自費出版を考えている方へ。経験者のみが知る現実とおカネ、さらにメリットとデメリットを赤裸々に語ります。

水森 凪

―星に願いをー

恥多き人生を送ってまいりました。


いきなりこんな太宰治的な書き出しから始めるのも、私が「活字を紙媒体にしてより多くの人に読んでもらいたい、あまつさえプロ作家と同じ棚に並べてもらいたい」という無茶な欲望を抑えきれず、予想通りの後悔を背負って、いまだにそれを降ろせないでいるからです。


まずは説明から行きましょう。


自費出版にはざっと分けて二種類あります。


まずは、「自分のための記念本」としての「私家本」。個人出版とも言います。

一般書店に流通させず、部数もできるだけ少なく抑え、親せきや知り合いに配って、あとは自分のためにとっておくもの。

自分史とか趣味の俳句とか旅行記など、ご年配の方が出されることが多いようです。


私見では、これが自費出版の正しい形だと思っています。大手でなくとも、地元の小さな出版会社を調べれば大抵のところでやってくれます。


もう一つが、ISBNコードを付けた、料金設定のある「流通本」。


「書店に並び、お客に手に取ってもらえる」という、素人物書きのココロをくすぐるあれです。

有名どころの自費出版専門会社だと、300~1000部と、最低発行部数が決められてます。

もちろん料金は装丁の質やページ数、デザインにどれだけ凝るかでまちまちですが、デザイン校正編集その他お任せで、プロの四六判ハードカバー本と比べて遜色のない出来に仕上げてくれます。ええ、ざっと100万以上出すならば。もちろんさらにグレードとページ数上げるなら300万円ぐらいは覚悟しましょう。


この場合、著者は完全に出版社にとって「お客様」です。


大枚はたいてこれの出版に踏み切る人に、自費出版社は甘い夢を抱かせずにはいません。とうとうと語り聞かせてくれるのは、まれな成功者の名前。


世の中には、ごく少数とはいえ、自費出版から出たヒット作だってある。

リアル鬼ごっこ。氷の華。B型自分の説明書。ほかにもいろいろあります。映画化され、ドラマ化され、そののちもプロ作家としてその後ヒットを飛ばしている作家さんもいる。あなただってそうなる可能性はゼロではない、宝くじだって当たらぬとわかっていても「買わなきゃ夢も見られない」のです!


嗚呼なんという説得力。

そしていまだに「後悔の荷を下ろせないわたくし」は、

あろうことか甘い夢にとらわれて、私家本と自費出版の両方を自腹で出すという、バカの権化みたいなことをしでかしたのです。


まずは、「私家本」を出すことになった経緯からお話ししましょう。


結論から言って、これを出したことにそれほど後悔はしていません。もともと本が売れて収入になることなど望んでいなかったからこその私家本だし、なにより「ぜひ欲しいという人の手にきっちり渡すことができた」からです。


そもそも、自分の作品を「ちゃんとした書籍にしたい」と強く思うようになったのは、今から10年も前。


ある衝動に駆られて、ド素人としての処女作を、あろうことかブログで強引に連載し始めてからでした。某巨大小説サイトに登録するその前のことです。


とある漫画原作の映画に入れ込んだ私は、主役が推しの俳優だったこともあって、期待に反した終わり方をしたその作品に我慢なりませんでした。

さらに原作漫画のファンだったこともあって、自分勝手に「主人公をお借りしての若き日の二人の物語」つまり二次創作を、こともあろうにブログで書き始めたのです。


小説読みさんにとっては「一番望ましくない形態」であることはのちに知りました。小説は小説サイトにきちんと掲載するべきだと。


そんな一般ルールも知らぬまま、風の向くまま気の向くままに、私はブログでだらだら延々と連載を続け、勝手にシリーズ化し、それまで「推しを愛でる気ままなブログ」だったはずの場所を「独りよがりの素人小説の発表の場」にしてしまったのです。いわばこれが「処女作」になります。

でも、この蛮行は思いがけず好意的に受け入れられました。それまでにないほどのコメントや熱心な感想が次々寄せられて、私は素人ながらに「私の文ってそれなりに読めるんだ」という「手ごたえ」を感じてしまったのでした。


そして幾人かの方に望まれた通り、あくまで私家本として、自費出版専門の出版社で本にしてもらうことにしたのです。


本にしたことにはもう一つ理由があります。


書いてみて、そして読んでみて分かったのですが、あくまで私の場合、パソコンで画面を読むのと、印字された字を紙で読むのとでは、脳の咀嚼度合いが全然違うのです。使っている脳の部分が違うというか。

