいが、やろうものなら俺が死ぬ。盛大にため息をつくと彼女の手が俺の首にかけられた。

「ヤモリはどういうつもりでアンタを連れてきたんだか……いい? 話し相手にはならない。さっさと帰って」

「ぐっ……い、いやだ」

「アタシ、力には自信があるんだ」

 透き通るようなきれいな声なのにやっていることは物騒すぎる。しかしここで引いたら折角ヤモリがくれたチャンスが全て無駄になる。力に自信があると言いながらも、手に力を加えられないのはやはり彼女が優しいからだろう。

「昨日のこと、謝りたくて……嫌な思いさせてごめんなさい」

「へぇ? 嫌な思いって? 何のことについて言ってるの?」

「初対面のやつから、しかも海域の違うやつに興味があるなんて言われても良い内容には聞こえなかったよなって……」

「その面、見せるなって言ったのに何で来たの」

「どれだけ嫌われててもこれだけはちゃんと言いたかったし……マスクしてるから顔は見せてないことにならないかな?」

 思わず屁理屈を言ってしまうが、予想外にもウケたのか首を絞めようとしていた手を離してもらえた。堪えているつもりだろうがかわいい笑い声が漏れている。

「狂ってるんじゃない? それだけのためにここまで来るなんて。上のやつってみんなハヤテみたいなのばっか?」

「え、なんで名前……」

「昨日アンタが名乗ったんでしょうが」

「おーいハヤテ、サン。待たせたな……って、なんだァ? 仲直りできたどころか仲良くなった?」

 戻ってきたヤモリが俺たちの間に割り込んでくる。その手にはこれまた変なものが握られていた。ヤモリ曰く、深海の水圧にも体が対応できるように作られたスーツらしい。正直一ミリも理解できなかったが、マスクの性能を知っているので大人しく着ることにした。心なしか、確かに楽な気はする。

「それと、ほらこれ。ライトもくれてやるよ。これがあれば暗い中も前が見えるだろ。あんなチョウチンアンコウのランプよりもずっと先が見れるぜ」

「ありがとうヤモリ」

「いやいや、久しぶりに面白れェおもちゃ……じゃなかった。話し相手を見つけたんだ。また来て欲しいしな。なァサン?」

「危ないから来ないほうがいいとは思うけどね」

 ヤモリの言葉にはいちいち反応しないほうがいいと、ここに来るまでに学んだので聞かなかったことにする。危ないと注意はされるも、絶対来るなと言われていないし、また遊びに来ても追い返されはしないだろう。新しくできた友達が嬉しくてついにやけてしまうが、マスクのおかげでバレていないはず。

「んじゃ、そろそろハヤテは帰んな。もう日が昇るころだと思うぞ」

「え、嘘! てかなんで分かんの?」

「なんとなくだよ。ほら、アタシが送ってあげる」

「ヒュウ、サンちゃんやっさしィ」

「ヤモリ、あとで絞める」

「冗談だって! じゃあなハヤテ、サンは強いから安心しろよ」

 昨日のようにサンが手を握って俺を上へと引っ張る。力が強いのは本当のようで、握られた場所がほんの少しだけ痛い。これまで味わった恐怖と比べれば些細なことだけど。黙って泳ぎ続けるサンに何か話しかけてもいいかと考えていると、まさかの向こうから話しかけてきた。

「ハヤテ、アンタは何の遺伝子をもらったの」

「俺? トビウオだよ。サンは……タコであってる?」

「細かく言うとメンダコ。深海で暮らしてて思うけど、なんで深海の魚ってあんな見た目が変なのかな」

「うーん、俺見たことないからなぁ。サンとかヤモリの見た目は別に変だと思わないしどんな魚なのか想像できないな」

「……変じゃないって本気で言ってる? 絶対アンタたちの海域のやつとは見た目が違うでしょ」

「まあそうだけど、変ではないと思うよ?」

「ま、別に気にしないからどっちでもいいけどさ」

「むしろ変なのは祖先じゃない? こんな遺伝子操作まで思いつくなんて普通じゃないよ」

「へー、ハヤテも同じような考えの持ち主だったか」

 誰も触れないから話したのはこれが初めてだが、どうして祖先は魚の遺伝子を引き継ごうなんて考えを思いついたのだか。冷静に考えて他の生き物の遺伝子を引き継ぐなんてありえない。今こうして俺たちは生きているけど、成功するまでの過程に何があったか教えられていない。この百年間ほどの出来事なのに、伝わり損ねた話なんてあるのだろうか。

