第19話 神を招く
「綾斗」
低く、しかし確かに叱咤の響きを帯びた声が広間に響いた。それは東雲家の当主、貴久のものだった。
「言葉が過ぎるぞ。曲がりなりにも相手は神だ。いささか無礼ではないか?」
決して頭ごなしに怒鳴っているわけではないが、その声には有無を言わせない圧がある。
「……失礼しました」
そう口にしたものの、絢斗は明らかに不服そうな表情を浮かべていた。
「ですが、賛成いたしかねるという意見は撤回いたしません。これ以上の議論は不要。先に失礼いたします」
彼は慇懃に畳に手をついて一礼すると、そのまま部屋を出ていってしまう。
「お見苦しいところをお見せした。愚息の未熟さ、どうかお許しを」
静まり返った広間の中、東雲が眉間にしわを刻み、再び口を開いた。
「謝罪はいらない。人間には人間の事情があるのも承知している。俺の存在が災いとなると考えているのであれば当然のことだろう」
暁翔は東雲の視線を正面から受け止める。
東雲は目を細めた。その表情には困惑と敬意が入り混じっているように見える。
「寛大な心遣い痛み入る。しかし、不測の事態が起きた場合、再び封印するという選択を取らざるを得ないこともご承知願いたい」
その言葉には一切の威圧がなく、あくまで理性的な響きがあった。
それでも、真桜は胸がぎゅっと締めつけられるような思いに押し潰される。また暁翔を人間の手で封印するなど、絶対にしたくない。
「再封印、ですか。もし、よろしければ禍ツ神殿のお力を、我が家でぜひ研究させていただけないでしょうか?」
静かに間に入ったのは、八坂光彦だった。
「研究……?」
暁翔が軽く眉を上げる。
「ええ。神にお会いするなど、そうあることではありません。穢れの解明や、それに伴う技術の発展のために、私ども八坂家ができることがあるのではと考えております」
その言葉に、広間の緊張がわずかに緩んだように感じられた。八坂の声は穏やかで、誠実さが滲み出ている。
「穢れの解明か、おもしろい」
暁翔が答えると、八坂は微笑んで軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。もしあなた様がよろしければ、お二人で八坂家へお越しいただけませんか?」
八坂は真桜の方にも目を向けた。
「どうする、真桜?」
「暁翔様がよろしければ、ついてまいります」
綾斗に拒否された以上、
「では、本日はここまでとする。八坂殿、白月家の監視ともども、よろしく頼んだぞ」
「ええ。おまかせください」
東雲が退室すると、他の家の者も立ち上がる。
「では、このまま家の方に参ろうかと思うのですが、かまいませんか?」
八坂に声をかけられ、真桜は「少しお待ちください」と頭を下げた。
「あの、母のことは……」
真桜は颯吾のもとへ歩み寄ると、そう言い淀んだ。
「安心しろ。白月家の動向を監視することになれば、おまえの母上殿が家に戻っても大丈夫だろうし、落ち着くまでしばらく家に滞在してもらってもかまわない」
真桜は颯吾の言葉に深く頭を下げる。
「ありがとうございます。どうか、母のことをよろしくお願いします。私のことは心配しないでとお伝えください」
「わかった。こちらには恩義があるしな。できる限り助力する」
颯吾は目を細める。
「なにを勝手に決めているのだ」
「こんなこと、いちいち父上に確認するまでもないでしょう」
「なんだと……言うようになったではないか」
頬をひきつらせながら、その後も小言を口にする霧島と飄々と躱す颯吾の二人を見送ってから、真桜は八坂家が所有する馬車に同乗することになった。
馬車の車窓から見える景色は、闇に沈む木々と、ところどころに灯る明かりだけだ。夜の冷気が薄いガラス越しにも伝わり、真桜は肩を少し縮めた。
「もうすぐ着きますよ」
八坂が眼鏡のレンズ越しに柔らかく笑む。
その穏やかな口調に、真桜はふっと息をついた。
「ありがとうございます……こんな遅くにお邪魔することになって申し訳ありません」
真桜は恐縮しながら礼を述べる。
「声をかけたのはこちらです。それに、遅いどころか、むしろ神様をお迎えできる機会をいただけたこと、光栄に思っておりますよ」
八坂の言葉に、礼司も軽く微笑んで頷いた。
「我が家は静かで地味な場所ですが、ぜひゆっくりしていってください」
礼司の言葉に真桜は安堵した。
「綾斗も前はあんな風に感情的になることはなかったのですが……」
そう言って礼司は目を伏せる。
「何かあったのですか?」
「一年前に双子の妹さんを事故で亡くしてから、少し雰囲気が変わってしまったようです。無理もありません、一緒にいたのですから、助けられなかった自分に苛立つこともあるのでしょう。それが時に表に出てしまう、そういったところではないでしょうか」
大切な存在を失くしても、毅然と役目を果たす――綾斗の無駄のない流れるような所作を思い出して真桜は眉根を下げた。
(きっと心の中ではつらいのかもしれない……)
こちらが助けてほしいと一方的にお願いするのは勝手なことだったのかもしれない。なんとか綾斗にも理解してもらえるといいのだけれど。
そんなことを考えているうちに、馬車はゆっくりと停車した。
「着きましたよ」
礼司が扉を開け、先に降りる。
真桜の前に先に外へ出た暁翔が手を差し伸べてくれた。
「足元が暗い。気をつけろ」
その手にそっと掌を重ねると、馬車を降りる真桜の体を支えてくれる。
「……ありがとうございます」
真桜は顔を少し赤らめながらも、彼の温もりにすがる思いだった。
八坂の家は静かな闇の中に佇んでいたが、門の脇には明かりが灯されており、その光が温かみを帯びているように感じられた。
「おかえりなさいませ」
数人の使用人の挨拶に八坂が先頭に立ち、「お客人です。部屋を用意してもらえますか」と伝えると、何人かが素早く部屋の奥の方へ向かっていった。
「お疲れでしょう。すぐに暖かい部屋をご用意いたしますので、どうぞお寛ぎください」
その言葉に、真桜は少しだけ肩の力を抜くことができた。
客室に通され、簡単な食事と入浴、着替えまで用意してもらう。暁翔は八坂と少し話をすると言って部屋を出ていったきりだった。
申し訳ないと思いつつも、湯上りでさっぱりした心地で部屋に戻ってきた真桜はどきりとした。
整えられた客室には布団が二組、行灯に照らされて並んでいる。
(もしかして、暁翔様も同じ部屋でお休みになるのかしら?)
それにしたって、布団が近すぎるのではないか。いや、そもそも真桜と暁翔は夫婦という認識が為されているはず。布団をくっつけて並べるのも至極当然のことである。決して使用人はなにも悪くない。
「ど、どうしよう……」
布団を離して並べ直すか。だがそれで暁翔をがっかりさせるようなことにならないだろうか。
「が、がっかりってなに……っ」
真桜は一人で顔を真っ赤にし、その場にへたり込むと両手で頬を包み込んだ。
「でも祝言を挙げるまでは正式な夫婦、じゃないわよね……?」
やっぱり少しだけ布団を離そう。
背中に微かに汗を滲ませた真桜は、そっと布団に手を伸ばした。
その時、背後で障子がすらりと開いた。
「先に休んでいてもよかったのだぞ」
「はははは……はいっ!」
背中に届く暁翔の声に、真桜は口から心臓が飛び出しそうな勢いで返答した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます