第7話 天宮楓というトクベツ

「では、始めよう。模擬戦開始!」


 そして、みのるが摸擬戦の火蓋を切って落とす。と、同時に両者は地面を蹴った。


 ぎぃん、と二振りの刀がぶつかり合って火花を散らす。初めから霊力で身体強化をした光希の力を、霊力を持たない楓が受け止めきることはできないはずだった。けれど、合わさった刀の先で楓がにやりと笑う。楓は、あろうことか、さらに一歩踏み込んだ。刀にかかる力がぐっと増す。押し負けたのは、光希の方だった。


「っ!?」


 崩される前に光希は後ろに自分から跳ぶ。楓は追撃せずに、息を吐く。それが強者の余裕であることに気がつかない光希ではない。


「かかって来いよ」


 楓が首を傾けると、ひとつに結わえた黒髪が揺れた。


「……ああ、行かせてもらう」


 身体能力強化にさらに霊力を注ぎ込む。天宮楓の身体能力は常人のそれではない。光希は滑り出すようにして駆け出した。隙のない立ち姿の楓。それでも、負けるわけにはいかないからと走り出す。


 跳ぶ。瞬間的に身体能力を限界まで引き上げる。楓には光希の姿が掻き消えたように見えたはずだ。身体能力を引き上げすぎれば身体の方が持たないので、これが使えるのはほんの数回。けれど、そんな賭けにでなければ楓には勝てないと光希は判断していた。


「面白いね、それ!」


 死角から仕掛けた斬撃を楓は振り返らずに受ける。さすがの威力に楓は刀を退いて衝撃を受け流した。だが、光希の攻撃はまだ終わらない。返す一撃で楓の胴を薙ぐ。楓は軽く地面を蹴って後ろへ跳ぶ。体勢の崩れる瞬間を狙って差し込まれた光希の一閃を刀で受けた。そのまま、楓が刀を振るう。ポニーテールが楓の動きを一拍も二拍も遅れて追う。甲高い金属音は高らかに響き続ける。


「うん、こんなに楽しいのは久しぶりだよ!」


 笑みを深める楓と逆に光希は眉間にシワを寄せていく。速く、もっと速く。散る火花に風切り音。ひとつのミスが文字通り命取り。二人の得物は真剣だ。


 ふっ、と呼気を吐き、楓は刀を上段から振るう。光希はぎりぎりのところで刀に込められた力を受け流すと、刀を手放して横に跳ぶ。


「なっ!?」


 まさか刀を捨てるとは予想外だ。楓の動揺の隙間に光希が蹴りを放つ。そして楓の唇が歪んだ。


 いつ、動いた?──光希が理解する前に楓はカウンターになる蹴りを放っていた。もしもこれがぶつかれば、潰されるのは光希の方だ。


「くっ!」


 もう止まれない。だから、光希は霊力で身体に急制動を掛ける。内臓が暴れる感覚に歯を食いしばって、楓の蹴りを潜り抜けた。土煙が立ち上る。視界が利かない中で楓が動く。とん、と無茶の反動で動けない光希の背中に楓の刀の柄が落ちた。


「……!」


 どさりと重い音を立てて、光希が崩れ落ちた。この場に立っているのは、土埃にまみれた楓と、戦いの一部始終を見ていたみのると木葉。楓は刀を振って、鞘に納めた。何か、とても大事なことを忘れているような……。


「あ! 勝っちゃった……」


 そう、楓が負ければ護衛をつけることに関して考え直してもらえる……という話だったはず。


「やらかしたぁあああ! 師匠せんせい、今のナシ! 今のナシです! 次はちゃんと負けますから〜!」


 楓はみのるの前でぶんぶんと必死に手を振った。けれど、みのるはニコニコと微笑むばかりで効果はない。


「約束は約束だからね」


「ぐあああ……」


 呻きながら地面に膝をつく楓。入れ替わりに、地面で倒れていた光希の方がむくりと身体を起こした。新品の制服は土まみれで茶色い。無言で地面に転がっていた刀を拾って鞘に納める。顔に付いた汚れを拭って光希はみのるを睨みつけた。


「……どういうことだよ! こいつ、霊力使えないんじゃないのかよ!」


「うん、そうだけど。霊力の気配はなかっただろう?」


 みのるがキョトンとして見せるのはわざとだ。分かっていても光希は苛立たずにはいられなかった。


「なら、どうしてあんな動きができる!? 普通に考えておかしいだろ! それに、こんなに強いなら護衛だっていらないはずだ!」


 人間の身体能力はどうしたって貧弱だ。百メートルを五秒では走れないし、何もなしに十メートル以上跳ぶこともできない。理性のない大型の獣──夜徒やとに歯が立たないのも当たり前の話だ。だからこそ、人は霊力を用いて術式を使い、身体能力を強化して夜徒やとに対抗する。だからこそ、無能力者は力なきものとして冷遇される。それがこの世界の道理だ。


 けれど、天宮楓は違う。地面の上で勝ってしまったとしょげている天宮楓は、霊力なしに高い身体能力を持つ人間だ。そして、術式抜きとはいえ彼女があっさりと倒したのは、霊能力者の大家である相川家の人間。おまけに光希は戦闘の天才と呼び声の高い術者だ。


