第2話 爽やかな仮面を被った腹黒王子


「それにしても、俺が後ろに立っているのに全然気がついていなかったみたいだな」

 

「は、はい。ちょっと考え事をしておりまして」

 

「そうか……。もしかして、多忙で疲れてるのか? 体調が悪いとか?」


 

 心配そうに眉を下げて首を傾げるジョシュア殿下。

 慈悲深い殿下の姿を見て、メイドたちから「なんてお優しいのかしら」「さすがジョシュア殿下だわ」と褒め称える声が聞こえてくる。


 

「いえ……大丈夫です」

 

「だが、顔色も悪いぞ。本当は調子があまり良くないんだろう? 今日は休みにしよう」

 

「いっ、いえ! 本当に大丈夫ですから!」



 

 今日は忙しい日なのに、休んでなんかいられないわ!

 それに、もし休んでもあとで今日の分の皺寄せが……。



 

 私のための提案をキッパリ断ると、殿下は困ったような顔で小さく笑った。


 

「セアラ。努力家なのが君のいいところだけど、無理していないか心配だよ。……あっ、そうだ! セアラのためにクア草のサラダを用意させよう」

 

「えっ」



 

 クア草のサラダ……!?



 

「この時期にしか食べられないクア草は、疲労回復の効果があるんだ。セアラの昼食に出すよう、料理長に伝えておこう」

 

「いえ! そんな貴重なもの、私にはもったいないです」

 

「俺の大事な秘書官のためだ。それくらいさせてくれ」


 

 優しく微笑む殿下を見て、メイドたちの頬が赤く染まっている。

 そんな彼女たちから羨望の眼差しを受けている私は、必死にこの状況をどう回避すればいいのかと考えていた。



 

 どうしよう! なんて言えば引き下がってくれるの?

 クア草のサラダだけは無理!

 だって……私はクア草が大嫌いなんだもの!



 

「あ、あの、殿下。本当にだいじょ──」

 

「セアラ」


 

 さっきより少しだけ低い声で名前を呼ばれ、笑顔のジョシュア殿下が私に近づく。

 そして私の耳元に口を寄せ、小さな声でボソッと呟いた。


 

「残さず食べろよ」

 

「…………はい」


 

 有無を言わさぬ圧のある声に、私はそう返事をすることしかできない。

 声の聞こえていないメイドたちは、単純に顔を近づけていた私たちを見てキャーーッと興奮した叫び声を上げていた。



 

 もう! この……腹黒王子が〜〜!!!

 殿下は、私がクア草が大嫌いだってよくご存知のはずなのに!



 

 私から離れたジョシュア殿下は、そのまま席に着き資料を確認し始めた。

 顔は満足そうにニコニコと笑っている。


 

「……では、私は失礼します」


 

 殿下へのお茶を用意しているメイドの横を通りすぎ、私は廊下に出た。

 早朝だからか、会議室の並ぶこの廊下にはまだ誰もいない。

 

 私は足早に歩きながら、ギュッと拳を握った。



 

 ああーー、もうっ!

 ちょっとぶつかったくらいで、大嫌いなクア草を食べさせるなんて!

 大丈夫なんて爽やかに言っておいて、本当は怒ってたのね。だからって、こんな嫌がらせはひどすぎるわ!



 

 この国の第1王子ジョシュア殿下は、その華やかな見た目にやわらかい物腰が好感を呼び、国民からも臣下からも絶大な人気を持つ王子だ。

 

 けれど、その実態は先ほどのアレである。

 そう。国民や臣下の前では爽やかで優しい王子だが、実際には人の嫌がることをして喜ぶ──腹黒王子なのだ。



 

 はぁ……。朝からついてないわ。

 ただほんの少しぶつかっただけなのに……。



 

「もう! どちらかと言ったら私のほうが被害者なのに! 殿下なんて全くの無傷じゃない!」

 

「そうだったのか」

 

「!?」


 

 誰もいない廊下で、こっそりと叫んだつもりだった。まさか背後に人がいたなんて。

 私は血の気が引くのを感じながら、恐る恐る振り返った。



 

 この声は……。



 

 予想通り、ジョシュア殿下が薄ら笑いを浮かべて立っている。


 

「俺が加害者で、セアラが被害者だったんだね」

 

「で……殿下。あの、今のは……」


 

 この麗しい王子の登場に、こんなにも恐怖で怯える女性はきっと私くらいなものだろう。


 

「言われてみればセアラの鼻が赤くなってるね。ごめん。怪我をさせていたなんて気づかなかったよ」

 

「い、いえ。け……怪我なんていうほどでは……」

 

「俺のせいだ。きちんとケアさせてくれ。大丈夫。カシール国の塗り薬なら、すぐに良くなるから」



 

 カシール国の塗り薬!?

 それって、あのとっっってもヒリヒリして痛いと騒がれていたものでは!?



 

 申し訳ないような顔をしていたジョシュア殿下の口角が、ニヤッと上がったのを私は見逃さなかった。



 

 やっぱり!!



 

「いえ。私にそのような大層なものは必要ございません。もう鼻も痛みませんし、大丈夫です!」

 

「それじゃ俺の気持ちがおさまらないよ。セアラは大事な秘書官なんだから、ちゃんと責任を取らせてくれ」

 

「…………」



 

 何が大事な秘書官よ!

 あの薬で痛がる私を見て楽しみたいだけよね!?



 

「セアラだから特別に俺が塗ってあげるね。メイドに持ってくるよう頼んでおくから、朝食を終えたらすぐに俺のところに来て」


 

 ニコニコしているジョシュア殿下はとても機嫌が良さそうだ。



 

 殿下にやってもらったら、どれだけ大量に塗られるか……想像するだけで恐ろしいわ。

 せめてそれだけは回避しないと!



 

「いえ。それならば救護室で塗ってもらいま──」

 

「いいから来い」


 

 麗しく微笑む王子から出たとは思えない、強い口調。

 こんなにキッパリと命令されてしまっては、もう私の答えは1つしかない。


 

「……はい」


 

 ジョシュア殿下は私の返事を聞いて満足そうに頷いた。



 

 あ、悪魔……!!

 他に人がいないと一瞬で本性を出すんだから!

 ああ……クア草だけでなくカシール国の塗り薬まで塗ることになるなんて……。

 今日は本当についてないわ。はぁ……。

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