第4話 殿下の前で目を閉じたら怒られました


「お。朝食は済んだのか?」


 

 執務室に入ると、すでにジョシュア殿下が私を待っていた。

 机の上には書類が散らばっていて、ずっとここで仕事をしていた様子が窺える。


 

「はい。殿下はまだ召し上がっていないのですか?」

 

「もう食べたよ。誰かと違って時間を無駄にしないだけさ」


 

 あきらかな嫌味と共に、爽やかにニコッと微笑むジョシュア殿下。

 顔と言葉が一致しないのは、いつものことだ。



 

 ……本当に意地悪なんだから。



 

 ついため息をつきそうになったけれど、なんとか顔には出さないようにこらえた。


 

「遅くなり申し訳ございませんでした。……トユン事務官はどちらへ?」


 

 この時間ならいるはずなのに、トユン事務官の姿がない。

 私の嫌な予感を肯定するかのように、ジョシュア殿下がニヤリと口角を上げた。


 

「席を外してもらったよ。セアラをいじめる楽しい時間は、俺だけで楽しみたいからね」

 

「…………」



 

 今、ハッキリと『いじめる時間』だと言ったわね。



 

 さすがに今回は真顔をキープできなかったらしい。

 私の引き攣った顔を見て、ジョシュア殿下が心底嬉しそうに表情を緩めた。

 

 そして、右手をクイクイッと動かし私に手招きをしている。


 

「セアラ。こっちに座って」



 

 こっちって、その机の向こうには殿下の椅子しかないわよね?




 

 不思議に思いながらも殿下の机を回ってみると、そこには普段はない簡易椅子が置かれていた。



 

 ……ウソでしょ。もしかして、殿下が自分で用意したの?

 私をいじめるために、わざわざ自分の椅子の隣に新しい椅子を用意するなんて……。



 

 ジョシュア殿下の無駄な行動力に呆れながらも、素直にそれに従う。

 ニヤニヤと笑みをこぼす殿下に見られながら、私はおとなしく椅子に座った。



 

 ……なんて楽しそうな顔なのかしら。

 それに、こんなに近くに座らせるなんて……本当にご自分で私の鼻に薬を塗るつもりなのね。



 

 さっきはハッキリ断られてしまったけれど、念のためにもう一度最後の悪あがきをしてみる。


 

「あの、殿下。やっぱり私が自分で塗ります。きちんとその薬を使用しますので」

 

「いや。俺がちゃんと塗ってあげるから安心していいよ」

 

「ですが、秘書官が殿下に薬を塗ってもらうなど……」

 

「いいって言ってるだろ」

 

「っ!?」


 

 椅子にもたれていたジョシュア殿下が、急に前のめりに体を動かした。

 距離が一気に縮み、殿下の彫刻のような美しい顔が目の前に現れる。



 

 わっ! 近い!



 

 置いてあった椅子にそのまま座ってしまったけれど、思っていた以上に近かったようだ。



「しっ、失礼しました! もう少し離れ……」


 

 そう言いながら自分の椅子の位置を移動させようと立ち上がると、ジョシュア殿下がギュッと腕を掴んできた。


 

「いいから座れ」

 

「ですが……」

 

「セアラ?」

 

「……はい。座ります」


 

 迫力のある黄金の瞳で見つめられると、まるで獰猛な獣に睨まれた小動物のようになってしまう。

 恐ろしいことに、殿下は笑顔だ。

 こんなにも威圧感のある笑顔を作れるのは、この腹黒悪魔王子しかいない気がする。

 

 そんな悪魔に逆らうのは即座に諦め、私は再び椅子に座った。


 

「これが噂のカシール国の塗り薬だ」


 

 そう言って、ジョシュア殿下が手に持っていた小瓶を私に見せてきた。

 透明な瓶に入っているため、ドロドロとした深い緑色の薬が嫌というほどよく見える。



 

 まあ。なんという禍々しい色なの。

 これがヒリヒリして痛いと噂の塗り薬なのね……どのくらい痛いのかしら?



 

「……怖いか?」

 

「い、いえ。まさか」

 

「ふっ。強がっているな」



 

 ……わかっているなら聞かないでほしいわ。



 

 私の反応をいちいち確認しては、楽しそうに笑うジョシュア殿下。




 ほんっとうに意地悪だわ! この悪魔!



 

 どうせ塗られるのなら、早く済ませてもらいたい。

 私は覚悟を決めて、ジョシュア殿下が塗りやすいようにクイッと顔の角度を上げて目をつぶった。


 

「よろしくお願いいたします」

 

「!」


 

 殿下のお楽しみタイム。

 すぐにでも痛いと噂の薬をたっぷり塗られると思ったけれど、殿下は一向に動こうとしない。

 見えなくても、殿下が動いていないのは気配でわかった。



 

 ……ん? まだ?



 

 焦らして遊んでいるのかとも思ったけど、なんとなく重い空気を感じる。


 

「あの、殿下。まだでしょう……か……。……!?」


 

 薄目を開けてみると、つい先ほどまでご機嫌な様子で座っていたジョシュア殿下の顔がひどく不快そうに歪められていた。

 とても国民にはお見せできないような悪人面だ。



 

 な、何この顔!?

 怒ってる!? どうして!?



 

「殿下……ど、どうされ……」

 

「なんで今、目を閉じた?」

 

「え? あの……見られているよりも、閉じたほうが塗りやすいのではないかと思いまして……」

 

「塗りやすいから? そんな理由で目を閉じたのか?」


 

 私の回答が気に入らないらしく、ジョシュア殿下は目を細めて私を見据えた。


 

「……?」



 

 え? 何?

 目を閉じるのがそんなにいけないことなの?

 

 あ。殿下の身に何か起きても守れるように、いつでも目を開けていろって意味?

 ……でも、私は護衛騎士ではなくてただの秘書官だし、たとえ目を開けていても殿下を守れる自信はないわ。

 

 うう……殿下はなんでこんなに怒っているの?

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