紙に印字されたものを読むと、物語がより深く胸に入り、パソコンでは見逃していた誤字脱字がちゃんと確認できるんです。(それでも見逃しは多いほうですがね)


さらに、私が選んだ出版会社(以下A社、としておきます)は儲け主義的なにおいがほとんどなく、編集さんはみなとても感じのいい方で、たとえ金額的にもったいなくても、(事実100部刷っても500部刷っても実は料金はそんなに変わらないので少数出版はとても贅沢な道楽になるのです)ごく少部数でも請け負ってくれました。試し刷りを読んでここを直したいというと何度でも快く応じてくださり、あまつさえ「内容に心奪われるあまり校正するのを忘れそうになっちゃいました」などと担当の女性編集者さんは心くすぐることを言って下さいました。本当に、小説が好きな人たちがやっているアットホームな出版印刷会社という感じでした。


私も出せる範囲内で、料金表を見ながら仕様を淡々と決めることができました。


総ぺージ数375ページ、四六判ソフトカバーで発行数確か50部、かかったお金は60万ぐらい……だったかな。


(もう契約書のありかもわからないので正確なところはわかりません)


ふつう本にとって一番大事な文章校正は、作者にほぼおまかせか出版社が手を入れること一回、それ以上は普通別途料金がかかります。が、ここでは何度プロに頼んでも無料でした。

かくして「限定ファンのための私家本」は出来上がりました。少部数に抑えたとはいえ、ぼろい中古車が買えるんじゃないかというぐらいのお金はかかりました。それでもネットで他社と比べたら破格の安さでした。


本の表紙にも本文にも、自作のイラストを使い、挿絵もデザインも自分でしました。本業は元漫画描きだったからです。結果、自分でも納得のいく仕上がりになりました。

刷った分の本は全部望む人の手に渡りました。そして「価格は設けないので送料だけでいい」といったにもかかわらず、全国各地の読者さんから、ご当地名産品が毎日のように家に送られてくるようになり、キッチンは日本物産展のような有様になりました。


北海道はもちろん白い恋人、仙台駄菓子、富山は縁起物の鯛かまぼこ、和歌山からはポンジュース、博多通りもん、宮崎からは日向夏、東京だとお菓子の詰め合わせなどなど。


さらに「もう在庫はないのですか」という問い合わせが相次ぎ、

結局、私は最初刷った時と同じぐらいの数の本を「増刷」することになったのです。

これが価格付きで書店流通してる本ならまだしも、持ち出しで作った本です。

増し刷りした分だけ、とんでもない大出費となりました。はい、自業自得です。


それでも私は満足でした。


幼いころから、自分の夢は本屋さんになることでした。そして幼稚園児の私は、本屋さんにある本はみんな「本屋さんが自分で書いた本」だと思っていたのです。だから本屋さんとはどんな小説でも童話でもかける天才なのだと思っていました。


ある意味、私は幼いころの夢であった「本屋さん」になった気分だったのです。

その時いただいたファンレターの束は、今も私の宝物です。


そこでいい気になった私は、「小説家になろう」という素人の小説発表のサイトを見つけてしまいました。


ここなら何書いてもタダだ。多くの読者を抱えるここに、あえて本のもとになった小説を連載で載せてみようと思い立ったのです。

なんといってもこのサイトは書き手・読者数がめちゃんこ多く、参加者にも何の資格もいりませんからね。

自分としても、書きたいことがすべて書ききれた処女作品は、今現在までに私が発表したどの作品と比べても常にベストの位置にあるのです。そこでさらに、多くの人の目にさらして評価を待ちたいという思いがありました。


さて、長尺な私の自信作は「小説家になろう」でどんな評価を得たでしょうか。


このサイトでは、多くのサイトがそうであるように「評価ポイント」と「ブックマークポイント」が数字で換算されます。書籍やアニメ化されるものではポイントが万単位に届くのなんて珍しくもありません。


