王都にて 2
メイナは思わず「ひゃっ」と短く叫んで、振り返った。そこには、甲冑に身を包んだ老兵が立っていた。兜はかぶらず、白髭をたくわえ、ぼさぼさの白髪が後ろに束ねられていた。左腰には剣の柄が見えた。
リティを見ると、老兵から距離をとって、山猫のように腰を屈め、警戒の姿勢をとっている。
すると、老兵はあらためてメイナを見てから、
「そんなに、警戒せんでいい。なにも、とって食うことはないし、身ぐるみをはがしもせん。ちと、驚いただけだ」
メイナは目をしばたたきながら、
「え……。に、人間、だよね? おじいさん……」
「なにを言っとる。熊か狐に見えるか? そりゃ棺桶に片足突っ込んどるが、まだ生きとる。幽霊でもないぞ」
そう言って老兵は、自分の鎧をばんばんと叩いた。
するとメイナは「レガーダ!」と声を上げ、興奮して言った。
「生きてる人に会えたー! やった!」
老兵は戸惑う様子で眉に皺を寄せた。
「やれやれ。わしは、ローデンという。
メイナはまだ心臓をどきどきさせながら、ローデンに尋ねた。
「それで、なにやってるの? ローデンさん。塔守? 塔を守るってこと?」
するとローデンは満足そうにうなずいた。
「いかにも。わしはこの塔をかれこれ、三十年以上、守っておるな」
「よ、三十年?」
メイナのそんな
「ああ。相違ない。それで、おまえさんたちこそ、何だ?」
「あたしは、メイナ。それで、そっちはリティ。二人とも、魔法使い」
リティは急に名前を呼ばれて、ぴくりと肩を震わせたが、何も言わなかった。
ローデンは二人を交互に見て、
「魔法使い! なるほど。どんな力かは知らんが、自分たちの魔法で、氷の年を生き延びたか……」
「違うよ」
「違う、だと?」
「うん。あたしたちじゃなくて。師匠のアズナイさまの魔法で、なんとか生き延びたんだ……」
するとローデンはにわかに目を広げた。
「アズナイ! 結晶のアズナイか」
「え? 知ってるの?」
「ああ。まあな」
そのとき、メイナの腹から音がした。ひゅるひゅるという、奇妙な音だった。メイナは顔を赤くして、思わずローデンを睨んだ。
「たまらんな。人もいない。建物もほころびて。おまけに食べ物もない」
ローデンはそう言うと、右手を甲冑の隙間に入れて、小さな袋を取り出した。
「とりあえず、くるみでも食うか? それと、下に来なさい。いくらか、食べ物を分けてやろう」
メイナはローデンの背中を追いかけて、塔の螺旋階段をぐるぐると降りて外に出た。まだ外は明るかったが、まもなく夕刻にさしかかりそうだった。リティも後ろからやってきた。
メイナはローデンについていった。
やがてローデンは塔のとなりにある石造りの兵舎に入った。廊下がまっすぐ続いており、左手のホールを見ると、数十人は座れそうなテーブル席が並んでいた。――しかし、人の気配はまったくない。
廊下の突き当たりには、かまどがある調理場があった。また、調理場の隅には分厚い木のテーブルが置かれていた。
奥のかまどには火が燻り、細い煙が上がっていた。
するとローデンは、調理場の手前で振り返ってきた。
「ほら、そこのテーブルに座っておれ」
メイナはリティと顔を見合わせた。リティはいぶかるように眉をひそめていた。メイナは小声で、
「ねえ、何か食べ物をくれるみたいだよ。行こうよ」
そうしてリティの手を引いて、メイナはテーブルの前の木の椅子に腰掛けた。
ローデンはランプを灯してから、かまどの前に立った。かまどにフライパンを置いて、脇の木皿を取ると、フライパンの中に具材を放り込んでいった。
メイナの位置からではよく見えなかったが、フライパンの扱いは手慣れているようだった。フライパンがかまどにぶつかる硬質な音が響く。じりじりと食材が焼かれる音もする。
香ばしいにおいが漂ってくる。
「待たせたな」
と言うローデンの右手には、木の大皿に載った料理があった。
何かの茶色い具に、緑色の鮮やかな香草が載っている。
「レガーダ! なにか料理って感じだね! ありがとう、ローデンさん!」
メイナは感嘆の声を上げて、ローデンを見上げた。ローデンは自慢げにうなずいた。
「最近、近くの森で、群れを見つけてな。集めといたんだ」
メイナはテーブルに置かれた皿を覗き込んだ。すると、茶色い具材の正体がわかってきた。――それは、こんがりと焼かれたイナゴたちだった。
「あー! イナゴだね。おいしそー!」
そう言って皿へと手を伸ばす。一匹を香草と一緒につまんで口に入れる。すると、口の中に香ばしさが広がった。カリカリの身を一口噛むと、塩が効いていて、さらに食欲をそそった。ローデンは言った。
「いい食いっぷりだな。さて、そいつをやっつけておけ。茶でも淹れてやろう」
メイナは口の中の身を飲み込むと、
