森竹不動産 その1
かつて、PCというものは明確にマニアックなものだった。
使える人と使えない人の間には、くっきりと線が引かれていたし、
もちろん、渡世において必須のものでもなかった。
その風向きが変わったのは、1995年、Windows 95の出現である。
それまでのOSは「わかるヤツだけついてこい」と言ったデザインであり、
「下手にいじったら爆発しそう」なイメージであったのだが、
Windows 95は、とにかく初心者にも使いやすそうに設計されていた。
これにより、一般家庭や職場において、一気にPCが普及することになる。
――前置きを長々と失礼。
これから語るむかしばなしは、ちょうどその頃の話である。
私は大学生だった。
当時の指導教官であるM先生は、
「これからはデジタル化の時代である!
理系文系かかわらず、PCを使いこなす技術は必須となるだろうから、
私の指導学生は、レポートも卒業論文も必ずワープロで作成するように!」
そう言って、研究室のPCを自由に使わせてくれた。
なにせ、「卒業論文の清書」がアルバイトとして成立した時代である。
M先生は、古典文学の専門家であったにもかかわらず、
ハイカラな人であったと言えよう。
そんなある日、大学生協のバイト募集コーナーを、
なんとはなしにぶらついていた時のことだ。
一件の募集チラシが目に飛び込んできた。
―――――――――――――――――――――――――――
ワープロソフトおよび表計算ソフトの操作ができる方募集
業務:データ入力作業
時給:1,200円(交通費別途支給)」
期間:8月1日~31日(平日のみ、土日祝日は除く)
※勤務時間等については委細相談
森竹不動産
―――――――――――――――――――――――――――
かなりの好条件である。
幸い、データ入力のアルバイトは他所でもやったことがあった。
夏休みにはどうせ予定もないので、これを機にがっつり稼いでやろう。
この時は、そんなことを考えていた。
件のアルバイトの面接自体はあっさりと終わり、その場で採用が決定した。
そして、夏が来た。
仕事自体は、シンプルなものだった。
紙媒体の内容を、ひたすら手入力でデジタルデータ化していくという作業と、
その内容に間違いがないか、お店の人と読み合わせをする作業だ。
森竹不動産には、私の他に3人の店員がいた。
まずは代表である森竹さん。
30代半ばくらいで、典型的な「2代目のボンボン」といった様子の人だった。
それから榊原さん。
50代後半くらいで、傍目には森竹さんよりよっぽど貫禄がある。
先代の頃から勤めているらしい。
最後に丸山さん。
眼鏡をかけた大人しい女性で、齢も私とさほど変わらない。
一週間も働いていると、だんだん店内事情も分かってくる。
森竹代表と榊原さんは、どうにもそりが合わないということ。
榊原さんは資料のデータ化には反対であること。
森竹代表は丸山さんに好意を抱いているが、
丸山さんの方は若干迷惑に思っていること。
まあ、自分はあくまで一月限りの外人部隊(エトランゼ)なので、
誰にもつかず離れず仕事をしていた。
耳をすませば、今日も森竹代表と榊原さんが、
険悪なムードで何やら言い合っている。
「だから、あの部屋には人を入れるべきではないと言ったでしょう!」
大声を上げたのは榊原さん。
「事情は説明したし、それでも良いというから……」
若干押され気味の森竹代表。
自分は、なにも聞こえないふりをして、黙々とデータ入力作業を続けた。
それから数日後、別室で森竹代表とデータの読み合わせ作業をしていた時のこと。
「ちょっと、いいかな……」
森竹代表が、そのように声のトーンを落として言うには、
「契約外の業務を、一つお願いしたい」
ということだった。
「あ、そんな難しいことじゃないよ。ちょっと部屋の片づけをするだけだから!
