第5話 護衛なんて

 入学式翌日。


 入学式が行われたのは金曜日だったので、次の日は休みだった。やっと一息つける……はずが、楓は何が何やら分からないうちに、学園から連れ出されて車に乗せられてしまっていた。青波学園の制服であるジャンパースカートを早朝から着せられて、黒い車で木葉と一緒にお出かけ。……お出かけ、なんていう軽い言葉で言い表せるようなものであるといいのだけれど。


 ごとごとと車に揺られる。窓に顔を押し付けて外を見ていた。流れる風景の中にビルが並び、家屋が並ぶ。コンビニエンスストアもあるし、スーパーマーケットも。どうやら、常世とこよ現世うつしよがくっついてしまう前の光景がそのまま残っているようだ。本で見た十五年前の景色が本当に存在していたなんて、楓には衝撃的だった。


 スラム街と相違ない黄昏の淵よりもずっと、賑やかで眩しくて綺麗。ぴかぴかのビルに陽光が反射してきらきらと誇らしげに輝いている。霊能力者に生まれ、五星結界の中で生きることを許されるということは、たぶんこういうことなのだろう。


「木葉、どこに向かってるんだ?」


 楓は窓から頬を剥がして隣の席に視線を向けた。運転席には初老の男性運転手がいて、後部座席には楓と木葉が並ぶという座席配置だ。楓が車に乗るのはこれで二度目。最初の一回はおととい学園の寮に連れていかれたときのことである。五星の外では車を動かす燃料はとても貴重なので、車に乗る機会はそうそうない。だからこそ、違う場所に来てしまったのだという実感も強まるというものだ。


「あなたの家よ。もちろん、五星の外にある孤児院のことじゃないわ。天宮の屋敷のことよ」


「ボクの、家……」


「ええ、ご当主様にご挨拶に伺うのよ。あなたからすると……、お爺様に当たるのかしら」


「おじいさま……」


「そうよ、だってあなたは天宮直系の娘だから」


「天宮、直系……」


 情報量の多さと実感のなさから、楓の口は木葉の言葉をリピート再生するだけの壊れた録音機みたいになっている。おとといからの情報ラッシュは留まるところを知らない。それに、まだまだ続くのではないかという嫌な予感がすることだし。


「うーん、ホントに何がどーなってんだ……?」


 街中を走っていたはずが、いつの間にやら景色は森の中のそれになっていた。太陽が青々と生い茂る木々に隠され、木漏れ日が車の上を通り過ぎていく。車の傾きと揺れを考えると、山道を上っているようだ。目を丸くして窓に張り付いていれば、停車時の揺れでしたたかに額を窓ガラスに打ち付けてしまった。


「いっててて」


「はしゃぎすぎよ、もう。とりあえず降りて、楓。行くわよ」


「あ、うん」


 荷物は学園にやってきた際に持ち歩くようにと渡された携帯端末スマートフォンだけだ。制服のポケットにそれが入っていることだけを確認して、楓は車から降りる。


「……は、え、ええええええええええっ!?」


 楓の上げたバカでかい叫び声に驚いて、付近の木に止まっていた鳥たちが慌てて逃げていった。


「そんなに驚いて、どうかした?」


 木葉の目が冷たい。けれど、これは断じて楓のせいではない。


「い、いやだって、さ。屋敷よ~って言われて、こんな神社みたいなの出てくるとか思わないじゃん……。でっかい鳥居だし、なんかすごい御殿みたいなのあるし、……ねえ?」


 ぎぎぎと首を動かして木葉に訴える。


 楓の目の前には白木の鳥居、砂利の道が続く先には立派な本殿。鳥居と同じで白木で作られた本殿は質素な色合いでありながら荘厳な雰囲気を纏っていた。植えられたさかきが砂利の上に木陰を落とし、まだ若葉のままの楓の木が小さな池に映り込む。鳥居の向こう側は異世界のようにすら見えて、踏み込むのが躊躇われる。


「楓、ついて来て」


 臆面もせずに木葉が鳥居をくぐっていく。楓は足踏みすること三回、息を止めて鳥居の端をくぐる。車の運転手が楓に向かって深々と頭を下げるのが後ろ目に見えた。


 鳥居をくぐると、すっと体感温度が下がったような感覚に襲われて、楓は自分の肩を抱いた。空気も心なしか澄んだように思える。本当に違う世界に迷い込んでしまったようで、唯一知っている木葉の背中を急いで追いかけた。


