第一章 文芸部
号令の合図で放課後になり、途端に教室は喧騒に包まれる。終わった、や、疲れた、などの声がそこかしこから聞こえ、入学から一週間にして出来上がっているグループが集合していく。私は軽く伸びをしてからリュックサックを背負い、楽し気なクラスメートを尻目に教室を出た。
『本当に体育係で良かったのか? ぜったい面倒だぞ、アレ』
廊下に出るなり話しかけてきた結に、私は「別に良いんだよ」と返す。
「元々人気の無い係にしようと思ってたんだ。やりたいことも特にないしさ」
『ふうん……』
つまんねー人生だな、という呟きを聞き流して、鞄から〈北の便り〉と銘打たれたしおりを取り出す。ぱらぱらとページをめくり、部活動紹介ページを開いた。
「ほら、待望の部活巡りタイムだよ。部活動、憧れてたんでしょ?」
邪魔にならないよう廊下の隅に寄り、結にそのページを見せながら話しかける。相手が幽霊である以上、今の私は傍から見れば独り言をべらべら呟く変質者だけれど……まあ、気にしない、気にしない。
欠伸をかみ殺すような表情をしていた結は一転、目を輝かせる。彼女の正装である病院服をはためかせ、私の首筋に腕を回して後ろからしおりを覗き込んだ。
彼女が触れた部分にひんやりとした冷たさを感じた、ような気がした。
『おお……改めて、すげーたくさんあるよな! このずらーっとした羅列が全部活動してるわけだろ? バスケ部に野球部にテニス部に……ええい、全部回るぞ!』
「全部と来ましたか」
個人的に部活動にはあまり興味がない……というか、ぶっちゃけ楽であれば何部でもいい私だけれど、こうも楽しそうにしている結を見ていると、まあ、見るくらいならという気持ちが沸く。
暇だし。
「それじゃあ……えっと、校庭側から見ていこうか」
『よっしゃ、行こうぜ行こうぜ!』
れっつごー、と先行する白い姿に自然と頬が緩む。
話し相手が居るのはありがたいと、改めて思った。
結の存在について説明できることは、実を言うとあまり無い。
本名は天草結。十六歳を自称しているけれど、その割には小柄な体形と幼い顔立ちで、白い病院服(病衣、或いは患者衣というのだろうか)を常に纏っている。幽霊のイメージ通り半透明な身体は私のおよそ半径一メートル内において自由に動かせるらしく、大抵は背中らへんに居る。基本的に暇なのか、彼女の行うことといえば所構わず私に話しかけるか、ぼーっとするか、或いは私を取り囲むようにぐるぐる旋回するか、といった程度である。
出会いは三月の下旬ごろ。受験勉強からの解放感に身を任せ、自室のベッドで惰眠を貪っていた私を大声で起こした結は、『私、悪霊の天草結! なんだかよくわかんねーけどお前に取り憑いちまったみたいだから今後ともヨロシク!』と、一方的な自己紹介を行ってきたのだ。その突風のような挨拶と寝起き特有の気怠さから、非科学的存在である幽霊に対して〈驚くタイミング〉と〈受け入れる時間〉を同時に見失ってしまった私は、危害を加えないなら別にいいか、と、ずるずる存在を認めて今に至る。
悲劇的ならぬ非劇的。もしこれが漫画の一話だったら、そこで読むことを辞めてたかもだ。
天草結――あまくさ、ゆい。
実際、彼女はただそこに居るだけなのだ。人によってはストレスかもしれないけれど、少なくとも私は気にならない。むしろ同性の友達が棚からぼたっと生まれてちょっと嬉しい。
生前は身体が弱く、ほぼ病院暮らしだったらしい。最終的には小児がんによって亡くなったはずが、気付けば私の枕元に立っており、故にどうして私に取り憑くことになったのかは不明……と、こんなもんだろうか。以上の情報の大半は結による自己申告だから、どこまで正しいのか知らないけれど、個人的にはあまり気にしていない。私は分からないことを分からないままにしておける側の人間だ、実害がないどころか〈取り憑かれている〉という実感すらない以上、割とどうでもいいのである。
結の存在は声も含め、私以外に一切認知されないらしい。こうなると彼女は実は幽霊でも何でもなく、私のイマジナリーフレンドだったというオチを考えずに居られないけれど……まあ、その時はその時、どうか私を笑って欲しい。