で。

私の渾身の処女作の総ポイントは何点だったか。さあさあ。


なんかよく覚えていないのですが、確か「4点」でした。


よんてん。



百点満点の四点じゃありません。「なろう」の最高ポイントは天井知らずの万単位ですから。

そう考えると、のび太の「0点」より衝撃的かも。


あれ程に熱狂的に支持され、全国からお礼の品やファンレターが届いた作品が「4点」。

さらに、なろうではその後「二次創作」に規制が入り、自慢の作品の掲載は不可能になったので、私はとっとと「よんてん」の連載作品を全削除しました。


……そうか。そうなんだな。

私は「なろう」で身の程を知りました。


たまたま有名原作があり、それを映画化した作品があり、メインキャラには濃いファンがついていて、私は主役俳優のファンとしてのブログを書いていて、そのうえでのあの人気だったんです。本を手にしてくださったのはほとんどが、その主役俳優のファンでした。


それを全部自分の手柄と思っていた。その結果がこの体たらく。


いくら異世界転生やハーレム、チート、VRMMO、悪役令嬢だの後宮ものがメインと言われているサイトであっても、これが自分の評価だと冷めた目で自覚しないわけにはいかない。

ここは自分の居場所ではない。もう余計な小説ごっこはやめよう。


と、いったんはそう思ったのでした。


それでも、思いました。ああこれ、本にしといてやっぱりよかった。していなければ、どこにも存在しない幻の作品になっていたかもしれない、と。

この先何年書いてもたぶん、これだけ「やりきった」と言い切れる作品は作り出せないだろうと、「4点」にもかかわらず、今も思っています。


でもそのころから、二次創作とは関係なく、さらにポイント数にも関係なく、私の「創作欲」がむくむくと頭をもたげてしまい、私は憑かれたようにパソコンのキーを叩いて物語を書き始めたのです。

需要があろうとなかろうと、です。


真っ白な空間に文字だけで自分の世界を無限に構築できる。それはなんて自由で楽しいことだろう。漫画を描くには膨大な資料と紙とペンとインクとスクリーント-ンとアシスタントと飯スタントと意地悪な担当編集者が必要だけど、キーを打つのに道具はいらない。

それは童話であったり怪談であったり幻想物であったりサスペンスであったりヒューマンドラマであったりジャンルはいろいろでしたが、本当に一時期、私は「書く」という行為に取りつかれてしまったのです。


若い人向けのラノベ中心のサイトにおいて、短編中心で、作風としては文芸志向で完全にアウェイな私など、いただけるポイントなんて雀の涙でした。


それでも、自分的にヒットした作品を見れば、読んでくれる人の総数がこんなにいるなんてと感激したものです。ユニーク数(読んでくれた回数じゃなくて読者の数)が2万を超えた作品もありました。

そしてまた、思ってしまったのです。


自分なりに得心のいった作品を、二次創作でない作品を、今度こそきっちりした本にしたい。

本屋に並べても恥ずかしくないような。

ええいこの阿呆は、まだ懲りぬというか。


ええ、わかっているつもりでした。

様々な賞や公募を勝ち抜いて一流といわれる書店の棚に並べてもらうだけの資格と権利を得たプロの書籍と、己の乏しい金に任せてハードルを蹴倒し、駄文を同じ棚に並べようとする素人作家の狡さと愚かしさぐらい。


純文学作家なんて、よほどのヒット作家でもない限りプロでも3000冊売るのも困難だというのに、ど素人の本を一般書店にねじ込むことの「恥」をも、覚悟しているつもりでした。


聞いたこともない素人の本を、誰が買うっていうんでしょう。考えればわかります。


にもかかわらず、私は幼いころからの夢を捨てきれずに、しでかしてしまったのです。自費専門の出版社に原稿をデータで持ち込み、書籍にするという夢を、かなえずにいられなかったんです。

嗚呼なんという愚かなことを。イワンのバカ。こういう夢を捨てきれない阿保が尽きないゆえに、ああいう会社は栄えているのです。


知っているならひっかかるなよ!ストップ詐欺被害、私たちは騙されない、をNHKで腐るほど見てるのに「話を信じた老女はお金を下ろし」の婆さんレベルじゃないか!(今更怒ってどうする)

「わかっている、売れないことぐらい。でも、宝くじだって買わなければ夢は見れない」

この一心から、私は漫画家時代に稼いだなけなしの貯金をはたいて、自選短編集を編んだのでした。


その中には、すでに小説サイトに掲載済みのものもありました。一度載せた後で、「モラルにかけるし背徳的すぎる」と、削除したものもありました。さらに、これを世に出すために書いたという意欲作ともう一つ、心を込めた新作も入れました。