「ここはね、五星結界の心臓よ。天宮のもりと呼ばれる山の山頂に当たるわ。疑似的な神域みたいになっているの。力を持たないあなたにも、少しは感じ取れたんじゃない?」


「う、うん。……な、なあ、ホントに、ここ、ボクん家なの……? さ、さすがにあれに住むとかないよな?」


「そんなわけないじゃない! あれはあくまでここの霊域を作り出し、まもるためのものよ。それともこーんな家に住んでみたかった?」


 けらけらと木葉があまりに笑うものだから、楓は思わず拳を固めた。


「ばっ、バカにすんなよ! ボク、何も知らないんだから! しょうがないだろ!」


「段差、気をつけなさい」


「え゙え゙え゙!?」


 思い切り敷石に蹴躓いて転びそうになる。警告は遅いし、抗議は全部無視されるしで楓はぶすくれる他ない。その間に本殿の脇にある小道を通り抜け、目的の屋敷が姿を現した。和建築の二階建て、本殿にも劣らず厳かな印象を与える大きな屋敷だった。


「天宮楓さまと、下田木葉さまでいらっしゃいますね。ご当主さまがお待ちです。ご案内いたします」


 ぼうっと立って眺めるような時間は与えられず、楓と木葉は使用人らしき女性に案内されて屋敷の中に入っていく。木張りの廊下を使用人の後に続いて恐る恐る歩いていく。長い廊下を進んで角をいくつか曲がった先で使用人は足を止めた。正座をしてからそっと障子を開けて楓たちを中に入るよう促す。楓はバクバクと飛び跳ねる心臓を押さえ、静かに部屋の中に滑り込んだ。


「よく来たな」


 渋みのある低い声のした方向を向くと、老年の男が畳に座っていた。鼠色の羽織を纏い、鷹のような鋭い目をした男が放つ威圧感に楓は息を呑む。


「座りなさい。私は天宮家当主、天宮健吾けんごだ」


 並べられているのは二つの座布団。促されるまま楓は腰を下ろした。もうひとつのは木葉のものかと思いきや、木葉は深く一礼をして部屋の外に出て行ってしまう。心細さを押さえ、いざ天宮家当主と向き合ってみれば、威圧感は一層増して、楓の身体はがちがちになってしまった。


「おまえが天宮楓だな」


「は、はい」


「顔を上げなさい。それでは顔が見えない」


 無意識に俯いてしまっていたことに健吾に言われて気がつく。視線をひしひしと感じながら、楓はゆっくりと顔を上げた。目の前で鼠色の羽織がほんの微かに揺れる。


「どうやら、本当に、おまえは天宮桜さくらの娘のようだな。あの子の面影がある」


「天宮、桜……。それが、ボクの、あ、いえ、わたしの母の名前なんですか?」


 生まれたばかりのときにはもう、楓は独りだった。名前だけを唯一の持ち物として、五星結界の外にある孤児院の前に捨てられていたらしい。


「うむ。おまえの母は天宮の誇る最高の術者であった」


「そう、ですか。あの、その、……お言葉ですが、わたしには霊力がない、です。だから、わたしには、えっと」


 期待なんてしないでほしい、と言ってしまいたかったけれど声が出なかった。また俯いてしまった楓を、健吾は無表情に眺め下ろす。


「天宮の名は特別だ、という話は知っているか?」


 木葉に聞いたばかりだ。この名を名乗ることができる人間は天宮の血を引いている者だけ。思い出しながら、楓は頷いた。


「ならば、天宮の名は天宮の血を引いていること、ただそれのみで名乗れるものではないことは知っているか?」


「直系でも、名を名乗ることを許されないことが、あるんですか?」


「そうだ。天宮は霊能の力を持つ者たちの始祖であると言われている。ゆえに、天宮はすべての家の頂点に座している。そして、天宮を天宮たらしめるのは異能だ。霊能力に加えて、天宮の人間は異能をひとつ授かる。異能の発現を以てして、天宮は初めて天宮と名乗ることが許されるのだ」


 健吾の黒瞳が楓に注がれる。


「この掟は天宮桜も守ったはずだ。だからこそ、生まれ落ちたその瞬間から天宮の名を許されたおまえは特別なのだろう」


「そんな……、ありえない」


 首を振って呟く。さっきからこの人は何を言っているのだろうと混乱した頭で考える。


「天宮の名がおまえの証明だ。そして、たとえ霊力も持たず、異能の発現も確認できなくとも、十五になったおまえを迎え入れることは定められていた。この決定に逆らうことは許されない」


 一体これはなんだ。天宮桜の娘であり、予定として決められているから、無能でも霊能力者の社会で生きろと?


