塔の冒険 2

 キィィーーン……


 メイナはおどろいて振り返ったが、音がしたこと以外、変わったことはなかった。


「え、ちょっと、なに? なんだよー。怖いんだけど……」


 そうぼやきながらも、メイナは気を取り直して、扉を通り屋上へ出た。


 そこには、青空が広がっていた。秋のいわし雲がまばらに浮かび、太陽は中天に輝いていた。鮮烈な空気を吸いこむと、喉や胸が心地よい冷たさに満たされた。


 しかし再度、硬質な音がした。


 金属がぶつかるような耳障りな音が、いましがた出てきた塔の扉の向こうから、ひびいてきたような……。


 メイナはおどろいて、暗幕のような暗闇の中へ戻っていった。塔の内部を見おろすと、らせん階段の下の方に闇が続いていた。


 その闇の中から、金属質な音がひびいてくる。


「なによ! なんなのもう!」


 音は近づいてきているようだった。


 そこでメイナは、らせん階段の、屋上からひと周り下のあたりに、金属の輝きを見つけた。


 人の形をした銀色の金属の塊――それは、一階に飾ってあった甲冑のようだった。


 全身は鎧でおおわれ、顔や頭も兜によってすっぽりと隠されていた。また、手には直剣が握られていた。中に人が入っている可能性もあったが、なんらかの魔法によって動いていると見るのが自然そうだ。


 兜の中の眼窩には、赤い光が宿っていた。


 その騎士は規則正しく体を動かし、ガシャガシャと騒々しい音をたて、らせん階段を登ってきている。そのペースなら、一、二分で屋上に至るだろう。


 メイナはうろたえながらも、ふたたび屋上の扉から外へ出た。たゆまず硬質な音が追ってくる。


 塔の屋上は円形をしており、直径五メートル程度だ。へりにはでこぼこの鋸壁(きょへき)が囲っている。へこみから身を乗り出して外を見下ろすと、これまで歩いてきた森を含めて、遠くの街の影や、城や山の峰が見えた。


 しかしいまや、怪物に追い詰められつつある、救いのない袋小路に違いない。


 メイナはバックパックを降ろし、口を開けて、なにか使えそうな道具がないかを調べた。


 薬草、干し葡萄、食器、櫛、下着。それからナイフもあったが、たいして役に立つとは思えない。まだ、杖でも振り回した方がマシだろう。


 ふたたび、壁の隙間から下を見下ろす。遠い地面を見て、目がくらくらとした。一瞬、飛び降りることも考えたが、さすがに無理がある。


 そうこうしているうちに、騎士の足音が扉の向こうに迫ってきた。メイナは杖を両手に構え、固唾を飲んでそちらをにらんだ。


 ガシャン、と銀色の足甲が白日のもとにあらわれる。


 そこには、兜に赤く禍々しい光を灯らせた、騎士の姿があった。


 太陽の光をあびて、磨き抜かれた銀色の甲冑が輝いた。――それに剣。右手の剣は、これも滑らかに光り、周囲の石材や空や甲冑を映していた。


 兜の赤い光が、ぐるりとメイナを捉えたように見えた。すると騎士は向きを変え、いくらか歩速を上げて、またガチャガチャと歩んできた。


 メイナは後ずさり、鋸壁に背をぶつけた。冷たい感触が背中に伝わってきて、それによって凍りついてしまうかのようだった。


 迫りくる騎士は、強いて言えば昆虫のようだった。人間や獣のような、怒りなどの感情は読み取れない。カマキリが蝶を捕えるような、冷徹な動きだった。


 騎士は剣を振り上げ、それを振り下ろした。


 ひゅう、と風を切る音。メイナが両手に握った杖に衝撃が走る。杖が落ちた。手にはじいんとしたしびれが残った。


「あ、あ。た、たすけて…………」


 メイナはまともに声が出せなかった。最後に、リティの顔が浮かんできた。せめて謝りたかったが、それも叶わないのだろう。



 ふたたび、目の前で剣が振り上げられた。と、太陽の光が剣に反射した。そこで、騎士は一瞬動きを止めた。彼にとっても、剣の輝きがまぶしかったのだろうか。騎士は剣の角度を変えて、こんどこそ、剣を振り下ろしてきた。


