最果ての町で 3

 そのうち横を歩くメイナの足取りが怪しくなってきた。ふらふらとよろめいては、ときおり転びそうになる。


 リティにしても、ともすれば気絶しそうなほどに疲労していた。


(このままじゃ、だめだ……。少し休まないと。少しだけでも……。それにしたって、なんて雪原なの! これが女神ミュートの試練だとしたら、いったいなにを、あの大神殿に隠してるっていうの?)


 リティはメイナの手をぐいと引く。よろめいてきたメイナの耳に、リティは顔を近づけた。


「メイナ。少し、休憩しよう」


 どうやって? とメイナの口が動いた。


 リティは少し先に見える、雪に埋もれた岩棚を指さした。そこには、まるで大蛙が暗い口を開けているような洞穴があった。



 岩棚の洞穴は、斜面の下方に向けて口を開けていた。


 天然の岩棚に、人間が横穴を掘ったような様子だった。


 リティはメイナの手を曳いて、横穴へと体をすべり込ませた。それなりに奥行きがありそうだ。


 メイナはごそごそと手袋を外して、灯りを出してくれた。その灯りを頼りにリティも周りを見ると、奥は二、三人は入れそうな空間になっていた。中央に古い焚き火の跡があったが、燃えしろはない。


「へー、すごいね。こんなとこがあるなんて……」とメイナが言った。

「本当。すごいねえ」

「ミルガの町と、聖地を行き来する人のために、掘られたのかな?」

「どうだろ。たしかに、兵士や神職の人とかが、休憩する所なのかも」

「……あれ、なにかあるよ」


 メイナは横穴の入り口に灯りを向けた。


 リティもそちらを見ると、入り口に木の扉が取り付けられていた。開いていたため、気づけなかったのだろう。


「あ、これ、閉じられそうだよ」


 とリティは扉に手をかけた。吹き荒れる吹雪を隔絶するように扉を閉めた。途端に吹雪の音が小さくなった。


 メイナを見ると、降ろしたバックパックの雪を払っていた。バックパックを開けると、底のほうから魔法石を取り出した。

「こう寒くちゃ、どうしようもないよ!」

 そう言ってメイナは焚き火跡の中心に魔法石を置くと、灯りを重ねた。

 すると、しばらくしてから火が立ち昇ってきた。火は煌々と横穴を照らし、熱を放った。

「あったかーい……」とメイナは目を閉じて、火に両手をかざした。

「ほら、リティも当たりなよ!」

「うん、そうするよ。手がかちかちだよ……」


 リティは手袋を外しケープを脱ぐと、雪と氷を払ってから火の近くに並べた。それから火に両手をかざした。


 顔や手に血が通い、生き心地が帰って来た。



 リティは手を温めると、「干し芋、食べようか」


 バックパックに手を入れて、布の包みを取り出した。布を開けると四枚の干からびた干し芋が現れた。


「はいよ」


 とメイナに一枚渡してから、リティも一枚にかじりつく。なかなか歯がたたない。メイナも困った声を上げる。


「かったーい! 歯が折れるって……」

「よく噛んでさあ。火で炙ってもいいかも」

「そうなの? 余計かっちかちになるんじゃない?」

「どうだろ」

「とにかく、がんばって食べよう……」



 干し芋を食べてからしばらくすると、魔法石の灯りが弱まってきた気がした。


「どうしよ……」とメイナが不安そうな声を出した。

「もしかして、魔力が尽きる、のかな……」

「そんなー。まだまだ役立ってもらわないといけないのに」

「何度も使ってきたからねえ……。ローデンさんの話だと、魔法石の魔力には、限界があるみたいだから」

「リティ……。もう十分、あったまれた?」

「え? どうだろうねえ。まだ寒いかも」


 扉の外では、吹雪の音がひょうひょうとこだましている。


「あたしも、寒いんだ」とメイナは続ける。

「魔法石、温存しなきゃ、だよね」

「そうねえ。細々と使えば、しばらくもつかもしれないし」

「うん……。だけどさ」

「なに?」

「ねえリティ。旅はさー、いったいいつまで、続くのかな?」

「どうだろ。わかんないよ。今日とか明日までかもしれないし。――終わらないかもしれないし」

「そうだよねー。魔法石は、細々と使わないとね」


 そう言ったきり、メイナはじっと、消えてゆく火を見つめていた。


 横穴の中はまた、寒くなってきた。どうにも歩き出せる気がしない。


 リティはぼんやりと思う。もしかしたら、この横穴の中から抜け出せず、凍えてゆくのかもしれない。



 そのときのことだ。


 メイナは右手を魔法石にかざし、灯りをともした。灯りが魔法石に重なると、魔法石は強く赤く輝いて、また勢いよく燃え盛りはじめた。――まるで最後の熱を放ち尽くすかのように。


 メイナは黙ったまま、魔法石に灯りを注ぎ続ける。ますます魔法石は明るく燃え上がる。暖気が横穴を満たした。


「メイナ…………」


 リティはそこからなにも言えなかった。


 メイナの瞳の中には、真っ赤な炎が宿っていた。とはいえ魔法石の火は早くも弱くなりはじめ、魔法石自体も黒くなってきた。


「メイナ……。どうしたの? こんな使い方じゃ、魔法石が、もう……」

「わかってる。――あたしは、思ったんだよ。あったかさを忘れなければさー。凍えないんじゃないか、って。それに……」

「それに?」

「うん。もし、明日は。――明日は凍えちゃってもさー。リティと、一緒にあったまった、この火は、消えないよ。ずっと…………」


 それでもやがて火は消えた。メイナは立ち上がった。


「行こう」



 リティはメイナの手を握り、再び吹雪の中を歩いた。あいかわらず真っ白な、生命を拒絶する氷雪が吹きつけてくる。


 冷たく険しい道程だが、不思議と体の中には、奇妙な温もりがあった。


 メイナとつないだ手の温もりが、失われた魔法石の火が、足を前に出させた。


(どこまで、続くんだろう。この吹雪の道は……。もしかして、幻術かなにかで、永遠に終わらない吹雪の中を歩いているのかなあ。メイナ…………メイナは怖くないの?)


 そんな思いにかられて、メイナの横顔を見る。すると、メイナもケープを氷に埋もれさせ、苦しそうな顔で歩いている。


 それでもメイナは止まらなかった。


(メイナも、怖いし、苦しいんだねえ。――でも強いんだね。わたしと違って、前だけを見てさあ。ずっとあなたは、わたしの道を照らしてくれたね…………メイナ……)



 意識は遠くなり、足の裏の感覚がなくなってきた。猛烈に吹き荒れている吹雪の音すら、遠くに聞こえるようになった。



 ――きっと、吹雪の音がなくなったら、終わりなのだろう。



 なにも聞こえなくなったとき、静寂なるミュートの許にいく。そういうことなのだろう。



 リティはひたすら、メイナの手を頼りに歩いていった。



 やがて足元がふらつき、立っているのも精一杯になってきたとき、ついに静寂が訪れた。吹雪の音が聞こえなくなった。


 ぐらりと倒れそうになる。



(ごめんね、メイナ……。わたしは、もう…………)



 そのとき、メイナの声がした。


「抜けたかも」

「――え?」とリティは顔を上げる。

「レガーダ! 吹雪を抜けたんだよっ!」


 目の前には、大神殿の威容がそびえていた。



 最果ての町で おわり

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