「ボクには、そんなこと──」


「だが、おまえはひとつだけ持っているだろう? それが異能なのかは分からなくとも、十五年の間おまえを生かし続けたものを」


 ひゅっと楓の喉が変な音を立てた。記憶の奥底に沈めた闇色の箱に手が掛けられている。開きたくない、忘れてしまいたいものが出てきてしまわないよう、ぎゅっと目をつむって呼吸を止めた。


「ご当主様、連れてまいりました」


 冷え切っていた空気に風を招き入れたのは、木葉の声だった。すっと、ふすまが開いて木葉が座敷に入って来る。その後に続いて、もう一人。


 切れ長の瞳に整った顔立ちの少年だ。知っている。忘れるはずがない。二度もぶつかって、挙句の果てに馬鹿にされたのだ。ふつふつとあの時の感情が湧いてきて、楓は顔をしかめそうになった。


 少年──相川光希は楓を認めてもぴくりとも表情筋を動かさない。澄ました顔もなんだかムカつく……、と思ってしまうと楓の眉間にはシワが寄った。天宮家当主に深く礼をしたあと、青波学園の制服を纏った光希は無表情で楓の隣の座布団を前にして直立する。


「おまえもよく来てくれたな」


 楓のときよりも幾分か平たいねぎらいだった。それでもなお、光希の顔は完璧な無表情だ。まるで、慣れているとばかりに。


「既に顔を合わせているかもしれないが、紹介しておこう。そちらは天宮桜の娘、天宮楓だ」


 光希は身体の向きを変え、楓に頭を下げる。


「おれは相川光希です。以後お見知りおきを、天宮楓様」


 鳥肌……。馬鹿とか言ってきた相手に様付けで殊勝に頭を下げられるなんて体験はもう二度としたくない、と楓は強く思った。けれど、向こうだけに頭を下げさせるのも違うだろう。そう思って立ち上がろうしたら、壁際に控える木葉が首を振った。ほっときなさい、と木葉の唇が動く。そう言われてしまうと動けなくて、ぼそぼそと自己紹介と挨拶を済ませる。


「顔合わせが終わったようだな。お前も座りなさい」


 健吾に促されて光希が楓の隣に腰を下ろした。老人の前で二人並んで座っている様子はまるで婚約でも告げられそうなものだった。楓はじりじりと進む時間を正座で耐える。あまり長引くと足がしびれて倒れてしまいそうだ。健吾はやがて目を細め、重々しく口を開いた。


「相川光希に命を下す。これはすべての任務に差し置いて優先されるものであることを心しておけ」


「は」


 短い歯切れのよい返事は、何度もこうして返事をしているからこそ。頭を下げたままの光希に、天宮健吾は静かに告げた。


「おまえには天宮楓の護衛を命じる。この娘を守ることが今日からおまえの存在意義だ」


 機械的に返事をしようとしていた光希の口が動きを止める。ちなみに楓はぽかーんと口を開け放って、みっともないアホ面を晒してしまっていた。


「……なぜ、おれなのですか。おれでなくとも護衛はできると思いますが」


「そうです! ボクは、護衛とか、要らないです。ボク、あ、わたしが自分の身を守ることができるのは、知っていらっしゃるはずです!」


 こんな不愛想野郎に護衛されるなんて嫌だ!、というのが楓の本心の七割。残りの三割は意地とかそういうものだ。命令を受け入れる覚悟をしていたはずの光希が精一杯の抵抗を試みているのも、もしかすると楓と同じ気持ちだからかも。


「既に決定事項だ。おまえたちに否やはない。話はこれで終わりだ」


 けれどシャットアウトされてしまえば、楓と光希は沈黙せざるを得なかった。追い出されるようにして座敷を後にする二人に、木葉が満面の笑みを浮かべてさらなる追い打ちをかける。


「二人で仲良く散歩でもしてきなさ~い」


 楓と光希は揃って顔をしかめた。





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