王都にて 3
メイナの手が近づくほどに、魔法石がどんどん赤くなり、円の刻印が金色に光り出した。
「ちょっと、なにこれ? 赤いよ!」
そう言ってメイナはさらに右手を近づける。
「いかん!」
とローデンの声がしたかと思うと、魔法石からいく筋もの火が立ち昇った。
火はうねるように絡み合い、焚き火のように燃え上がった。
メイナが手を引っ込めると、ローデンは手でバンバンと魔法石を叩いた。――どうにか鎮火できたようだ。ローデンは仰天したように目を大きく広げて、
「おまえさんの魔法に、反応したようだな! 稀有なことがあるもんだ!」
メイナもその声に負けじと、
「あたしだって、びっくりしたよ! ――そっか。もしかしたら、灯りの魔法に共鳴したのかもね。たぶん、火の魔法に近い気がするから……」
「いやはや、そんなこともあるのか……。まったく、魔法のことはようわからんな……」
ローデンは魔法石をポーチにしまうと、
「やれやれ。年寄りの心臓をいたわってくれ。――さて、ちと早いが眠るとしよう」
そうしてローデンが立ち上がりかけたとき、リティは言った。
「待ってください……。教えてほしいことが、あるんです」
「んん? なんだ?」
「はい……。さっき、ローデンさんは、アズナイさまの名前をご存じのようでした。それは、なぜでしょう? なにか、アズナイさまの消息を、ご存じなのですか?」
するとローデンは白髭を撫でながらこともなげに、
「おお、アズナイ。結晶のアズナイといえば、王都でも名が通っとったな。王家は熱烈に勧誘しとったぞ。結晶のアズナイに、魔法使いたちの指導者になってほしいと」
「え、そんなに……」
「そうだ。それくらい、アズナイは優れた魔法使いだった。清らかさと、堅牢さ。まさに水晶のような人物。そういう男だな、あれは。壊れた建物を補強したり、川の氾濫を止めたり。戦いともなれば、結晶の魔法は最強の盾とも、矛ともなるだろう。――もっとも、好きこのんで戦うようなことはないがね。あの結晶のアズナイに関しては」
リティはローデンの言葉を聞きながら、胸の奥が温かくなるのを感じた。
メイナを見ると、まるで自分が褒められているように、笑顔を浮かべて、うんうんとうなずいていた。やがてメイナは言った。
「あたしたちは、そのアズナイさまの、唯一の弟子なんだよ!」
「なるほど。話が見えてきたな。そうか。結晶のアズナイは、おまえさんたちを結晶に閉じ込めて守って、それから、自分はあんなふうに人々を連れて……」
リティはそこへ食いつくように、
「あんなふうに? どういうことですか?」
「ああ。結晶のアズナイは、人々を連れて北の聖地へと向かっとった。あのときは、氷の年とやらがやってくるということで、誰も彼も慌てふためいて。めちゃくちゃだった……。アズナイは、わしにも、避難を勧めてきたな」
「アズナイさまが、ここにきたのですか?」
「そうだ。塔の上にきて、北を指さして、『長い冬がくる』と。――わしは尋ねたよ。なぜ北から冬がくるのに、北に行くんだ? と。そうしたら、アズナイは言ったよ。『聖地に救済があると伝わります』と」
「それで、ローデンさんは、行かなかったんですか?」
するとローデンは両手を広げて、
「見ての通り。わしは塔守だ。どうもこうもない」
リティはまたも尋ねた。
「それで、アズナイさまは、やっぱり北へ……?」
「ああ。そうだ。人々を導いて聖地ファナスへ向かって行った。そのあとのことは、知らんがね。――すると、おまえさんたちも、北に行くのか?」
「はい。そうしてみるつもりです」
「そうか。寒いだろうな。おまえさんたちみたいなのが、耐えられるだろうか」
リティはうつむいて、耐えます、と言った。
「まったく、変わっとるな、おまえさんたちも、アズナイも」
「変わってるのは、あなたもです」
とリティは言った。
ローデンはそのときはじめて、にやりと笑った。
「それで結構。塔守は気狂いの仕事だな。しかし、それでなければ、つとまらん」
