5.滅亡したもの

 破局に対する人類の理解は徐々に深まっていった。

 破局の本質は人類という種族全体の記憶の復元であり、破壊はその結果に過ぎないこと。富士樹海への隕石落下がそのトリガーとなったらしいこと。破局開始から暫くして過去を含めた人類全員の意識と記憶の共有と、人間の復元が本格的に始まったこと。そして、人類は永遠に記憶を忘却することができなくなったこと。

 破局は科学技術を急速に発展させた。一度起きた現象を何度でも復元して研究できる上に、一度使用した資源やエネルギーを何度でも復元できたからである。人類は破局が起こらないクレーター跡を分析し、任意の空間について破局を抑制する技術も開発した。

 一方で、人類は共有される意識と、増え続ける記憶に悩まされた。共有された意識を持ち、他者の感覚が絶えず割り込む中での生活は、個人の集中力を著しく削ぎ、煩わしいことこの上無かった。また、他人と共有され増え続ける膨大な記憶の中から特定の記憶を思い出すには長い時間がかかった。これらの共有された意識と記憶のメカニズムは解明されず、根本的な解決方法も見当がつかない状況だった。

 さらに、人々は死ぬこともできなくなった。死ぬ直前に無意識的に破局が起き、本人が一番健康だった時の姿で復元が起こるからだ。

 ある時人類は、生物を殺さず安全に無機物化したり生き返らせたりできる技術を開発した。これにより全人口の大半を無機物化させ、少数の人間のみに必要な仕事をさせることで、意識を単純化して生活しやすくし、記憶の無秩序な増加を抑えることに成功した。こうして地球は肖像に埋め尽くされた、静かで奇妙な星となった。


 肖像で埋め尽くされた街の中、無機質なのっぺりとした灰色のビルの一室で、赤月と呉は機械の間を行き来していた。

「ねえ潮くん、話しかけてもいい?」

 呉の声が広い部屋に響いた。

「なんだよ。今忙しいんだが」

「それは私も同じよ」呉が振り返って言った。「誰かが人類社会をメンテナンスしなきゃいけないんだから文句言っても仕方ないわ」

「あと五年働いたら肖像になって休めるな。それまで我慢か」

「そうは言っても、五年間がどのくらいの長さなのか、感覚が掴めないわね。破局が起こり始めてから、時間はほぼ意味をなさなくなっちゃったし」

「やろうと思えば、好きな時間の好きなものを自由に復元できるからな。人類はある意味、タイムトラベル能力を手に入れたわけだ」

「破局が起こる前の生活なんてもう考えられないわね。隕石落下って言われたら、人類滅亡を連想しちゃうけど、実際には何も滅亡しなかったわ。むしろ、人類は不死と不滅を手に入れたもの」

「いいや、滅亡したものが一つある」

 呉は、共有された人類意識の中で、赤月の考えを一瞬で読み取り、頷いた。

「ああ、たしかにそうね」

 赤月は呉の頬にそっと触れながら口を開いた。

「あの隕石は、俺たちの死と滅亡を滅ぼした。俺たちは今や、絶対に滅べないし死ねない」

「その結果が、静かな肖像たちの支配する地球というわけね」

 赤月は呉の言葉に頷くと、目の前の窓から街を見下ろした。

 夕陽は水平線の下に沈み、残照が空をあかく照らしていた。地表に並んだ肖像たちは微動だにせず、あたりは穏やかなしじまに満ちていた。まるで滅んでしまったかのような世界の中で、二人は静かに作業を続けた。

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ウロボロス ――滅亡を添えて―― @SNALEKILL

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