第四話 無理解

「おい、もう生き返ったか」

「…………はい……なんとか。」

 淡利の暴走を楔と対波が容赦のない平手打ちで収めた後、聖は先輩三人の介抱を受けて漸く体力を回復させた。

 正直「遅すぎだろう」と思う者も居るだろうがそれは動物園の猿やら鳥やら虎やらを詰めた檻の中で寛げる素人が居るだろうか、という話になってくる。どう足掻いても疲れる空間だった。

 そんな聖の肩を揉んだりと献身し尽くしてくれた先輩三人。「そんな事をしなくても大丈夫ですよ」と言う気力もなかった聖は有り難く好意を受け取っておくことにした。ちなみに体力が回復してから執拗な程に平伏して謝り倒した。

 そんな聖を警葬監視操行部隊の良心である先輩四人の内三人……調、冬青、山葵は、皆それぞれに笑って許してくれた。ちなみに残りの一人は平手打ちを食らった淡利の治療をしている永久である。

「すみません……。本当にありがとうございました!」

「おう、感謝しろよ」

「元気んなったみたいで、嬉しいわあ」

「べっ、別にお前の為に世話してやった訳じゃねーんだからな!ただ疲れてるみたいだからちょっと愚痴聞いてやっても良いかなと思っただけなんだからなっ!!」

 その三人の反応はまさに三者三様、それぞれ大きく異なっている。

 感謝しろよ、と尊大な態度で言ったのは調。明るい金髪に前髪を黒く染めており、虎の様な琥珀色の目を縁取る長い下睫毛がトレードマークで鋭利な存在感を纏っている。

 嬉しいわあ、と言いながら右手を頬に当て、はんなりと微笑んだのは冬青。雪のように儚く優しい白髪に、よく映える鮮やかな椿色の瞳。冬青の出身である地域の特徴的な方言を扱っている。

 最後にツンデレと言うにはツンに振り切れていない優しさの権化、山葵。黒髪に白い鉢巻をした小柄な青年だ。透明感のある翡翠色の目をしている彼は非常に照れ性で、よく顔を赤くしている。

 と、ここまで来るとこの三人の個性が薄いように思えてくるが、それは決して彼らが悪い訳ではない。誰が悪いのか、とすれば強個性が過ぎる絣や緋、嵐が悪い。

 これで一応十五人の警葬監視操行部隊の先輩の内、十四人に聖は長く話し関わったことになる。ここまで来れば残りの一人にも聖の名前と顔くらいは覚えて欲しいものだが……。

「瞬先輩は、どこにいらっしゃいますかね……?」

「知らねぇな」

「分からんなぁ」

「知らないな……」

 三人は顔を見合わせ、それぞれ首を傾げた。

 そう、隊員の最後の一人となる瞬という男は、人前に顔を出す事をあまり良しとしていないらしいのだ。食堂に皆が集う昼にも、聖が入隊した日の新人として紹介された場でも姿を見たことはない。人見知りなのだろうか。

 ……まぁ、少し厄介そうだ。いつかは情報収集の為に対面したいが、今は積極的に会おうとはしなくても良いだろう。もう少し馴染んで、信頼を得てからでも遅くはない。

「じゃあ、お前らそろそろ行ってない奴は飯取り行け〜」

 気付けば、時計の針は十七時を指していた。食堂に来たのは二時間前だった筈なのに、と聖は改めて疲労感をその双肩に背負い直したのであった。



***


「いただきまーす!!」「いただきます」「うめぇ」「さぁ頂こうか」「……」「い、いただきます……」「美味しくいただかせてもらうとするわあ」「……いただきまっ……ごふっ」

 声を揃えろ。

 そう声を大にして言いたくなる見事なばらけぶりだったが、こうして和やかに食事の時間が始まった……。いや、食事の前の挨拶をする前に食べんなよ。誰だよもう食ってんの。

「…………これは?」

 聖は人参や芋の入った白い汁物をスプーンで掬い取り、首を傾げた。

 警葬監視操行部隊の食糧は政府から支給され、朝夕二回の食事が出される。前日の残り物や材料の余りで料理係が作る完全な気紛れメニュー、そして一週間ローテーションの献立で回っていく仕組みなので大抵三種類から選べるらしい。かなり豪華だ。

 そして食堂には瞬を除いて用事がない限り全員が来るが、来たとして必ずしも皆が食事を摂る訳ではない。全員が碌な物を口にできない民衆の出身の為、多少食べなくとも通常通りの活動はできる。

 その為食事が面倒な時や忙しい時は誰も食堂に顔を出さないので料理係が血涙を吐きながら手付かずの料理を食べているらしい。何とやり甲斐のない仕事だろうか。

「……あの」

「シチューだ」

「…………しちゅー?」

 この料理は何か、と聞こうとした聖に楔が小さく笑いながら答えた。

「珍しくて知らないもんが多いだろ、新人の頃は誰でもそうだ」

 俺もそうだった、と言った楔は淡利が押し付けてくる人参を一つ一つ丁寧に返却している。そして淡利が人参の群れを見て崩れ落ちるのを対波が励まし、嵐が「これは人参ではない人参の様に見える何かだ」という謎の理論の力説を始め、そこに緋と絣が参戦。

 我関せずの姿勢を保つ調。遠巻きに微笑ましく見守る冬青、そして見守りたかったが巻き込まれた山葵。「人参は美味しいし美容にも良いから!分かんないけど多分良いから!」と無理やり食べさせようとする結。

