第一章:冬、不本意な顔見知り

第4話 詫びの品

 街はクリスマスムード一色になった。


 クリスマスイブを翌日にひかえ、誰もかれもが浮かれているように見える。


 鈍く痛む頬と腕を笑顔の下に押し込んで、春日は街頭で声を張り上げた。クリスマスケーキ販売の短期のバイトは、この時期恒例だ。店舗の前に並べたホールケーキは、面白いように売れていく。


「ありがとうございましたー!」


 最後のひとつを売り終えて、春日は晴れやかな気持ちで販売台を片付けた。時刻はまだ十八時前だ。今日は少し早くあがらせてもらえるかもしれない。


 店舗に戻って店長に声をかけようとすれば、ちょうど電話応対中であった。店内には、客がひとりいる。


 受話器を持った店長が「ごめん」と言いたげに片手を挙げてきた。それに笑って応じて、春日はひとまずカウンターに入る。


「決まったら、声かけてください。ゆっくり選んでもらってええですよ」


 客に声をかけるも、客はショーケースを見下ろしたまま微動だにしなかった。白い地厚のパーカーを羽織り、フードを被った小柄な人物だ。


 随分と熱心に選んでいるなぁと思ったところで、「おい」と聞こえた。


 どこかで聞いたことがあるその声は、目の前のパーカーの客からである。


「お前が食えるやつ、どれだよ」


「………………うちは指定暴力団お断りの店やねんけど」


「誰が暴力団だクソが、死ね」


 フードの隙間から金髪が見えた。

 数日前に出会った危険人物、外見だけは天使の暴力少年、珪である。


「嘘やろ、お前絶対ケーキとか買いに来るタイプちゃうやん……」


「うるせえな、いいから答えろ。お前が食えるやつどれだよ。アレルギーあるなら申告しろ」


「アレルギーはないけど、待って。いや、待って。一ミリもわからへん。何? どういう話の流れ?」


「楠木がうるせえ」


 この少年は、どうやら事情の説明が下手くそらしい。そもそも説明する気がない。

 春日は仕方なく首をひねって、頭もひねった。


「もしかして、こないだのことで楠木さんに怒られてんの?」


「ちゃんと謝って詫びの品渡してくるまで、診療所の受付でただ働きさせるっつわれた。ふざけてんだろ」


「なるほど」


「つーわけで、詫びの品くれてやる。どれにすんだよ。さっさと選べボケ」


「信じられんほど高圧的な謝罪……」


 怒るべきか、呆れるべきか、迷っている間に新たな客が入ってきた。キンコン、と入店のチャイムが鳴る。


「いらっしゃいませ」


 店長の電話は長引いている。入店してきた客は、真っすぐにカウンターに向かってきた。


「ショートケーキ残ってる? イチゴの」


 眼鏡をかけた中年のサラリーマンだ。クリスマスの時期、家族に頼まれて買いに来る男性客はかなり多い。


「申し訳ありません、イチゴのショートケーキは本日完売しとります」


「ええ?」


 男性は神経質そうに眉を寄せた。


「クリスマスの時期だよ。ショートケーキが売れることくらいわかるでしょ。なんでちゃんと考えて数用意しておかないかな」


「ああ、せやけど、季節の柑橘のショートケーキやったらまだあります。当店のおすすめで」


「イチゴだよ。イチゴって言われてるんだから。なんでないの?」


 クリスマスの時期はイチゴのショートケーキなんて即完売するに決まってるやろ阿呆。

 笑顔の下で毒を吐きつつ、あくまでも営業スマイルは崩さない。


「申し訳ありません、用意が追い付かんで」


「ならいいよ、不手際の埋め合わせに柑橘のショートケーキもらってくから。三個ね」


「ありがとうございます。お会計はあちらのレジで」


「あのさあ」


 男性が、あからさまな呆れと侮蔑を乗せた息を吐いた。


「品切れで迷惑かけてんだよ、客に。お詫びに別の品を持たせるくらいするでしょ、普通」


 まさかの、無償譲渡を要求してくる。


 あちこちでバイトをしていると、理解の及ばない人間の相手をする機会もそれなりにある。それにしても、ケーキ屋でこの類のトラブルは初めてだった。


 ちらりと横目で店長を伺えば、受話器を片手に、こちらを向いて渋い顔をしていた。ちょっと待って、と言いたげに手が動き、電話口で何か言われたのか、慌ててぺこぺこと頭を下げている。


「そしたら、お客様、あちらで対応させていただきますので、少々──」


「おい」


 無遠慮な声が割り込んだ。


「先客がいるの見えねえのかよ。何のために眼鏡付けてんだ、ハゲ」


 言うまでもなく、珪である。


 目を剥いた男性に向けて、フードの下からチッと舌打ちが聞こえる。


「なっ、なん」


「欲しいモンが店に無いからって泣き喚いていいのはガキだけなんだよ。禿げた中年に許された行為じゃねえんだよ、自覚しろハゲ。ちなみに今のてめえの言動は強要罪にあたるぞ。カスハラの見本みてえなハゲだな、死ねよ」


