第20話 本質を映す鏡(一)

 真桜は大きな声を出してしまってから、慌てて口元を押さえて目を泳がせる。

 そばにやってきた暁翔が腰を下ろしたので、今度は肩がびくりと跳ねた。


「そんなに驚かせてしまったか?」

 暁翔が不思議そうに尋ねてくる。


「い、いえ、大丈夫です。あ、その……八坂様とは何をお話になっていたのですか?」

 真桜は話題を変えようと彼に質問で返した。


「研究の協力を改めて頼まれた。穢れや霊力を可視化する技術をさらに進めたいそうだ。おまえの力も含めて、できる限り協力してほしいと」

 暁翔は静かに答え、真桜を見つめた。


 その視線が真桜をじっと見据えるたび、胸が高鳴る。だが暁翔は特に追及することもなく、ただ「疲れただろう、もう休め」と促して布団を整えてくれた。


「あ、ありがとうございます。おやすみなさい……」

 真桜は逸る鼓動を感じながら、なんとか平静を保って布団に入り目を閉じる。


 暁翔も静かに布団に入る衣擦れの音が耳に届く。それよりも自分の鼓動の音の方がうるさくて、彼に聞こえてしまうのではないかとひやひやしてしまう。


 だが、湯上りの温もりと一日の疲れが重なり、真桜はあっという間に眠りへと誘われていった。


 ――翌朝。


 頬に柔らかなものがそっと触れたような気がして、真桜はぼんやりと目を覚ました。


(今の……何?)

 胸に手を当てながら、周囲を見回す。


 美しい木目の天井、昨夜は八坂家に泊まったのだとすぐに思い出す。しかし、部屋には彼女以外の姿はない。隣の布団も既に片付けられ、暁翔の気配は跡形もなく消えていた。


(まさか今のは暁翔様……? それとも、夢?)

 真桜はふと頬を指先でなぞる。暁翔の清廉な香りがそばに残っているような気がした。


 心のどこかで、今の感覚を忘れたくないと呆けている自分に気づき、ハッと我に返る。


(何を考えてるの、私!)

 顔が熱くなるのを感じながら、真桜は布団から飛び起き、身支度を整えた。


 その気配に気づいたのか、八坂家の使用人が声をかけにやってきて、朝食の場へ案内される。てっきり暁翔が先にきているのかと思いきや、そこには真桜の分しか用意されていない。


「暁翔様なら、すでにお食事を済まされて離れの研究室で旦那様がたといらっしゃいますよ」

 使用人からそう聞かされ、真桜は自分がずいぶんとのんびりしてしまったのだと気づいた。


 大急ぎで食事をいただいた後、使用人に教えてもらい、屋敷の離れに作った神具や呪術の研究室を訪れる。


 そこには様々な形や大きさの道具が整然と並べられていた。どれも古びているが、一つ一つに独特の威厳があり、その用途と歴史を物語っている。


 真桜は真剣な表情で神具を覗き込む八坂と礼司の姿を見つけた。その中心には暁翔が立ち、古めかしい円盤状の神具の前で静かに腕を組んでいる。


「これはすごい……!」

 八坂の低い声に、礼司が頷く。


 円盤の中央に刻まれた文様は、暁翔の霊力を感知して白い光を放ち続けていた。だが、その光があまりに強く、装置が耐えきれず微かに揺れている。


「これでは正確な数値は測れませんが……暁翔様の力は圧倒的です」

 八坂が感嘆の声を漏らし、傍らの礼司は記録を残すべく紙に筆を走らせていた。


 真桜は彼らのやりとりを見守りながら、どこか温かい気持ちになる。彼らが熱心に研究に没頭する様子に触れ、心が和らいだのだ。


(純粋に研究が好きなのね)

 暁翔が、ふとこちらを振り向き、目が合う。


「起きたか」

 その穏やかな声に、真桜は少し顔を赤らめながら頷いた。うっかり今朝の頬への感触を思い出してしまったからだ。


(夢と現実を混同しちゃだめ……っ)

 真桜は呼吸を整えてから「おはようございます」と穏やかに微笑むことに成功する。


「これ……全部『神具』ですか?」

 変に意識してしまうのをごまかしながら、暁翔たちがいるところまでゆっくりと進んだ。


「ええ。ほとんどが古くから我が家に伝わるもので、新しく開発できたものがまだ少ないのですが」

 八坂が穏やかな声で説明を始める。


「遥か昔、我が家の祖先が幽世かくりよから持ち帰った素材を用いて作られたものだとされています。木の皮や石、鉱石など、どれも特別な力を秘めているのです。別の世界など、御伽噺だと思っていましたが、本当に存在すると聞いて驚きましたよ」


「幽世……」

 真桜はその言葉に驚きながらも、暁翔に視線を移した。


 たしかに水琴も、かつては互いに頻繁に行き来していた時代もあったと言っていた。


 暁翔は無言で周囲を見渡し、目の前の一つの神具に手を伸ばす。それは黒光りする滑らかな石で、表面に古い文字が刻まれていた。


「これも妖の力を宿しているのか?」

 暁翔が問いかけると、八坂は一瞬考え込むようにしてから頷く。


「はい。妖や神の力を封じたり、引き出したりするために作られたものです。私たちは、妖は帝都にとって脅威だと教えられてきました。しかし、こうして改めて神具の歴史を辿ると、人間が妖と共に生きていた時代が確かに存在したのだと思い知らされますね」

 八坂が唸るように言葉を紡ぐ。


「私たちは、どこかで間違えてしまったのでしょうか……?」

 静かにそう呟いた礼司に、暁翔が視線を向けた。


「妖を脅威と見なすのも、人間の選択だ。俺が禍ツ神となって現世うつしよに災いを呼んでしまったのも原因の一つなのかもしれない」

 暁翔の声がやや沈んだように聞こえ、真桜は胸が痛む。


「直接の原因はわかりかねます。ですが帝都の人々の中には、再び妖と手を取り合うという考えを受け入れられない者も少なくないでしょう。ですが、正しい方向へ舵を切らねば、暗礁に乗り上げ、この国ともども沈んでしまう。少しずつ誤解を解いていきましょう」

 八坂の誠実な言葉に、真桜は胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。


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