笑われるのは好きだ。少なくとも、無視よりずっといい。
――さてさて。
『つかさ、つかさっ! 女テニとか楽しそうじゃないか、どうだよ!』
現在、部活巡り中。結は運動部を見つけてはフェンスを掴み、その一挙手一投足に興奮しては『×××とかどうだ』と、やや迂遠な言い回しで入部を勧めて来る。本人は直接言わないけれど、生前が運動と無縁だった分、結はスポーツに憧れがあるのだと思う。
汗を流し、努力を重ね、友情を深める――病室のベッドに縫い付けられていた彼女の生前を思えば、そんな青春らしさに憧れる気持ちも理解できる。けれど、同情だけでほいほいと運動部に入ってしまった場合、痛い目を見るのは結ではなく私である。私は心を強く保ちながら、尻尾でも振っているかのようにご機嫌な結へ、「何度も言うけどね」と諭す。
「私体力無いから、運動部はパスだよ。お触り厳禁、見るだけー、見るだけー」
どうやら諸々の決め事で午後までみっちり授業があった一年生と違い、先輩方は午前いっぱいで授業を終えて部活動に勤しんでいたようだ。加えて今日からは部活動体験期間、活動がそのままパフォーマンスとなる運動部はいつにも増して活発に練習することで、新たな入部生を獲得しようとしている。きらきら輝くその姿は私でも惹かれてしまう部分があったけれど、良い部分だけに騙されちゃいけない。こういうのは学校のパンフレットと同じで、悪い部分は実際に入るまでひた隠されているのだ、多分。
私の言葉に、結は不満そうに振り向いて口を尖らせる。
『なんだよー。体力無いから運動しないって、その理屈じゃお前は一生運動しないことになるじゃんかよー』
「一生とは言わないけど、なるべくは控えたいかな。何もせず、ただ自宅に帰るだけの運動部とかあれば、別に入っても良いんだけど」
『帰宅部じゃん……』
献身的マネージャー役やりたかったのに……と落ち込む結。彼女に応援されながらの運動は楽しそうでもあり、普通にストレスになりそうでもあり。第三者の無遠慮な〈がんばれ〉は、人と場合によっては負担になり得るから難しい。私はどっちなのだろう、と考えようとして、最後に誰かから応援してもらった記憶を思い起こせず、私は肩を落とした。
「…………」
テニス部の活動をぼうっと眺める。コートでは熱いラリーが行われており、フェンス内には部員の他に、活動体験に来たと思わしき一年生の姿がちらほら見られた。
彼女たちは何を求めてテニス部へ来たのだろうか。単純にテニスが好きだったり興味があったりしたのか、それとも、結と同じように運動部ならどの部活でも良かったのか。理由に貴賤があるなんて思わないけれど、願ったものが願ったように得られることは、とても稀だ。彼女たちの望みが叶うと良いな、なんて無責任なことを考えて――ふと、一年生の一人に、目が留まる。
遠目で見ても分かるロングな金髪を携えた長身の女の子。もちろん、街を歩けばカラフルな髪色なんて溢れているけれど、我が校では髪を染めることは校則で禁止されていたはずだ。現在は隣にいる子と何事かを話し合っていて、とても素敵な笑顔を振りまいていた。
「あの金髪の子、地毛なのかな」
『ん……ああ、隅に居る彼女か。そうなんじゃないか? ご両親がイギリス出身とか』
私の疑問に、結は興味無さげに返答する。私に入部を断られてしまった以上、テニス部に用は無い、ということらしい。
やがてラリーが止まり、先輩方と思われる集団が一年生を呼ぶ。金髪の子は率先して、先輩の元へ駆けて行った。
『行こうぜ、つかさ。まだ時間はある。お前にもビビッと来る運動部を探すんだ!』
「あ、うん」
ふいと視線を逸らし、そんな運動部は存在しないだろうなあと思いながらも、先行する結に付いていく。
……私はどうして彼女に目が留まったのだろうか。
金髪だったから。確かにそれは一因だと思う。けど、それだけじゃないような気もする。
或いは彼女の笑顔に惹かれたのかもしれない。混じり気が一切ない〈喜〉の表情に別世界を見て、私は自然、彼女を眺めてしまったのかも。
「私は笑顔が好きなのかもしれない」