 場の収拾を付けようと慌てて立ち上がる御比、わざわざ渦中に飛び込んで行く灯、その灯に自分の皿を持って行かれたので追い掛けざるを得ない日向。


 なんて賑やかな食事だろう。聖の記憶の中で、これだけ賑やかな食事をした事はない。それは多くの民衆にとってそうだ。食事は生きる為に必要なだけで、貧困という現実を最も近く突き付けられる瞬間でもある。

 息苦しさと欲求のせめぎ合いの狭間で土混じりの食物を手に取るあの虚しさを、忘れた事はない。これだけ好意的に接して貰える人と関わるのも、初めてかも知れない。

「聖〜!こいつらが酷い!!助けて!!」

「……えぇ!?」

 なんて感傷的な気分に浸れたのも数秒で、人参に追われる淡利が必死の形相で縋り付いて来た。

 これはもう、部外者で居るのは不可能だろう。

 と、聖は大きく肩を落とし、聞くところによると第五次らしい警葬監視操行部隊人参大戦に参加を余儀無くされた。

 本当に何なんだこの人達は。口も達者で力も強くて凄く辛い。やはりこの部隊に入るの止めた方が良かっただろうか。早まってしまったか。

 そんな事を考えている聖だが、心の奥底ではまた、こんな事も思っていた。


 …………今はまだ、此処に居たい。

 いずれ、この人達は敵になる。否、今この瞬間にもこの人達は、敵なのだ。僕の夢を叶えるのに大きな障害となる、敵に違いはない。だけど……。

 聖は守るべき志を、望むものを己自身で胸に刻み、はっきりと理解をしていながらも許される事のない矛盾した願いを抱いていた。

 それでも今この瞬間だけは許されるだろう、と静かな幸福の中で目を閉じた。



***


 地面を、強く蹴った。


 大きく水飛沫が上がる。

 前日まで降り続いた雨で足場は良好とは言えないが、この悪条件には皮肉にも慣れていた。宙に舞う雫も置き去りにして、走る。視野を広く持つことを意識しながらどの道を選べば効率良く進んで行けるかを見極め、跳ぶ。

 瓦礫の山を踏み分け、屋根を渡り、傾いた電柱から跳び上がり、そこから伸びる電線の上を駆け抜けた。

 …………いける。

 そう判断し、聖は電線から飛び降りた。鳥籠の外の太陽が送る光に照らされ、舞い降りて来る聖の姿は追われる兎にはどう見えただろうか?天使や、自由自在に空を飛ぶ鳥?否、それはきっと……。

 人を死へと導く、死神のように見えた筈だ。

 聖は無音で着地し、目の前の男を見据える。四十代程に見える禿頭の男が聖を怯えきった目で見ていた。腰に括り付けたサーベルを見せつけるようにすらりと抜き放つと、男は聞き苦しくくぐもった悲鳴を上げ……。

「──────っ!!」

 何度もよろけながら、それでも必死に逃れようと走る。

 何と愚かなことだろうか。先程あれだけ抵抗が無為であることを教えてやったのにも関わらず、まだ逃げようと言うのだろうか。それは酷く……。

 醜かった。

 生への渇望。しかしこの退廃し切った町で生き延びた所で未来に希望を見る事などできないのに。男はそれでも尚走り続ける。

 聖は大きく溜息を吐くと、その背中に刃先を向け……。


 男が、手を伸ばした。その先に誰が居た訳でもない。ただ、そこには……。

 鳥籠の、終着点がある。

 聖が焦がれた鳥籠の外へ……それをこの男も望んだのだ。哀れで無謀な試みだとは思う。政府への何の対策も無しに鳥籠の外へ出るなど「殺して下さい」と言っているようなものだ。

 なのにも関わらず、彼は……。

 外へ。

 きっと光が、あの青空があるだろう、外へ。

 聖の足は、止まっていた。その望みが、希望が男にあるのだろうと確信した瞬間、まるで爪先から凍り付いたように動けなくなっていた。

 僕は、彼の願いを。

 僕と同じ願いを持つ者を殺すのだろうか。それは……。

 したくない。

 他人の願いを潰すような真似を、僕はして良いのだろうか。何をしても、何としてでも外に出ることを決意した僕が、それをして許されるのだろうか……。否、許される許されないの問題ではない、僕がそれをしたくないのだ。

 此処で彼を逃がすのならば、間違いなく僕は信用を失う。だがそれでも僕は……。














 鮮血が、視界を染めた。

 眼前の光景に理解が追い付かず、聖は目を見開く。黒い制服の男。見覚えのある花色の髪。後ろ姿しか見えないが、此方へ振り返るその顔を、僕は知っている。

 サーベルの鋭利な刃が柔らかい皮膚に朱線を引き、空間を切り裂く。それはまるで虚空にただ振り切られただけのように、滑らかに肉を穿ち、骨を断つ。

 決意と恐怖の入り混じった男の顔が、地面にまるで落とし物のように転がった。それを拾い上げながら、彼は聖に笑いかけた。

「初めてで、緊張したか?」

 先程まで生きていた、男の首を拾い上げながら、楔は聖に笑いかけた。

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2024年12月3日 00:00
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トリカゴの哀歌 刻壁クロウ @asobu-rulu

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