最果ての町で
最果ての町で 1
リティは息を切らせて街道の坂を登っていた。風はうなりを上げて吹き付けてくる。足が限界に近づいたとき、やっとリティは坂道を登り切った。
「ちょっと待ってよー」とメイナの声が追いかけてくる。
リティは一足先に丘の頂上に立ち、辺りを見渡した。眼下には岩肌の大地が続いていた。
街道はしばらく先に見える町で終わっており、村の先には眩しいばかりの雪山の斜面が見えた。また、斜面の先には大きな建物――大神殿の輪郭が望めた。その一帯こそが、長い旅の中で目指してきた聖地ファナスだった。
リティは地の果ての眺望へと吸い込まれそうになりながら、後ろからくるメイナに、
「ねえ、メイナ……。わたしたち、ついに……」
メイナも坂を登り切ると驚きの声を上げた。
「きたね! ついに……。そうか、あの村が……」
「うん。あれが、最果ての町……。ミルガ」
ミルガは荒涼とした山地の、比較的平らな場所に構えていた。周囲は壊れた木の柵が囲み、門柱はささくれだって腐りかけていた。二十軒ばかりの石造りや木造の建物が並ぶほか、小さな神殿や井戸、それから墓などがあった。
リティは町の中央の道で立ち尽くしていた。メイナが追いついてくると、
「さすがに寂れてるねー。昔は、名物の氷星クッキーとかが人気だったらしいのに! 一回食べてみたかった……」
「氷星クッキー? なにそれ」
「だからさー。真ん中にミュートの、氷星が刻まれたクッキーだよ。有名じゃん! ここまでこないと食べられないやつ」
「おいしいの? 模様なんて関係あるの?」
「わかんないよ。とにかくさー、食べたかったの!」
「そう。それにしても残念ねえ。この村全体が、いまはこんなに……。過去は、賑わってたんだろうけど」
そのとき乾いた風が吹いて、メイナの赤髪やクリーム色のローブが揺れた。メイナは言った。
「楽しかった、そのときが大切なんじゃない?」
「楽しかった、そのとき?」とリティは尋ねた。
「うん。昔にあったことってさー。時間が経ったからって、なくなったわけじゃない。――そんな感じがしてさ。――ううん、よくわかんないや」
メイナはごまかすように頭を掻いた。
町を一周りしていく中で、町の北端にやってきた。壊れた木の柵の手前には、石の監視台があった。おそらくその先にある、聖地や斜面を見張るためのものだろう。
柵の近くには、『無断侵入を禁ずる 北方警備隊』と書かれた立札がいくつもあった。
リティは目前に迫る雪の斜面を眺めた。斜面の先には大神殿の影があり、白い峰々が薄青い空に溶け込んでいる。
町の地面は岩ばった土に覆われていたが、雪山の斜面に至るにつれ、岩肌の灰色が雪の白さに変わっていった。
「寒そうだねえ」
「行かなきゃね。でも、そんなに寒いのかな?」とメイナ。
「どういうこと?」
「だってさー。雪山って言うけど、そんなに大変なの? 見た感じ、ダッシュでえいや、って上まで行けるんじゃない?」
「えー。そんなことないでしょ。そうやって見えるだけだよ、きっと。大きな建物とかって、意外と小さく見えるものだから」
「そっか。そうかなー」
「そうだよ。とにかく、準備をしようよ。ここまできたら」
「準備かー。毛皮とか、食べ物とか?」
「そうねえ。あと、水とか」
「井戸があればいいけどね。それか、雪を溶かす?」
「うん。まあさ、とにかく探してみようよ」
雪山登りの準備をするために、リティたちはまた町の大きな通りに戻ってきた。道の両側には、あちこちがほころびた家々や商店が立ち並んでいた。
メイナが立ち止まり、右手を指さした。
「ねえ、リティ。あそこ」
リティが目を向けると、かつての商店らしき建物があった。入り口の上には氷星を飾った看板がかろうじてぶら下がっていた。
「氷星クッキー、か。メイナの言ってたやつだねえ」
