ミュート神殿にて

ミュート神殿にて 1

 はるか北西にそびえる王城を目指し、リティは荒廃した街道を歩いていた。

 一歩ごとに鈍く響いてくる頭痛をこらえながら、ひたすら足を動かす。

 前方にはメイナのバックパックが揺れている。

 青空には雲がたなびき、北の遠い山陵は青白く霞がかっている。

 そのときメイナは立ち止まって、山のほうを見ながら言った。

「アズナイさまは、生きてるのかな……」

 リティはメイナに近づくと、

「どうしたの?」

「うん。アズナイさまはさー、北の聖地ファナスに着いたのかな」

「アズナイさまなら、生きてたどり着けたかもねえ」

「だよね! だから、また会えたらいいな、って」

「そうねえ。どちらにしても、王都まで行かないと。北に行くなら、街道を北上するよね」

「うん。まあそうだね。まずはお城かー。それはそれで、確かめないとね」

 その言葉に、リティは塔で見た光のことを思い出した。夜の塔の屋上から、城のほうに光を見た。そこに誰か生きている人がいるかもしれない。――そんな淡い希望を胸に、城へと向かう道中だった。

 メイナはまた前を歩き出した。

 あいかわらず人や動物の気配はない。ときおり視界に入るのは、空を横切る鳥や、どこからか舞ってくる羽虫くらいだ。

 地面を見ると、薄灰色の敷石はひび割れ、端々から草が芽吹いている。

「歩きにくいねえ、これじゃ」

 と、リティは前方のメイナに言った。

「そうかなー。でこぼこして、これはこれで楽しいよ」

 そうしてメイナは振り返ると、歪んだ石畳に足を乗せて手を広げ、バランスを取る。

「これ、なにかの修行になるんじゃないかなー」

「そう。……なるといいねえ」

 そのとき、リティは目まいを覚えて立ち止まった。メイナの声がした。

「リティ、大丈夫なの? 体調はどうなの?」

「うん。だいぶよくなった、かな」

 と答えながらも、こめかみや頭の中心には鉛のような痛みが残っている。塔の騎士と戦った際に、制限せずに灰の魔法を使ったからだ。

 メイナは「無理、しないでね」と言って、また石畳を踏み締めて歩いていった。


 街道の脇には住居の跡や、畑や風車小屋が目立ちはじめた。やがてメイナは右手を前方に向けたかと思うと、頓狂(とんきょう)な声を上げた。

「え、あれ見て! なにかあるよ!」

 リティが見ると、そこには石造りの荘厳な神殿がそびえていた。正面の木の大扉は半ば朽ちており、扉の上部のレリーフには、女神ミュートを示す『氷星(ひょうせい)』のシンボルが刻まれていた。