手当ははずむからサ、頼むよ~」
そう言われれば、断る理由もない。
私が承諾すると、森竹代表は心底ホッとしたような表情で、
「ほら、僕と榊原さんが二人とも店を空けるわけにはいかないし、
丸山ちゃんは女の子だしねえ」
そんなことを言う。
(男手が必要ということは、重たいものをさんざん運ぶことになるんだろうなあ)
そのときは、それくらいしか思わなかったのだが――
そうして、森竹代表の赤いポルシェで連れて行かれたのは、都内某所、
当時そこいらでは珍しい15階建ての高層マンションであった。
車から降りた私が、入口のゲートに向かおうとすると、
「そっちじゃないんだなあ」
森竹代表はそう言って、地下駐車場の奥へ奥へと進んでいく。
行き着いた先には、
打ちっぱなしのコンクリート壁には似つかわしくないガラス戸があった。
鍵を開けて中に入ると、間もなく機械音がして、
入ってきたガラス戸が自動的に施錠される。
当時は珍しいオートロックに私が目を丸くしていると、森竹代表は愉快そうに、
「VIPゾーンだから、セキュリティもばっちりってわけ」
その奥には、エレベーターがあった。
豪華すぎて逆に息が詰まりそうな内装、何気なく昇降ボタンに目をやると、
「1階」「15階」しか設置されていない。
つまりは直通エレベーターということだ。
「最上階はペントハウスになっていてね。
ええと……このマンションで賃料が一番お高い部屋だと思ってくれればいいよ。
『馬鹿となんとかは高い所がお好き』ってやつさ」
森竹代表は、自分の発言をひとりで面白がってイヒヒと笑う。
(不動産屋がそういうことを言ったらダメなんじゃないかなぁ?)
私はそう思ったが、もちろん口には出さなかった。
エレベーターを降りると、目の前には、
大理石張りのエントランスホールが広がっていた。
設置された大きなガラス窓から覗き見れば、
西には秩父山脈が広がり、視点を変えれば東京タワーが見える。
15階からの眺望は、さすがに見事なものだった。
この先、一生縁が無いであろうセレブでハイソな気分を満喫していると、
部屋の玄関を背に森竹代表が言う。
「ええと、これから僕たちがすることは、その、何と言うか、
『部屋の飾りつけ』を取り外すだけ。それだけだよ。
……そう、クリスマスパーティの後片付けみたいなもの」
それから、息を大きく一つ吸うと、
「部屋の中では、とにかくお互い目の届く場所にいること。
おかしなことに気付いたら、すぐに僕に声をかけてほしい。
それから、僕がおかしいことをしたら、ぶん殴ってもいいから止めてくれ」
まったく意味がわからない。
そう思って森竹代表を見返すと、その手が震えているのに気が付いた。
(緊張?恐怖?)
なんだか、尋常じゃなく嫌な予感がする。
そんな私の不安など知る由もなく、
森竹代表は、ガチャリと玄関の鍵を開けた。
なにせ真夏のことだったし、それも最上階だったから、
部屋の中には息苦しいほどの熱気が充満していたことを今でも憶えている。
内部は真っ暗だったが、すぐに森竹代表が室内灯を点けた。
そして、そのまま迷いなく廊下を進んでいく。
突き当りはリビングだったようで、彼は雨戸を勢いよく開けた。
外から強い日光が差し込んで来る。
そのせいか不穏な空気も少しは和らいだようだった。
私も靴を脱ぎ、代表を追いかけるようにリビングに向かう。
私がついて来たのを確認すると、
「よし、行くぞ!この部屋が本丸だからね!!」
森竹代表は、そう大声を出して気合を入れ、
リビングに面した部屋のドアを開けた。
一見、その部屋の様子は果樹園を彷彿とさせた。
大きなベッドがあったから、寝室として使われていたのであろう。
だが、大小様々なものが、そこら中に実っている。
その果実は、人形だった。
もっと具体的に描写するならば、
人の形をしたありとあらゆるものが首を縊っていた。
大きなクマのぬいぐるみは、ネクタイでベッドに縊られていた。
カーテンレールには、子供向けの着せ替え人形がずらりとぶら下がっている。
無数のレ●ブロックの人形は、首の部分をタコ糸で数珠繋ぎにされ、
玉暖簾のように部屋を横断していた。
床に散らばった漫画の表紙に目をやれば、笑顔を見せるキャラクターの首にまで、
御丁寧にマジックペンで縄が書き足してあった。
その異常な執着が作り出した瘴気のようなものに当てられて、
私が何も言えずに固まっていると、森竹代表が軽薄な様子で言う。
「ヤバいでしょ?イッちゃってるでしょ?
