まだ見ぬ未来へ
まだ見ぬ未来へ 1
リティが目を覚ますと、石造りの天井が見えた。
体には布がかけられている。――どうやら、大神殿にきたときに案内された、例の居室で眠っていたようだ。
人の気配がして、横を向く。二人が暖炉の前の椅子に座っている。
背中を向けた赤髪の少女――メイナが言った。
「それでねー。氷霊がいたんだよ……。氷の球みたいな、浮かんでるやつでさー! 本当にいたんだね……」
その話をとなりで聞いている人物がいる。
「ほう。なかなか、実物にお目にかかるのは、大変なんだよ。へたに近づいたり、しなかっただろうね?」
――そんな具合で、二人はずっと旅の話をしていた。
「でさー。もう食べ物なんて、後半はイナゴばっかりで。――ねえ、イナゴなんて、食べたことある? アズナイさま……」
リティはその名を聞いて、心臓が止まりそうになった。
『ふたりとも、力をあわせて、生きるんだ。そして、また会えるだろう。長い冬のはてで』
かつての、アズナイの言葉が蘇る。本当にまた、出会えたのだろうか。それとも、夢なのだろうか。夢だったら、醒めないでほしい。ずっとこの光景を見ていたい。
リティの体じゅうに痛みがこびりついていた。それらの痛みだけは現実じみていた。頭ががんがんと疼き、肩や腕や足の筋肉が悲鳴を上げている。腹や胸も痛い。
それでも、気がつくとリティは体を起こしていた。
もたつく足を引きずり、きらきらと光る白髪の背中に向かって歩いてゆく。
(だめ――触れたらこの夢が、醒めてしまう)
そう思うのに足は進んでゆく。
二人はリティには気づかずに話をしている。それでもふと、メイナが言いさして振り返ってきた。驚いた顔をして、リティ、と口元を動かした。
リティの右足に力が入らず、転びそうになる。それでもリティはがむしゃらに足を動かして、目の前の背中に抱きついた。
「アズナイさま……アズナイさま!」
青いマントからは、昔のように本と森の匂いがした。そこに顔を押し付ける。体の中から熱い塊が噴き出してくる。
「アズナイさま……」
リティの口元の生地が湿って熱を帯びている。
そのとき、リティは自身の手に、アズナイの手が重ねられるのを感じた。
アズナイはゆっくりと立ち上がると、リティの肩を支えた。リティは息を飲んでその顔を見上げた。白い前髪がかかる、結晶のような青い瞳の持ち主は、世界にひとりしかない。
「ほらね、また会えただろう、リティ」
暖炉の前の椅子がひとつ増えた。
リティはいまだに夢ではないかと疑い、手の甲をつねってみた。体じゅうの痛みのせいで、よくわからなかった。
リティはアズナイを見た。長旅のせいか服装はいささか傷んでいた。
白いチュニックに青いマント。マントの首元は氷星の刻まれた銀のボタンで留められている。革のズボンは使い古されていた。
「リティ、きみは……」
その声にリティは顔を上げる。
「――はい」
「大変だっただろう。あんなに途方もなく広がった結晶を、きれいにしたんだね」
「ええ。わたしは……。ただ、どうしたらいいかわからなくて。なにも、考えられなかったけど……」
「きみたちのお陰で、私も、みなも、生き返ったんだよ。本当に凄いことだ。リティ……きみは可能性を繋げたんだよ。――私が挑戦し、完遂できなかった、人々の救済という仕事を! ――私には、きみたちが成し遂げたことが、どれほど凄いことなのか、よくわかる。――リティ、メイナ。きみたちは成し遂げたんだ」
「ア、アズナイさま……」
アズナイは深くうなずくと、続けた。
「灰のリティ。――いずれ人々は、尊敬と畏怖の気持ちを込めて、そう呼ぶかもしれない。氷の年を生き延び、人々を救った魔法使いとして」
すると、メイナが乗り込んできた。
「え、あたしは?」
「ああ。もちろんだ。灯りのメイナ」
するとメイナは鼻をこすった。
「へへっ、いいじゃん」
アズナイは人さし指を立てて、いささか厳しい口調で言った。
「とはいえ、そう呼ぶかどうかは、他の人が決めることだ。だから、まだまだ、きみたちは学ばなきゃいけない。いいね?」
リティは笑顔を浮かべて「はい、アズナイさま」
そこでリティは肝心なことに気がついた。結晶の中には母親がいたはずだ。リティはアズナイを見て、
