花の呪文

花の呪文 1

 リティはメイナの背中を追い、森の柔らかな土の上を歩いてゆく。陽光は木の枝や葉を透かし、地面の草や小さな花を照らしている。


 土や草木の青い匂いが濃密に漂っている。


 森を渡る風は木々の葉を揺らす。息を吸うと口や喉が渇く。――やはり北へ旅をしてきたからか、空気が乾いて冷たくなっていた。


 そのとき、リティは木の陰に薬草を見つけた。――根を煎じて飲むと下痢や胃痛に効く、『ユキドケソウ』という薄緑色の細い草だ。


「ねー、リティ。のんびりしてると、置いてっちゃうよ」


 とメイナが振り返ってきた。リティは答えた。


「ちょっと待ってよ、いい薬草があったんだよ。ちょっと、摘んでおくからさあ」

「へえ、よくそんなの知ってるね! あたしからしたら、全部雑草だよ……」

「そう? 本で読んだから。アズナイさまの本棚に、『実用薬草百科』って本があってさ」

「本を読んで、しかも中身を憶えてるのがすごいよ……! リティらしいっていうか……」

「そうかなあ。なんだか、知識ばっかりでも、疲れちゃうよ」


 リティは自信なさげに微笑みながら、ユキドケソウに手を伸ばした。



 しばらく歩いていくと道は次第に開けてきた。


 そこでリティは奇妙な光景にぶつかった。前方に突き立った崖があり、そこが土砂崩れを起こしたらしく、岩や土の山ができていたのだ。


 さらに恐ろしいことに、その土砂の山の下に、下敷きになった小屋があるようだった。


 土砂の山からは、柱や屋根のかけらが飛び出ていた。ずいぶん時間が経っているようで、土砂の山には植物が覆い、森の光景の一部と化していた。


「うわー……」とメイナは立ち止まって声を上げた。


 リティはそんな土砂と瓦礫の周囲に、小さな花を見つけた。まるで、突如起こった悲劇を慰めるかのように、黄色い小さな花が点々と咲いていた。


「ミラナクだ! ミラナクの花だね!」


 とメイナも花に気づいて指をさした。


 春先から秋にかけて長く咲く、メイナがなにより愛する小さな黄色い花。――それがミラナクだ。


 メイナは駆け寄ると、ミラナクを摘もうというのか手を伸ばす。けれど、


「ここで、咲いてるのがいいよね」


 と手を止めて、じっと眺めた。そのうち顔を近づけて目を細め、匂いを嗅ぎはじめた。


 リティは腕を組んで、土砂崩れと花の光景を皮肉な気持ちで眺めた。


(こうして、自然に還っていくんだろうねえ)