夜は更けていった。風が強くなり、肌寒くなってきた。
二人は調理場の隅に並んで座り、ローデンが持ってきた藁にくるまっていた。ローデンも、少し離れたところで布にくるまっていた。
リティは目を閉じて、アズナイのことを想像した。人々を先導して、疑わしい救済に向かって歩いていく。救済が重要なのではなく、歩くことが重要なのかも知れない。
『ふたりとも、力をあわせて、生きるんだ。そして、また会えるだろう。長い冬のはてで』
あの言葉は、本気なのだろうか。また会えるのだろうか。アズナイはどこにいるのだろうか。
早くも隣から、メイナの寝息が聞こえてきた。規則正しい呼吸。藁がかさかさと鳴る。気だるい眠気が頭を包み込む。
朝になるとメイナはリティとともに、ローデンに続いて螺旋階段を登っていった。
遠い鳥の声が聞こえた。屋上から洩れてくる白い光が近づいてくる。
屋上に出ると、やはり目の前には銀色の燭台と、炎が見えた。本当に片時もたゆまず、燃え続けているのだ。
そこでローデンは東の朝日に目を向けた。するとふいに左膝をついて座り、両手を組み合わせた。
メイナは不思議な心地で、ローデンの姿を見ていた。
「大地を照らす大いなる灯りにして、大いなる炎たるアルガーダよ。その光により、生命を導きたまえ」
ローデンはその言葉を口にすると、目をぎゅっとつむり、しばらくその体勢で祈っていた。
太陽はリティの銀色の髪や、火の燃え盛る銀色の燭台や、ローデンの鎧を照らしていた。
朝風が塔の周りを、音をたてて通り過ぎる。
世界が新しい朝に包まれていた。
やがてローデンは手を解いて、ゆっくりと立ち上がった。すると北方に目を向けて、こう言った。
「行くのか。北に」
「うん」
そう言ってメイナも北に目を向ける。――白くかすむ山脈が連なっているのが見える。
「寒かろう」
するとローデンは、腰のポーチに手を伸ばした。蓋を開けて指先を入れると、魔法石を手にした。
どうするのかと見ていると、ローデンはその魔法石を差し出してきた。メイナは驚いてローデンを見上げた。
「え? え? なに?」
「持っていけ」
「え?」
「聞こえんかったか? こいつを、やると言っている」
「ローデンさん……」
「おまえさんは、こいつを燃やせる。そうだったな。北へ行くなら役立つだろう。――いや、必要なはずだ。だから、持っていけ。ほら、わしの気の変わらんうちに」
ぐいと突き出される魔法石は太陽に照らされており、円の刻印がくっきりと見えた。メイナは言った。
「でも、最後の石なんじゃ……。これがなくなったら、もう塔の火は……」
ローデンは渋い顔で答えた。
「そうだな。いまの火がなくなったら、故郷にある、連れ合いの墓参りにでも行くとしよう。うむ、それがいい」
「でも……」
「ほれ、もう腕がつる。早くしてくれんか」
「わ、わかったよ……」
メイナは右手を伸ばして魔法石に触れた。指先でつまむと、ほんのりと温かい気がした。
「おまえさんは、運んでいくんだ」
「え?」
「わしらの灯りを。王都の火を。運んでいけ。おまえさんは、灯りの魔法使いなんだろう?」
「ローデンさん……」
「それに、やつに……結晶のアズナイに会ったら、言っといてくれ。わしは、後悔しとらんと。塔守は、アルガーダの誓いのままに、最後まで火を守り抜いたと」
ローデンは誇らしげな顔でそう言った。背後には太陽が
「アルガーダ! わかったよっ」
するとローデンは背筋を伸ばし右手を持ち上げて、自身の鎧の胸をどんと叩いた。
「アルガーダッ! 灯りの魔法使いたちに、太陽神の導きを!」
その姿はどこか、希望と熱意に燃える、若い兵士のようだった。
銀色の燭台の火は、日の光に挑むようにまだまだ勢いよく燃えていた。
リティを見ると、腕を組んであきれるような笑顔を浮かべて、ローデンの横顔を眺めていた。
王都にて おわり
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