さて、これをどこから出そう。


ここからは完全匿名としますが、まずは私は「大手」を狙いました。前回のA社ではなく、主に自費出版専門の大手です。なぜかというと、ほかに比べて大変お高くつく代わり、そこから出ている本は確かに、装丁から中のデザインから、書店に並ぶプロの本と比べて何の遜色もない出来栄えだったからです。以下ここをB社と呼ぶことにします。


そしてここが肝心なところなのですが。


全国の書店では、現在、新刊は毎日約200冊出ています。 1ヶ月にすると約 6000冊、年間にすると約70000冊もの新刊が出ています。つまり各書店は、常に常に新刊を置くべきスペース確保に追われているということです。


ド素人の書いた自費出版本なんて、なんの工夫も宣伝もしなければ、まず売れるわけもないものを店頭においてはもらえません。


「全国の書店に流通するルートを持っています」とうたっているところは多いですが、それは「書店までは届けます」ということに過ぎなくて、そのほとんどはレジ裏の空間か倉庫に一定期間置きっぱなしにされたまま、一定期間が過ぎると出版社に戻されます。これが現実です。


が。


大手自費出版社の中には、「自社棚」を持つところもあります。お金を出して書棚を書店においてもらっているのです。その棚はもちろん「自社の自費出版専用棚」であり、出版社の名前を見ればそれはまるわかりです。そこに、確かに一定期間「置いてはもらえる」のですから、「あなたの本が書店に並びます!」は嘘ではないわけです。あっという間に中身は入れ替わってゆきますが。

あと、「さらに自作の宣伝をしたい場合のオプション」も有料でつきます。新聞の新刊一覧コーナーの一部を買い取り、そこに自作の宣伝文句を入れてもらうこともできます。さらにお金を出せば、特別イベントとして契約書店でその会社が出している自費出版本社を並べるフェアなんかにも参加できます。


つまり、自社棚を持たず、新聞広告という有料オプションをつけない限りは、自費本なんて「ある程度評判にならない限り」書棚に一冊も置いてもらえない可能性大なのです。


それやこれやを調べた結果、身の程知らずにも私は、自費出版の大手として知られるB社に足を運びました。


その時まで、とにもかくにも書店においてもらうのだから、出版社としても恥ずかしくない内容の作品を選ぶ、ぐらいは出版社側はしているだろうと思っていました。ある程度のプライドを、自分でも持っていたかったのです。

ここからはあまりいい思い出はないので、手短に書きます。


大手自費出版社だけあって、自社ビルは立派なものでした。


あらかじめ電話連絡をしていたので、大変腰の低い二人の男性社員が丁寧にお話を聞いてくださり、送っておいた小説の感想を聞かせてくれました。


簡単に言うと、

「これならいけると思いますよ。世間に出さなきゃもったいないレベルといえます。ぜひ出しましょう! 世間の目に触れさせましょう!」

はい、たぶん決まり文句ですね。

問題はそこからです。


ありゃ? と思うぐらい、いきなり赤裸々にお金の話になっていきました。


今自分名義の貯金はどれぐらいあるか。親に頼らなくても最低ウン百万のお金を用意するぐらいの余裕はあるか。(それ未成年に聞くことじゃない?)あなたの短編集を丁寧な装丁で出すとしたら、まずこれだけはかかる、その覚悟はお持ちか。(ちなみに字数とフォントから計算してページ数は約300ページの予定、最低1000冊は刷る、金額は……ページ数に「万円」を付けた感じでした。どひゃー)


だから1000冊もいらないのです。売れるわけないんだから。でもここではそれが最低発行ラインなのでした。A社の発行数と値段と比べたらそう高くないじゃん、と言われそうですが、いらん数作られてその分の金を出せというのがやはり一番痛いのです。

お金はありますけど……(いくらなんでも高すぎる、とは言わなかった)と答えると、いきなりのセールストークに入りました。


当社からはこれだけのヒット本が出ている。どれも最初は稚拙な文章で話にもならなかった。しかし弊社が書き方を指南し、本人が書きなれてくるにつれ、作品は格段にレベルが上がり、いまは年収がもうこんな。ほかにこんな作家もいる云々。

あなたの本が売れるという保証はできないが、ただし「宣伝次第」だ。おカネに糸目をつけていればヒット作は出ない。自社ではそれができる。新聞広告もフェア参加も、そちらの決心次第です。今が決断の時ですと。