「正気とは思えないよね。実験くらい自分たちの体でやれって思わない?」

「実験?」

「うん。遺伝子操作の実験」

「待って、サンは知ってるの? 俺たちが海で暮らせるまでにあったことを」

「何言ってんの。アンタたちは学校ってのがあるんでしょ? そういうの習うんじゃないの?」

「いや、そういうのは誰も教えてくれなくて……」

 彼女たちは知っているのに俺たちが知らない祖先のこと。それに実験という言葉。当たってほしくないのにそれ以外の答えが考えられない。

「……本当に知らないんだ」

「いや、あの……」

「ハヤテが悪いわけじゃないでしょ。この話やめる? それとも聞きたい?」

「……深海の人たちが、最初に遺伝子を引き継いだの?」

「そうだよ。最初は深海で生きようとしたんだろうね。当時の罪人は深海魚の遺伝子を。特に問題なしと分かってからは浅い海域の魚にしたらしいけどね。まあ、アタシたちみたいに見た目に影響が出るからやめたのか、同じところに住みたくなかったのかは知らないけど」

 ヤモリの腕の本数が多いのも、サンの目が長方形なのも、最初の頃に遺伝子を引き継いだ影響なのか。サンはこう言ってるけど、見た目の違いは当時罪人かそうでないかを区別するための目印だったんじゃないかと思えてきた。その血を引き継ぐ罪のない子どもたちの影響も考えずに。

「最初に引き継いだやつらは、なかなか遺伝子が馴染まなくてすぐに死んじゃってたみたいだね。アタシたちくらいからじゃない? 遺伝子が完璧に引き継がれだした世代って」

「都合が悪くて俺たちには教えられてなかったのかな」

「だと思うよ。だからこのことは他のやつらには黙ってな」

「黙ってていいの? 事実を隠されているのに」

「だって誰が信じるの。アタシたちは何もしてないとはいえ、罪人の子孫たち。大半のやつは聞く耳すら持たないよ」

 反論したくても言葉に重みがない。影の者と呼ぶあいつらの考え方を知っているせいで否定しきれない。怖い思いはしたけど、全員が全員そうでないことは知ったし、上の海域に罪人といわれるようなやつが全くいないかと聞かれたらきっと違うのに。

「ハヤテ。別にさ、全員に理解されなくていいと思わない?」

「でもっ!」

「同じ海域だからって全員が互いのこと理解してるわけじゃないでしょ。理解されなくてもさ、アンタみたいに良さそうなやつに会えたらラッキーくらいでいいじゃん」

 さんざん冷たく扱われてきたからか、サンは折れちゃいけない部分のほとんどを諦めてしまっている気がする。全員が理解しなくても、正しい情報は伝えていくべきなのに。そう強く思ったところでガキの俺に出来ることなんて何もないのかもしれないけど。

「ほら、壁まで着いたよ。っと、眩しいと思ったらもう日が昇ってきてるのかー。さっさと帰りなよ」

「ねえサン。また深海に行ってもいい?」

「そのためにヤモリはその変な道具をアンタにあげたんじゃない? 好きにしなよ」

「……! ありがとう!」

「あ、やっぱ待って。来るのは次の日が休みの時だけね」

「……子ども扱いしてる? ちゃんと起きて学校行けるし、そもそも同じような授業ばっかで聞く必要なんて……」

「そういうところが子どもなんでしょ。今だって眠そうだし。じゃあな、アタシも帰って寝たいし」

 壁の向こうへと押しやられ、ずっと着けていたマスクを取る。何度も怖い目にあった上に自分の海域に戻ってこられたからか、ドッと疲れが襲い掛かってくる。

「ばいばいサン。あのさ、ヤモリと謎のタコの人にもお礼伝えてくれない?」

「タコ? どのタコか分かんないんだけど」

「すっごい無口な人」

「ああ。オッケー。伝えとく」

 簡単に返事をするとUターンしてゆっくりと深くに泳いでいくサン。夜とは違ってサンが泳ぐ背中が遠退いていくのが見えた。もし同じ海域だったら、同じ学校に通って一緒に帰ったり遊んだり、気軽にできたのだろうか。白い光が海面から差し込んでくるのが少し辛く、眠い目を雑に擦る。疲れた体に活を入れて早く泳いで帰らなくては。親にバレたときに面倒だし、何よりあと数時間後には学校だ。夢のような時間は終わりを告げ、いつもと変わらない日常に戻っていく。朝日が差し込む通い慣れたルートを泳ぎながら思い返すのは暗く、怪しく輝いていた深海の世界だった。


 賑やかな教室内の声が頭に響く。寝不足の体には罰ゲームのように感じられ、寝るに寝れなかった。あの日一緒に行った友達は全員生きていたらしく、武勇伝のように周りのやつに話していた。きっと聞いてほしい相手は意中の女の子だろう。分かりやすく女子の方ばかり見ていた。

