シェイテの慈悲 3
メイナはテーブルの上に、白い灰がこぼれてくるのを見た。白く光る灰はテーブルの木目を覆って小さく堆積した。
最後に刃の先端が落ちてきた。キン、と甲高い音を響かせ、刃は灰の上に横たわった。
ライリは息を飲んで、
「こ、これは……。魔法、なのかい……?」
リティは青ざめた顔でこくりと頷いて、
「わたしの、魔法です。これがわたしの、灰の魔法です……」
リティはそれだけ言うと、頭痛をこらえるようにこめかみを押さえて、戸棚に背をもたれた。ぎし、と戸棚が軋んだ。ライリは言った。
「続いている、か……」
暖炉の火が爆ぜ、部屋の影が揺れた。リティとライリは俯いて黙っていた。時間が止まってしまったかのように。
そこでメイナは部屋の空気を吸い込むと、明るい声で歌いはじめた。
〽︎
世界に危機が迫るときー
どこからともなく現れるー
勇気のシンボル神の斧ー
闇を貫くその力ー
レガーダ……スラッシュ!
レガーダ……ヘッドバット!
どーこーまでも、かーけー抜けろ
戦えわれらの、レーガーーダーー
ファイトゴー!
「何それ」とリティが冷めた声で言った。
「レガーダを讃える唱歌だよ」
「そんなのあったっけ?」
「あったよ……」
「聞いたことないよ」
「だろうね。さっき作ったんだから」
「もう、何それ……」
と、リティは白い犬歯を見せて苦笑した。
ライリは目を丸くして、口をぽかんと開けた。やがて肩を震わせて笑いだした。
「く、く、く……。ははははッ」
その夜は、メイナとリティは久しぶりにベッドで眠った。ライリは麻布を持ってきてくれ、メイナたちに二重にかけた。
ライリは毛皮を体にはおり、まるで侵入者から魔法使いたちを守るかのように、戸口の近くに体を横たえた。手元に短剣がないのは、どこか寂しそうでもあった。
ずっと家を叩いていた雨音は止んで、夜風が小さく鳴いていた。
リティは朝日の下、メイナとライリたちとともに森の中にいた。
ライリは斧を振り上げると、木の側面に振り下ろした。――鈍い音をたてて、斧は樹皮を破る。
切っているのは、川の近くに育った、薄茶色の長い木だ。川は横幅五メートルくらいで、澄んではいるが底知れない深さを感じさせた。
朝露の雫が木の葉から落ちてきて、リティの首筋を冷たくくすぐった。メイナが話しかけてきた。
「結構さー、単純な方法だったね」
「そうねえ。川の近くの木を、川の反対側に倒すって……」
すると、ライリが汗を拭いながら振り返ってきた。
「単純なことほど、なかなか大変なんだよ。ほら、危ないからさ、もう少し下がって」
「うん……。大丈夫です、別に」とリティは余裕を見せる。
「いろいろ落ちてくるかもしれないよ。ムカデとか、蛇とかも」
すると、リティは短い悲鳴を上げて後ずさる。
斧は繰り返し振り下ろされ、硬質な音を響かせ続けた。
カーン、カーン……
リティの耳にはまるで、木を切る音が森の鼓動のように感じられた。あるいは世界の鼓動のようにも。するとなぜか、昨夜のできごとが思い返された。
(まだ、終わりじゃない、か。よく、わたしなんかが、あんなこと言えたなあ)
そんなふうに考えるうちに、ライリの声がした。
「よし、そろそろ倒すよ!」
ライリは木の前に立つと、右足で木の幹を蹴った。すると、木はメキメキと音をたてて対岸へと倒れていった。
木の反対側は、枝や葉を撒き散らして対岸の木々にぶつかり、ついに地面に着地した。――そうして、不器用ながらも充分な天然の丸木橋となった。
リティはバックパックを背負い、メイナと一緒にライリの前に立った。メイナは言った。
「ライリさん、なんていうか。あの、干し肉、最高だったよ」
「よかったよ。いつでも、食べにおいでよ」
「うん!」
ついで、ライリはリティを見て、
「リティ。本当に、ありがとう」
「はい……。いえ、こちらこそ……」
「きみの心の中には、きっと、たくさんの言葉があるんだね。普段は静かだけど。――きみは、温かくて優しい。それが、本当にわかったんだ。ありがとう……」
ライリは右手を服で拭うと、その手を差し出してきた。リティはしばし戸惑いながらも、ライリの右手を握った。そうしてから、はっと息を飲む。
(そっか。この人、わたしの手が怖くないんだ)
そう思うと、過去に人々から投げつけられた、色々な言葉が蘇ってきた。
『おい、その娘に触れられると、灰にされちまうぞ』
『ちょっと、うちの子と遊ぶのは、止めてくれる?』
『あいつ、犬を殺した娘だぜ。あの手で、頭を溶かしちまってよォ。おっかねえな』
ライリは静かに笑顔を浮かべて、また会おう、と言った。
リティは我に返って、「はい」と答えた。
ライリは一歩下がると、大きく息を吸ってから二人に向かって言った。
「きみたちに、慈悲深き夜風の導きを。――そして、いかなる試練の道をもたゆまず進む、レガーダの勇気を!」
ライリは斧を右手に持ち、手慣れた戦士のようにくるりと翻すと、斧を立てて胸前に掲げた。
川のとめどない水音と丸木橋の前で、斧は森を写してまばゆく輝いた。
シェイテの慈悲 おわり
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