蒼穹

さばゆ

屋上

息苦しい教室から飛び出した屋上で、抱えたアコースティックギターをチューニングする。


錆びかけの柵に囲まれた屋上で、奇跡的に綺麗な場所に腰掛けながら、少年はいつものルーティンに入っていた。

そんな少年の横で、柵に寄りかかった少女は見下ろす形で見守っている。


一弦のチューニングまで完了し、少年は少女を見上げるが、そこにはいつも通り穏やかな笑みを浮かべた顔があった。


「毎日毎日聴きにきて飽きないのか」


少女は少年の存在に気づいてから毎日のように現れ、少年のギターの音色をただ聴いていた。


「飽きないよ、君が奏でる音ならね」


そんな歯が浮くような台詞をさらっと言えてしまう彼女に心を揺さぶられながらも、少年は弦をはじく。


少年が唯一ともいえるほど、安らぎを得られる瞬間。

周りとうまく馴染めず、惰性で過ごす学校生活も過保護な親に縛られる家からも開放されるこの一時があるからこそ、耐えられる。

耐えて耐えて、その先に何があるか、何をしたいかは分からない。

分からないけれど、いつか救われる日が来ると信じて音を奏でる。


そんな現実からの逃避行が日常となったある日、少女は当然現れた。

屋上は立入禁止というのは当たり前のルールで誰も近づかない。

それがたとえ鍵が壊れていて誰でも入れる状況であったとしても。

だからこそ、秘密基地のような感覚で安心しきっていたのだが、彼女はギターの音を辿ってきたらしい。

エレキではないとはいえ、アコースティックギターの音色がそんなに遠くまで響いていたのかは未だに疑問だが、その日から彼女との交流は始まった。


一通り指が動くようになってきたところで、本題の曲を弾き始める。

この屋上で弾くようになってから作曲に挑戦し始めた。

最初は満足に作れなかった曲も最近では形になっている気がしている。


だからこそ、彼女が隣にいるとどうしても気になってしまう。

自分の作る曲は届いているのか、どんな思いを抱かせるのか。

知りたい、そう思って彼女を盗み見るもいつも通りの穏やかな笑みを浮かべるだけ。

せめて彼女の違う表情が見られれば、そう思ってしまう。


今日こそはと思い、ストロークする右手に力を込める。

少しでも彼女の心に響くように、届くように。


「今日はまた一段と気合入ってるね」


彼女は今日も笑みを浮かべながら声をかける。

彼女の声掛けに意識が引っ張られるが、ギターを鳴らすのに夢中で会話に脳のリソースを割くことができない。

いつもは照れ隠しに黙ったり、言い返したりするが今日は違った。


「君が聴いてるから」


自然と自分の口から出た言葉に驚き、一瞬ギターを弾く手が止まってしまう。

咄嗟に顔を上げて彼女の顔を見ると、もっと驚いた顔がそこにはあった。


「…私のため?」


なぜ、そんな言葉が口から出たのか。

自分は彼女に聴かせるために音楽をやっていたのか。

確かに作曲を始めたのも、週に数度息抜きにやっていたギターが毎日になったのも、彼女と出会ってからだった。

自分でも気づかないうちに彼女に、彼女のためにギターを奏でることが目的になっていたのかもしれない。

今まで現実逃避のためにやってきたことが、ようやく形になった、そんな気がした。


「そう…かもしれない」


結局は誰かに認めてほしかった、助けてほしかった、側にいてほしかった。

それだけを求め続けていたのかもしれない。

こうして、隣で誰かが自分の音楽を聴いてくれている状況こそが、自分が望んでいた未来だと気づいてしまった。


「ふふっ」


彼女が笑う。

いつもの穏やかな笑みじゃなく、嬉しそうな笑み。

今までとは違う心の底から笑う彼女の姿が脳裏に焼き付く。

止まっていたギターを再度奏で始める。


「なんだよ」

「ううん、君の音楽を聴くのがさらに楽しみになったなって」


いつも通りの歯の浮くような台詞だが、それが心地よい。

だって、


「俺も君に聴いてもらえるのが嬉しいよ」


音楽をやる理由が出来たから。

現実逃避のための音楽が彼女のためなら、さらに好きになれる気がして。

あの笑顔をもう一度見たい、そんな想いが芽生えていることには気づかない少年。

それでも、奏でる音楽は優しい音色に変化しつつあった。


蒼穹の下には嬉しそうな二人の姿とギターの音色だけが響き渡っていた。

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蒼穹 さばゆ @sabayu_fuyu

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