花の呪文 3

 焚き火は明るく燃え上がっている。


 メイナは焚き火の脇に置いたフライパンの中へ手を伸ばして、焼きイナゴを摘んで口に入れた。


 フライパンの中にはイナゴのほかに、木の実や香草、薬草が入っていた。リティはもういらないのか、焚き火を見ながらぼんやりとしている。


 そんなときリティの口元が動いて、「ログナ……」とつぶやいたみたいだった。思わずメイナは尋ねた。


「なに? なんか言った?」


 するとリティは我に返ったように、


「いえ。別に……。それより、イナゴ、気に入ったんだねえ」

「まあね。割と簡単に手に入るし。おいしいじゃん! ローデンさんの影響かな。ローデンさん、どうしてるかな……」


 そう言ってメイナはまた、ボリボリと口を動かす。



 夜闇の向こうからは、ときおりゴーレムの声が聞こえた。


 次第に慣れていきはしたが、その声が聞こえてくるたびに、メイナの胸がずきりと痛んだ。


(どうしようもないのかな……。ゴレちゃん……)


 そんなことを考えながら、眠りについた。



 真っ白な朝の光が森を包み、控えめな鳥の声が聞こえてくる。


 メイナはそんな朝の森を歩いてゆく。木の根を踏み分け、朝日に目を細めながら。


 ゴーレムはやはり、土砂の山の前に座り込んでいた。メイナが近づくと、喉の奥で「グモ……」と悲しそうにうなっているのがわかった。


「なにか、新しい役割があればいいのにね……。ずっと、ゴレちゃんはそうしてるの?」


 するとゴーレムはメイナを見て、「グゥ」と鳴いた。――まるで、どうしようもない、と言いたげだった。


 そのときメイナは、周囲に咲く黄色い花々を見た。


「そっか。もともと、ミラナクが咲いていた辺りに、家を建てたんだっけね」


 ゴーレムはうなずくと、手前にある一輪のミラナクに視線を向けたようだった。


 そうしてまた、喉の奥でグルグルと切ない声をこもらせた。


「ねえ、ゴレちゃんも、ミラナクが好きなの?」


 メイナがそう尋ねると、ゴーレムは緑色の瞳をまたたかせ、頭を前に傾けた。


「へへっ、ミラナクは、あたしも好きだよ! きれいで、いい匂いだしね。――ゴレちゃんも匂いがわかったら、もっとよかったのにね」


 するとゴーレムは「グモゥ」とちょっと元気に鳴いた。


「やっぱり、ここにきてたのね」


 リティの声がして、メイナは振り返った。


 リティは朝が弱いから、たいていメイナのほうが先に目覚めて動き出す。やはりリティの目は眠そうだ。メイナは答える。


「うん。ゴレちゃん、気になってさ。――わかってるよ。あたしたちには、どうしようもないよね。だから、お別れだけでも」


 メイナは座っているゴーレムへさらに近づいて、その大きな顎を両手で包んだ。


「さみしいけど。元気でね。ご主人さま、きっとミュートさまの元で、安らかに暮らしているよ。……きっと」


 ゴーレムは「グモゥ……」と鳴いて、また土砂の山に顔を向けた。


 メイナはリティへ言った。


「行こう。荷物をまとめよっか……」


 そう言いながら、メイナは自身の頬に涙が伝うのを感じた。手の甲で拭うと、野営のほうへ歩き出す。



 そのとき、リティはどういうわけか、ゴーレムの正面に近づいていった。


 メイナは驚いて、


「どうしたの? リティも、お別れをするの?」


 しかしリティはそれに答えず、こんなことを言った。


「合っているか、わからないけれど。もしかしたら…………」


 リティは目をつむり、口を閉じた。


 一瞬、メイナはどきりとした。リティが灰の魔法を使うのかと思った。


 ――しかし、そうではなかった。リティは森の梢に朗々と通る声で言った。



 ログナティス、メフィレノース、ダファ!



 ゴーレムの瞳がエメラルドのように輝きだす。リティは続けた。


「汝、王国のしもべたるゴーレムに命ずる。汝のあるじのかつての家を、今後は墓として守りなさい。主と、汝が愛するミラナクの花に囲まれた、美しい墓を守りなさい」


 するとゴーレムはぐぐ、と足をたわめると、手を地面について体を起こした。やがて立ち上がると、両手を挙げて大きな声を上げた。


「グ、グモォォォーン!」


 ゴーレムはすぐに土砂の山に近づくと、柱や壁の残骸などを掴み、取り除いていった。



 メイナはふと尋ねる。


「ねー。さっきの呪文みたいなのって……」


 リティは動き回るゴーレムを見たまま言った。


「うん……。あれはねえ、アズナイさまの引き出しにあった、書簡に書いてあったんだ。防犯上、結構大事なやつなんだろうけど。国のゴーレムに、命令を与えるための呪文で。――思い出すのに時間がかかっちゃったけど」


「え……。そんなの見ちゃってよかったの? っていうかさ、よく憶えてるね。信じらんない!」

「そう? 何かの役に立つかなと思ってさあ」


 メイナは目を丸くして、リティの横顔を見つめた。



 ゴーレムの作業が進んでいくと、やがてミラナクの花に囲まれた、こんもりとした土の山ができた。おそらくそこは、主人のベッドが置かれていた場所に位置するのだろう。


 土砂を掘り返すようなことはなかった。メイナとしては、もし骨などが出てきたらどうしようと恐れていたが、それはもしかしたら、ゴーレムにとっても同じだったかもしれない。


 ゴーレムの主人はきっと、土の山の中でミラナクに囲まれて眠っているのだ。そして、それで十分だった。



 最後にゴーレムは、一輪のミラナクの花を指先で摘んで歩いてきた。小山の前で跪くと、その黄色いミラナクをそっと置いた。


 ゴーレムは目をつむるように瞳の光を細め、「グモゥゥ……」と小さくつぶやいた。


 するとメイナの隣にいたリティは急に前に出て、ゴーレムの隣に行って片膝をついた。やがて、リティからこんな祈りが聞こえてきた。


「万物の創造主にして、慈悲深き母なるミュートよ。願わくば哀れな魂を御許みもとに導き、永遠とわの安らぎを与えたまえ」


 メイナは驚いた。まるで信仰心のなさそうなリティが、そんな祈りを捧げるなんて。


 メイナは目を閉じて、その祈りの言葉を聞いていた。もしかしたらリティは、ゴーレムを安心させるために祈りの言葉を唱えたのかもしれない。――そんなことを思いながら。



「さあ、そろそろ行こうかねえ。まだ、先も長いから」


 リティはメイナの横にきてそう言うと、野営へと歩いていった。


 その背中にメイナは語りかけた。


「ねえ。リティ」


 リティは足を止めた。メイナは続ける。


「リティはやっぱり、すごいよ。いつも、いろんなことを知っていてさ……」


 するとリティは前を見ながら右手をひょいと挙げて、すたすたと歩いて行った。


 ありがと、とつぶやいてから、メイナはふと背後を見た。


 ミラナクに囲まれたなだらかな丘と、そこに立つ大きなゴーレムの姿が見えた。


(春になったらさ、もっとミラナクが咲き乱れるだろうね。春を越えて、冬を越えて、守るんだよ。ゴレちゃん。……さよなら)


 そう心の中で別れを告げて、メイナはまた前を見る。リティの黒いマントが森の緑を背景に揺れている。


 森の切れ目からは、白い霞をまとう峻厳しゅんげんとした山々が覗いていた。



 花の呪文 おわり


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る