 そのシンボルは二つの尖った十字をずらして重ねたような、結晶が八方に突き出した形をしていた。

「そっか。ミュートの神殿だねえ。ほら、氷星があるし」

「ほんとだ。よし、中に入れるかなー。きょうの拠点にしようよ。女神ミュートが護ってくれるかも!」



 メイナに先んじて、リティは神殿の扉の前に立った。扉の木材はささくれて、くすんだ色をしていた。それに、金具は錆びて壊れかけていた。

 左右のうち、右の扉がたわんでおり、真ん中から少しだけ薄暗い内部が見えた。

 リティは少しためらいながら右の把手に手をかけて、力をかけて引いた。

 ギギギ、と軋んだ音をたてて、扉が開いていく。

 長らく閉ざされていたであろう扉の奥に、日の光が射し込んでゆく。


 古い石材のにおいの中、砂埃が宙に舞ってちらちらと陽光を反射する。青い敷布も光を含み、神殿の奥への道を浮かび上がらせる。

 メイナに頼まなくても、神殿の中を見渡せるくらいの明るさはあった。リティは息を飲んでそれらの情景を見た。

 正面には大きなミュートの像がそびえ、その下の祭壇には入り口同様の、氷星のレリーフが飾られている。それに左手には立派なオルガンも見える。

 内壁には氷星や植物をモチーフにした幾何学模様の彫刻がほどこされ、それが壁や天井を覆っていた。

 祭壇に向かって、五列の朽ちかけた木のベンチが並んでおり、そこにも装飾が彫られていた。

 いずれの装飾も華美ではなく、女神ミュートの静謐さと理知深さが感じられる、落ち着いたものだった。


 リティが女神ミュートの石像を見つめていると、背後からメイナの声がした。

「レガーダ! こんなにすごい神殿、入ったことないよ!」

「そう? アズナイさまと、まえに王都の大神殿に行ったじゃん」

「うん。でもさー、あれは妙に派手だったんだよ。でもここはさ、ほんとうにミュートの神殿って感じがするんだよね」

「ふうん。そうだね。そう言われれば」

 そこでメイナは右奥を指さした。

「ねえ、あそこにさー、扉があるよ」

「え? なに?」

 とリティもつられて見ると、そこには神殿の奥へと続いているであろう、木の扉があった。

「関係者用の部屋とかが、ありそうだねえ」

「でしょ? 行ってみようよ。なにか食べ物とか、お宝があるかも」

「お宝はいらないけど、食べ物はありがたいかな」

「よし、行こう!」

 と、メイナは右手を前方に掲げて目を細めた。すると、その手に白い光がともった。

 古ぼけた扉や壁には古い秘密を守るような薄闇が染みついていたが、メイナの光によって払われていった。


 メイナは光をかざしながら、左手で扉を開けた。

 するとその先には通路が続き、左手には部屋の入り口が見えた。

「奥に、やっぱり部屋があるよ!」

 メイナは通路に入っていった。後ろからリティもついてきた。

 たどり着いた神殿の小部屋には、棚や机が置かれていた。そこには、儀式で使うような燭台や皿、巻物や杖などがあった。

 また、部屋の奥にはひときわ目を引く木箱があった。錆びた金属の補強があり、鍵穴が見えた。

「宝箱だよ!」

 とメイナが嬉々とした声を上げると、リティが近づいてきた。

「なに? どうしたの?」

「リティ、あれ見てよ!」

 するとリティは木箱を見て、

「たしかに、なにか入っていそうだけど……」

 そこまで言って、リティは押し黙ってしまった。メイナは疑問に思って尋ねた。

「なに? どうしたの?」

 リティは驚いたように目を広げて、メイナの背後を見つめていた。

「ちょ、ちょっとメイナ。こっちにきなさい。ゆっくり……」

「え? だからなに?」

 そのときメイナは、首筋に冷気を感じて振り返った。

 そこには、青白い男の顔が浮かんでいた。メイナの手元の光を浴びて、きつい陰影を刻むその顔は、メイナを驚愕させるのに十分な迫力を持っていた。

「ひいあーー!!」

 そんな叫び声を上げてメイナは走り出した。

 リティの横を通り過ぎ、通路を駆け抜け、神殿の広間まで戻ってきた。

 そのあとから、リティが追いついてきた。リティは顔や首から冷や汗をたらし、心底驚いたように目を見開いていた。

「ちょっと、急に走らないでよ! メイナの明かりが頼りだったのに。真っ暗になるでしょ!」

 そう言って細い眉を歪ませるリティに、メイナは尋ねた。

「そ、そんなことよりさ。なに? さっきの……」

「わ、わかんないよ。メイナが走り出したと思ったら、ぱっと消えちゃって……」

「えー……。それって幽霊?」

 リティは首を振る。

「幽霊なんて……。いないよ。いるわけないよ」

「いたじゃん! あの青い顔のおっさんのお化け!」

 するとリティはよろめきながら、「お化け……」とつぶやいて、静かになった。

 メイナは強くうなずいて、

「よし、あたし、もう一回見てくるよ」

「ちょっと。なんでそうなるの? もういいよ」

「だってさ、これまで、人間なんて見つからなかったじゃん。そこにきて、はじめて出会えたんだよ!」

 リティは不服そうに、

「人間じゃないよ」

「いや、元は人間だし。人間みたいなものだよ!」

「なにそれ……」

 そこでメイナは木の扉のほうへと歩きはじめた。

 そのとき、メイナは低くうなるような声を聞いた。

「やめろ…………」

 その声とともに、扉のまえに白い服を着た男の姿が現れた。その姿は透明で、背景の床や壁を透かしていた。

 その服は神職の者が身につける法衣だった。ゆったりとした白地の生地に、女神ミュートを示す青い筋や、氷星のシンボルが描かれていた。

 白い帽子や金の腕輪は、彼が司祭であることを意味していた。

 帽子から垂れる頭髪には白髪がまじり、皺の刻まれた顔には大ぶりの鼻梁が目立った。

 そんな司祭の姿をした幽霊は、青白い顔をして、目を広げてメイナの前に立ちはだかっていた。

 メイナは呆然としてその幽霊を見つめていると、背後からリティの悲鳴が響いてきた。

 しかし不思議なことに、メイナは幽霊をさほど怖く感じなかった。

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