「なあハヤテ! お前はあの時どこに逃げたんだ?」

「ハヤテだけ合流できなかったもんな。お前もしかして一人で帰った?」

「……壁の向こう側に行って身を潜めてたよ。で、そのまま帰った」

 本当は音の正体を探しに行ったが、その話をすれば良くない方向に進んでしまいそうで黙ることにした。ただ、壁の向こう側というだけで注目の的になることを完全に失念していた。驚きの声が響き、耳がキーンとした。

「壁の向こう側って影の者がいるんでしょ? 大丈夫だったの?」

「大丈夫って何が?」

「襲われたりとか……だって罪人の集まりじゃない」

 少し前まで可愛いと思っていたベタ属の子が話しかけてきたが、そんな感情は深海に行ったときにどうやら置いてきたらしい。かわいいと思うどころか、その言葉に激しく苛立ちを覚える。反発したところで不利なのはこっちだ。ゆっくりと深呼吸して心を落ち着かせる。

「何もなかった。それに罪人って言っても祖先の話だろ? 今深海にいるやつら関係なくね?」

 このくらいなら言っても問題にならないだろう。悲しいことにこの程度では差別は無くならないようだが。

「そうは言ってもやっぱり怖いよね」

「……そう? ビビりすぎじゃない?」

「だって考えてみろよハヤテ。俺たちが祖先から遺伝子を引き継いでるのと同じで、そういう部分を引き継いでる可能性なんて十分あるだろ」

 偏見だと怒れたらどれだけ良かっただろう。一昨日から深海に住む彼らを悪意があったわけではないが傷付けてしまっていた自分に糾弾する資格はない。せいぜい出来ることは睨みつけるくらいだが、寝不足の俺が睨んだところで眠そうにしか見えないだろう。

「……元々罪人って呼ばれてた人の中には改心したやつだっているだろうし、ただ血が同じってだけで苦しんでるやつだっているかもしれねえだろ。そんなこと言うな。先生にチクるぞ」

「何イラついてるんだよ。仮にそうだとしても深海に生まれなくて良かったって俺は思うぜ」

 俺の中で何かが切れる音がした。海の中では感じないような温度が内側から広がっていく感覚に冷静さを欠いた。きっと授業で教えられた「熱い」って言葉は今のこの感覚を指すのだろう。サンのあの話を聞いて冷静でいられるわけがなかった。目の前でへらへらと笑う友達だと思っていたやつの腕を力いっぱい握る。

「それ以上言ってみろ! その喉咬みちぎるぞ!」

「痛ッ! おいハヤテッ! 捕食者の遺伝子をもらってる俺に勝てると思うなよ!」

「お前ら止めろって! おい誰か先生呼んで来い!」

 掴み返された腕に爪が刺さって血が出る。この世界で怪我をすれば襲われる可能性が上がるが、そんなことも忘れてこいつに牙を向ける。結局、クラスの男子が必死になって先生が来るまで止めたので俺もあいつもそれ以上の怪我をすることはなかったが、俺は暫く自宅謹慎するように言い渡された。俺だけが悪いわけじゃないのに、あいつはお咎めなしだ。こんな場所干上がってしまえばいいのに。深海の世界の綺麗さも、良いやつらがいることも知らないまま後悔したらいいのに。不満を脳内で垂れ流しながら、ふとサンとの約束を思い出す。翌日が休みの日以外は深海に来ないように言われたけど、自宅謹慎だから今日は行っても注意されないはずだ。そう気づいた瞬間から怒りが半分ほど軽減された。今夜、サンたちに会いに行ける。

 家に帰ると今度は先生から話を聞いた親に叱られた。同じ内容だろうと聞き流そうとしたが、親は手を出そうとしたこと以外特に何も言わなかった。先生が言わなかっただけかもしれないが、家族からも深海の彼らに対して冷たいことを言われなくて良かったとホッとした。家で大人しくしていろという言葉だけは聞けないけど。その後はいつもと変わらず夕飯を食べておやすみなさいとあいさつを交わす。そこから先は非日常空間へ行く夢の時間だ。ヤモリからもらった道具を着けて一気に泳ぐ。脱いでいた方が速いけど、壁の近くでもたもた着ているところを誰かに見られたら面倒だ。それに、少しだけこの道具を着けた状態でも早く泳げるようになってきた気がする。壁まで来たらゴミを軽く避けて一気に潜る。昨日帰るときに確認した行き方は当然のごとく目視で確認できないので感覚だけで進んでいく。暫く泳ぐと途中でずれてしまったのか予想より左側に深海の光が見えた。大幅にずれるとたどり着けないなんて、今更だがなぜこんな賭けのようになっているんだ。今度道しるべになるものでも用意して帰るときにでも置いていこうか。カラフルに光る深海に着き、ヒレを休めていると聞き覚えのある声がした。

