第20話 陽炎
八月に入ると、日差しはいよいよ殺気を放ち始めた。
連日、熱中症厳重警戒アラートが出され、昼間に出歩くのも命懸けになりかけている。
高校三年生の夏休みともなれば、進学組は正念場だが、就職組はのんきなものだ。いくつかの企業の面接が入っているくらいで、春日はほとんど毎日、診療所のバイトを入れている。
主な仕事は受付事務だが、たまに高齢者の訪問を任され、そうなると日によっては、帰り道に図書館に寄ることになる。
「だーかーら、バイト中やって」
「いやいや春日クン。誤魔化しは駄目だよ、誤魔化しは」
「お前ひとりだけ青春を謳歌しようなんて、そんな卑怯な真似は許せんよな。俺たちの友情に『抜け駆け』の文字などない」
図書館へ向かう途中、兼崎と黒磯につかまった。夏期講習の帰りだというふたりは、ちょうど珪からの連絡でスマホを見ていた春日の背中に、文字通り飛び掛かってきた。
「スマホ見てにやけてたもんな、春日クン」
「にやけてへん。うんざりはしてたけど」
「問答無用。吐け。言え。いつから彼女がいるんだ、貴様」
「俺の話聞く気ぃある?」
駅から中央図書館に向かう道すがら、友人に絡まれてなかなか前に進めない。
「んで、どこ行くんだ? 彼女んち?」
「バイト中や言うてるやろ。図書館寄ってバイト先行くだけ。なんもおもろいもんないで」
「なるほど。図書館で逢引ということか。バイト中に、こいつは」
「うっわー、やるじゃん。お前彼女出来ると夢中になっちゃうタイプか~」
「彼女いてへんてあと何回言うたら聞こえるやろな、この耳は」
「いでででで、鍵! それ鍵! 人の耳に刺すものじゃない!」
兼崎を追い払ってリュックを背負い直し、春日は手の甲で汗をぬぐった。屋外で無駄に活動していると、いよいよ倒れそうだ。
「俺今、二時間外回りしてきたとこやで。はよ屋内に入らんと死ぬ。お前らと遊んでやる暇ないから、また今度な」
「マ? お前のバイトって肉体労働系? つか、ちょおい、また怪我してんじゃん。ひー、いたそー」
兼崎に額を指さされて、春日は苦笑しながら前髪を引っ張った。二日前に殴られてぱっくりと切れた額は、盛大に血が出たものの、楠木のおかげで今はしっかり処置されている。
「ボクシングとか、こえーわー。正気の沙汰じゃないね。殴り合う趣味意味わからん」
「春日も血気盛んな男子高校生だ。エネルギーの発散は必要なのだよ」
「黒磯はどのポジションでのコメントやねん、それ」
春日がボクシングをしていると信じている友人たちは、春日が怪我をするたびに、痛そうだと騒ぐ。客観的に見て、自分が「痛そう」ななりをしていることは事実なので、文句は言えない。
だからこそ、春日が怪我を増やしても「痛そう」と言わない金髪の隣は、過ごしやすかった。本人に痛覚がないので、「痛そう」という感覚もないのかもしれない。
「それもそれで、どうなんやろな……」
「おっ、ほらほら、春日クンがアンニュイな表情してる。これは恋してる表情」
「暑くて眼球溶けてんのとちゃう?」
「いでででで! 折れる! 人の首をそんなにのけぞらせたら折れる!」
覗き込んできた兼崎の額をぐいと押しのけて、強引に足を進めた。珪との待ち合わせ時間は過ぎている。
黒磯がおもむろに眼鏡を押し上げた。
「なお、朗報だぞ、春日。俺たちは今から図書館に向かうところだ」
「げっ」
「そーそー。塾の宿題終わんねーの。図書館でやってこうぜって話になってたの。はーあー俺の青春が灰色」
そのまま、なし崩し的に連れ立って歩くことになった。道中、バイトについて質問攻めにされ、「年寄の家に押し入ってエアコンのリモコンを強奪するバイト」と言ったらドン引きされた。
「どういうバイト……春日クンがとうとう法を犯して……」
「春日、ストレスは良くない。悩みがあるなら聞こう。まずは落ち着いて座れるところを」
「せやな。普通そういう反応やんな。良かった、最近俺の感覚ズレてるんちゃうかって心配やってん。あいつ平然と人んちのリモコン奪い去るし」
「あいつって誰」
「そんで感謝されてんねん。おかしいよな? やっぱこれおかしいよな。うん」
「ひとりで納得しないで!? お前ほんと、何やってんの!? どんなバイトしてんの!?」
まとわりつく兼崎を引きはがしながら歩いた先に、ようやく中央図書館のモニュメントが見えてきた。灼熱の太陽に照らされて、ゆらゆらと地面が揺らいでいる。
「あれ?」
いつもならそこにいるパーカー姿が、なかった。
約束の時間を十分以上過ぎているから、暑さに負けて中に入っているのかもしれない。
「どうした?」
「いや、ここで待ち合わせしててんけど。中におるかな」
図書館の中を一周歩いてみても、珪の姿は見えなかった。
なんとなく一緒に探してくれた兼崎と黒磯が、首をかしげている。
「先に帰ったんじゃね?」
「待ち合わせしておいて人を待たせるとは、感心しないな、春日」
「いや、お前らのせいや、お前らの」
スマホを見ても連絡はない。
待ち合わせ時間から二十分近くが経過していた。
「ちょっと、そのへん探してくる」
「だから、先に帰ったんじゃねえのって」
「それはない。先に帰るなら連絡ある」
珪は、ああみえて律儀だ。予定が変わるなら、必ず連絡を入れてくる。
黒磯が眼鏡に手を触れた。
「緊急事態ということか?」
「いや、わからんけど。なんか気に入った本見つけてどっかで読みふけってる可能性もあるけど」
「とりあえず探そうぜ。手分けしてさ。黒磯ちゃん、館内な。俺と春日で外」
「名案だ。春日、見つけたら連絡を入れる」
行動力のある友人に感謝する。
「特徴は?」
「パーカー羽織ってフードかぶってるから、見たらわかると思う。このクソ暑いのにフードやで。あと、まぁ、顔見たらどちゃくそ美人」
「お前っ、前に言ってた世界一美人っていう人か!? やっぱ彼女じゃねーか!」
「ちゃうって言うてんねんけどなぁ」
「いででででで!」
「男やで」
「ふっ」
兼崎ははるか遠くを眺めて無意味に笑うと、すたこらと館外へ飛び出して行った。
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