「なんだ君は!」


「先客」


 意外にもまともな理屈で男性に畳みかけて、珪はずいと男性に詰め寄った。


「買う気がねえなら失せろ、邪魔」


「それが大人に対する態度か!?」


 まったく意味不明な論点で、男性は果敢にも反論した。ずれた眼鏡を押し上げている。


「店の不手際を注意してやってるんだ、こっちは! それなのに、なんだその失礼な発言は! どこの学校だ!? 君の親はしつけもろくにできないのか!」


「うるせえ口だな」


 言うやいなや、珪は手を伸ばした。


 男性の眼鏡をむしり取ると、そのまま握りつぶしている。パリン、と気の抜けた音がして、フレームのひしゃげた眼鏡が床に落ちた。


「なっ……!?」


「あー、悪い。手ぇ滑った。弁償する。どっかに眼鏡屋あんだろ、行こうぜ。よく見えねえだろうから連れてってやるよ」


 動揺する男性の腕を、珪は強引に引いた。男性を引きずるようにして、店を出て行こうとしている。


 その足が眼鏡屋に向かうとは思えない。


 見過ごすことは、さすがに気分が悪かった。


「お客さん、ごめんやけど、イチゴのケーキは諦めてくれん?」


 小柄な背中を追いかけて、強引に珪の手を外す。

 灰色の瞳が睨み上げてきたが、春日はまるっと無視した。


「そんでな、あんまり駄々こねてると、こういう奴に絡まれたりすんで。ほどほどにしときや」


 親切にそう諭してやれば、男性は転がるように走り出て行った。


 傷害事件を未然に防げたことに、春日は胸をなでおろす。


「……邪魔すんなクソが」


 フードの下からぼそりと聞こえた不機嫌な声に、春日も不機嫌を隠さず言い返した。


「人のバイト先で傷害事件の幕あけ演出すんなやドアホが」


「殴ってねえだろ」


「殴るための準備を綺麗に整えて犯行現場に行こうとしてたやろ。前も言うたけど、俺そういうのほんま嫌いやから。何でもええから、もうさっさとどっか行ってくれん?」


 剣呑な空気の中に、バタバタと足音がした。ようやく通話を終えた店長が、慌てたように寄ってくる。


「いや、ごめんね! たまにいるんだよ、ああいう客。助かったよ~、対応してくれてありがとう」


 電話応対にとられて、珪の言動については見えていなかったらしい。

 人のいい店長は、真摯に腰を曲げて珪の顔を覗き込んだ。


「ごめんね、せっかく買いに来てくれたのに、嫌な思いさせちゃったね。あ、そうだ、良ければそこのクッキー何枚か持って帰って……」


 言葉の途中で息を止めた店長は、あんぐりと口を開いた。


「……春日、大変だよ。クリスマスだからってとうとう天使が来ちゃった」


 ◇◇◇


「それにしても、すっごい美人だったよね。春日、知り合い? バイト入ってくれないかなぁ。あの子がサンタの服着てたら、ケーキなんて飛ぶように売れそう」


 上機嫌で話す店長の声を、右から左に聞き流す。


 売り場の裏で、春日はバイト着を脱いで普段着に腕を通した。ホールケーキの完売を受けて、本日は十八時でバイト終了と相成った。


「すごいね、こう、オーラがあったね。美人のオーラ。あの子にあの顔でお願いされたら、ケーキなんて全部あげちゃうね」


「そうやって見た目に騙されてると、そのうち痛い目見るよ。店長、お人好しなんやから、気ぃつけてや」


 浮かれ千切りながら「好きなケーキ持ってっていいよ!?」と騒ぐ店長に、珪は柑橘のショートケーキをひとつ注文していた。きっちり料金を支払って帰って行ったあたり、最低限の常識は身につけているようだ。本当にすべてのケーキを持ち帰ろうとしたらどうしようかと思っていた。


「あの顔に騙されるなら本望」などとほざく、人の好いおじさんに、あの天使の中身を暴露してやろうかと少々悩む。


 キンコン、と入店のチャイムが鳴った。


「あ、いらっしゃいませー! って、結衣ちゃん!」


「結衣?」


 小さな身体でドアを押し開けて入ってきたのは、もこもこのコートに身を包んだ妹だった。


 春日より九つ年下の妹は、春日と同じ焦げ茶の髪を伸ばしてポニーテールにしており、瞳の色も兄と同じ焦げ茶である。顔立ちも似ていて、初対面であろうとも「兄妹でしょ」と言い当てられることが多い。