あまりの勢いに、ちょっと考えさせてください、何しろ高額なお話なのでと、パンフレットを手にそそくさと別れを告げて出版社を出ました。担当さんお二人が、玄関外まで出てきてそれは丁寧に私に頭を下げ続けてくれました。


こんなこと路上でされるのは、田崎真珠にたっかい真珠の首飾りを物色しに行って、散々説明を聞いた後主人と相談しますと言って店を出た後以来です。


その後、気持ちがズーンと重くなりました。


あの人たちはとにかく、お金の話しかしなかった。私の作品の内容は「大変結構ですね」だけ。そりゃ私はただの、高い買い物に来た「お客様」だもの、真珠のネックレスを買いに来た奥様と変わらなくもてなすわけだわ。


そして覚悟はしていたものの、とんでもない額だった。自分の持ち金を根掘り葉掘り聞き、あとは自社から出した成功本の宣伝をこれでもかこれでもかと聞かせ続け、決心は早いほうがいいと懸命にせっついてくるばかり……


最初に「私家本」を出したA社の、のんびりと温かい対応との、なんという違い。


そもそも私は、元漫画家だったのです。ありがたいことに連載漫画が単行本になったり、また書下ろしを豪華装丁本で出してもらったこともあります。大枚はたかなくても、自分の本が本屋に並んでいるのなんて何度も見てきました。それがそんなに嬉しかったか。その光景はそれほど価値のあるものだったか。


実のところ、天にも昇るほどうれしかった瞬間は、自分が「アシスタントとして背景を描いた」大御所の先生の作品を書店で見た時でした、自分の描いたものがあの名作の背景として印刷されてる!なんと光栄な!


でもその後、漫画家としてデビューし、次々単行本が出ても、嬉しいというより「恥ずかしくてろくに中を見られなかった」というのが正直なところです。


絵というものは、原画のサイズに比べて印刷されたときはかなり縮小されています。するとデッサンのゆがみが顕著になる。この腰つきは明らかに不自然、これはパースが狂ってる、私はへたくそだ。これは世に出ている雑誌が印刷していい絵じゃない。素人を貫けばよかった。


見るたびに赤面し、同人誌で済ませておけばよかったのにこんなもの人目にさらして、とひたすら恥じていたのです。(コミケットで編集者に一本釣りされてデビューしたのであります)なぜかわかりませんが、プロの漫画家としての自分に常に自信が持てませんでした。だんだんメジャーな雑誌からお声がかかるようになると、汗水たらして執筆しながら、いつも激しい腹痛を起こしてメンタルを病み、ぶどうパン以外何も食べられなくなりました。


なのに、小説本を書店に並べたいと願う私は限りなく尊大で、お金で権利を買おうとさえしている。なんなんだろう、この抑えがたい衝動は、この欲望は。自分でもよくわかりませんでした。


さらにあのB社は、相談した翌日、いきなり電話をかけてきたのです。


「実は印刷ラインに乗せていた作品が急遽取りやめになった。急にラインに空きができた。こんなことはめったにない。今なら4割引きでお引き受けできます、こんなラッキーな話はありません、どうですか」と。

「あのええと、そうはいっても相当な出費ではあるので今は答えが出せません、考えさせて下さい」と、混乱のさなかにあった私が答えると、

「このお値段を提示できるのは二日の間だけですよ。今返事できない理由は何ですか。こんなチャンス二度とはないですよ、決断できない理由を教えてください」となかなか引き下がってくれないのです。


私は、お返事はメールでしますといい、電話を切りました。

そして、本音の本音を伝えました。


私は内容次第で落とされても仕方ないと思い作品を持ち込みました。内容についてあれこれ指摘を受けるものと思っていました。でもそちらから出るのはお金の話と成功したごく少数の人の話だけ。でも、どんな作品も一流の装丁にして流通に乗せるからという約束をしてくださり、売れるも売れないも宣伝にかけるお金次第ということはよくわかりました。でも、この料金まで下げてもなぜ出すといわないかという性急さにはちょっとついていけませんでした。

よくよく頭を冷やして考えてみましたが私は事を急ぎすぎたようです、今のところおたくから出す気にはなれません、ごめんなさい、と。


すると間髪を置かず、大変切っ先のとがったお返事が戻ってきました。


こちらとしては現実に本を出すとなるといくらかかるか説明しただけだ。そこに嘘はない。いたずらに決心を急がせたつもりもない。こちらの熱意をそのような儲け主義と一緒だと決めつけるなど心外だ、こちらとしてもあなたなんかの書籍を販売する気になどなれない。せっかくのチャンスをふいにしたのはそちらだ。二度とメールも送ってこないで下さいと。