『笑顔が好きな自分が好き、じゃなくてか?』
私の独り言を、結は片手間に腐した。
私はやがて、金髪の彼女のことを忘れた。
結局、一日では数ある運動部を回りきることは出来ず、三日程度を要した。メジャー所からマイナーなものまで、あらゆるスポーツを見学して結はそのすべてに興奮し、私は楽しそうに笑顔を振りまく彼ら彼女らをただ眺めた。
運動は嫌いだけど、眺めるのは好きだ。
「具体的にルールを知らなくても楽しめるんだから、スポーツって凄いよね」
『だな。まあお前は、全ての運動部をペケったわけだが』
「あはは……」
文句こそ言っているけれど、結は『まあ、予想はしてたぜ』とからから笑う。彼女はいつだって、何をしていても楽しそうだ。
『吹奏楽部って文化部だったんだな……あんなに体力使いそうなのに』
「運動競技じゃないからね」
今日は週明けの月曜日、運動部に続いて文化部を巡ることにした私たちは、取り敢えず校舎を巡ってみようということで、しおり片手にぶらついていた。
『こうして見るとどれも面白そうだな。ぶっちゃけ文化部って、運動部のオマケみてーなもんだと思ってたぜ』
なんて失礼なと突っ込もうと思ったけれど、正直、気持ちは少し分かる。
大抵文化部は運動部に比べて数が少なく、影も薄い。実際本校のしおりでも運動部の後ろに紹介されている上、明らかに割かれたページ数が少なかった。
『つかさ、中学では将棋部だったんだろ?』
無人の書道室を二人で覗きながら、雑談を振られる。そこは書道部の活動場所だったはずだけれど、どうやら今日は活動日ではないようだ。
「ん……と言っても、ほとんど幽霊部活みたいなものだったけどね」
『幽霊部活? 幽霊部員じゃなくて?』
「うん。部員、私だけだったし」
私も顧問の先生も、将棋は一応指せる、という程度のものだった。好きでも無いし嫌いでもない、みたいな。週に一回の活動日には一応顔を出し、基本的には雑談をするだけ、気が向けば一局指す、という緩い活動で三年を終えた。
「元々楽そうな部活選んだだけだから、まあ期待通りと言えばそうなんだけど」
『お前って省エネな人生送ってるよなー……』
省エネ。確かにエネルギーをあまり使わない人生だと自分でも思う。濫用して誰が困るわけでも無いのだから、もっと華々しく生きるべきなのだろうけれど。
やる気があるのか、とよく言われる。やる気ってなんだろう、といつも思う。
『そこまで行くと、逆になんで部活に入部はしたのか気になるな。別に必須ってわけでも無かったんだろ?』
「なんで、って……ほら、部活に入っておけば、何だか格好が付くじゃん」
『格好。まあ、分からなくもないが。となるとアレか、お前が一応はこうして部活巡りをしてんのは、楽にステータスを得られる場所を探してるだけか』
「嫌な言い方するなぁ」
否定しないし、間違っているとも思わないけれど。
『ま、別に文句はねーよ』くっくっと喉で笑う。『私はお前の人生っつー舞台の観客だからな。お前の人生は面白い。どうぞ好き勝手に生きてくれたまえ、だ。私はそれを肴にしよう』
「本当に悪霊みたいなこと言うじゃん」
『悪霊だからな。私ってば、結構悪いんだぜ?』
結は相も変わらず、楽しそうにくるくる回る。
悪霊、か。初めて会った時も、彼女はそんな自己紹介をしていたっけ。善い悪いは個人の裁量に寄る部分が大きいと思うけれど、結は自身を悪側とみなしているようだ。
内心で首を傾げる。結は、何を理由に悪を自称しているのだろう。
やがて突き当りに差し掛かる。そこには人気のない図書室があるだけで、他に見るべきものは何も無いようだった。
私は踵を返す。
『そういやこの学校、文芸部無いんだな』
結がそんな疑問を発したのは、別館に到着した際のことだった。
そこは三階建ての建物で、本校舎からグラウンドへ出る道を途中で少し逸れた位置にあった。どうやら文化部の大半が詰め込まれている場所のようなのだけれど、碌な道筋がしおりに書かれていないせいで、発見までにかなりの時間を要してしまった。
こういう時にさらりと誰かに聞けるか否かで、学校生活の難易度は大幅に変わるのだろうな、と、他人事のように思う。