「おうハヤテ! サンとの約束はもう破ったのかァ?」

「ヤモリか……違うよ。自宅謹慎になったから来たの。次の日が休みなら来ていいって言われたもんね」

「へェ……お前意外と悪いやつだなァ? 何やらかしたんだよ」

「ムカつくやつがいて喉咬むぞって脅したら怒られた」

「フハッ! 最高だな」

 大きな手で雑に頭を撫でられると髪型がサンゴ礁のようになってしまった。押さえつけて直しているとクスクスと楽しそうな笑い声が頭上から聞こえた。この声はサンだ。

「愉快な髪だったのに」

「いつからいたの?」

「ずっとヤモリと一緒にいたんだけど」

「最初からじゃん……声かけてよ」

 上の方から泳いできたサンの手には俺が持っているようなマスクが握られていた。サンは何回かあった中で一番楽しそうな表情を見せていて、もしかしてと思い聞いてみる。

「それ、ヤモリが着てたサメのあれみたいな感じ?」

「そ。上の海域に出れるように」

「え! じゃあ一緒に行ける?」

「サンよりテンション高いなァ。ちょうどいい、サン。ハヤテに連れて行ってもらえよ」

「連れて行くってどこに? 上の海域はここ以上に何もないけど……」

「上の海域よりさらに上。見たいものがあるんだよね」

 上の海域より上。サンが言っている場所は間違いなく海の上だ。俺たちの祖先が元々生きていた場所。全てが沈んだ世界に見たいものなんて残っているのだろうか。

「自宅謹慎になった悪い子なハヤテくん、連れて行ってよ。罪人の子を連れて行くなんてアンタにとっては今更でしょ?」

「からかわないでよ……まあ別に深海から上に行っちゃいけないなんてルールないでしょ? あっても関係ないし、俺で良いなら連れてくよ」

「ヒュゥ、最高じゃねェかハヤテ。そんなの出来ないと思われてたからルールにされてないだけって分かってんだろ」

「バカだから分かんないや。ほらサン行こ」

「任せた。じゃあねヤモリ、土産話は期待してて」

「おう。行ってこい」

 深海から壁までの道のりはサンに手を引いてもらう。壁が見えてからはバトンタッチだ。ほんの少し強張っているサンの手を強く握り直して壁を超える。マスクに問題ないか確かめると大丈夫そうだったので、そのまま外れないように気を付けてと伝える。誰かに姿を見られたら面倒なことになるのは容易に想像できる。一気に泳いで行って少しでも長くサンが楽しめるようにしたい。

「サン。振りほどかれないようにしっかり摑まっててね」

 学校の中でも泳ぎだけはトップクラスに速い。軽く準備運動をして夜の海を全力で泳ぐ。サンはそのスピードに驚いたのか小さく悲鳴のような声を上げたが、すぐに慣れたようで楽しそうに笑い始めた。

「っはは! ハヤテ、アンタこんなに速く泳げたの?」

「まあね。それより大丈夫? きついとかない?」

「問題ないよ。深海でのろのろ泳いでたアンタがこんなに速かったってことにビックリしてるだけ」

「余裕そうで何よりだよ」

 グングン進むと光が差し込む入り口が見えてきた。夜と言えど、月のおかげでほんのり明るく感じる。海面から顔が出る直前に止まってサンに最終確認する。

「マスクに問題は?」

「心配性かよ。大丈夫。それに、見たかったものが見れたら死んだっていいね」

「俺が嫌だからそんなこと言わないで。じゃあせーので出る?」

「そうしよう。じゃあ合図はハヤテがやってよ」

「……いくよ? せーの」

 大きく息を吸い込んで首のあたりまで外に出す。目の前に飛び込んできた景色は深海とはまた違った美しさを持っていた。月明りだと教えられていただけのものは、思っていた以上に黄色でまんまるとしていた。真っ黒だと思っていた空はほんのり青っぽい部分があったり、小さな真珠のようなものが散りばめられたりしている。

「……きれい」

「……浅い海域にいるのに、見るのは初めてだったの?」

「こっちはサンたちが思ってるよりそんなに自由な場所じゃないよ」

 危険な夜は家から出ないように。正しい情報だって教えられていない。もし今祖先に会えたら、地上で生きていた時今よりも生きやすかったのか聞いてみたい。息がしにくくなり、一瞬海に戻って今度は目だけを外に出す。何度見てもキラキラと輝きを失わない空が別世界のもののように映る。

