第6話 手荒な証明といこう

「ワケわかんない、なんでボクに護衛が付くんだよ」


 楓は木張りの長い廊下を光希と並んで歩きながらこぼした。きしきしと答えるように床が鳴る。


「おれに聞くな。なんでおれがおまえみたいな馬鹿な無能力者の護衛なんてしなきゃいけないんだよ」


 苛立ちを隠さない光希に楓は口の端をぴくりと引きつらせた。


「……今なんつった? またバカって言ったなこのバカ!」


 叫んでもっと暴言で殴ってやろうと言葉を探す。が、これ以上罵ののしろうにも楓は光希のことを何も知らなかったし、今見えている部分において光希の欠点は見当たらなかった。イケメン……、は明らかに誉め言葉だし。悔しくも閉口すると、楓と光希の間には居心地の悪い静寂が下りた。重苦しい空気に変化が訪れたのは、二人が縁側に差し掛かったときだった。


「楓、久しぶりだね。あ、いや、一日ぶりか」


 突然声を掛けられて楓は足を止める。横を見れば、中庭で長身の男がにこにこと手を振っていた。


師匠せんせい!」


 砂漠のど真ん中でオアシスを見つけた気分になって、楓は目を燦然と輝かせる。靴を玄関で脱いでしまったことも忘れて、縁側から飛び降りて黒髪の男の元へ駆けていく。苔や岩などを踏みつけて、白い靴下が土で汚れる。それでもお構いなし。楓は男の前に来るまで足を止めなかった。


師匠せんせい、どうしてこんな所に?」


 男の顔を見上げて問う。青みがかった黒い切れ長の瞳が微笑んだ。誰かに似ているような気がして楓は思わず男の端正な顔を凝視した。


「楓と光希に会いに来たんだよ。光希もこっちに来なさい。楓はまず靴をそこで履いてくること」


「はあい」


 と、返事をして縁側を見れば、木葉が楓の靴を持って立っていた。しかも替えの靴下も一緒に。なんて周到さだ。内心で感嘆しつつ受け取りに行くと、木葉はケラケラと笑いながら言った。


「やーっぱりみのるの言う通りになったわね」


「え」


「自分を見つけたら、ほぼ間違いなく靴履かずに飛び出して、楓は靴下をドロドロにするだろうって」


 楓は自分の頬の温度が急激に上昇するのを感じた。何もかもお見通しで、中庭の真ん中でわざわざ立って待っているなんて意地が悪い。どっかの誰かさんみたいだ。ぷんすかしながら靴下を履き替え、靴を履く。それから光希に遅れて木葉がみのると呼んだ男の元に戻った。


師匠せんせい、ボクが飛び出してって靴下ドロドロにするのが分かってたんなら、縁側で待っててくださいよ!」


「ははは、ごめんごめん。まあ、靴下も用意したし許してほしいな」


 楓とみのるの気の置けないやり取りに怪訝を示したのは、蚊帳の外に置かれていた光希だ。


「おまえ、親父とどういう関係なんだ?」


「お、オヤジ!? え、師匠せんせいが?」


 光希の顔とみのるの顔を交互に見る。同じ色の髪と目、顔の造形。確かに似ている。似ているけれど、親子に見えないのはなぜだろう。恐らく仏頂面であるかどうか。人間、態度やら表情やらはとかく大事だ。


「うん、楓には言ってなかったね。私の名字が相川で、楓と同い年の息子がいること」


 それで楓は納得したが、相変わらず光希は怪訝そうな顔のままだ。


「私は楓に剣術や護身術を教えていたんだ。楓が黄昏の中で生き抜けるように」


 光希は目を見開いた。夜徒やとからの襲撃の絶えない黄昏の世界から、天宮の名を持つ少女はやって来たという。夜徒やととの戦闘経験を積んできた光希は、もちろん五星結界の外がどんな場所であるか知っている。まともに食事もできない環境で生きる日々を、思わず慮ってしまうくらいには。


「さーてと、じゃあ二人とも摸擬戦でもしてみようか。これからパートナーとしてやっていくんだし、互いの実力を知るのも大事だからね」


 ぱちんと手を叩いて、相川みのるは明るく宣言した。


師匠せんせい!?」


「は?」


 何言ってんだこいつ、とばかりの反応を見せる楓と光希。そして、二人は護衛なんていらないとギスギスしていたことを思い出した。


師匠せんせい! 師匠せんせいはボクが護衛なんかいらないってことよく知ってますよね!? 護衛、いりません! 特に、こんな不愛想野郎は嫌です!」


「おれは護衛なんてやらないからな! 何でおれなんだよ!」


 楓は光希を指差して、光希はそっぽを向く。ぎゃあぎゃあとみっともない抗議運動をする二人に、みのるは腕組みをして片目をつむる。


「それじゃあ、こうしよう。楓と光希が戦って、光希が勝ったら護衛の件は私の方からもご当主様に奏上しよう。光希は術式のみ使用禁止だ。これならどう?」


「禁止なのは術式だけでいいのか? このルールだと、身体強化はしてもいいことになるぞ?」


 光希の質問にみのるは微笑む。けれどその目は決して笑ってはいなかった。冷ややかで突き放した視線に、光希は背筋に冷たいものが流し込まれたような心地になる。


「簡単に勝てると思わないことだよ」


 すっとみのるの目が楓を見た。何を言われるのだろうとほんの少し身構えたところで、みのるは楓の手に一振りの刀を握らせる。紅い紐が黒い鞘に巻き付いており、金で紅葉がつばに刻まれている美しい刀。それは楓の手に吸い付くようで、心地よい重みと手触りに楓は目を細めた。


師匠せんせいが、持っていてくれたんですね」


 楓とともに黄昏で生きてきた相棒。楓のすべて。その銘を、緋凰ひおうという。


「うん。私と木葉が君を迎えに行ったときに一度預かって、鍛え直してもらったんだ。長く使って少しだけ刃こぼれしていたから。念入りに術式も掛け直したから、もっと長持ちするようになったはずだよ」


「ありがとう、ございます」


 花が咲いたように楓は笑う。そんな楓の姿に光希が息を呑んだ。楓は光希の様子には全く気づかずに、ゆっくりと刀を鞘から抜いた。微かに紅い刀身が陽光に煌めく。


「……ほんとは、こんな色してたんだ」


 傾いた陽や夜の中では物の本当の色などよくわからない。だから、知識としては知っていても愛刀の色を目で確かめる機会などなかったのだ。


「楓、準備はいい? わざと負けようとか考えるのは禁止だからね。私には分かるから。それに、きっと光希はいい勝負をしてくれるんじゃないかな」


 相変わらず仏頂面をしている光希の眉がピクリと動いた。曲がりなりにも実戦経験を多く積み、戦闘能力を評価されてきた。なのに、みのるは光希が無能の少女に負けると確信している。能力を誇示することには興味はないが、ここまで軽んじられるのはプライドが許さない。


「……勝てば、護衛の話は無しだ」


 呟いて、光希は腰にいていた刀を抜いた。清瀧せいりゅうという名の光希の刀は、きらりと青みがかった刃で陽光を弾き返す。


 楓は光希が刀の切っ先を楓に向けるのを見て頷いた。ぞくぞくと湧き上がる興奮に楓の唇の端が吊り上がる。戦うことは嫌いじゃない。だって、それが天宮楓という人間を証明する唯一のすべだから。


「ボクは強いぞ、相川」


 不敵な笑みを口にのぼせ、楓は赤みがかった刃を光希に向けた。


「おれは負けるつもりはない、天宮」


 仏頂面は変わらずとも、光希の瞳の奥で焔が揺れる。




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