ハードモードは自己責任だ、哀しいことに。
「文芸部……って、何?」
『初めて聞いた言葉みたいな反応するじゃん……』
呆れた顔を向けられながら、改めて文化部一覧を見てみる。確かに、そこに〈文芸部〉の文字は見られなかった。
気付かなかったというか、気にも留めなかったというか。
「実際、初めて聞いたも同然の言葉かな」腕を組む。「文芸部、文芸部……確かに部活動と言えば、みたいな部活だけど何してるのかとか、全然知らないもん」
通っていた中学校にも存在しなかった。
「あはは、何だか都市伝説みたいだね」
『都市伝説って……いや、私も活動内容とかは知らないけども』
別館の一階に入ってみる。初めて高校の門をくぐったときほどでは無いとは言え、未知の場所へ足を踏み入れることは、いつだってどきどきする。その内装はひどくこざっぱりしていて、まさしく部活動のためだけの空間、といった感じ。けれどいくつかある小部屋の中身はどれも華やかで、部活ごとの個性を強く感じさせる。
英語部に新聞部に写真部に、登山部なるものまである。
なんだか屋台みたいだ。
『お、漫画研究部があるぞ。漫研、ってやつだよな。文芸部の対なイメージあるぜ』
「ちょっと分かるかも。赤べこと黒べこみたいな」
漫画研究部も中学校には無かったけれど……こっちは何となく想像がつく。
「アレだよね、漫研さんって漫画を読んだり書いたりする部活だよね」
あまり漫画を嗜む方ではないので、部室には入らずに外から覗いてみる。中では数人の男女が和気あいあいと談笑していた。内容は……多分、好きな漫画について、だ。
「私も有名どころくらい読んでおくべきだったかな」
『会話カードゲットのためにか? だったら止めとけ。今の時代有名どころの漫画なんて大量にあるからな。無趣味ガールなお前が何十本も読めるとは思えん』
「む……」
そうすれば友達も一人くらい出来たかも、という浅い考えからの発言を一刀両断される。不純な動機が必ずしも悪いわけでは無いだろうけれど、私の場合は心から楽しんで読めず、会話をしても何処かでボロを出してしまいそうだ。
気付かれないうちに部室から離れる。新聞部には少し興味があったけれど、とりあえず三階まで回ってみようと、私は階段へ向かった。
「文芸部か……」先の会話を思い出す。「小説なら少しは読んでたから、もしあれば、話にもついていけたかな」
『まあ、漫画よりは共通の話題を持ちやすいよな、小説。教科書に載ってる分なら全員が読んでるわけだし……いや待て、そもそも文芸部って小説を語り合う場なのか?』
階段を上りながら、そんな会話をする。十二段が踊り場を挟んで二つ、計二十四段だ。
『文芸の部ってことは、どっちかと言うと俳句とか短歌とか、その手の古典的なアレなんじゃないか?』
「え、じゃあなに、俳句読まされるの? 私一つも知らないよ?」
『流石に一つもってことは無いだろ……ほら、有名な松尾芭蕉のがあるだろ?』
「あー……えっと、〈ほととぎす、ほととととぎす、ほととぎす〉みたいなやつ!」
『違う』
違ったらしい。
『芭蕉もほととぎすの句は読んでるが、有名なのは〈古池や〉の方だろ』
「あったね、そんなの」
『そんなの呼ばわりかよ』
単純なようで意外と奥深い句なんだぞ、と、結はその魅力を滔々と語り出す。話半分に聞きながら、私は彼女にしては珍しいな、と思った。
二階に上がる。そこは一階と違い、広い部屋が一つあるだけだった。全体を見渡して、一階も部屋が分かれているわけではなく、仕切りによって後から分けられていたことに気付く。
確か、ここは吹奏楽部の活動場所の一つとして載せられていたはずだ。公民館の会議室のようなもので、必要になった部活動が適宜借りる場所なのかもしれない。
『この場合、よく考えて見りゃ〈古池や〉から始まってる時点で〈水の音〉なんて言う必要がない、つーか普通に考えれば蛇足なところがミソでな……』
尚もぺらぺらと語る結に、「俳句、好きなんだね」と聞いてみる。
「ちょっと意外かも。〈俳句なんて古くて地味なシロモノ私には似合わねーぜ〉とか言いそうなもんなのに」