「こいつは、一体なんなんだよ!」


 今まで縁側にて状況を静観していた木葉が立ち上がった。楓と光希の激しい戦闘によってぼこぼこになった地面を軽やかに歩いてやって来る。艶やかな黒髪をなびかせた木葉はみのるの隣で足を止めると腕組みをした。


「あの子は、天宮桜様の娘よ。そして、私たちが把握しているのはそれだけ。だから、なぜここまで高い身体能力を持っていて霊力がないのか分からない。けれど、天宮の血を引いているのは事実だから、天宮の娘を一人で歩かせるわけにはいかないわ」


「……でも、こんだけ戦えれば護衛なんていらないだろ」


「うんうん、心配しなくてもボクはひとりでやってけるよ?」


 地面に座っているのもいたたまれなくなってきて、楓は身体を起こした。スカートの裾を払いつつ、木葉の顔に視線を向ける。まだ悪あがきをやめない二人に嘆息し、何か言ってやってくださいとばかりに木葉は呆れた顔でみのるを見た。


「楓には最大の弱点がある。分かる?」


 みのるに質問を振られて楓は考える。ずっと夜徒やとを狩ってきた。初めのうちは実力不足で失敗したこと、死にかけたこともある。それでも、今ではほとんど苦戦しなくなったし、負ける気もしない。答えられずにいると、みのるが答えを告げた。


「楓が無能力者だということだよ。光希、楓に簡単な弱体化の術式を使ってみて。効果の弱いものでいいよ」


 不服そうな顔はそのままに、光希は何かをしたらしい。らしい、というのは楓には何も見えなかったし、何も感じなかったからだ。


「あれ」


 すとん、と楓は地面に座り込んでいた。立とうにも、身体に思ったように力が入らない。無理矢理に顔を上げると、虚を突かれた顔の光希と目が合った。


「なんで、こんな術式、普通は人に効かないぞ?」


「霊力を持つ人なら、他人の霊力に対して反発を起こすから効かないよ。でも、楓にはそれがない」


 光希が術式を破棄したようで、楓の身体は不可思議な力から自由になった。みのるが手を差し出してくれるのを見たけれど、ひとりで立てるからその手は取らなかった。


「だから、楓には護衛がいるんだよ」


「おれじゃなくても、……涼でもいいだろ」


 その名前には聞き覚えがある。たしか、入学式の日に光希に話しかけていたクラスメイトの少年の名だ。やはり護衛を受け入れようとはしない光希に木葉が深い溜息をついた。


「光希、いつまで逃げているつもりかしら? あんたがそんな臆病だったなんて知らなかったわ」


 冷たい木葉の言葉に光希の瞳が大きくなる。触れられたくないものに触れられたのだと知るにはあまりに明白だ。青みがかった黒い瞳の奥で痛みにも似た色が閃く。楓は思わず釣られて顔を歪めてしまった。


「っ! それでも、おれは……」


 最後まで言い切る前に光希は身を翻した。早足がだんだん速くなって、駆けだしていく。光希が離れたがっているのはこの場所ではなく、自身の中の記憶そのもののように見えた。小さくなる後ろ姿を楓はただ見送る。追いかけるにも楓は光希のことをまだ知らなかったし、素直でもなかった。何より、ついさっきまでいがみ合っていた相手を心配して追いかけるなんて、負けたみたいだし──。


「さあ楓、あのバカを早く追いかけるのよ」


「えええ? 何でだよ!」


「申し訳ないんだけど、私からもお願いできるかな?」


「せっ、師匠せんせいの頼みなら……ってちがうっ! うわあああ! 待って待って足が勝手に!?」


 楓の足が光希の消えた方向へ勝手に走り出す。お茶目にウインクをしたのは木葉で、楓の足を操っているのは木葉に間違いない。


「このはあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!」


 あとで、絶対に、ぶっ飛ばしてやる、と心に固く誓いながら、楓は情けなくも勝手に動く自分の足に引きずられていく。濁点まみれの叫び声を後に残して。





「悪いわね、みのる」


 楓と光希のいなくなった中庭で木葉がふうと溜息をつく。地面はでこぼこ、植わっている低木も春だというのに戦闘の余波ですっかりハゲている。


「いいんだ。あのくらいやらないと二人は互いを認めない。でもまさか、楓があそこまで強くなっていたとは思わなかったよ」


 みのるの想定では、ギリギリで楓が勝つだろうというくらいの計算だった。けれど実際は、楓が最初から最後まで光希を圧倒していた。


「ああいうのを天才っていうのでしょうね。桜には似ていないと思っていたけれど、案外よく似ているかもしれないわ」


 天宮桜という、とうにいない人をしのぶ。術者として天賦の才を授かった薄命の娘。天宮楓はそんな彼女の忘れ形見だ。


「そうだね」


 刹那、みのるは目を閉じた。その間だけずっと昔のことを思い出す。とても自信家なじゃじゃ馬娘と過ごした日々のことを。


「楓が今代の天宮の姫である以上、今代の守り人である光希は楓を守る義務を負うことになる。たとえ何を支払ってでも姫を守り抜く義務を」


 みのるの言葉に木葉が静かに頷いた。ふと、この美しい少女の姿形が、みのるの記憶に現れた最初の瞬間から変わっていないことに気づく。そんなみのるの動揺を見透かしたように、少女は淡く微笑んだ。





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