 リティはまた歩きはじめた。メイナもついてくる。


 やがて地面の岩肌が目立ってきた。歩きやすくなり、川のせせらぎの音が聞こえた。


 しばらく行くと、前方に茶色く大きな岩が見えた。その大きな岩は、草木や蔦に覆われていた。岩の横を通りすぎるとき、リティは奇妙な低い音を聞いた。


「グ、グモ……」


 大きな獣がうなるようでもあり、地響きのようでもあった。


「え、なに……」とリティがとっさに振り向くと、岩の塊はにわかに動いた。


 どうやらそれは、巨大な人の姿を模しているようだった。特別いかめしく造ったレガーダの石像のような……。


「ゴーレムだ、これ……」


 とリティは後ずさりしながらつぶやいた。追いかけてきたメイナは大きな声で、


「レガーダ! いったい、なにこれ?」

「たぶんこれ、ゴーレムだよ! 国の魔法使いが、気合を入れて造るやつ」


 動く岩の塊――ゴーレムの全身には蔦や木の枝葉が絡まり、土や苔にまみれていた。――かなりの時間、そうしていたのだろう。


 ゴーレムは神殿の石材みたいな無骨な頭を傾け、緑色の二つの目を向けてきた。そしてどこか悲しげな声で、


「ググ、グモォ……」


 するとメイナは心配そうに言った。


「なにか伝えたいのかな……。困ってるみたい……」


 そのとき、リティはゴーレムの足元の異変に気づいた。


 座り込んだゴーレムの右足の先が、岩張った地面の割れ目に挟まっていた。リティはそこを指さして言った。


「ほら、足が挟まってるんだよ」


 メイナもそれを見て、


「え、ほんとだ。それで困ってるんだね。――そっか、あのさ、ゴーレムって凶暴だったりする?」

「え? なんで? 別に、攻撃的な命令を受けていなければ、無闇に暴れることはないよ」

「じゃあさ、このゴーレムの足を挟んでる岩を……」


 そこでリティは遮るように、


「わたしに、魔法でなんとかしろって言うんでしょ。そうなると思ったよ」

「ごめん……」

「ううん、別にメイナが謝ることじゃないし」


 リティはそう言うと、バックパックを背中から下ろして地面に置いた。それからゴーレムの足元に近づいた。


「グモ……」


 とゴーレムの心配そうな声がする。リティはそんなゴーレムの緑色の瞳を見上げて、


「いま、助けるからね。じっとしていなさい」


 リティは屈み込んで、ゴーレムの右足首を挟む、地面の割れ目に両手を伸ばした。


 目を閉じて深呼吸をする。森の匂いが体に流れ込んでくる。それから両手の先に意識を向ける。黒い波が周囲から幾重にも集まってきて、体を通って手の先に収束するイメージで。


 触れている地面にも波が届く。収束してゆく波と、対象から戻ってくる波がぶつかり、頭の中でぐるぐると渦をなす。首筋に汗が伝い、こめかみが痛くなってきた。吐き気をこらえて続ける。


 やがて岩盤質の地面が砂岩質のような手触りになり、灰になって溶けてゆく。


 ゴーレムの足を灰にしてしまわないように、リティは目を開ける。


(大丈夫そうねえ。きちんと、地面だけを削っている……)


 それを確認して、また目を閉じる。



「グ、グモー……」


 ゴーレムの不思議そうな声が聞こえると、リティは重いまぶたを開いて、大きな緑色の瞳を見上げた。


 ゴーレムは身じろぎし、右足をゆっくりと地面の裂け目から引き抜いた。


「ねえリティ、踏まれちゃうよー。退がりなよ」


 とメイナの声がして、リティは後ろに退がる。


 ゴーレムは太い両手を地面について、片膝をついた体勢になり、ゴリゴリと重々しい音をたてて立ち上がった。


 リティはこめかみを押さえながら、ゴーレムを見上げた。横に並ぶメイナの三倍ほどの背丈があるようだ。


 ゴーレムは何事もなかったかのように、ゆっくりと歩き出した。リティたちが歩いてきたほうへと。


 メイナは言った。


「え、ゴレちゃん、どこに行くの?」


 リティは思わず尋ねた。


「なに? ゴレちゃんて。まさか……」

「うん。そのほうが呼びやすいじゃん」

「わかったよ。好きにしなよ」

「ゴレちゃん、どこ行くんだろ……」


 と、メイナはゴーレムへ近づいた。


「ほっとこうよ」リティがそう言っても、「気になるじゃん」と、メイナはゴーレムへついていった。



 森の地面や木々を揺らしてゴーレムは歩いていく。その後ろにメイナもいる。


 リティは彼らを追いかけて森の道を進んでいった。


 そのとき、ゴーレムはふと足を止めて体を沈めた。足を曲げて体を屈めて、地面に手を伸ばしたようだ。


 そこには木の枝が二本落ちており、ゴーレムはその両方を指先で器用に拾って、また立ち上がった。


 メイナは振り返ってきて、不思議な顔をした。


「枝? ゴレちゃん、何やってるのかなー……」

「わかんないねえ」


 リティはそう答えて、また歩きはじめたゴーレムの背中を見た。


 そんな具合でゴーレムは、幾度か枝を拾ってはまた歩いていった。


 やがてゴーレムは意外なところに行き着いた。――そこは先ほど見つけた、土砂崩れのあったらしき場所だった。


 ゴーレムは土砂の山の前で立ち止まり、「グモ……?」と戸惑うような声を上げた。


 その大きな手から、枝の束が地面に落ちていった。


 ゴーレムの目線は、土砂の山や、そこから突き出た家の木材などに向けられているようだ。


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