第4話 遭遇④

 そこからの記憶は朧げだ。

 何やら誰かと話をしていた気がするが……。何かの幻聴だろうか。こんな森深くに誰かがいるはずがないのに。


 意識が徐々に覚醒し、ようやく自分が寝ていたのだと気が付いた。


「あ、起きた」


 起きようとすると後頭部に鈍痛が走ったが、身体はちゃんと動いた。足から順に動かしていって、四肢が無事にあることを確認し安堵する。


 生きている。


 これはもう駄目かもしれないと思っていたのに、どういう訳か命を拾ったのだと理解し実感して。


 途端、誰が自分を助けたんだという疑問と警戒に身を強張らせた。


 飛び起きたシュトシュノに、こちらを覗き込んでいた小さな影が短い悲鳴をあげて、シュトシュノはその小ささに驚く。


 子どもだ。


 咄嗟に手探りで槍を探してしまったのは、傭兵業時代の経験の名残からだった。

 紛争に巻き込まれた時には、こちらの警戒を解くために子どもや女までもが武器を持って応戦してきた。だから、シュトシュノは子どもだとしても急に近付いてくる者にはまず警戒する癖がついてしまった。


 それがいけなかったのだろう。

 もう一つの小さな影が、傍に置いていた短弓を手に取り構えたのが視界の端で見えた。


「イオから手を離せ」


 子どもとは思えない冷え切った声。

 つがえた矢を見て、魔熊に矢を放った張本人だと知る。


 こちらが下手に動けば迷わず射る、と獰猛な目が告げていた。


「っ!す、すまん!」


 無意識に目の前の少年の喉元にかけていた手をぱっと放した。

 シュトシュノは両手を上げて敵意がないことを示す。


 シュトシュノのような鱗はもちろん、毛皮も羽根も持たない外見から霊人の子だろうか。


 弓を構えたままこちらを探るように見ている。警戒を解く気配はない。

 シュトシュノは焦って言葉を続けた。


「悪かった。気が動転してつい手が出ちまった。恩人を害するつもりはないよ」

「だって。落ち着いてよ、ラスラ。びっくりしたけど、痛くなかったし」


 目の前の栗色の髪の少年が首をさすりながらも冷静に言い添えてくれ、ようやく弓が下される。


 ラスラと呼ばれた黒髪の方は口を尖らせた。


「のんきだな。今の、殺す気だったら首をへし折られてたぞ」

「でも大丈夫だったじゃない。ちょうど肉も焼けたみたいだし、温かいうちに食べようよ」


 言われてようやく、シュトシュノは焚き火とその周りで香ばしい匂いを振り撒いている肉串に気が付いた。


 さぁっと血の気が引く。


「おい!」

「わ」


 突然大声を上げたシュトシュノは、今度は何だ、とばかりにラスラに睨まれるがそれどころではない。


「何やってんだ!こんなに火を炊いたら魔獣が寄ってきちまう!」

「あぁ、それなら大丈夫だよ。ちゃんと獣避けしたし」


 ほらあそこ、とすでに食べた後の骨で指し示された地点はちょうど焚き火と三人を囲う配置だ。


 だがシュトシュノには理解ができない。


「獣避け……?なんだそれ」


 そんなもので魔獣が襲ってこないならとっくにシュトシュノだけでなく万人が使っている。森に入らずとも街道で野宿する商人が一体今まで何人魔獣に喰われたか。そんな手段があるなら人里という人里で導入されていなければおかしい。


 しかしながら、実際に魔獣は襲ってこない。


 森の中でこれだけ派手に火を焚き煙を上げ、美味しそうな匂いを漂わせているというのに。


 シュトシュノ一人の時は休む間もなく魔獣の襲撃を受けたのに、今は近くに魔獣の気配すら感じない。


 栗色髪の、イオと呼ばれていた少年は肉串をくるりと回して「よし」と良い焼き加減のそれをシュトシュノに差し出した。


「良かったら、どうぞ。食べられそうですか?」

「あ、あぁ」


 話を逸らされた、と思ったが目の前に出された肉汁溢れるそれに気を取られる。


 何せ、森に入ってからこっちほとんど飲まず食わずだったのだ。


 ごくり、と喉が鳴る。

 恐る恐る肉にかぶりつくと、油と旨みが口一杯に広がった。ああ、うまい。今まで忘れていた空腹が主張を始め、もっと寄越せと胃袋が求める。こんなにうまいと思える飯はどれほどぶりだろう。


