第8話 敵の敵は味方、かもしれない
五星結界の中心に位置する天宮の
あまり人が踏み入ることはないのか、楓が踏み出す一歩ごとに柔らかい土が沈む。日差しは木々に遮られてはいても、木立を吹き抜ける風は春の暖気を纏ってどこか
「ふあぁあ、ええと、なんでボクは森ん中にいるんだっけ……」
無意識に腰に佩いた刀の柄を撫でながら、楓は状況整理を開始する。
天下の天宮家の娘として生きろと言われ、同時に押し付けられるようにクラスメイトの相川光希が護衛として付けられた。楓には護衛なんて過分に思えたし、光希自身もどこの馬の骨とも知れないぽっと出の人間の護衛を嫌がっていた。ばちばちと互いに火花を散らしていたところに、楓の武術の
「……んで、なぜかボクがあいつを探す羽目になったのか。んー、あれが反抗期ってやつなのかな。よく分からないけど」
適当なことを呟きながら、なおも楓は足を止めない。課されたことはできるだけ早くに片付けておくに限る。見知らぬ森で人を探すのは、黄昏の野で
がさがさと葉っぱをかき分けて進めば、視界に広がるのはやっぱり木と葉っぱ。けれど、地面に視線を落とせば新しい靴跡が刻まれていた。見つけたとほくそ笑んで、楓は気配を殺して慎重に足跡を追いかける。
木立の中にブレザーの背中。楓は気配を殺すことをやめて静かに木陰から顔を出した。
「誰だっ!」
光希の言葉と同時かそれより数瞬早く放たれた蒼炎が楓の視界いっぱいに広がる。氷のような透き通った蒼の炎は、見た目とは裏腹に灼熱をもって空気を焦がす。ちり、と楓の鼻先が熱さを感じたときには楓は後ろに跳び退っていた。けれど、無能である楓には霊力で作られた炎を消し止めるすべはない。特に炎は線ではなく面での攻撃、楓には対処の仕様もなくて、仕方がないからとりあえず叫んだ。
「す、ストーップ、ストーップ! やめて、丸焦げになっちゃう!」
揺らめく蒼炎の向こうで、光希が驚愕を顔に浮かべる。そして、今にも楓を舐め取ろうとしていた冷厳の炎がぱっと蒼の粒子を残して四散した。きらきらと宙を舞う輝きに、楓はただただ息を吞み込む。
今まで見たものの中で一番綺麗。厳しい寒さの中で見られるというダイヤモンドダストはこんな感じなのだろうか。それとも冴えた月がこぼした光の欠片とでも言えばいいだろうか。濃紺の夜空に縫い付けられた星でさえこんなに美しく煌めきはしない。楓の育った孤児院は五星の外で生まれた霊能力者を育てる場所だった。そこで見た霊力の輝きは光希の見せたものには到底及ばない。
光希の霊力の光があんまりにも綺麗だったから、だから消えてしまうのが惜しいと思った。触れられないことは分かっている。それでも、触れてみたいと煌めきに手を伸ばす。蒼い星が楓の指先で弾けた。
「うわっ……!」
弾けた星は七色の粒子を散らして消える。嬉しくて、けれどもったいなくて。惜しい気持ちを抱えて顔を上げる。
「……気は済んだか?」
躊躇うように発せられた一言に楓はゆっくりと噛み締めるように頷く。さっきの星は光希からのサービスだったというわけだ。この瞬間だけは楓も光希といがみ合っていたことを忘れて屈託のない笑顔を浮かべた。
「すっごく綺麗だな、おまえの霊力」
虚を突かれた顔をして光希が固まる。次に光希が動いたのは、渋面を作って楓から目を逸らす動作のためだった。
「そうか……、ありがとう」
小さい声で礼を言うおまけ付きで。
とはいえ、顔合わせから今までのすべてのコンタクトで大失敗を遂げている二人だ、すぐに色々と思い出して互いにそっぽを向く。当然、先ほど丸焼きにされそうになった事実を楓は忘れていなかった。
「おまえな! さっきボク死ぬとこだったんだぞ! 危ないだろ!」
「急に近づく方が悪いだろ! 気配が突然湧いたらおまえだって刀抜くだろ!」
「ぐぬっ、そ、そうだけど! でも、だってずるいじゃん! 火攻めとか!」
「その方が効率的だからな」
澄ました顔で言う光希の顔面をグーで殴ろうかと楓は思案する。旗色が悪いのは楓の方なので、いっそ殴って振り出しに戻せば……。ぷるぷると震える拳を見つめて黒い笑い声を上げる楓に、光希はぎょっとした。