「ほら、本当にあったじゃん!」とメイナは嬉しそうに言った。
やがて町の中心の広場に出た。噴水があったが水は涸れ、底には枯れ葉や枯れ枝が溜まっていた。噴水の中央にはミュートの像が立っていた。
「ここで、きっとお祭りとかやってたんだろうね」
そう言ってメイナはミュート像を眺めた。
「そうねえ。聖地のお膝元だし。――さて、とりあえずあの店なんて、よさそうだよ」
リティはミュート像の正面にある店を指さした。看板には『保存食・旅の道具』と書かれていた。
木の扉を引いて店に入ると、埃っぽい空気が鼻をついた。棚には容器や衣服が並んでいた。床には割れた瓶が散らばっていた。
窓板を上げると日光が差し込み、埃をきらきらと照らした。
リティは横にいるメイナに言った。
「とりあえず、食べ物かなあ。バックパックの中には、塩とか、薬草の根っことかしかないよ。あと、マクアがちょっとと、乾燥させたイナゴとか」
「いいじゃんイナゴ」
「ないよりはいいけどさ。とにかく」
しばらく店の棚を見たが、やはりまともに食べられそうなものはなかった。干し肉は腐り、堅パンらしきものは原形すらない。
そのとき、店の奥からメイナの声がした。
「レガーダ! あったよー」
リティは弾む足取りで奥の部屋へ向かった。そこには木箱が置かれており、メイナは干し芋を手にしていた。乾燥した芋の香りが漂ってきた。
「ねえ、どうかなこれ。まだ食べられそう?」とメイナが尋ねてきた。
リティは干し芋を受け取り、慎重に匂いを嗅いだ。硬くなっていたが、腐った臭いはしなかった。
「大丈夫そうだよ。乾燥してるから、長持ちしたんだろうねえ」
そんな具合でリティたちは準備を整えていった。
水については使える井戸が見つかり、そこから採った。
別の商店では、二人分の毛皮のケープと手袋があった。――焦茶色の毛皮のケープはフード付きの大きなもので、頭から腰辺りまですっぽりと覆うことができた。
リティはしばらく、ケープをかぶったメイナを見ていた。その姿で町をうろつく様は、まるで迷い込んできた子熊のようだった。
「なに? なんかおかしい?」とメイナは言った。
「え、別に……」
「笑いかけてるじゃん」
町外れには神殿もあった。リティがこれまで見た中でも格別の荘厳さがあった。入って正面には大きなミュート像があり、左にアルガーダ像、右にレガーダ像があった。
日が傾きはじめる中、町での収穫を抱えてやってきたのは、一軒の宿屋だった。子熊から人間に戻ったメイナは、毛皮のケープを腕に抱えて言った。
「なんだかさー、あの宿屋みたいだね。旅の最初の頃に泊まった……」
「うん、わたしもちょっと、そう思ったんだ」
一階にカウンターがあり、右手にテーブルが並び、左手に暖炉がある。内装も似ているが、それ以外にも、どことなく似通った空気を感じた。
「あれから、長かったねえ」とリティはつぶやいた。
「長いよ。色々あったし」
「旅なんて、長いものなんじゃない?」
「でも、もうすぐ終わるよ。明日か、あさってにはさー」
「そうかもねえ。でも、どんな終わりなのかな」
「いい終わりだよ」
「そうかなあ。そんなに簡単だと、思えないんだけど」
「大丈夫だって」
リティは近くに立てかけてある、木の箒を取った。
「さて、やっつけようか」
「えー。掃除なんて、ひと休みしてからでいいよ」
「そんなこと言ってたら、暗くなっちゃうよ」
リティは懐から茶色い布を取り出すと、口もとにそれを巻き付け、箒を動かしはじめた。
ざっ、ざっ、と小気味良い音をたてて埃が舞う。
メイナも布を取り出したのだが、複雑な表情で布を見つめた。
「布はなんかなー」つぶやくメイナに、リティは言った。
「どうしたの?」
「別にー」
とメイナも箒を取った。
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