そこまで言うか? という権幕でした。


もう一生縁もゆかりもないであろう出版社とはいえ、B社に対する苦々しい思いはいつまでも残りました。断っただけで、なんであそこまで罵倒されなきゃならない? 田崎真珠を見習えよ。


そのメールを送ってきたのは、道まで出てきて頭を下げたその一人だったのです。あの恭しいよいしょの笑顔からいきなりの罵倒。

わたしはそこで、きっぱりとB社と別れを告げることに決めました。


それと、よくある落とし穴に自ら落ちてみるという冒険もしました。

(嘘つけ、バカだっただけだろうが)


何々文学大賞作募集中。あなたの原稿をお送りください。大賞作はこちらで全額出して出版させていただきます。惜しくも選に漏れた方にも担当が付き、内容によっては共同出版という方法を取らせていただきます。


うん、これもよく見るやつですね。


共同出版。よくわからないけど出版にかかるあれやこれやの費用を書き手と出版社で折半するやり方だということはおぼろげながら知ってました。

まあ大賞なんてあってないようなものだろうな、該当作品なし、ということで、甘い言葉で「共同出版」という名の、ほぼこちら持ちの自費出版を強引に進めてくるのだろう。


そうは思いつつ、応募する分にはただなので、短編を送ってみました。


見事に思った通りでした。


まもなく電話がかかってきて、


「あなたの作品は惜しくも大賞には漏れたが大変良い作品なのでぜひ担当をつけて、内容を多少編集させていただき、共同出版に持っていきたい。どうでしょう」と言われたのです。

さすがにそこで引っかかるほどめでたくはありませんでした。いろいろ学びましたから。

いえもう結構です、お金もないし、大賞じゃないならあきらめます。と、尊大な投稿者となって電話を切りました。要するに私はあわよくばただで出したかっただけなのです。救いようがありませんね。


ちょうどそのころ、あなたとはもうかかわりを持ちたくないと啖呵を切ってくれたB社の担当者から、なんと留守電が入っていました。


それこそもみ手でもしているかのような半笑いの声で


「B社の〇〇です、お久しぶりです。その後お考えは変わりましたでしょうか、いつでもお返事お待ちしております」と。


なーにをいまさら。二度とメールも欲しくないんじゃなかったのか。もちろん返事はしませんでした。


そして私の心はもう決まっていました。最初の私家本を出した、あのA社にお願いしようと。


正直、プロが本のデザイン装丁をすべてやってくれるB社と比べれば本そのものの出来栄えには残念ながら差があります。でもそんなことはこの際問題ではありません。何しろB社の示した「4割引き」の値段よりはるかに安く作ってくれるのですから。

第一、B社の最低部数である「1000冊」も本を刷られたら、返本の山で二階の底が抜けるでしょう。ここは少部数でも引き受けてくれます。

えーと、はっきり覚えてないのですが、この本は200部ほど刷ったと思います。


もちろん、A社には自社専用の本棚もありません。新聞広告を出すという有料サービスもなし。ただ、今までのあなたの作品…ブログのでもネットのでもいいから…を読んで寄せられた感想があるならそれを見せていただき、全国の書店への流通に向けて配本打診の際、出版社からの紹介文も合わせた宣伝チラシを作らないか、と言われました。有料ということでしたが大した額ではなかったので、チラシを作ってもらいました。他人からの評価があるかないかで置いてもらえる率はかなり変わる、ということだったので。


するとしばらくして、「これこれの書店があなたの本を置いてくれましたよ」という一覧表をいただきました。

まさかと思うような大手も入っていました。


でも置いてあるったってレジの裏とか倉庫だろう、まさか店頭にはあるまい、第一弱小出版社だし。と思いながら大手の書店に行くと、BOOKFIRSTや紀伊国屋、三省堂などの書棚に、新刊本として私の作品が並んでいたのです!