「すっごく、おいしいよ! リティは?」
すると、リティは小さくうなずいて、香草をつまみ上げた。
「わたしはこれでいいよ」
「なんでー? こないだミミズは食べたじゃん! これだっておいしいよ!」
「メイナが食べなよ」
「あたしは食べるよ! リティも食べなよ。ほら」
そう言ってメイナは皿をぐいと押した。リティは頬を引きつらせながら手を伸ばすと、目をつむってイナゴを口に入れた。
「おいしいでしょ? どう?」
しばらくガリガリと咀嚼していたリティは、口の中のものを飲み込んでから、「最高」とつぶやいた。
リティは木のコップを唇に当て、口の中を洗うように茶を飲んだ。――少し苦いが温かく香ばしかった。植物の根を乾かして、煎じたものだろう。きょう口に入れたものの中では一番まともな感じがした。
正面にはメイナ、右手にはローデンが座っていた。テーブルや壁にはランプがあり、赤みかかった光であたりを照らしていた。メイナの灯り以外を見るのは、ひさしぶりだった。
「そういえばさー。ローデンさんは避難しなかったの? どうしてずっと、塔守をやってるの?」
メイナが尋ねると、ローデンは、両手の指先を組んで、遠くを見つめるように語りはじめた。
「わしは、子どもの頃から、あの塔に憧れていてな……。何よりも高くそびえていて。何よりも天に近いあの塔に……」
そうしてローデンは、こんな話をした。
ローデンは十六歳になると徴兵され、警備の任務を割り当てられた。しかし、残念ながら塔守にはなれなかった。
四年間に渡り上官に、塔守にしてくれるように頼み込み、やっと夢を叶えることができたのは、二十歳のときだ。
その翌年、幼なじみの二歳年下の妻と結婚した。結婚してからは、昼に妻が昼食を持って、塔にやってきてくれた。
「あいつは――フローネアは、雨の日も雪の日もやってきたぞ。バスケットに苺色の布巾をかけて。焼きたてのパンと、瓶入りの蜂蜜を持ってきた。わしはこれまで、塔の頂上で、あいつと一緒に食べるパンより、うまいもんは、食べたことがない……。わしは……」
ローデンはふいに言葉をつまらせ、うつむいた。
かまどの火がぱちぱちと音をたてる。そこでリティは言った。
「火は……。あの、塔の火は、なんなのですか?」
ローデンは指の間から顔を上げると、咳払いをして続けた。
「塔の火は、はるか昔から、絶やさず燃やされてきた。王都の誇りであり、兵や人々が帰るべき場所の、目印だ」
「目印……」
と、リティは復唱するようにつぶやいた。
「そうだ。女神ミュートより大地を預かったレイゴルム王家は、この王都を、人々の帰るべき場所と定めた。そして、何よりも高い尖塔を、太陽神アルガーダのごとく、王都や国土を照らす中心とした……」
そこで、ローデンは右腰にある皮のポーチに手を伸ばした。すると蓋を開けて小石を取り出した。
「これは、まだ使っていない、
リティは疑問に思い尋ねる。
「まだ、使っていない……。ってどういうことですか?」
「ああ。あの燭台に載せると、魔法石が反応して、炎を噴き上げるんだ。けれど、その力は無限ではない。火の魔法使いが、代々魔法石をこしらえて、それをわしらが使ってきたんだ。しかし、その魔法使いももはや、ここにはおらん。だからこいつが、最後の魔法石だ……。おそらくあと、ひと月ももたずに、いまの塔の火は消える。そうしたら、次はこの一つで、最後だな」
「そんな……」
「仕方ない。皮肉なもんだが、太陽神アルガーダの光も、やがて夜に隠れる。そういうもんだ。アルガーダの祝福を受けているこの小石も、同じだな」
「アルガーダの祝福?」
するとローデンは、テーブルの真ん中に魔法石を置いて、
「ほら、よく見てみろ。石に、円の刻印があるだろう? アルガーダのシンボルだ」
たしかに、戦神レガーダが斧をシンボルとするように、太陽神アルガーダは円をシンボルとする。
リティは魔法石に顔を近づけたが、ランプの光だけでは薄暗くてよく見えなかった。そこでメイナが右手を近づけてきて、その手をぱっと開いた。
オレンジ色の光がテーブルの上に広がった。
「おおっ、アルガーダ!」
とローデンは言った。
「灯りの魔法か。おまえさん、灯りの魔法使いだな」
メイナは胸を張ってうなずいた。
「そう。そうなんだよね。よく見えなかったからさー。まぶしかった?」
「かまわん。わしは、光が好きだ。アルガーダは、火と光の神だからな」
「ありがと。あたしも、アルガーダ、好きだよ。レガーダと同じくらいね」
メイナは魔法石に右手の灯りを近づけた。
魔法石が照らされると、リティは石の表面に円の刻印を見とめた。
そのとき妙なことが起きた。
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