『……もしかして私、めちゃくちゃ性格が悪いと思われてるか?』
「良い性格してるとは思ってるかな」
『……そうか』思うところがあるのか、私の天草結イメージへの言及を止める。『俳句が好きってより、私は国語が好きでな。授業で扱わない部分まで熱心に読んでたタイプだったよ』
「へえ……ん、あれ、結って学校行ってないんじゃなかったっけ?」
『中学までは義務教育だからな。不当な理由でも無し、オンラインで参加してたよ。私だけ遠隔ってんで教師には迷惑かけたが……割と楽しい時間だったぜ』
「そうなんだ」
ちょっと素敵な話だ。技術が良い事に使われていると、不思議と嬉しくなる。
「じゃあ、文芸部が無いのはちょっと残念だね。結にとっては天国だったかもなのに」
『別に気にしねーよ。俳句を詠んでるかも、ってのも妄想だしな。だが、そうだな……学校の皆と私が、唯一共有できるコンテンツだったことは、事実だな』
「ははーん。さては〈おれはかまきり〉だね?」
『芭蕉は覚えてないくせに、そっちは覚えてんだな……』
さらに階段を上る。あれだけ入りたそうにしていた運動部を全て蹴ってしまったこともあって、文化部の希望くらいは聞いてあげてもいいかな、と考えていただけに、文芸部が無いのは私にとっても少し残念だった。
程なく三階に到着する。
三階は一階と同じように幾つかの部室に分けられていて、けれど少し趣が違っていた。
左側には数学同好会とギター部、そして右側には歴史研究部と文芸部――
「あるじゃんっ!」
なんて丁寧な前振りをしてしまったのか。廊下の奥には、〈文芸部☆〉と書かれたやけに大きな立方体が、堂々と鎮座していた。
『ええ……』
結は呆れた表情でそれを眺める。確かに一覧には載っていなかったと思いつつ、改めて他の部活動を見返して、そのどれもが同様に一覧にない部活と気が付く。
「ここって……つまり、部活未満のグループが集められてる場所なのかな。同好会とか、今は無い部活とか」
『ん……なるほど? しおりにゃ同好会の紹介ページは無かったもんな。じゃあ何だ、あそこに見える文芸部は、部員が規定に満たなかったとかで今は活動してないのか?』
私の言葉に納得したように頷く結。気のせいか、何処かほっとしたような表情を見せた彼女に、私は「そうとも言えないんじゃないかな」と話す。
「だって、活動してなきゃあんなでかでかと看板置かないでしょ、多分。よく分かんないけど、部って付いてるだけで実は同好会とか……」
と。
そこまで話したところで、小さくどたどたという音が聞こえて、私は口を噤んだ。
聞こえた場所は廊下の奥側の部屋から……つまり、文芸部の部室と思われる場所からだ。
どたどた音は待つ暇もなく大きくなり、やがて。
「新入生っすか、もしかして新入生来たっすか!」
一人の少女が廊下へ飛び出す。少女はこちらを見つけると、ぱあっと表情を輝かせた。
……独り言が大きすぎてしまったらしい。そんな私の後悔をよそに、中学生のような体格の少女は、こちらへ駆けよってにこにこと話しかけてきた。
「ようこそ、青春の掃き溜めこと別館三階へ! ここに足を踏み入れた新入生はあなたが初めてっすよ……ま、自分調べっすけど、ね!」
両手を広げ、歓迎のポーズを取りながらのキメ顔に、私は唖然とする。
『……ヘンな子だな』
結がぼそりと呟いた。
その後。
「いやー、まさか文芸部を探しに来てくれていたとは……自分、マジ感激っす!」
文芸部室に連れ込まれた私は、やたらにハイテンションな少女からの歓迎を受けていた。
普段授業を受けている教室の四分の一、いや、六分の一くらいの大きさだろうか。正方形に区切られたその場所は、どんと置かれた食卓のような長机を中心に、ぐるりと本棚に囲まれた異質な空間だった。本棚が大量にある分だけ大量の本が見られるけれど、中には空っぽだったり、明らかに荷物置き場として用いられていたりするものもある。
図書室ともまた違う空気感。よく言えばおおらか、悪く言えば雑だった。
「ささっ、どうか座って! お茶は無いっすけど、お菓子くらいなら出せるっすから!」