 気付けば夢中になって肉に食らいついていた。


 二本、三本と勧められるままに肉を咀嚼した。残りは大丈夫かと心配すれば、「まだいっぱいあるから」と少年たちは食べ終えた骨に新たな肉を刺して次々焼いていた。


 満腹になる頃には、魔獣の心配などすっかり頭から吹き飛んでいた。


「あぁ、うまかった。生き返ったよ」

「同感」


 同じように一杯になった腹をさすってご満悦のラスラは、先ほどのシュトシュノの失態を水に流してくれたようだった。


「そういえば、何の肉だったんだ」

「熊だよ」


 吹き出した。


「あの大魔熊を仕留めたのか!?二人で!?」

「一人だよ。イオは見てただけ」


 食べ終えた骨を埋めるための穴を掘っていたイオは首肯で返したので、事実らしい。


「信じられない……」

「良い所に当たったからね」


 そんな馬鹿な話があるか、と叫びたいのを堪える。普通の動物の話をしているのではないのだ。


「そういえば魔石は取った?」

「当たり前だろ。誰だと思ってるんだ。でも質が悪いな、使い物になりそうにないや」


 ほら、と無造作にイオに投げてよこした。


 赤く魔石は両手で包むほどの大きさだった。イオは中身を覗き込んだが、すぐに首を振って肩を落とした。


「本当だ、まだ熱を持ってる。魔力がだいぶ残っているね。空っぽになるまで年単位で時間がかかりそう」

「だろ?」

「ち、ちょっと待ってくれ。それを見せてくれ」


 二人の会話に不穏なものを感じたシュトシュノは慌てて静止した。


 魔石を手に取ったシュトシュノは言葉を失った。


 高純度の魔力が満ちていたからだ。

 しかもこの大きさだ、トハーンで錬成術師に売れば家が一つ建つのではないか。


「一級品じゃないか……」


 きょとんとしている二人を、シュトシュノはゆっくりと見た。


「なあ、お二人さん。質が悪いっていったな?どういうことだ?」

「え?だって、一度魔力を吐き出させないと吸ってくれないじゃん。こんなに大きかったら、労力と時間に見合わない」


 当たり前だろ、と言わんばかりの言葉にシュトシュノは喉が渇くのが分かった。


 先ほどから感じていた違和感の正体が、ゆっくり実体を帯びていく。


「魔力を吸わせて、どうするんだ」

「どうするって……どうも。魔力を取り除くのが目的なんだから、集めたもんなんて適当に」

「ラスラ」


 鋭くイオがラスラの台詞を遮った。


 反射的に口をつぐんだラスラの代わりに、イオは険しい顔をしていた。何気なくシュトシュノとラスラの間に座ったのは、ラスラが余計なことを言わないようにするためか。


「確認させてください。これ、あなた方ならどう使うんですか?」


 あえて、あなた方と言った。


 こちらが気が付いたということに、イオは気が付いたのだ。

 

「魔石は、魔道具の原動力だ。生活用品には小さいものを使うが、ここまで大きくて純度の高い物は貴重だから貴族か商人が買い取って大型の魔道具か設備に回される。たとえば」


 対魔獣の兵器とか、と。


 実際には地下水脈から生活水を引き上げる汲み上げ装置や、建設現場で使う工業用ゴーレムにも使われるだろうが、シュトシュノが真っ先に思いついたのは軍事利用だった。

 アーラルク大森林と接しているトハーンならば対魔獣の装備が多いが、国境を接する町なら当然対人兵器も考えられ得る。魔石から抽出、精錬させた魔力を広範囲に降り注げばそのまま要塞攻略にも使えるだろう。


 シュトシュノは首を振って自分の思考を打ち切った。つい戦争の手段を考えてしまうのはもはや職業病だろう。


「なあ、逆に教えてくれ。何者なんだ、キミらは」


 弓矢で大型魔獣を狩り、魔境にあって魔獣を寄せつけない方法を知っている。それでいて生活の基本である魔道具を知らず、魔石への理解が世間とまるで逆。


 今まで森の外へ出たことがないみたいに。


「……ぼくらは、この森の奥地から来ました」


 ゆっくり、イオは言葉を選びながら答える。


「人間種です」

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