「おま、どうした。塾は?」


「課題終わったから抜けてきた! 今日ならまだケーキ残ってるかと思って!」


 きらきらとした目で言う結衣は、クリスマス前後のケーキ屋事情をよく知っている。イブと当日には争奪戦となるケーキも、二十三日の今日であれば、まだ手に入る確率は高い。


「先生にはちゃんと言うてきたから心配ないで。一応、おにいと合流したら、電話入れてほしいって」


 結衣は一丁前に言いながら、「店長さん久しぶりやーん!」と店長に駆け寄り、「結衣ちゃん大きくなったねー!」と頭を撫で繰り回されている。


 きゃあきゃあと女子のように(片方が確かに女子だが、もう片方はおじさんである)騒ぐふたりを眺めれば、結衣の右手に白い箱が見えた。


 このケーキ屋の箱だった。


「結衣。それ、どうしたん」


 聞けば、結衣は「そうそう」と白い箱を掲げてみせた。中には本当にケーキが入っているのか、その手つきは慎重である。


「これ、今そこでもろてん。なんや金髪の天使みたいなめっちゃ綺麗な人に」


「は?」


「うちの顔見て、いきなり来て、そこでバイトしてる奴の妹かって聞かれて」


 店の外を指さしながら、結衣は首をかしげている。


「うち、おにいと顔よお似てるから、分かったみたい。このケーキ、おにいに渡してほしいって。渡すはずやったんやけど、うまく出来ひんかったからって」


 箱を開ければ、中には珪が先ほど買ったばかりの、柑橘のショートケーキがひとつ入っていた。


「……わーお。春日、これはもしかしてあの子からの愛の告白、恥ずかしくてどうしても渡せなかったっていう恥じらいの結晶……!」


「絶対ちゃう」


 愉快な妄想を繰り広げる店長の声を、一言で切り捨てる。


 春日はバックヤードに駆け込んでコートを羽織ると、結衣に「ちょっと待っといて」と言いおいた。


「がんばって! 応援してる!」


 盛大な勘違いの声援は聞こえなかったことにして、春日は急いで店の外に出た。ぐるりと見回せば、幸いにも、白いパーカーの小柄な背中はすぐに見つかった。


 駆け寄った足音は聞こえただろう。珪は足を止めて、だるそうに振り返ってきた。


「なんだよ。まだ文句あんのか」


「お前さ、ほんまはどこ行くつもりやった?」


 春日は単刀直入に聞いた。


 どこか人目の付かないところへ連れ込んで、おやじ狩りのような蛮行に及ぶのかと決めつけた春日の邪推は、果たして本当に正しいか。


 珪は眉間にしわを寄せた。


「べつに。とりあえず邪魔な馬鹿外に捨ててこねえと、俺が買えねえだろ」


 他意があるようには見えなかった。


 思い返せば珪もあの場で「殴ってねえだろ」と言っている。あくまでもケーキを買うべく、邪魔な男を手っ取り早く排除しようとして、珪なりに穏便な対応を努力したのかもしれない。


 殴ってはいけないという我慢の結果、眼鏡を握りつぶすという蛮行に出てしまうあたりは、この少年の精一杯のところだろう。


「ごめん」


 春日は潔く頭を下げた。


「さっき、お前助け舟出してくれたのに、勝手に邪推してけなした。ごめん。ケーキ受け取った。妹に渡してくれたやろ」


 謝罪しようとして来た相手を前に、春日の態度は間違いなく非礼だった。


 珪は不貞腐れたように視線を逸らすと、数秒置いてから「殴って悪かった」と言い捨てた。


 謝罪というにはあまりにも不適切な態度ではあるが、ここまでの彼の言動を見ていれば、言葉をちゃんと口にしただけ偉い。


「これで、楠木さんの言いつけは守れそう?」


「詫びの品、渡したからな。これであと腐れ無しだな。二度と関わってくんじゃねえぞてめえ」


「なんかもう、あれやな。お前の態度、一周回っておもろいな」


 どう考えても、目の前の天使は、やばい奴である。

 今は大人しくしているが、顔色ひとつ変えずに他人の顔面を踏み割るような奴だ。珪の中にある暴力性は、春日が最も嫌う種類のものであった。


 それでもそこで春日が笑ってしまったのは、不貞腐れながら謝罪をする姿が、どうしても、不器用な子どものように見えたからで。


「しゃあないから、謝罪は受け取ったろ。面倒な客も追い出してくれたし。これで貸し借り無しな」


「そうかよ」


 珪はうっとうしそうに顔を逸らした。

 そのまま立ち去るかと思いきや、何か考えるように数秒止まり、もう一度こちらを見上げてくる。


「……ん」


「ん?」


 ずいと手を伸ばされて、思わずこちらも手を出したら、ぐいと何かを渡された。


 見れば、千円札が一枚。


「妹いんだろ。お前にだけケーキ渡したら、俺が文句言われる」


「ぶっは」


 吹き出すように笑ってしまった春日を見上げて、珪はますます不機嫌そうに眉を寄せた。

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そして、春がくる 山崎あんこ @ondecco

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