「ふ、ふははは──あ、いや、そうだ。そういやおまえを見つけて帰るって話だった」
突如として我に返ると、楓は光希に向かって一歩踏み出した。同じくらいの歩幅で光希が楓から一歩離れたから距離はそのまま。
「木葉と親父の差し金か……。おれのことは放っておいてくれ。おまえには関係ないだろ」
「はあ? 巻き込まれたボクの身にもなれよ、ボクだって探しに来たくてこんなとこに来たわけじゃない。木葉と
「おまえもかよ……」
なんだかんだ楓と光希はともに木葉たちの行動による被害者なのだった。二人は同時に肩を落として溜息をつく。
「ボクだって、護衛は嫌だ。おまえもボクみたいな無能の護衛なんて嫌だろ」
光希の口が何か言いたそうに動いた。しかし、声は発されず楓は光希の様子を見過ごした。
「その点ではボクらの意見は一致してるわけだ。なら、護衛解消の件ではボクたちは協力できるんじゃないか?」
ずっとしかめ面のままだった光希の唇が弧を描く。微笑みというにも小さすぎる笑みだったけれど、楓にはそれで十分だった。
「そういうことなら乗ろう。だが、どうする? 天宮のご当主様の意志は揺らぐ気配がしないぞ」
「いやー、そこなんだよ。木葉も
困ったなあ……、と二人で頭を抱え込む。八方塞がりというのはこういうことを言うのだろう。楓と光希にとっては不本意ながら、味方になれるのはお互いしかいない。
「とりあえず、森を出ようよ。ここにいても何も始まらないだろ」
先ほど木葉たちの前から逃げ出した手前、光希は渋い顔をしたが、このまま森にいても進展がないのも確かだと顎を引いた。
「ああ、手間をかけさせたな」
「よしっ、じゃあ道案内頼んだ!」
「なんでおれに丸投げなんだよ!?」
「え、だってボク道分からないし?」
あまりにも楓がすがすがしく返答したものだから、光希の開いた口が塞がらない。光希は大きく息を吸い込んで、特大の溜息をついて諦める。
「……分かったよ」
迷子になっていたことを誤魔化しきれたと楓は頬を緩ませる。光希を見つけられなかった場合は山で遭難が確定していたわけだが、それはそれ。捜索隊が出される前に体のいい案内人が見つかったので結果オーライだ。
人一人と半分離れた距離感で並び、楓と光希は森を歩く。迷いのない光希の足運びからはこの森を彼がよく知っていることを窺わせる。楓はちらちらと光希の横顔を見ながら足を動かしていた。悔しいけれどやっぱり光希は綺麗な顔をしている。それに比べて月並みな楓の顔。並んで歩くのも気恥ずかしい。はあ、と哀しみの溜息をつくと、光希と目が合った。
「じろじろ見るな、鬱陶しい」
「は、はあ!? べ、別に見てないし?」
咄嗟に誤魔化そうとするが、光希は明らかに信じていない。ぶすくれて楓は鼻を鳴らした。
「……なんであそこから逃げたんだよ」
半分は意地悪のつもりで尋ねた。もう半分は知りたかったから。なぜ、木葉にいつまで逃げ続けるつもりかと問われたときにあんなにも悲痛な表情をしたのか。沈黙が下りて、楓が逆鱗に触れてしまったかもしれないと心配を始めた頃、光希は口を開いた。
「護衛任務は、もう二度とやらないと決めた、絶対に。あそこにいたら、本当に押し付けられると、思った」
光希が纏うとげとげとした鎧の向こうがふと見えたような気がした。過去に何があったのかを語る口は持たなくても、小さな弱音をお詫びのように置いて行く。だから、楓もそれ以上は何も言えずに黙り込んだ。
しん、と静寂の帳が下りる。地面を踏みしめれば、かさかさと鳴る葉も今は沈黙している。それもそのはず、楓と光希はどちらからともなく足を止めてしまっていた。四方はまだ柔らかい若緑の葉をつけた木々に囲まれ、木漏れ日は頭上からちらちらと降り注いで地面を水面のように見せかける。けれど、問題なのはその地面の方。
「なあ、この足跡ってボクたちのじゃないか?」
しゃがみこんで地面を真剣な面持ちで検分していた光希が立ち上げる。
