第9章 帰郷 5

 帰郷して3日も過ぎると、私を取り巻く状況の変化が鮮明になった。

周囲の様子が変わったのではなく私の見え方が変わったのだ。

まるで激戦地からの帰還兵のように生まれ育った世界に馴染めない自分がいた。

私にとって故郷は天国という幻想上の世界に近似した理想郷だった。

半年前まではそう思えたが、今は少し印象が違う。

 収容所に比べれば、確かに天国寄りの世界に見える。

片や、向こうは地獄に近いかもしれない。

けれども、地獄では無かった。

場所によっては楽園のような場所も少なからずあった。

となれば、地獄寄りの世界が此処にも存在するはずだった。

最近、その片鱗を感知できるようになったのだ。

以前は感じられなかった周囲の人たちの偽善的な振る舞いが嫌でも目につくようになってしまったのだ

 この世界の住民はよく微笑む。

屈託のない爽やかな笑顔が年中無休の日課のように板についている。

その笑顔の下には虚栄心や嫉妬心や欺瞞といった忌むべき感情が堆積している。

勝手にそう思い込んでいるだけかもしれなかった。

勘ぐりすぎかと思いながらも、家族や友人や町ゆく人を冷徹な視線で観察した。

自分自身の精神状態にも疑いを持ちつつ、注意深く客観的に分析を繰り返した。

何度鏡を見たことか……。

結果的には、自己解釈に過ぎないけれど自分自身に精神疾患という兆候は見当たらず、単に人間洞察力に磨きがかかったという結論に落ち着いた。

 人間観察をしていると、子供と大人はまるで違う生き物に見えた。

子供たちの多くは、良くも悪くも人目を気にせず喜怒哀楽を自由奔放にさらけ出していた。

そんな彼らも成長するにつれ、あの爽やかな笑顔の仮面を被るようになるのだ。

私も無意識にそうしていたに違いない。

そうした変容を大人たちは(成熟)と呼んでいた。

 大人が子供と決定的に違う点は、喜怒哀楽の(怒)が抜け落ちている点だ。

それぞれの胸の内には当然そうした感情があるに違いないけれど、何かに怒っている大人をあまり見かけない。

いや、あまりではない。

記憶を辿ってもまるで思い当たらない。

子供の頃に母に叱られはしたけれど、怒ってはいなかったし、昔から何かに対して怒っているのは、いつも私だけだ。

そういえば、いじめられていた子も怒ってはいなかった。

見ていた周りの大人も子供も、いじめた子に言い諭すだけで怒っている人は誰もいなかった。

怒りを露わにし、相手にぶつけていたのは私だけだった。

そういった発見があったりしたのは面白かった。

 調子に乗った私は人々の内面の恥部を確かめようと、好奇というフィルターを通して他者を凝視した。

そうこうしていると、今度は次第に他人のあら探しをしているような気分になり、独りで勝手に気が滅入ってしまい、それ以来じーっと人を見つめるのは止めにしたのだった。

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青い星の管理人 孤太郎 @kotaro209

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