結晶からのめざめ 3
リティは結晶の中で長い夢を見た。
ほとんどは、アズナイとメイナがいる、日常の光景だった。
朝、鳥の声とともに起きて、なかなか起きないメイナをゆり起こし、水を汲みにいく。
アズナイはときおり森に連れてきてくれて、動物や鳥や植物について教えてくれる。
厳しい魔法の勉強のほかは、退屈な日々。
『女神ミュートより、魔法の才能を与えられた者は、しっかりと学び、国や人々の役に立たなければならないよ』
それはアズナイの言葉だが、周りの大人たちもたいてい、そんなことを言っていた。
父親に、『灰の魔法』のことが見つかった日。あのときの父親の、おどろきと、喜びと、ごくわずかな恐怖がまじった眼差しを忘れない。
リティが野犬に靴を噛まれ、ひっぱられたとき、リティは叫びながら、右手をのばして野犬の頭をぐいと押した。――押しただけのはずだったのに。それなのに、あんなことになった。
『大丈夫か? リティ。え……。なにをしたんだ? リティ。まさか……。おまえがこの、野犬の頭を……』
ひとは産まれながらに、女神の寵愛を受けて、なんらかの才能をもらって産まれてくるという。はたして、それは寵愛なのだろうか? それに女神ミュートは、その同じ冷たい手で、人々を凍らせようとしている。それが本当だとしたら、おそろしいことだ。
リティは結晶の夢の中で、長い思索の中にいた。
結晶に入ってからしばらくは、氷の年が世界を覆うさまも観た。
北から押し寄せる冷気は、空を覆い、町を覆い、すべてを白く染めていった。
木や山や家屋が凍りついた。動物や人々も。鳥や虫や草花も。川や浜辺も。
人々が北へと逃げるのは滑稽に思われたが、誰しもが伝承を信じていたようだ。滑稽な旅だったが、旅をした人々の目には光がやどっていた。一方で、信じるよるべのない者から凍っていった。
そんな夢想の中で、かたわらにずっと、ちいさな灯りがあった。
その灯りは、リティによりそうように、昼も夜も、いかなる冷たい霜と雪の中でも、絶えずささやかな光をはなっていた。
ある日、リティは地面に横たわって、散らばった結晶のかけらの中で目を覚ました。夢は終わって夜になった。
メイナは灯りをかかげながら、ひとけのない町並を進んだ。横にはリティがおり、氷の年がくる以前からと同じように、無口だった。
「あの日と、逆だねー」とメイナは言った。
「なにが?」とリティの声がした。
「だってさー。あの日は、アズナイさまと一緒に、家を出て市場通りを抜けて、森に行ったじゃん」
「そうだねえ。だから?」
「うん。だとしたらさ、もしかしたらさ、アズナイさまが待っているかもよ」
「そうねえ」
リティはそれっきり、なにも言わなかった。
市場通りを抜けて、神殿へ続く白い石畳を横目にすぎて、広場の前をすぎると、ちいさなレンガ造りの家が見えてきた。その家は暗闇の中で、メイナの灯りを受けてほんのりとオレンジ色に輝いていた。メイナは駆け出した。
「ちょっと、急に走ると危ないって」
背後でリティがそう言ったが、リティも駆け出していた。
木材のささくれた扉を引くと、ぎい、と軋んだ音をたててすこし開いた。メイナは手を止めた。
「どうしたの?」と言うリティに、
「うん。なんかさ、怖くて……。アズナイさまは……」
リティはしばらくだまっていたが、「いいよ。開けようよ。見ようよ」と言って、扉をぐいと引いた。
メイナの灯りに照らされた家の中は、かつてのままだった。
いつも座っていたテーブルの中央にはランプが置かれ、本棚には本が順番に並んでいた。読みさしていた本からは赤い栞が飛び出ていて、ふたたび開かれるのを待っているようだった。奥には暖炉とベッドが見えた。家の隅の簡素なベッドには、布が折り畳まれていた。
「なんかさー。そのうち、帰ってきそうだよね」
「そうだねえ」
リティはそう答えて、テーブルに近づくと、なにを思ったか椅子を引いて、そこに座った。メイナもそれを真似て、昔のようにとなりに座った。
リティはうつむいて、肩をふるわせて、両手で顔をおさえた。
そのときメイナは、テーブルの上に文字が書かれていることに気づいた。その文字は、黒いインクで、なかば彫り込まれるように深く、強く書かれていた。
「ねえ、これさー。なんだろ」
リティは洟をすすりながら、うるさそうに顔を上げた。
「これってなに?」
「だからさー、この文字」
「え?」
メイナは右手をかざし、テーブルの上の文字を照らした。そこには、こう書かれていた。
『心を凍えさせてはならない』
メイナはなかば叫ぶように、「レガーダ!」と声を上げた。
「アズナイさまからのメッセージだよ! こんなの、まえは書いてなかったよ!」
一方でリティはずっと、その文字を見ていた。
その日はベッドの布にくるまって眠った。長い冬は終わったらしく、さほど寒くはなかった。
結晶からのめざめ おわり
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