宿屋の町で 2

 メイナは暖炉のまえにあぐらをかいて、床に置いたフライパンの中の木の実に手をのばす。フライパンの向こうにはリティがいて、ガリガリと木の実を噛んでいる。


 足元には水筒が転がっている。――水筒といっても、丸い、なんとかという、ブサイクな果物をくり抜いて乾かしたやつだが。明日は井戸を探してみようと、メイナは思う。


 左手には暖炉の火が燃えている。暑苦しいけど頼もしい。


 メイナは木の実をほおばると、なんどか噛み締めてから、「レガーダ」とつぶやいた。


 リティは木の実をかじりながら、「レガーダ、そんな好きか」と聞いてきた。メイナはうなずいて、


「いいじゃん。かっこいいじゃん。女神ミュートの弟で、戦の神で、史上最強の戦士といったら、レガーダ。神殿とかにも、石像がよくあるし」

「あの、筋肉ムッキムキのね」

「バカにすると、筋肉の呪いが降りかかるよ」

「なにそれ」


 そう言ってまた、リティは木の実に手をのばした。



 メイナは布にくるまって壁に背をあずけ、暖炉の火を見ていた。ささくれだった木の床に、壊れたテーブルや椅子の影が落ちていた。


 横にいるリティは言った。


「意外と、すくないねえ」


 メイナは聞き返した。


「なにが? 木の実炒め?」

「ちがう。骨とかが」

「え? 骨?」

「うん。みんな、いっきに凍えてしまったとしたら、もっとそのへんに、さ。落ちていてもいいよねえ」

「あー。そうだね」

「もしかしたら……」


 そこでリティは、あくびをしてから続けた。


「人々は、避難したんだろうねえ」

「避難?」

「そう。ラーニクの町の人々と同じように、伝承のとおり北の聖地に。それか、暖かい場所へ。そこで、誰かが生きているかも」

「えー。でもさー。暖かい場所って。南だとしたら、海の向こうってこと? ここより南って……」

「そうか……」


 リティはしばらく床を見つめた。目が眠そうだった。暖炉から火のはぜる音がしたあと、またリティが言った。


「北へ、行ったんだろうねえ……」

「北、か。やっぱり、聖地ファナスへ」

「そうね……。氷の、みなもとの、女神ミュートの……。誰かが、きっと、生きて…………」


 すると、リティの声は寝息に変わった。しばらくメイナは、リティの細い眉毛と、そこにかかる銀色の髪が、呼吸とともに静かに動くのを見ていた。メイナはつぶやく。


「きっと、生きているひとが、いるよ、リティ……」


 暖炉に目をやると、はげましてくれるように、炎が燃えていた。


 メイナは「暖炉、レガーダ」と言って、目を閉じた。



 宿屋で夜を明かしたあと、朝になってからメイナは外に出た。太陽の下、宿屋の前の通りと、そこに広がる寂れた町並みが目に入った。


 うしろからついてきたリティの足音が止まった。メイナが振り向くと、リティは宿屋の入り口のほうを見ていた。


 銀髪が日の光に輝いてきれいだった。けれど、まつ毛は悲しそうだった。メイナは近づいて、


「なに? リティ、どうしたの?」


 リティはうつむいて、戸口の下に溜まった灰を見ているようだった。昨夜、宿屋に入るために灰の魔法をかけた場所だ。リティは言った。


「べつに」

「え、でも困ってる感じじゃん」

「困ってないよ。ただ」

「ただ?」

「冷たいな、って。わたしの魔法」

「冷たい?」


 すると、リティは顔を上げてなにかを言いかけたが、ぐっと口をむすんだ。そして歩き出してから、


「井戸を探そう」


 井戸は宿屋の裏手の広場にあった。


 「レガーダ!」と叫んでメイナは駆けより、井戸をのぞきこむ。するときらきらした水面が見えた。四つの水筒をいっぱいにして、バックパックにぶら下げた。


 周辺の家々に入り、役立ちそうなものがないか探した。その町には二十軒ほどの石造りの家が並んでいた。


「おじゃましまーす」


 と、メイナはある家に入った。一階建てで、扉は開いていた。リティも続いて入ってきて、あたりを見渡すと、


「五人家族かな」


 たしかに家の中は大部屋がひとつきりで、暖炉と大きな無骨なテーブル、戸棚、それから椅子が五脚あった。扉が開いていたせいか、内部は宿屋より痛んでいた。


 ひとつの椅子には、布が重ねて敷かれ底上げがしてあった。メイナはそれを見て、


「子どもの席かなー」

「そうだね。たぶん」

「あ、ねえこれ見てよ、リティ」


 と、メイナは戸棚を指さした。そこには、ぼろぼろの、ちいさな布の人形があった。使い古しの布を丸めて、頭と体と両手足をくっつけた感じの、茶色のものだった。


 髪には赤く細い布、目には青い布が縫いつけてあった。リティはその人形を見て、


「器用だねえ」

「うん」

「どことなく、メイナっぽいねえ」

「そう? そうかなー。そうかも。でもやだなー」

「なぜ?」

「置いてきぼり、なんだとしたら」

「どうだかね。なにがあったかはわからないよ。さて」


 そう言ってリティは、周囲に目を向けた。食材や生活に役立つ道具を探す目をしている。しばらく探していたがやがて、


「あんまり、役立ちそうなのはないねえ」


 と、残念そうに言った。「ほかを見ようか」

 そのときメイナは、暖炉の横の壁に文字を見つけた。暖炉の炭で書いたような黒い文字だ。


「ねー、なにか書いてあるよ」

「どれ?」


 そうして近づいてきたリティに、メイナはその文字を示した。


『家を捨てて逃げます。戻りません』

 

「逃げたのかなー。家のひとたち」

「そうね」

「文字、書けるひとがいたんだねー。役人とか、魔法使いとか」

「かもね」

「生きてるといいねー」

「そうね」


 メイナはそこで、ふたたび戸棚の人形を見た。その人形は戸棚に座り、ずっと迎えを待っているようだった。


「どうしたの」

「うん。なんかさー、この子、さみしいね」


 すると、リティは歩いてきて、「そうね」と、人形を何気ない感じで右手にとった。メイナはそれを見て、


「仕方ないか……。さ、気を取りなおして、もうちょっと、探してみよっか」


 そう言ってリティの横を通り、出口へと歩きだした。しかしリティがやってこないのに気づいて、メイナは振り返った。


 リティの背中が見えた。祈るように顔をうつむかせていた。その足元に、灰がさらさらと落ちていった。灰は光をふくんで、白く輝いていた。


 メイナは驚いて声をあげそうになったが、ひとりで外に出た。


 しばらくすると疲れた様子で、リティが現れた。


「行こう」


 と歩きだすリティの背中に、メイナは言った。


「ねー、リティの魔法はさー」

「なに?」

「冷たくなんか、ないよ」


 ふと一瞬、リティの足が止まった。


 メイナはリティの背中を見て、『この背中ばっかり見る日だな』と思った。


 リティの背中の向こうに町の通りはまっすぐとのびており、その先には、森や塔や、白い山々の峰が見えた。



 宿屋の町で おわり


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