「この星空を見てみたかったの。小さな星がいっぱい空に敷き詰められててきれいだって母さんが教えてくれたことがあってね。まあ、もういないけど」

「……サンのお母さんはきれいなものをたくさん知ってたの?」

「色々教えてくれたよ。地上にあったもの色々教えてくれた。この名前を付けてくれたのも母さんだったし」

「そうなの?」

「深海でなら自由でいいかって好きな名前つけたみたい。太陽みたいな存在になれって意味でサンってつけたらしいよ。まあ今こんな性格だけど」

「……ヤモリが俺の名前を聞いて上の海域らしい名前って言ったことがあるんだけど、それって……」

「アタシたちと違って地上でよく使われていた名前を参考に考えられてるからじゃない? だってヤモリなんて自分で名前つけ直してたもん。爬虫類っていうなんか……虫みたいなやつがいたらしいんだけど、家を守るって書いてヤモリって読むんだって。それがカッコよくて気に入ったらしいよ。よく分かんないけど」

 名前を自由に名乗れるってどんな感じなんだろう。自分の名前以外で呼ばれても反応できないかもしれない。学校で真面目に授業を受けていても世界にはこんなに知らないことで溢れていると思うと、やはり自分が子どもなんだと言われているような気がした。話しながらも空から目を離すことなくじっと見つめ続けるサンが、俺の何倍も大人に見える。変わらないくらいの年齢だと思うのに大人びているのは、経験の差なのか。

「このきれいな景色を海の中に持って帰れたらいいのに」

「ハヤテ面白いこと言うね。ちなみにやろうと思えばできると思うよ」

「え?」

「地上にはプラネタリウムってやつがあったらしくて、人工的に星を映す道具が作られてたって聞いた」

「……それ、俺でも作れるかなぁ」

「さあ? 頑張ったらいけるんじゃない?」

 そろそろ帰ろうとサンが海中に戻る。追うように潜ると星が映らない海の中が寂しく見えた。壁のところまでひと泳ぎし、少し駄弁っていると太陽が昇ってきたのが分かった。星が眠りについて、代わりに眩しすぎるほどの光が世界を照らしている。夜更かしにも慣れてきたのか、そこまで疲れは感じなかった。

「付き合ってくれてありがとう。他のやつらにバレる前に帰りなよ」

「サンこそ気を付けて帰ってね。疲れてるだろうしさ」

「いつも夜に起きて朝か昼くらいに寝てるからヘーキ。じゃあね」

 振り返ることなく颯爽と泳ぐ背中がカッコいい。大きくあくびをして家の方へと泳ごうとすると「おい」と大きな声で呼び止められた。サンではない、男の声。どこかで聞いたことがあったが、誰の声かは分からなかった。

「お前、確か自宅謹慎になったやつだよな?」

「何? お前同じ学校?」

「そうだよ。つーか一緒にいたやつ今深海に向かって泳いで行ったよな?」

「何のこと? 見間違いじゃない?」

 暫くしてこいつが隣のクラスのやつだと気づいた。しかもサンの姿を見られている。マスクをしていたから顔までは見えていないとしても、全員が忌み嫌っていると言ってもいい深海の彼らがこの海域にいた。その事実だけで問題になりかねない。すっとぼけながらどうしようかと考えているとニヤニヤとしたムカつく面である提案をされる。

「黙っててほしい?」

「何のことだよ。俺別に何もしてなかったし」

「無理があるだろ。あれ、影の者だろ? 自宅謹慎中のお前が影の者と会ってたなんて知られたらやばいんじゃないの?」

 全く騙されてくれなさそうだ。とりあえず事実は認めないまま話を聞いてみたが金を寄こせだの、宿題を代わりにしろだの、しょうもなさ過ぎてため息が出る。そんなの了承するくらいなら勝手に言いふらしたらいい。そもそもこいつが言ったところで海域が違うのに行き来できるわけないと思われてこの話は終わるだろう。

「好きにしたら? 困ることなんて何もないし」

「お前は知らねえんだろうけど、学校中お前の話で盛り上がってるぜ。居場所なんてもうないんじゃね?」

「だったら?」

「影の者なんて庇うようなこと言うからこんなことになるんだよ。それに、今実際に会ってたなんて言えばいじめられるだろうなー」

 気にすることはない。そう分かっていてもほんの少しだけ怖くて体が強張る。今まで話していた友達にまでも冷たくあしらわれるかもしれない恐怖。でも、どれだけ怖くてもこれだけは譲っちゃいけない。ここで折れたらこいつらと同じになる。