そこの床に散らばっている漫画、書き込みは表紙だけじゃないから……
笑っちゃうよね。ハハハ……」
そんなふうに露悪的に笑い飛ばしてみせる彼の体は、小刻みに震えていた。
「最初にお願いしたとおり、
これからこの悪趣味なデコレーションを片付けていくよ。
ああ、そんなに時間はかからないと思う、
あくまで部屋の見た目をマトモにするだけだから。
本格的な清掃は、後で業者にお願いするんだけど、
彼らに変な噂を立てられたくはないからさぁ」
それから彼は、泣いているのか笑っているのかわからないような顔をして言った。
「――いちばん大きいのだけは、警察が片付けてくれたんだけどね」
その言葉の意味を理解した途端、私の胃は一気に収縮した。
息も絶え絶えにトイレの場所を聞くと、森竹代表は、
親指で入ってきたのとは別のドアを指し示したので、一目散に駆け込む。
そこは、トイレと浴室が一体になっているタイプのバスルームだった。
さすがは高層マンション最上階のペントハウスだけあって、
鏡や洗面台、果てはタイルの一枚一枚に至るまで、
どれをとっても高級感に溢れていた。
そんな中、目の前には、不釣り合いなものが垂れていた。
荷造り紐で作られた絞首縄。
それが、風も無いのに揺れている。
ゆっくりと、ゆっくりと。
なんだか無性に、それに自分の首を差し出したくなった。
――そこからの記憶は曖昧だ。
気が付いて最初に目にしたのは、汗と涙でぐしゃぐしゃになった森竹代表の顔。
私はいつのまにか、エントランスホールの床の上に横たわっていた。
「とにかく、いったんここから離れよう」
ただそれだけを言う森竹代表に連れられて、私はマンションを後にした。
車で移動中、森竹代表はだいたいこんなことを語った。
「大きな物音がしたので様子を見てみたら、君が首を吊ろうとしていたので、
必死になって止めた」
「前に来た時には、あんなもの(絞首縄)はバスルームになかった」
「もちろん私たちが持ち込んだものではない。
かと言って、君が持ち込んだなんて言うつもりはまったく無い」
「あのペントハウスでは、首吊りによる自殺者がすでに3名出ている」
「また、同じ手段で自殺を図ったが生き延びた人が居て、その人は、
『この部屋には化物がいて、そいつにやられた』と言っていた」
その話を聞いた私は、ただただ頷くしかなかった。
結局、私たちは店に戻り、榊原さんに今回の事態を報告することになった。
どうやら森竹代表は、榊原さんに叱られるのを嫌がり、
今回の片付けを自分ひとりで処理しようとしていたらしい。
榊原さんは私に向け、深く頭を下げて言った。
「こちらの都合で君をひどい目に遭わせてしまって、本当に申し訳ない。
もし気分が悪いようならば、アルバイトは今日で打ち切りにしてもかまわない。
もちろん8月いっぱい働いたという計算でバイト代は出すし、危険手当も付ける」
それから、森竹代表を物凄い目つきで睨んで、
「代表も、それで構いませんね」
「ああ、もちろん。僕もそう言うつもりだったんだよぉ……」
さて、二人の気遣いはありがたかったが、
私としては、あんなことがあった後に、一人きりで下宿にいるのは怖かった。
けれどもこんな理由で、友人を頼ることも、実家に帰ることもしたくはなかった。
それならば、事情を知っている人と仕事をしていたほうがよっぽど気が紛れる。
そのことを正直に告げ、アルバイトを続けたい旨を伝えると、
森竹代表も榊原さんも意外そうな顔をしたが、そういうことならばと、
時給を1,500円に上げてくれた。
――ちなみに翌日、森竹代表と榊原さんがあの部屋を片付けに行った際、
私が首を縊ろうとした絞首紐は、跡形もなく消え失せていたそうだ。
怪談短編集(仮) 吉田 晶 @yoshida-akira
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