少女に言われるがまま、私は長机に着く。少女は小さく鼻歌を歌いながら本棚からお菓子の箱と思われるものを取り出していた。
『なあ……あの子、どう見たって先輩じゃないよな』
隣で微妙な表情をしながらの結の言葉に、小さく「私もそう思う」と返す。こうして文芸部で私たちをもてなしている以上、理屈で考えれば彼女はどう考えても先輩……三年生か、少なくとも二年生ではあるはずなのだけれど。
どう考えても未発達の身体付きと、百四十いくかどうかの身長。何よりテンプレートな後輩そのものの口調が、理屈と感覚にズレを起こす。
『私が死にかけのとき、丁度あんな貧相さだったな……』
微妙に反応に困ることを呟く結。授業中など、私と二人きり以外の場面では静かな結にしては珍しく、口数が多めだった。
「自己紹介がまだだったっすね」
お菓子を長机に置き、向かいに座った少女は、腰に手を当てて言った。
「自分、文芸部の部長やらせて頂いている東未冬って言うっす! まー自分の名前なんて英単語一個分の価値も無いっすから、単に部長と覚えて欲しいっす!」
「…………」
やっぱり先輩なんだ……
少し遅れ、私は慌てて「猫沢つかさです」と自己紹介を返す。
「猫さんっすね。よろです、よろよろ!」
早速あだ名で呼ばれ、若干身もだえる。『私、ぜってーこの人と仲良くなれねえ……』という結の呟きにあなたも大概だよと内心突っ込むことで、何とか心の平静を保つ。
「いやーしかし、へへ」恥ずかしそうに笑う。「改めて文芸部を探し当ててくれる人がいて、自分嬉しい以上にほっとしたと言いますか……いえ、しかしながら自分が気になるのは、文芸部を知るに至ったその情報入手経路っす。自分で言うのもアレっすけど、こんなマイナー部活、いったい何処から聞き及んだので?」
「……えーと」
先の廊下での会話において、私は自らを〈文芸部を探していたらここに行き着いた〉と説明してしまった。それは決して嘘じゃないけれど、どうにも短絡的な説明だったというか、正しくは〈適当にぶらつきながら文芸部の話をしていたら、丁度看板を見つけて興味を持った〉なのに、焦って事実を捻じ曲げてしまったというか……
問題は結の話が出来ないところだ。初対面の部長さんを怖がらせてしまいたくは無い。私はあまり出来の良くない頭を可能な限り回して、口を開く。
「その、文芸部に興味がある友達がいて、高校には大体文芸部があるものじゃないかって話になって、それで探して……だから、確信があってここへ来たわけじゃないんです」
言葉を選びながらの私の台詞に、部長さんは「ふむふむ……」と頷く。
「お友達さんっすか。確かに廊下でどなたかとお話しされてたっすもんね……と、おや? では、そのお友達さんは今どちらに?」
「……えっと、私、幽霊の友達が居まして」
『マジかお前』
色々考えてはみたけれど、結の存在を秘匿するのも本人に失礼かと思い、結局は誤魔化さずに話す。私の意図を理解したのか、結は呆れたようにじっとりとした視線をこちらへ向けた。怖がられてしまったらそれまでだ、と私は決心を固めたけれど、一方の部長さんは「なるほど!」と納得したように両手を合わせた。
「イマジナリーなアレっすね。自分にも覚えがあるっす!」
……うん。形はどうあれ分かってもらえて良かった。
痛い子だと思われるのは慣れている。得意と言ってもいい。
「あの……どうして文芸部ってしおりに載っていなかったんでしょうか?」
疑問に思ったことを聞いてみる。部長さんは、「あー……」と、何か嫌なことでも思い出したように頭を振った。
「それには幾つか理由があるっす。話せばちょっと長くなるっすけど……そっすね、文芸部が何をしているのかも含め、お話しさせていただくっすよ。時間、大丈夫っすか?」
「あ、はい。時間は大丈夫です」
暇なので、と続けると部長さんは「それは重畳」と笑い、丁寧な説明を始めた。
どうやら文芸部では、小説の執筆を行っているようだ。
部員の各々がテーマに沿った小説を書き上げ、年に三回、定期的に発行する部誌に掲載する。活動としてはそれだけの、非常にシンプルなものらしい。