「そんなの気にしない。何も知らないやつにとやかく言われたところで興味ないから」

「強がってだっせーの」

「だっさいのはどっちよ」

「あ? 誰だ……うぐっ!」

 俺の背後から腕が伸びる。その腕がわめいていたこいつの腕を掴んだかと思えば、ギリギリとかわいくない音を出して締め上げた。目の前の光景は物騒なのに、怖いと思わない。もうすっかり聞き慣れた声のおかげでむしろ安心感すらある。

「サン……帰ったんじゃなかったの?」

「ずっと視線を感じてたから。で、様子を見てたんだけど、まあ楽しそうなことになってるじゃん」

「痛いんだよ……! 離せこの罪人が!」

「アタシはなんも罪犯してないっての。今脅迫してた罪人はどっちだろうね?」

「こ、こいつ……女のくせして力強すぎんだろ!」

 そういえば力に自信があるって言っていたっけ。止めなきゃいけないんだろうけど、こいつが全面的に悪いから止める気も起きない。それよりも様子を見てたということは謹慎の本当の理由がバレたのではないか。余計な事話しやがってと睨んでいると、サンが楽しそうに笑う。

「しっかしまあ、上の海域にはしょうもないやつしかいないの? 少しはハヤテを見習って知る努力でもしたら?」

「誰がお前らみたいなやつのこと知りたいんだよ! さっさと離せ!」

「いいよ、ほら」

 一瞬力を弱めたかと思えば、サンはもう一度だけ力を込めて掴んだ腕を自身へと引き寄せた。

「ハヤテに何かしてみなよ。アタシや、他の皆が深ぁい海の底まで案内してあげる」

「ヒッ……!」

 マスクをしていても伝わってくる「悪役」という言葉が似合う不気味さ。サンや他の深海の皆に一度も感じたことがなかったのに、影の者と呼ばれることに納得してしまう恐ろしさに動けなくなってしまう。それを直接体験しているあいつはたまったものじゃないだろう。サンが手を離した瞬間、小魚のように逃げて行ってしまった。

「……はぁ、アンタから聞いた謹慎の理由と少し違ったみたいだけど?」

「……嘘はついてないじゃん」

「隠してはいたけどね」

 先程とは打って変わっていつものサンだ。顔を覗き込んでくるマスク越しの顔はとても穏やかで、やはり罪人や影の者と呼ばれていい少女ではなかった。

「……ハヤテ、アタシたちは気軽にこっちに来れないから何かあっても守ることは出来ない。だけど何かあったらすぐに言いなよ。アンタがアタシたちを庇ってくれたように、アタシもアンタと戦うことくらいはできるからさ」

 そう言いながら優しく頭を撫でられていると、遠くで声が聞こえた。もうすっかり朝だから誰かがその辺を泳いでいてもおかしくない。サンも声に気付いたようですぐに俺に背を向けて深海へと泳ぎ始めた。

「サン! またね!」

「……声が大きい、バーカ」

 朝日に照らされたサンの髪が、深海で見たときよりも透き通ったオレンジ色に見えてとてもきれいだと思った。やはり深海にはここよりも美しいものがたくさん存在しているのだろう。それを知っている深海の彼らが羨ましく思えた。


 自宅謹慎が解け、久しぶりに学校に行くと予想通りの教室の雰囲気だった。入った瞬間しんと静まり返り、腫物を見るような目でヒソヒソと何かを言われる。サンに脅されていたあいつが何か言いふらしたんだろう。しかし、想像していたより辛くはなかった。サンのあの言葉に背中を押されているのかもしれない。

「……なあ、ハヤテ」

「おい、やめとけって……」

 話しかけようとしてくる友達もいたけど、他のやつに制されている。きっともう皆を友達と呼ぶことはないのかもしれない。ざわつく教室も、先生が入ってくると徐々に静かになっていく。先生は俺をちらりと見ただけで特に何も言ってこなかった。

「はい、じゃあ一限目は課題の発表でしたね。書いてきた作文を……そうですね、じゃあ今日は出席番号が最後の人から順にいきましょうか」

「ゲッ、先生それはないって!」

 授業が始まればいつも通りで、ただただ時間が過ぎていく。休んでいたから課題の存在も知らなかったが、将来について書くという授業があったらしい。そういえば国語の教科書にそんな内容のものがあった気がする。物語を読んで自分の将来についても考えるとか、そんなのだったはず。前にパラパラと読んでいた時見つけたのに、どの辺りに載っていたか思い出せない。

