聖地にて 3
リティはマレナへと近づいていった。
「どうすればいいんですか? なにか、人々を救う方法が、あるんですか?」
するとマレナは真剣な眼差しをした。
「祭壇の力は、魔法使いが使えるはずです。アズナイ殿は、凍える世界から人々を守るために、祭壇の力を増幅させたのです。それと同じように。アズナイ殿の結晶を破壊するか、消滅させるような魔法によって、人々を救えるのかもしれません」
「破壊…………」
リティは口ごもり、思わず自分の手の平を見た。
「アズナイ殿は、こんなことを言われたのです。『なにか、ミュートの導きの皮肉で、この魔法が失敗したり、または、結晶が一向に解けない、などという状況になるかもしれません。しかしそのときは、新たな救い手が、訪れるかもしれません』こうおっしゃったことを、憶えています」
「救い手…………」
「そうです。希望となる二人が、大神殿を尋ねてくるだろう、と。ひとりは、灯りの魔法使い。そしてもうひとりは、あらゆる因縁を解き、生まれ変わらせるだろう、と。それは、灰の魔法使いである、と」
リティは震えながら、再び自分の右手を見た。
「灰の魔法使い……」
「そうです。灰の魔法使いなら、結晶を壊せると」
「そんな。わたしが……」
マレナは少し離れた場所に立っていた。まるで、『これ以上言うことはない』とでも言っているようだ。
メイナはリティの近くで黙っていたのだが、ついに口を開いた。
「とりあえず、その祭壇を調べてみない? 魔法を増幅させるって言うんならさー」
「調べる?」とリティは言い返した。
「うん。まずは、ちょっと試してみるとか……」
「――わかったよ。そうだねえ。試しに」
リティは祭壇の裏へ回り込み、奥の壁を背にして祭壇に向かった。
リティは左手を伸ばして祭壇に載せた。
すると体じゅうに衝撃が走る感じがした。空から重たい力が降ってくると同時に、祭壇からも波が流れてくるような……。思わず息を飲んで、短い悲鳴とともに左手を引く。よろめいて、右手が背後の石壁についた。
そのとき、体じゅうに溢れる黒い波が、右手から一気に流れ出す感触があった。ついで、爆発するような感じ。
岩壁を見ると、一面に大きな穴ができていた。壊れた箇所は灰色に変色しており、足元には大量の灰が積もっていった。
「いやっ! ――なによこれ!」
「リティ! 大丈夫?」とメイナが駆け寄ってくる。
リティはふいな目まいに襲われ、思わず床に倒れ込んだ。手をついてなんとか体勢を保つと、一気に襲ってきた頭痛に、頭をおさえる。口の端から胃液とも唾ともつかないものが垂れてくる。リティはつぶやく。
「あ、ああ……。こんな、力が…………」
そんなとき、メイナの手の感触が肩に触れた。ふいに感じたその温もりに、リティは救われた気がした。
「大丈夫だった? リティ……」
リティはゆっくりと顔を上げて、メイナを見た。まだ頭痛がして、胃がねじれそうになってはいたが。
「うん……。わかんない。でも、生きてるみたいねえ。本当、とんでもないよ、この祭壇」
「ねえリティ。無理しなくて、いいよ」
「え?」
「だって、リティの体が……」
そこでリティはため息をついて、再びメイナの目を見た。
「アズナイさまや、お母さんが、結晶の中にいたよ……。たくさんの人々が。メイナ……。わたしだって、怖いよ。この力がさあ。――でも、もっと怖いんだよ」
「怖い?」
「――うん。もし、わたしがなにもしないことを選択して、後悔だけが残ったら。そうしたら、わたしはもう、自分が許せなくなる。――――そんな気がするんだよ。メイナ……」
「リティ……」
「わたしは、わかったんだ。みんな、後悔したくないんだな、ってさ」
「後悔?」
「うん。ローデンさんも。ライリさんも。ゴレちゃんも。みんなさあ、役割を持ってたんだよね。メイナ……。メイナだって、灯りを運んでるよ。だから、わたしは」
リティは腕を床に張り、重たい体を持ち上げる。体を起こすと、ゆっくりと立ち上がった。
「やってみるよ。やれるだけはさ……」
リティはアズナイの左側に行くと、左手に祭壇、右手にアズナイが届く位置に腰を下ろした。
メイナはすぐ近くに立っている。
リティの想像の中では、左手の祭壇から力を取り込み、右手からアズナイや人々に波を流す。そんなイメージがあった。
しかし、いざ取りかかろうとしたとき、当然ながら間近にアズナイの横顔が見えた。これほど真剣なアズナイの横顔は、見たことがなかった。
(アズナイさまですら、祭壇の力を扱うのに、苦労を強いられたのね。――だとしたら、わたしなんかに、できるの?)
