第7話 対ワイバーン①

 その日、見張り棟はざわめいていた。


「何があった」

「バリストン支部長!」


 大柄な体躯を軍服に収めた壮年の霊人が見張り棟に足を踏み入れると、すぐに当直の若い兵士が駆け寄った。


 目の前で敬礼し、報告する。


「森の方面を見張っていた兵士が、討伐隊の一人と思われる者が森から出てきたのを発見しました」

「なんと、まだ生き残りがいたか」


 ワイバーン討伐隊が派遣されてもう四日だ。


 命からがら逃げ延びた一団から壊滅の報告を受けて、すぐに生存者がいないかと森の入り口周辺を捜索した。しかしながら見つけた者たちのほとんどは事切れた後であり、捜索隊の安全も考慮して奥地への派遣を断念したばかりだった。


 それでも万が一生き残りが森から脱出してくる可能性を考え、森のある東側の見張りを増やしていた。


 誰もが生存は絶望的だと感じていたとしてもだ。


 よく四日も生き延びたとバリストン支部長は膝を打ちたい気分だった。


「何をしている。早く門を開けてやれ!グドー、ファリス、馬で迎えの準備をしろ。森から町までの道中で魔獣に食われては死にきれんだろう」

「いえ、それが……」


 報告していた兵士が言い淀む。


「森から出てきてすぐ、こちらに背を向け直立しておりまして……」

「なに?」


 町に逃げ込んできていたならば、多少の危険を犯しても彼らは勇敢な生存者のために門を開けただろう。


 だが、森から出てきた者は町に向かうどころか森を見上げて立ち尽くしていた。


 まるで何かを待っているかのように。


 真偽を確かめるべくバリストンが窓を覗き込もうとした時。


 ギィィィィィィィ!!!


 喉を擦るような叫び声が聞こえた。

 それはここ数日で聴き慣れてしまった、死神の声だった。


「ワイバーン……!」


◆◆◆


 ワイバーンは空腹を持て余していた。


 食べても食べても満たされない飢えを少しでも満たしたくて、あらゆるものを喰らった。昨日すくねた熊は多少腹の足しにはなったが、夜が明ければまた腹が空く。


 幸い、最近の狩場には魔力の満ちた食糧が次から次へと出てきた。空を駆るワイバーンには、どれほど武装した餌が出てきても脅威ではなかった。


 魔力の多い亜人を食べれば少しは満たされる。


 ほら、今も森の外に手負いの餌がいる。


 鱗ばかりの亜人は歯応えがあって、パリパリと食感が良い。食ってくれろとばかりに魔力を身に纏って立っている餌にワイバーンは口の端を釣り上げた。


 狩場までの腹ごなしだ。


 翼を折りたたみ、亜人に向かって急降下する。

 自らが狩る側だと疑いもせずに。


 すると亜人は何かを振りかぶってこちらに投げてきた。

 陽の光に煌めくそれをワイバーンは知っていた。追い詰められた獲物の中には、満足すれば見逃してくれるのではないかと魔石を投げてくる者もいたからだ。ひとしきり投げられた魔石を喰らった後、手ぶらになった獲物も喰ってやったが。


 ワイバーンは投げてよこされた魔石を丸呑みにする。


 喉に少し違和感を覚える。

 魔石を口にした時のいつもの充足感がない。


 それでも目の前の亜人を喰えば同じだと改めて大口を開けて迫り。


 次の瞬間、左目に激痛が走った。


◆◆◆


「うっし」


 弓を下ろしたラスラは、矢がワイバーンの左目を撃ち抜いたのを確認する。

 ワイバーンの絶叫はここまで聞こえた。


 ここからは弓は使わない。

 適当に放って、木を滑り降りた。


 代わりに手に取ったのは道中で拾った柄の長い斧だ。討伐隊の落とし物だろう、比較的綺麗なそれの重さを確認して森から平原へと足を踏み出した。


 最初、狩場をラスラは森の外にすることに反対した。


 慣れない環境では、不測の事態に対応できないかもしれない。

 しかしここからなら防護壁も近く、異変に気が付いた町からの援護も望めると説明され、なにより一番危険な立場を引き受けてくれるシュトシュノの意見とあって無視できなかった。ラスラはせめて森との境界、自分が潜伏できる場所でなら、と渋々了承した。


 ラスラは最初から町からの援護など期待していない。


 シュトシュノは手筈通り、目を打ち抜かれて堪らず落下してきたワイバーンから距離を取っている。


 ワイバーンはなんとか空に逃れようともがいているが、なかなか宙に浮けずにいる。

 なぜ飛べないのかも理解できていない様子だ。


 ワイバーンの落とし方は実は簡単だ。

 縄もいらない。


 そもそもあの巨体を空に持ち上げることに無理があるのだ。翼だけで空を飛んでいるのではないとすれば、当然風の魔法を使っていると予想できる。


 ならば、魔力を奪ってやればいい。

 幸い、こちらには魔力をひたすら吸収しようとする魔石がある。


 シュトシュノに投げてもらった魔石は、ラスラが持っていた予備の空魔石だ。手持ちで一番大きいのを選んだ。


「ふっ」


 短く息を吐き、ラスラはワイバーンに肉薄する。手に持った斧を振りかぶり、薄い膜の張った翼へ振り下ろした。


 左後方の死角からの思わぬ攻撃に、ワイバーンは怒りの声を上げる。

 尾を振り上げるが、斧から手を離したラスラは既にワイバーンの頭側へと逃れていた。腰のナイフを抜き放ち、その喉元を狙う。


 だが一瞬早く、ワイバーンの爪と顎がラスラへと迫った。獲物を視認する前に反射的に食らいつきにかかったのだろう。


 それは悪手だ。

 歴戦の戦士に背を向けることになるのだから。

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