「……はい、とっても良かったですよ。じゃあ次は十七番だけど……」

 教科書を見ていたらいつの間にか自分の番になっていたようだ。当然何の準備もしていないから先生も順番を飛ばそうとしている。

「ハヤテだけ飛ばされるとかずるくね?」

「休んでてもやろうと思えばやれたよな」

「こら、授業中ですよ。ハヤテ君はまた別の時に発表を……」

「……いや、今やります。別の時にする方がなんか恥ずかしいので」

「え、出来る?」

「多分」

 アドリブで発表なんてしたことない。まとまった内容を話せる気もしないが、別の時に一人だけ発表するのはほんの少しだけ恥ずかしいからさっさと終わらせたい。それに、将来やれたらいいと思うことは、昨日思いついた。

「……将来、私は海の外で見た星空を海の中でも見れるようにしたいと思います。昔、地上にはプラネタリウムというものがあったと聞いたので、それを作りたいです」

 何人かがバカにするように笑っている。聞こえないふりをしてそのまま思いついた言葉を口にする。

「そして、その星を浅い海域と深海の人たちが一緒に見れたらいいなって思います。あの壁を取っ払って、同じ時間を過ごせる場所を作りたい……作ります」

 先生も驚いた顔をしているが、決して止めはしない。また後で怒られるかな。

「私の友達は音楽が得意なようなので、星を見ながら演奏してくれたらいいなって思います。発明が得意な友達の力も借りていつか実現して見せたいです。短いけど……以上です」

 他の発表と比べると短いし、良い発表とは言えないだろうが、達成感と満足感があった。周りのやつらは黙っていて、先生も特に何も言わずに次の人に発表するよう促した。発表の内容に一つも嘘はない。サンとヤモリが一緒にいてくれたらそれ以上に嬉しいことはない。例えいなかったとしても、サンが教えてくれた地上のものを海の中にも作りたい。遺伝子操作だのなんだの、それ以外のものも伝えていきたい。それがいらないものと言われても、俺が絶対に残す。いつかその中で、深海の彼らのおかげで俺たちの遺伝子操作が上手くいったという事実も伝わることを願って。深海から俺たちの今が生まれていると一人でも分かってくれる人が現れるように。


 代り映えしない海中を猛スピードで泳ぐ。あれから体も大きくなったから泳ぐ速さも比べ物にならない。遅刻しかけているやつが何を言っているんだとあいつらに怒られそうだけど。海面に射し込むこの光の感じだと約束の時間には間に合うはず。人や優雅に泳ぐ魚を避け、ようやく見えてきた場所。目的地の前にはすでに二人が待っていた。

「ハヤテェ、遅いんだよ。お前がいないと始められないんだからなァ?」

「……呆れた」

「ごめん……いざ当日ってなるとなんか緊張しちゃって」

「知らねェよ。まあ来たならいいわ。サン、向こう側に戻ろうぜ」

「だね。何回も行き来してるけどやっぱ海域違うときついし」

「俺もすぐに準備するよ」

 壁があった場所にふわふわと浮くように存在している丸い空間。元々壁と呼ばれていたゴミや、海底に沈んでいた物を上手いこと使って、ヤモリがこの丸い空間をこの場に留める鎖の代わりを作ってくれた。中に入ると海域のちょうど中間辺りに俺が頑張って作った道具がある。

「……人、来るかなぁ」

「まー参加しててなんだけどよォ。こんなのに来るやつなんて相当なもの好きだろうなァ」

「でも昔地上にあったものなんて、呼び込みの材料には最高じゃない?」

「深海側からは何人か来てくれるって言ってたけどさ、俺の方は……」

「お前、友達いないもんなァ」

「…………」

「ヤモリ、本当のこと言ったら可哀想」

「サン。サンが一番ひどいこと言ってるよ」

 あの日あいつらの前で言った夢を絶対に実現させてやると躍起になって数年。二人のおかげで形にすることは出来た。代わりに失った友人関係は修復できなかったけど、逆に深海の方に新しい友達は出来た。未だに影の者と嘲笑うこちらの海域の人たちは俺たちが作ったプラネタリウムをよく思っていないだろう。その証拠に、暫く待っても深海以外からの来訪者はゼロだ。

「……まあ、深海の皆は来てくれてるし、始めようか。サン、お願い」

「はいはい。任された」

 いつだったか、ヤモリがいいものを見つけたと言って持ってきた鍵盤楽器。このプラネタリウムではサンの生演奏付きで星が楽しめる。

「じゃあ、投影を……って、ん?」

「ハハッ、良かったなハヤテ。そちらの海域からのお客さんだぜェ」

 入り口からこちらを覗き込んでくる少年と少女と目が合うと、そのまま固まってしまった。いたずらがバレたような反応がかわいらしくて思わず笑ってしまう。ちょいちょいと手招きすると、目だけで会話をした後、中へと入ってきてくれた。

「こっちの海域では最初のお客さんだよ。ほら、ここを見ててね」

 黙ったままの二人は指さした方向を見ると分かりやすく表情が変わった。何度も何度も作り直して、完成度を高めた星空の投影機。再現された星がこの空間に広がるとサンのしっとりとした演奏も始まる。