一番うれしかったのは、地方に住む知人が、「ヴィレヴァンで平積みになってたよ!」と写真を複数送ってくれたことでした。

実際自分でも、近隣のヴィレヴァンの、ポップにまみれたその先にいわゆるカルト的な本に交じって私の作品が平積みにされているのを確認しました。


それを見た時のうれしさ。


売れるかどうかなんてもういい。こうして自分の本が憧れの書店に並んでいる。

私の夢の一部はそこで成就しました。


(いやだから、漫画の時はなぜその感動がなかったのさ)


で。友達に宣伝もせずにそっと出したその短編集がどれだけ売れたかといいますと。


お笑いください。

出版社からきたお知らせでは、おおよそ87部でありました。


86か89かはっきりしませんが大体、そんなものでした。


まあ、見たことも聞いたこともない人間の本なんて、しかも文庫本でもないエラそうな装丁の1000円を超える本なんて、買う人のほうがキトクとはいえるでしょう。

でもとにもかくにも、100部もいかない。これが私の現実でした。


この作品は、出版前に、読書好きの夫と娘に読んでもらい、書店に並べて恥な出来ではないか忌憚のないところを語ってほしいと頼んでいました。

少なくとも「娘と夫」からは「これは人前に出す価値のある小説といえる、出すことを勧める」という返事をもらっていました。


私としては、表題作となっているある過激AV女優の悲劇(実話です)を基にした創作を、何よりも多くの人に読んでほしいと思っていました。そのための本といっても過言ではありません。(念のため、現在漫画家となっているあの方のことではありません)

けれど、魂をけずって書いたその作品は「有料」で人の手に渡った故に、「本を購入したものしか読めない、読んでもらえない」運命だということに気づいたんです。

ネットの小説サイトであれば、2万を超えるユニークユーザの目にふれさせることができるのに、いったんお金を取って販売した本の中身を、今更ただでネットで公開するわけにはいきません。それではお金を出して買ってくれた人に申し訳が立たないというものです。

結果、私が渾身の力で書いた作品は一生本の中に閉じ込められたまま「買った人以外」に読んでもらえずに終わる運命となったのです。


一番力を入れた作品が、たった87人の人にだけしか読んでもらえないという現実がそこにありました。


バカなことをした。本当に、バカなことを。あれこそ一番、人に読んでもらいたい作品だったのに。私は歯噛みする思いでした。アウェイであろうとなろうでよかったんだ、不特定多数の人に読んでもらってこその小説なのに。


そして私は売れ残りの本を管理する倉庫代をいちいち支払うのがあほくさくなって、(ここ大事です。たくさん刷ってもらって終わり、ではありません。出版社の倉庫においてもらう限り、毎月馬鹿にならない倉庫代を請求されるのです)残りの本を全部自宅に引き取りました。


ただ、アマゾンのブックレビューで星五つをつけてくれた方たちに、私は何度でも何度でもありがとうを言いたい気分です。

それだけでもう、書いたかいありました。


教訓。


小説は読まれてなんぼ、と思っているのなら、定価設定した流通本に自信作を入れてはいけない。ネットの小説サイトであれば、無料でたくさんの人に読んでもらえる。本に閉じ込めれば「買ってくれた人」にしか読んでもらえない。買われることと読まれること、あなたはどちらを望むのか。よーく考えましょう。


(もちろんここでは「自費出版」についてしか書いていないので、なろうやカクヨムでポイントを何万も稼ぎ、望まれて書籍化されてヒットしていく本は全く別物です。本屋に、中身の評価抜きでお金で置いてもらうことの是非を言っているのです)


というわけで、痛い思いを散々した結果、やはり「なろうの辺境で書き散らす」のが自分にあっていると決めるに至ったのでした。


長々しい駄文を読んでくださってありがとうございました。


それでも自費出版を出そうという人を、私は何が何でも止めようとは思いません。宝くじに当たる人も、世間には実際にいますから。

現実的に一番の問題は、売れると踏んで大量に本を作った結果当てが外れ、倉庫代がかさみ自宅に引き取ったのち置き場所がなくて頭を抱える人が多いという事実なのです。

(1000冊刷った人ってその後どうしてるのだろう)


私は「小説は印字されたものを紙媒体で読んでこそ」と思っているので本という形にしたことは正解だと思っているのですが、

んなものは今どき、1万円もしないお手軽製本機セットを買えば自分で作れるのです。

結果的に森林資源の大層な無駄無駄遣いをしてしまいました。


せめて最期を迎えた時、棺桶には花の代わりに余った本を詰め込んでもらえばと。

いや遺族にそんな恥はかかせられないし、第一入りきらないだろうが。


どこかの山に置き去りにしてヤギさんにでも食べてもらおうかな。


さあご一緒に。

イワンの、バカーー!!!


                        <了>


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