「いやーッ!」


 そう叫び声をあげて、メイナは目をきつく閉じた。



 ――そのとき、金属音がした。


 メイナがおそるおそる目を開けると、騎士の背後に、剣を手にしたリティが立っていた。


 リティは歯を食いしばり、重そうに剣を振りかぶると、騎士の背中に斬りつけた。


 鈍い金属音がひびくものの、しかし相手はびくともせず、リティへと振り返った。


「リティー!」そうメイナは大声を上げた。


 リティはよろめきながら、剣を両手で難儀そうに持ち上げて、一瞬だけメイナを見た。


「バカ。もう……。どうするのよ、これ」




 しばらく前のことだ。


 リティは塔の近くの岩に寄りかかり、開かれた扉を見ていた。


 メイナが向こう見ずにらせん階段を登っていってしまってから、いったんは外に出た。


『……あたしってさ、便利だから、利用されてるだけなの?』


 その言葉が、心の中でわだかまっていた。


 リティは「そんなことないよ」とつぶやく。


 メイナの魔法には助けられるし、ありがたいと思っている。けれど、それは『利用する』とはちがうはずだ。


 そんなことを考えているとき、急に塔の内部から、甲高い音が聞こえてきた。


 キィィィーン…………


 不快な、脳に突き刺さるような音だった。


 すると、塔の扉の向こうで物音がした。それは、金属がぶつかるような音だった。


 リティは息をひそめて扉へと近づいた。入り口からの光でかろうじて塔の一階は見渡せた。


 するとそこに、階段を登っていく騎士の背中が見えた。それに、手には直剣を握っていた。


 リティは腰をかがめて奥に進んで、壁にかかった剣をとった。それから、間隔をあけて鎧を追っていった。


 屋上の扉が開いているおかげで光が洩れてきており、特に塔の上のほうが明るかった。目も慣れてきたこともあり、リティはらせん階段を登っていった。


(あの甲冑の中に、誰かがいるの? それとも魔法かなにかで動いているの? 塔の屋上が開いたことと、連動しているの? ……わからない)


 そんなことを考えながらではあった。階段の途中で攻撃を仕掛けることも考えたが、反撃を受けたときにあまりに危険だとも思い、屋上までついていくことにした。


 リティは両手に重々しい剣を握り、それを不器用に持ち上げて、迫りくる騎士をにらみつけた。


「逃げてよ! リティ!」


 とメイナの声がした。リティは唯一の逃げ場である、塔の屋上の扉を見たが、騎士の背後にある。


「ダメ! こいつ、逃げ道を塞いでくる。完全な、無脳じゃないってわけね」


 その声を賞賛と受け取ったのか、呼応するように騎士は右手の剣を掲げ、さらに近づいてきた。騎士の兜に太陽が照りつけて、眩しく反射するのが見える。


 そのとき、一瞬のことではあったが、騎士はにわかによろめいた。しかし兜を横に傾けると、何事もなかったかのようにふたたび、ガチャリ、と音をさせて歩き出した。


 リティは太刀打ちするように、頭の上で剣を横に構えた。それは、なかば本能的な動作だった。


 やがて騎士の剣が振り下ろされた。


「リティ!」


 とメイナの声がした。リティの剣に重い衝撃が襲う。手から剣は落ち、リティは押し潰されるように倒れ込む。


 口の中に血の味が広がる。どこをどう怪我をしたのかもわからない。目の前に騎士の足甲が灰色に輝いている。見上げると、騎士が剣を上から突き立てるように、身構えていた。剣の先はリティを向いていた。


「……い、や。いやッ!」


 とっさにリティは拒むように手を突き出す。


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