「すごい……」

「きれい……」

「はは、小っちゃい子ってのは純粋でかわいいな」

「…………」

「おい、お前の見た目が怖くてビビらせてんじゃねえか」

「おっと、そりゃ悪いな。でも見てくれよお嬢ちゃん。俺の身体のこのチャームポイント。透明でかわいいだろ?」

「いやかわいくはねえよ。しかもおっさんだろお前」

「おっさん言うな!」

 深海の彼らのやり取りが面白かったのか強張っていた表情が柔らかくなり、深海の彼らと仲良さげに話し始めた。ヤモリが星座について教えながら、皆は自由に話したり飲み食いをしたりしている。俺の海域の人の割合は少ないけど、望んでいた海域の区別なく楽しめる空間が今存在している。

「ボケっとしてんじゃないよ創設者。アンタもさっさと仕事しな。呼び込みくらいしなよ」

「す、すみません……」

「ま、初日にしては成功してる方じゃない? 頑張ったねハヤテ」

「二人のおかげだよ。じゃあ、近くにいる人がいたら誘ってみるよ」

「はいよ。十人くらい連れて来な」

「そんな無茶な……」

 外に出ると太陽が姿を消していて、海の中は暗くなっていた。昔と比べると海の中に明かりが増えて、この時間でも泳いでいる人は少しだけいるが、プラネタリウムに来ていた子どもたちが帰るときには送ってあげた方が良さそうだ。この明かりは深海で見たあのギラギラ輝くものを分けてもらって俺が安全のために設置したんだけど、影の者と一緒にいる変人だと最初はひどく怪しまれたものだ。

「あれ……ハヤテくん?」

「ん? えっと、すみません……」

「覚えてない? 同じクラスだったんだけど」

 寄ってきた彼女は確かに見覚えがあった。ベタ属ってことは覚えているが、一番大切な名前が出てこず、曖昧に笑って誤魔化した。

「久しぶり。元気?」

「うん。ハヤテくんは……相変わらずみたいね」

「……相変わらず変だって?」

「ううん。分け隔てない人だなって」

 予期せぬ言葉に思考が停止する。学校のやつらは皆冷たい目で見ていたというのに。

「……あの時は分からなかったけど、今になってハヤテくんが考えていたことが分かるようになったんだ。遅いよね」

「そうなんだ。まあ、同じように考えてくれる人がいるのは嬉しいよ。ありがとう」

「……ごめん。今日は急いで帰らないといけなくて、また別の日にあれ、寄ってもいいかな」

「プラネタリウムね。もちろん。待ってるよ」

 去っていく彼女のヒレがふわりと揺れる。ヤモリが花という植物はベタのヒレのようなものって教えてくれたことがあるが、地上にあった植物はあんな風にきれいなのか。地上についても、まだまだ知らないことが数多くある。ヤモリたちの知識も限られているから、昔のものを探したり調べたりしたら、新たな発見もあるだろう。でも、それを正しく伝えるにはまず壁を越えたつながりが必要だ。同じ海にいる者同士、仲良くとまではいかなくてもお互いが自然体でいられたらいい。その仲介役に俺たちはなるんだ。

「おーいハヤテ。このちびっこども帰るって言ってんぞォ」

「あ、送っていくよ。ヤモリ、留守番よろしく」

「ありがとうお兄ちゃんたち! 楽しかった!」

「ありがとうございました!」

「元気がいいなァ」

「ねえ、怪しいお兄ちゃんと音楽やってるお姉ちゃんは深海から来てるんだよね?」

「アタシたち? そうだよ」

「深海って怖いところ?」

 純粋な疑問とヤモリに突然向けられた悪意のない鋭い言葉につい笑ってしまう。全身から落ち込んでいるオーラを出すヤモリを見て笑いを堪えきれないままサンが答える。

「暗いけど、生まれてからいる場所だし怖くないよ。良いやつばっかだしね」

「怖い人いないの?」

「アタシたちのことが怖いと思った?」

「ううん」

「なら良かった。怖くないって思えるやつもいるんだし、海域でそんなに違いはないよ」

「違わないなら……いつかお姉ちゃんのいる海域に遊びに行ってもいい?」

 かわいらしい上目遣いで聞かれた内容はサンたちにとって嬉しいものだったようで、幼さが残る笑みがこぼれていた。彼らの小さな頭を撫でると、出会った時から変わらない優しい声で静かに呟く。

「ずっと待ってるよ。深い海の底で。アタシたちが歓迎してあげる」

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深海のソウシャ でめきん @de_me_kin_

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