「小説とは言ったっすけど、ぶっちゃけ文字で表現されたものであれば何でも問題ないっす。俳句とか短歌とか……昔、人気小説の評論を掲載してたロックな先輩もいたっすね。一応、毎回テーマは定めてるっすけど、無視してくれてもオッケーっす」
要するに適当なんすよ、適当。と、部長さんは笑って話していた。
現在部員は部長さん一名のみ。部長さんが入部した時点では三年生が二人在籍していたらしいけれど、彼等の卒業後は誰も入部せず、一年以上一人で活動していたそう。わが校における部活動の定義の一つに〈部員が三名以上在籍していること〉があるため、厳密には今の文芸部は部活ではない、とのこと。
「この別館三階は、そういう部活未満が押し込められた場所なんすよねぇ。ギター部と歴史研究部は既に部員ゼロっすし、数学同好会はそもそも活動してる姿を見たこと無いっす」
部活未満であること。それがしおりに掲載されていなかった理由の一つ目。
「二つ目の理由に関しては、うちの顧問が拘りの強い人だからとしか言えないっすね……〈興味の無い人を無理して呼び込むべきじゃない〉とかなんとか言っちゃって。興味があるかどうかを尋ねる機会すら奪っちゃったら意味ないでしょうに、全く……」
全くもう、と頬を膨らませる部長さんの様子には、何処か親愛の色も見られた。
部活未満、という状態が学校側でどう扱われるのか分からないけれど、曲がりなりにも活動出来ているのは、その顧問先生による尽力があるのかもしれない。
ある程度の説明を終え、それから少しだけ雑談をしてから、部長さんは席を立った。
「あんまり長居させるのも良くないっすね。体験期間はまだ暫くあるので、是非いろんな部活を体験してみて欲しいっす。本校舎にある茶道部とかイケてるっすよ!」
私も部長さんに倣い、「ありがとうございました」と席を立つ。私はお土産として幾つかのお菓子と一冊の部誌を受け取り、手を振られながら部室を後にする。
「興味があったらまた来て欲しいっすー! いやホント興味があったらで良いんすけど、こう、なんか、お菓子目的とかでも大丈夫っすからー!」
……微妙に未練のあるお別れの言葉だった。
で、現在自宅。
私はベッドに転がり、貰った部誌を読んでいた。
『……小説を書く、か。考えたことも無かったな』
私と一緒に部誌を読みながら、結はそんなことを言う。
「ねー。小説って私たちにとっては読むものだもんね」
その部誌はどうやら二年前に発行されたもののようで、奥付には部長さんも含め、計三人の名前があった。残り二人は恐らくかつての諸先輩方だろう、ペンネームが別で存在するから誰がどの作品を担当しているか、までは分からないけれど……少なくとも、あの部長さんが執筆したものがここに載っているわけだ。
基本的に作家と読者を繋げる要素は後書きだけで、決して会話することのない別世界の存在というイメージだっただけに、なんだか、少し不思議な気分になる。
「作家さんも生きてるんだよね。普通にご飯を食べて、普通にお風呂に入って……」
『先生だって元は生徒、みたいな話か?』
偶像に対する認識としては近い。初めから世界に存在していたのではないかと思わせるほどに完成度の高い名作は、けれど私と同じ生物である、人間の手によって作られたものなのだ。
「凄いなあ……」
部誌には恐らく一人一作の計三作が掲載されている。その内の一作目を読み終えて、私は天井を仰いだ。
タイトルは〈命を辿る〉。作者ペンネームは〈しいたけ〉氏。
文化祭準備のために大学へ泊まり込んだ大学生五人組と、そのさなかに発生した連続殺人事件、そして存在しないはずの六つ目の死体を巡るミステリー短編だ。リアリティラインのギリギリを攻めたようなトリックはミステリーらしくとても魅力的だったのだけれど(日本に土葬が許可されている墓地があることを初めて知った)、それ以上に私は、生々しくも人間らしい心理描写の数々に強く魅入られた。次は自分が殺されるかもしれない、という極限状況下における登場人物たちの醜悪な心情が容赦なく描かれる一方で、彼らは捨てきれない正善から、かけがえのない選択によって物語を優しい結末へと導いていく。醜悪と正善、果たしてひとの本質はどちらにあるのかをこちらへ問うてくるような、そんな作品だった。