ふと不安に駆られて、ぐるりと振り返る。――そこでリティは、その状況の凄まじさに寒気を覚えた。
三百人を超える人々の、期待と恐怖の混じった眼差しが並んでいた。
リティはそれらの人々の中に、自身の母親がいることを思い出す。それ以外にも、故郷の町の人たちもいた。
リティは肩や手を震わせながら、もう一度、祭壇の力を使うイメージをする。
――黒い波は結晶に伝わり、すべてを灰にしてゆく。そして、中の人々も粉々に引き裂いて、誰一人として残らない。
「だめっ!」とリティは思わず声を上げる。「だめだ…………」
リティは顔を歪めてメイナを見上げた。メイナは悲痛そうな表情で、リティ、とつぶやいた。
「メイナ、やっばりだめだよ、わたし……。あんなに、かっこつけたのにさあ」
目から涙がこぼれてくる。洟水も出てくる。
「リティ、当然だよ。怖いよね……」
「怖い……。怖いよ。みんな、殺してしまうかもしれないなんて。なんでアズナイさまは、こんなことができたの? 第一、失敗してるじゃん。アズナイさまは……。結晶、解けてないじゃん。アズナイさまだって、だめだったのに。わたしにできるの? ――――こんなこと。無理に決まってるよ!」
メイナは目を細めて黙っていたのだが、ふいにゆっくりと振り返って、結晶の中の人々を見た。それから次に、アズナイへと目を向けた。
「もしかしてさー。アズナイさまは、可能性に賭けたのかもね」
「可能性?」
「うん。たぶんアズナイさまがここに来たとき、氷の年のさなかで、どんどん寒くなっていたんじゃないかなー。でさ、そのままでも、みんな凍えちゃうの」
「でしょうね。たぶん」
「そもそも、北にやってきたのも、本当は、大した根拠もなかった気がするんだよ。そんな感じだったじゃん、アズナイさま。――だから、少しでも先に行けるように、線みたいな。可能性をつないでいってさー」
「可能性、か……」
「ここにいる人たち。――アズナイさまも含めて、もう、賭けてるんだよ。北に旅立ったときから。――きっと。闇の中をずっと歩いて。吹雪の中を歩いて。結晶に入る覚悟をして…………」
リティは振り返って、また人々の顔を見た。誰しもが苦衷の面持ちだったが、諦めた顔はなかった。運命のなすがままに、死を受け入れるような諦観はなかった。
誰しもが厳しい表情の中に、一縷の希望を潜ませていた。――瞳は閉ざされていたが、リティにはそう感じられた。メイナは言った。
「世界は、終わってないんだよ。リティ。まだ、あたしたちがいる。まだ、みんなの旅も、あたしたちの旅も、続いてるんじゃないかな…………」
その言葉によって、リティはふと、ライリにかけた自分の言葉を思い出した。
『わたしは、思うんです。女神ミュートは、あるいは夜風のシェイテは、わたしたちに、生まれ変われ、って言っているのかもしれません。終わりじゃないんだ、って。――だって、世界は、こんなにも荒廃してしまったけれど。――まだあるんです。続いているじゃないですか……。わたしたちも…………』
あんなことをよく言えたものだ、とあらためてリティは思う。
(まだ、世界が続いている、か……)
そこでリティはふと、アズナイの横顔を見た。こんどは、アズナイの声が聞こえる気がした。
『ふたりとも、力をあわせて、生きるんだ。そして、また会えるだろう。長い冬のはてで』
(ねえ、アズナイさま。また会えるって。あなたは、このことを言っていたんですか? こんな状況になるって。そう考えて。――アズナイさま。みんなを連れて、どうしようとしていたんですか? 賭けだったんですか? アズナイさま…………)
ため息をついて顔を上げると、マレナが広間の片隅にいるのが見えた。ことの成り行きを見守るように、心配そうに視線を向けてきた。
『そうです。希望となる二人が、大神殿を尋ねてくるだろう、と。ひとりは、灯りの魔法使い。そしてもうひとりは、あらゆる因縁を解き、生まれ変わらせるだろう、と。それは、灰の魔法使いである、と』
たしか、マレナはそんなことを言っていた。
(灰の魔法って、なんなんだろう。――いえ、魔法って、なんなんだろう。魔法使いって……)
そこで思わずリティは、メイナに話しかけた。ふと、心の中に閃くものがあったから。
「ねえ、魔法ってさあ」
「魔法?」
「うん。思ったんだけど。魔法っていうか、魔法使いって。可能性を運ぶってことなのかなあ」
「可能性を運ぶ?」
「うん。メイナは灯りを。わたしは灰を。そんな感じがして……」
「ふうん。そっか。そうかもね」
「きっとそうだよ」
リティは小さくうなずくと、
「ねえメイナ。灯りを出してくれない?」
「なんで?」
「目覚めた人たちが、冬が終わった、ってわかるように」
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