「ああ、間違いない」
「……ってことは、ボクたち迷子った?」
おまえ道分かるって言ってたよな、と楓は圧力を掛ける。しかし光希の方は楓の吹っ掛けた喧嘩には乗らなかった。
「そんな馬鹿な。おれはこの森で鍛錬を積んできたんだぞ、今更迷ったりなんかするわけがない」
「じゃあ、これはなんなんだよ!」
明らかに同じ場所をぐるぐると歩き回らされている現状。頻りに聞こえていたはずの鳥の声が消え失せ、木漏れ日だけがゆらゆらと、ゆらゆらと。ふっと湿った風が吹いた。木々の間から白い霧が流れ込んでくる。白く染まっていく視界に眩暈がした。
「相川!」
隣にいたはずの光希の姿さえ、見えない。不安になって声を上げた。霊力や術式やらに疎い楓でも分かる。これは異常だと。霧の中で楓に向かって手が伸びた。
「っ!」
反射的に払いのけようとする前に、凛とした声が届く。
「天宮、おれだ。落ち着け」
がしりと力強く腕を掴まれる。それで光希の顔がやっと見えた。憎たらしいくらいのしかめ面だ。けれど、深い霧の中ではとても心強い。今までとは違って、独りではないと知ったから。
「悪いが、不本意だが、このままで頼む。見失ったらたぶん、もう互いを見つけられなくなる気がする」
半分本音が漏れている。楓は苦笑して頷いた。
「いいよ、別に、不本意だけど。おまえなら、今の状況分かる?」
「こんな状況は初めてだが、推測はある程度なら。まず、おれたちが今囚われているのは結界だ。方向感覚を狂わせ、指定した空間から出られなくする初歩的なものだ。これだけなら、おれの術式で内部から破壊はできる。ただ、問題なのは霧の方だ」
どろりと纏わりつくように重い霧。この場一体がその霧の支配下に置かれている。湿った空気によって出現したものではなく、むしろ霊力が霧状になって漂っている結果として生じているものだ。その証拠に空気に湿り気はあっても楓と光希の顔が濡れることはない。
吹きつけていた風が凪いだ。
楓の額から冷や汗が流れ、楓の腕を掴む光希の手に力が入る。霧の向こうから何かが来ると肌に感じた。薄絹を連ねた白い世界の奥から、しゅるしゅると衣擦れのような音がする。縦に長い瞳孔を持つ大きな金の瞳が輝く。ずるりと楓たちの前に巨体を露わにしたのは、一匹の
「
「十二天将ってなに?」
楓が呑気に問いかけると、ナイフでも突き刺すように鋭く睨まれた。
「うるさい、おまえはいいから黙って下がってろ。向こうがやる気だってのはおまえにも分かるだろ!」
「だから、ボクも──」
刀を抜こうとしている楓を光希が制す。
「いい。下がっていろ。アレは精霊だ、霊力を使わないと有効打は与えられない。無能のおまえは足手まといだ」
「っ!」
戦力外通告に楓は唇を噛み締める。光希が正しいことは確かめなくても感じ取れる。この世界は霊力のない人間が生きるには、あまりにも冷たく残酷にできている。そんなことは分かっている。痛いくらいに知っている。夕闇と夜闇だけが巡る世界で嫌というくらいに思い知っている。そして、楓がこれから生きていかなければならない世界ではなおのこと、無能であるという事実は楓を縛る。
「……分かったよ」
やっとのことで肯定の返事をした楓に、光希は微かに眉を下げた。うなだれる楓の肩に軽く触れ、結界の術式を発動させる。蒼の霊力光がほんの一瞬散った。
「今、守護結界をおまえの周り、半径二メートルの半球状に張った。そこから出なければ大体の攻撃からおまえを守るはずだ」
なんでだよ、と尋ねかけて言いさした。もう、光希は楓に背を向けて刀を抜き放っていたから。けれど、代わりの言葉は知っている。
「頑張って来いよな。……まあ、別におまえが死んでもボクは知らないけど」
はっ、と鼻で笑う気配がした。肩越しに振り返る光希の唇はにやりと弧を描いている。
「本当に口の減らないやつだな、おまえ。でも、激励くらいは受け取ってやるよ」
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