「そうだ、母はどうなりましたか? 結晶の中にいたはずです……」
アズナイはうなずいた。
「ああ。別の部屋で眠っているはずだよ。――もう、結晶が砕けてから丸一日が経って、多くの人が目覚めた。お母さんも、そのうち目覚めるんじゃないかな」
「本当ですか? よかった……」とリティは両手を合わせて笑顔を浮かべた。
「きみが大丈夫そうだったら、案内しようか? リティもいま目覚めたばかりだから、無理をしないでほしいんだけど……」
「わたしなら、大丈夫です。だから、お母さんに……!」
リティはアズナイに詰め寄った。アズナイはまたうなずいて、
「わかった。行ってみようか」
リティはにわかな目まいと頭痛に襲われながら、歯を噛み締めてアズナイの後ろを追いかけた。眠っていた部屋を出て薄暗い回廊をしばらく進んでゆくと、アズナイはある部屋の前で立ち止まった。アズナイは優しい目で、「ここだよ」と言った。リティは「ありがとうございます」と答えて、ドアを開けた。
部屋の中にはベッドが置かれ、そこに緑色のチュニックを着た、長髪女性がいた。紛れもない母親だった。足は床に置いてベッドに腰かけていた。リティは引き寄せられるように駆け出した。
「お母さん!」
母親は信じられないものを見るように、目を丸く広げて口を大きく開けた。
――母親は、ちょうど目覚めたところのようだった。リティは母親の胸へ飛び込むと、柔らかい懐かしさに包まれる心地で、しばらく母親にしがみついていた。
「リティ……。聞いたよ。本当に、がんばったねえ……。メイナちゃんと、わたしたちを助けてくれて」
暖かい手がリティの頭に触れた。リティは目を閉じてその温もりを感じながら、心の中でメイナに詫びた。
(ごめんね。わたしばっかり……。メイナ……。あなたのお父さんも、必ずどこかに……)
リティは名残惜しい気持ちで部屋を後にした。母親は着替えてから、水をもらいにいくと言っていた。アズナイとメイナが部屋に入り口にいた。
「よかったね!」とメイナは笑った。
「うん、ありがと、メイナ……。あなたのお父さんも、見つかるといいね。氷の年を、どこかで生き延びていると……。あとで、村の人に聞いてみようよ」
「うん……。そうしてみるよ」そう言ってからメイナは思い出したように、
「それはそうと、氷の年……。そうだ、氷の年って、あの祭壇の力だったの? マレナさんが、そんなことを言っていた気がしてさー」
こんどはアズナイが言った。
「そうか。きみたちには、伝えるべきかもしれないな」
リティたちの先をゆくアズナイは、石畳の回廊を進んで、通用口らしき所から外に出た。太陽は西の空に近づき、雪景色をオレンジ色に染めつつあった。粉雪が降っていた。乾燥と冷気にリティの喉はひりついた。
リティはマントを引き寄せて、アズナイの足跡を踏んでついていった。
「これから話すことは、きみたちの胸にしまっておくんだよ」とアズナイは歩きながら続ける。
「きみたちは、知る権利があるし、知るべきだと思う。あの氷の年というものが、なんであったのかを……」
リティは尋ねた。
「氷の年……。それは、女神ミュートの怒りだ、と、世間では言われていました」
「そうだね。その通りだ。けれど、それは真実ではない。――いや、真実なんてものは誰にも、わかりはしないけれど」
やがて神殿から離れた岩場までやってきた。そこでリティは、大きな岩の陰に光を見る。
「え、なにかある。――兜?」
それはたしかに、兵士がかぶるような銀色の兜だった。また、兜の下には平らな墓石みたいなものがあった。
アズナイは進んでいくと、兜の前で立ち止まった。
「騎士団長フォレイグ。彼の墓だ」
メイナが言った。
「え? 騎士団長、フォレイグ? それって、そうか。ライリさんが、追っていた……」
「ライリさん?」
「うん。旅の途中で会った、ええと。狩人の人で……」
アズナイはなにかを察したようにうなずくと、
「フォレイグは、王妃のセレミアと、許されない仲になり、国に追われたんだ。――さて、この続きは、あなたが語ったほうが、よいのでしょうね……」
リティは背後に気配を感じて、振り返る。するとそこには、マレナの姿があった。
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