正直に言って、粗の多いお話ではあるのだと思う。ミステリーとしては読者に対してアンフェアな部分が目立つし、メッセージ性を優先するあまりに、ストーリーは若干いびつで、放り投げられた伏線も見られる――けど、作者さんの情熱、作品に対するひたむきさを強く感じて、読んでいて、なんというか……いいなあ、と思った。
この作者さんには、どこまでも本気になれるものがある。それは私が欲しくてたまらなくて、けれど見つけられなかったものだ。
『…………』
結は静かにベッドへ腰掛ける。壁を自在にすり抜けられる彼女が座ることに意味があるのかどうか分からないけれど、大切なのは気持ちなのかもしれない。
「文芸部、あってよかったね」話しかけてみる。「しかも、俳句も詠んでいいみたいじゃん。結にとっては最高の場所じゃない?」
『……なんだよ、まるで入部が確定したみたいな口ぶりでさ』
結は小さく口を尖らせ、拗ねたように言う。
実のところ、帰宅してから……いや、より正確には文芸部室を見つけたあの瞬間から、結の様子は少しおかしかった。普段ならいついかなるときでも余裕そうな態度を崩さない彼女が、常にローテンションだったのだ。
『面倒な部活は嫌なんだろ? だったら自ら何かを生み出さなきゃいけない文芸部とか、いの一番にペケだろ』
「む……」
彼女のローテンションは〈どうせ文芸部には入れない〉という諦念から来ているのか、と一瞬考えて、それは無いと即座に否定する。
彼女はそこまで子供じゃない。
むしろ……入部して欲しくないと思っているような……?
「私は入ってもいいと思ってるよ? そりゃあ、中学の将棋部よりは大変だろうけど……どうせ暇だし、結が入りたいなら、全然いいよ」
『私が入りたいなら、って……お前、自分の意志とか無いのかよ』
「うーん、無いと言えば無いけど……でも、結の希望を叶えたいっていう気持ちも、それはそれで私の意思じゃないかな。それとも、結は入りたくないの?」
『……いや、そういうわけじゃ、無いけど』
なおも微妙な反応を見せる結。
……なんとなく、分かってきた。
「結、さては私に遠慮してるでしょ」
『なっ……』
「あはは、結って悪ぶってる癖に、凄く優しいよね」
要するに彼女は、〈自分の希望でつかさの部活を決めていいものか〉と悩んでいたのだ。あれだけ運動部への入部をせがんでいたのは、私が絶対に入部しないと分かっていたから。
「もっと素直になってもいいのに」がばりと起き上がり、結と視線を合わせる。「そりゃあ、全部を叶えてあげるのは無理だけど……私は友達のお願いなら、可能な限り叶えてあげたいと思ってるんだよ?」
『……別に、つかさに遠慮してるわけじゃねーよ』
結は私から目を逸らし、耳を赤くする。
『ただ、死人が、過度に他人の人生へ干渉するべきじゃないと思っただけだ。どうして私がここにいるのかも、幽霊になったのかも分かんねーけど……少なくとも、私の人生はとっくに終わってるんだ』
「だから、それが遠慮してるってことでしょ」
死人が現世へ干渉すべきではないという意見は、一側面では正しいけれど……同時に、先人は重んじるべき存在でもある。バトンは、そうやって渡されていくものだ。
私はまだ、彼女からバトンを受け取ってはいない。
「……よし、決めた! 文芸部、入っちゃおう!」
『……正気か? お前、小説なんて書けないだろ』
私の言葉に、結はいつも通り皮肉げな言葉を返す。けれどその響きに、不安とそれ以上の期待が混ざっていることを見逃すほど、私と彼女の仲は浅くない。私は「何言ってるの、二人で書くんだよ」と不敵な笑みを浮かべた。
「私と結の二人三脚だよ。国語、好きなんでしょ?」
『お前なあ……』
はあ、と、諦めたようにため息を吐いて、結は小さく笑った。
『ちょっと、楽しそうじゃんかよ』
四月半ばの夜。
私は、珍しく明るい未来というやつを空想した。
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