最果ての町で 2

 掃除が終わり、暖炉に火を入れることになった。


 メイナは平らなシャベルに魔法石を載せると、灯りの魔法を重ねた。すると魔法石から徐々に細い幾筋もの火が立ち昇りはじめた。メイナはシャベルをゆっくりと、暖炉に差し入れていった。


 やがて枯れ枝や木材に火が移り、パチパチと乾いた音が弾けはじめた。


 火が安定するとまた、メイナはシャベルを引いて、魔法石を取り出した。


「ローデンさん、今夜も活躍だよ」

「活躍もいいけど、温存も大事だよ」とリティ。

「まあね。確かに、ちょっと火のつきが、弱まってきたかも……」

「そうよ。だから、ほどほどにしないとね」

「だったら、リティが火を熾す?」


 リティは口ごもりつつ、


「う、うん。必要なら、やるよ」

「はいはい。次は頼むね」

「やるってば。本当にさあ」


 リティはため息をひとつして、バックパックにくくりつけた、フライパンを取った。


「今夜は、さっき摘んでおいた香草と、イナゴと、水で戻したマクア。こんなところかなあ」

「さっきの干し芋は?」とメイナがかぶせてくる。

「この先で、必要になるかもよ」

「そっか」

「そうよ。今夜はこれで、十分」



 食事は終わり、フライパンの上には焦げたかすが残っていた。


 リティは、壁にもたれて少し眠そうなメイナの横顔を見る。赤髪が暖炉の火に照らされている。メイナは言った。


「そういえばさー、リティのパパとママは、どうしてるんだろ」

「なんで?」

「んー。なんでって……。気になるよね?」

「そうねえ。元気だと思うけど。――氷の年までは」


 メイナは頭を掻いてから、


「あたしは、アズナイさまのところに来てから、パパに五回も会っていない気がするよ。ラーニクから、遠かったからさー。その点、リティのほうが、近かったよね」

「そうかもね」

「そうだよ。なんかさ」

「なに?」

「みんな、生きてるといいね」

 リティはフライパンの汚れを、へらでこそぎ落としはじめた。その作業をしながら、思い出したようにつぶやく。

「メイナはいろいろ、期待してるんだねえ」



 リティは聖地へ挑む準備を整えて、町の中を歩いていた。毛皮のケープに手袋。バックパックには食べ物や布を詰めて。――メイナも同じような姿をしている。


 町の北端にくると、リティは聖地の一帯に目を向けた。


『無断侵入を禁ずる 北方警備隊』


 という立て札が眼前にある。木の柵があり、その向こうに雪山がそびえている。


 白い斜面は朝日に輝き、先々には山陵や大神殿が見えた。大神殿――それこそが聖地の中心であり、ミュート信仰の中心であるはずだった。リティはメイナへと振り返って、


「さて、行くよ」

「緊張するねー! 普通は、ここから先へ入れないんだよね」

「そうよ。氷の年の前なら、確実に捕まるから」


 メイナは不安そうに辺りを見回した。


「変なこと言わないでよー。怖いじゃん」

「誰もいないってば」


 そのとき風が吹いた。リティは身震いし、毛羽だったケープを引き寄せる。


「寒いの?」とメイナの声がした。

「どうだろ。雪山とかを見てたら、寒くなっちゃった」

「たしかにね……。でもさー。意外と近かったりして。大神殿まで半日もかからないかもね」

「どうかなあ。なにもないといいけど」

「心配なの?」

「まあね。だから、油断しないほうがいいよ」

「なるほどね。でもさー、どっちにしても、行くしかないよ」


 メイナはそう言って、バックパックを背負い直して歩き出す。横にぶら下がった水筒が揺れる。


「ちょっと、待ってよ」とリティは追いかける。



 黒く岩張った地面が先まで続き、やがて雪の斜面に変わってゆく。


 足の裏には雪を踏む、ギュギュ、という感触を感じるようになった。空気が薄く、少し歩くと息が上がってくる。


 少しずつ確実に、大神殿へと近づいている。


 旅の疲れの底には、期待と恐れが溢れていた。その熱に浮かされるように、リティは足を動かし続けた。――きっと、前をゆくメイナも同じだろう。


 緩やかな雪の斜面を進んでいるとき、ふと、奇妙な感じがリティを襲った。


 周囲の空気が突然、重たくなった感じがした。


 ぴしり、と硬質な音がした。まるで、かつて出会った氷霊が警戒したときに放った音のようだ。


「ひゃあっ!」とメイナの声がした。


 そのときにはもう、リティの周囲には吹雪が吹き荒れ、視界は真っ白になっていた。早くもフードの端が白く凍結していた。


「メイナ……気をつけて。氷の魔力が働いてるみたい! ――きっと、侵入者を足止めするための、罠みたいなものかも。――これは、見かけなんかより、大変な雪道だよ!」


 すると吹雪の向こうから、メイナの声が聞こた。


「わかってるよ! 行こう! ここまできたら……!」



 吹雪の中をもう、三時間以上は歩いただろう。とはいえ、時間の感覚はほとんど消え失せていた。


 いつしかリティは、メイナと手を繋いでいた。――旅をはじめてからも、これほどメイナと近づいて、手を取り合って進むようなことはなかった。


 はぐれないように、飛ばされないように、少しでも近くで、一緒に歩かなければならなかった。


 息をするたびに喉が凍え、肺が冷たく痛くなる。


 白い暴風の闇を一歩ずつ、ぎしぎしと軋む雪を踏んで、遠い大神殿へと歩いていく。


「メイナ、大丈夫だよ。たどり着くよ……」


 リティは口の中でつぶやく。吹雪にかき消されて、リティ自身の耳にさえ、その声は聞こえない。それでも繰り返した。


「アズナイさまが、いるんだよ。みんな、いるんだよ。――この吹雪の向こうに。必ず。――必ず」


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